作品タイトル不明
第7話 三ヶ月前から準備してたよ
「——白状します」
議場ではなかった。
王都大神殿の、小さな審問室。石の壁に囲まれた部屋に、私は座っていた。机を挟んで向かい側には第二王子クラウス殿下と、記録官が二名。
私——マティアス・ホルンは、四十五年間で初めて、自分の言葉の重さに潰されそうになっていた。
「フラウの功績を、私が横取りしていました」
クラウス殿下は表情を変えなかった。知っていたのかもしれない。
「十年間です。結界の維持報告も、巡回の成果も、瘴気監視の分析も、全て私がまとめて上層部に提出していました。フラウの名前は、報告書のどこにも入れていません」
記録官の羽根ペンが走る音だけが聞こえる。
「それだけではありません」
ここからが、本当に重い。
「ローザ殿が着任して一ヶ月後、私は浄化の光が聖女の祝福ではないことに気づきました。光の拡散が、魔道具のそれでした」
殿下の目が、初めてわずかに動いた。
「気づいていて、黙認したと」
「はい。王子殿下のご意向を覆せないと思いました。そして——あの日、フラウが神鏡テストを進言した時、私がそれを握りつぶしました」
言った。
ようやく言えた。二ヶ月間、喉の奥に刺さっていた骨が抜けたような感覚だった。楽にはならない。骨が抜けた跡が痛い。
「全ては、私の保身のためです」
クラウス殿下は、しばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐いた。
「マティアス上級神官。あなたの証言は記録します。ローザ殿の魔道具についても、これより正式な調査に入ります」
殿下は立ち上がりかけて、一度止まった。
「フラウ殿は——進言していたんですね」
「はい」
「あの人はやはり、最後まで」
殿下はそれ以上言わなかった。審問室を出ていく背中が、兄君と同じ金の髪なのに、まるで違う人間に見えた。
辺境では、厨房が爆発していた。
正確には、竈の火が油に引火して、天井まで煤が飛んだ。
「ルーシェ!」
「だいじょぶだいじょぶ。消えた消えた」
ルーシェが指を鳴らすと、火は一瞬で消えた。神の力で点けた火ではないのに、消すのは神の力。なんだか釈然としない。
「何をしていたんですか」
「ケーキ」
「ケーキ」
「だって今日フラウの誕生日じゃん」
知っていたのか。というか、誰にも言っていないのに。
「神様ですから?」
それで通すつもりらしい。
厨房の壁に煤の模様ができていた。ルーシェの顔にも煤がついている。鼻の頭が黒い。
「……拭きますよ」
布巾でルーシェの顔を拭いた。じっとしていない。猫みたいに顔を動かす。
「くすぐったい」
「動かないでください」
「くすぐったいって!」
シロが足元で、煤まみれの小麦粉を舐めていた。白い毛が灰色になっている。
誕生日の午前は、掃除で終わった。
午後。
裏庭の井戸で手を洗っていると、後ろから足音がした。
ディートリヒさんだった。手に、小さな包みを持っている。
「……これを」
差し出された。革の端切れで包んである。雑、とまではいかないが丁寧ともいえない包み方だ。
「開けていいですか」
「ああ」
革を解くと、中に髪飾りが入っていた。
銀の細工に、淡い青の石が一つ嵌め込んである。辺境の鉱石だろうか。光の角度で色が変わる。繊細だけれど華美ではない。普段使いできそうな、控えめな品だった。
「……これ」
「誕生日だと聞いた」
聞いた。誰から。ルーシェだろうか。
「綺麗……」
つい声に出た。本当に綺麗だった。王都にいた十年間、自分で装飾品を買ったことは一度もなかった。必要なかったから。でも、こうして手のひらに乗せてみると、冷たい金属の重みが思ったより嬉しい。
「職務の——報奨品、ですか?」
聞いてから、馬鹿なことを聞いたと思った。でも、そう聞かないと受け取り方がわからなかった。
ディートリヒさんが何か言おうとした時、背後からルーシェの声が降ってきた。
「三ヶ月前から準備してたよ」
振り向くと、ルーシェが井戸の縁に座っていた。足をぶらぶらさせて、にやにやしている。
「辺境の銀職人のとこに三ヶ月前から頼んでて、デザインも自分で描いてた。何回もやり直してたよ。石の色で悩んで——」
「ルーシェ」
ディートリヒさんの声が、いつもより一段低かった。
ルーシェは涼しい顔で続けた。
「青がいいか紫がいいかで二週間悩んでた。最終的に『フラウの目の色に近い方』って——」
「ルーシェ」
二度目は少し声が大きかった。ディートリヒさんが、初めて狼狽えているのを見た。耳が赤いどころではない。首まで赤い。
「ありがとうございます」
私は髪飾りを両手で包んだ。冷たかった金属が、手の温度で少しずつ温まっていく。
「大切にします」
ディートリヒさんは何も言わず、早足で厨房の方へ去っていった。背中が少し固い。
ルーシェが井戸の上からひらひら手を振った。
「ね、報奨品じゃないでしょ」
夕食は、いつもよりほんの少しだけ賑やかだった。ルーシェがケーキの代わりに買ってきた——どこで買ったのかは謎だが——蜂蜜菓子を三人で分けた。シロにも少しだけ。
片づけをしている時、伝令が来た。
アルト村を経由してきたという旅の行商人が、王都の噂を持ってきた。
ローザ殿の聖女の力が偽物であったこと。上級神官マティアスが不正を告白したこと。「真の聖女」の称号が嘘だったこと。王子の判断力が公に疑われ始めていること。
そして——。
「第一王子殿下が、自ら辺境に赴いて元筆頭聖女を連れ戻すと宣言されたそうです」
行商人が去った後、ディートリヒさんはしばらく窓の外を見ていた。
「……来るのか」
低い声だった。さっき厨房で狼狽えていた人と同じ人間とは思えない。
来る。殿下が。ここに。
髪飾りが、まだ右手の中にあった。青い石が、夜の灯りを映して揺れている。
三ヶ月前から。
デザインを自分で描いて。
私の目の色に近い方を選んで。
——備品では、ないのだろう。
でも、それ以上のことを考える余裕は、今はなかった。