軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幕間 イーファ、王都アスタにて

プロトアスタから王都アスタへは、馬車で半日もかからなかった。

本当に近くて、イーファはいくらか拍子抜けしたほどだ。

なぜ遷都したのかもわからないくらいだったが……きっと、立地とか拡張性とか帝国式街道の敷きやすさとか、いろいろあったのだろう。

王都アスタは洗練された都市だった。

歴史が新しく、計画的に造られただけあって道や建物が合理的に配置されている。

さすがに帝都ほどではないものの、イーファにとっては十分都会だった。

とはいえ、観光のために来たわけではない。

街の景観を眺めるのもそこそこに、リゼとイーファはまっすぐ後宮へと向かった。

後宮は、アスティリア王城内部の一画に、別棟として建っていた。

イーファが想像していたよりも、ずっと大きい。

この中に、どれほどの女性たちが住んでいるのだろう。

そう思いながら、イーファはリゼについて建物へ足を踏み入れると――――。

「……あの」

「なんだ」

短く返すリゼに、イーファは問いかける。

「ここって、後宮……ですよね」

「もちろんだ」

「じゃあ、ここにいる皆さんは今、なにをしているんですか?」

「見ればわかるだろう」

リゼは当然のように言う。

「講義を受けているんだ」

後宮の中にある一室。

そこは、まるで学園の講堂のような場所だった。

段々に並んだ机には、身なりのいい少女たちがついている。

前方には講義用の演台が置かれ、黒い板に石灰の棒で数式を書きながら、女性教員がよく通る声で説明をしていた。

講義の内容は、どうやら統計学のようだ。

「アスティリアが独立国だった頃は、ここも普通の後宮だったそうだ。つまり、王の妻や愛人たちが住む、愛憎と陰謀渦巻く女の園だな」

静かに話し始めたリゼを、イーファは見上げる。

「だが、帝国の属国となってからは変わった。理由を簡単に言えば、跡継ぎ問題が解決したのだ。女と養子が、王位継承者として認められるようになったために」

「……昔は、女王さまはいなかったんですか?」

「ああ、いなかった。王室典範で認められていなかったからな。そもそも女は、財産を相続することすらできなかったのだ」

「そうだったんですか……」

「しかし、帝国では違った。大昔に魔族と激しくやり合ってた時代、男が減りすぎて断絶の危機を迎える家が続出したために、女性の相続権を認めていたのだ。そしてアスティリアを属国化するにあたり、ここの食い違いを帝国は許容しなかった。おそらくは経済圏を広げる障害となると判断したのだろう。帝国法が優越する形で、我が国でも女性の相続権が認められた」

リゼは続ける。

「そしてそれは、王位継承権にも及んだ。女王が君臨できるようになったのだ。さらにその後、こちらの事情から帝国の皇室典範にならって養子の王位継承をも認めるようになり、跡継ぎ問題は完全になくなってしまった。同時に、後宮も不要となったわけだ」

「はあ……なるほど」

イーファにも意味はわかった。

男子しか王位を継承できないならば、王子が生まれなかった時点で王室が断絶する。それをなんとしてでも避けるために、たくさんの女性を抱える 後宮(ハレム) が必要になる。

しかし、女王が認められているならば別だ。単純に、跡継ぎが生まれる確率は倍になる。

そのうえ養子でもいいとなると、もはや跡継ぎに悩む必要などない。

必然、後宮もいらなくなるのだ。

「でも……それがどうして、こんなことに?」

「アスティリアの王妃は、代々政務に深く関わることが慣例となっている。後宮には元より、教育係となる優秀な教師が大勢抱えられていたのだ。最初の女王が君臨した後も、教育のために息女を後宮入りさせたいという有力者が相次いだ。財産の相続が可能になって、いざとなれば優秀な娘に家を任せたいという者が増えたのだろう」

リゼは続ける。

「そして、こうなった。今の後宮は女子学園のようなものだ。後に国政に携わる者も多いから、女性官僚の育成機関とも言えるな」

「それじゃあ……セシリオ殿下は別に、その、わたしに特別思うところがあったわけじゃなかったんですね」

「いや」

リゼはふっと笑って言う。

「歴代の王妃は、ほとんどがここの出だ。そういう意味で、ここは未だに後宮だよ。それを狙って入ってくる者だっている……。お前は、間違いなく若に見初められたのだ」

「そ、そうなんですかぁ……」

そう言われると、やはり戸惑ってしまう。

……でも。

思っていたよりは、明るく開放的で――――良い場所である気がした。

「――――はい、では前置きはこれくらいにしまして、まずみなさんには統計の考え方に慣れてもらいましょうか」

ふと前に目を戻すと、おっとりした女性教員がサイコロを掲げていた。

「問題です。私がこのサイコロを振ったところ、なんと十回連続で六の目が出ました! さて、次に六の目が出る確率はいくらでしょうか? では……コルネリアさん」

「はい」

高貴な雰囲気を纏った鮮やかな金髪の少女が立ち上がり、堂々と答える。

「六分の一です」

「ありがとうございます」

女性教員はにっこりと笑って言う。

「他に回答のある方はいますか? いないですか……? それでは、今日見学に来てくださったそちらのあなた」

講堂中の目が自分を向き、イーファは驚いて声を上げる。

「え、ええっ? わたし……ですか?」

「はい。あなたの考えを聞かせてください」

思わずリゼの方を見ると、ただおもしろそうに笑っているのみ。

仕方なく、イーファはうつむきがちに答える。

「……次も六が出ると思います」

その途端、講堂中から失笑が漏れた。

「あなた、賭け事はやらない方がよろしくてよ」

コルネリアと呼ばれた少女が、からかうような声を上げる。

「事象の独立というものを知ってまして? 過去にどんな目が出ていようとも、次に出る目には関係ありませんわ」

言われたイーファは、少しむっとして言い返す。

「……十回連続で六が出る確率は、だいたい六〇〇〇万分の一です」

「……え?」

「むしろ、どうしてそんなことが自然に起こると思うんですか」

イーファは、女性教員を見据えて言う。

「先生の持っているそのサイコロ、重さが偏って……いえ、全部六の目なんじゃないですか?」

「すばらしい! 大正解です!」

女性教員が、一際うれしそうな声を上げた。

そして持っていたサイコロを、端の席から生徒たちに回していく。

ここからではよく見えないが、手にした生徒が目を丸くしていることから、やはりすべてが六の目のイカサマ用サイコロだったんだろう。

「これが算術の講義であれば、コルネリアさんの答えが正解でした。ですがこの講義は、誰もわからない確率を探る統計学です。偏りをただの偶然とは考えず、そういった傾向があると捉えます。先入観を捨てて、実際の結果から確率を算出する。それが――――」

****

講義が終わると、イーファの周りには人だかりができた。

「ねえ、あなたどこから来たの?」「魔法学園出身ってほんとう?」「魔法も使えるの!?」「帝国ってどんなところ?」「セシリオ殿下に会った?」「後宮にはいつ越してくる? 私の部屋、今一人分空いてるよ!」

「あわわわ……」

質問攻めに、イーファがうろたえていると。

「……皆さん、お客人が困っておりましてよ」

呆れたような声が響いて、人だかりが静まった。

人の群れが自然に割れる。

そこに立っていたのは、先ほどの金髪の少女だった。

ぽかんとするイーファに、少女が話しかける。

「あなたには、一つ訊きたいことがあるのだけれど」

「えっ、は、はい。な、なんでしょうか……?」

「……そんなにかしこまらなくてもよろしくてよ。あなた、先ほどは六の十乗という 冪乗(べきじょう) の計算を暗算でしていましたわね。あれはどのように?」

「えっと……ちゃんと計算したわけじゃないよ」

イーファはぽつぽつと説明する。

「六を三回かけると二一六になるから、これをとりあえず二〇〇と考えて、三回かけあわせて八〇〇万。これで六を九回かけたことになるから、あと一回六をかけて四八〇〇万。ほんとうはもう少しあるはずだから……たぶん、六〇〇〇万くらい、ってこと。あんまり自信なかったけど……」

人だかりがざわついていた。

金髪の少女が溜息をついて言う。

「先ほど計算したのだけれど、それでほとんどあっておりますわ。大した発想力ですわね……。あなた、名は?」

「イーファ、です……」

「家名はなし、ね」

高貴な雰囲気の少女は、しかし蔑むでもなく続ける。

「身分が低いにもかかわらずここにいるということは、それだけ優秀なのでしょう。帝国から、どのようなきっかけでアスティリアの後宮に?」

「それは、その……セシリオ殿下に、声をかけてもらって……」

人だかりから、黄色い歓声が上がった。

金髪の少女は、少し驚いたように言う。

「王妃候補……。どうりで、優秀なうえにかわいらしいお顔をしていると思いましたわ」

そこで、少女はすっと手を差し出した。

「コルネリア・エスト・ラトーサ」

そして微笑みながら言う。

「家督を継ぐわたくしとは目指すところは違うけれど……あなたとここで競い合える日を楽しみにしていますわ」

「は、はい。ありがとうございます……」

イーファは、その手を握り返した。

少し、後ろめたさを覚えながら。

****

「おもしろいところだっただろう」

逗留予定の宿へ向かう道すがら。

隣を歩くリゼが、不意にそう言った。

「少なくとも、後宮らしさはまったくない」

「……はい」

イーファも、素直にいい印象を抱いていた。

なんとなく、雰囲気は魔法学園に近い。

ただ、皆自分の将来をしっかり見据えているのか、学園の生徒たちよりも真剣である気がした。

「ああいう場所があるから、女性は文官であるべしという風潮がこの国にはある。若がお前を争い事に関わらせたくなかったのは、そういう理由だ」

リゼは、溜息をついて言う。

「私も、あそこに在籍していた頃は同じように考えていた。成績がどん底でやむなく王室魔術師に転向していなければ、今でもそう考えていただろうな」

「……あはは、なんですかそれ」

イーファが小さく笑った。

それから、リゼはゆっくりと話し始める。

「当代のアスティリア王……若の母上である女王陛下は、優れた君主だ。智に富み、決断力に 秀(ひい) で、民に愛される。傑物と言ってもいい。まだまだ王位継承は先の話だが……若は不安に思っているはずだ。自分が、果たしてあの女王のように振る舞えるのかと」

「……」

「ドラゴンの件で、功を焦っているのもそのためだ。これを解決できなければ、王になる資格はないとすら思っているかもしれない。そして……王妃探しに関しても、おそらくそうだ。ふさわしい者を見つけなければと焦っていたふしがある」

リゼは言う。

「青い男だ。未熟者だよ。だが……悪い人間ではない。それは、乳飲み子だった頃から知っている私が保証しよう」

「……」

「お前の力で……若をそばから支えてやってはくれないだろうか」

「……それは……」

これまでなら、即座に断っていたはずの頼み。

だけど今は――――言葉は何かに引っかかり、一向に出てきてはくれなかった。