作品タイトル不明
第十四話 最強の陰陽師、みたび山へ向かう
三度目の登山は、ずいぶん楽なものになった。
ヒトガタと位置を入れ替えることにより、前回の到達地点からの出発となったからだ。
山頂へ向かうはずの道は、もはや完全な下り坂に変わっていた。
モンスターの気配は、とうになくなっている。
霧は、さらに濃くなっているようだった。
「……今回も、あえて異変に囚われるおつもりですか」
ユキが、渋い声音で訊ねてきた。
ぼくは答える。
「ああ、そのつもりだ。今回は、気がつくまで少し長くかかるかもな」
そのように式を調整した。
浅い夢見のまま目覚めたのでは、意味がない。
「今回は、何か手がかりが掴めるといいんだが」
「……」
ユキは、何か言いたげに沈黙していた。
ぼくは眉をひそめて訊ねる。
「なんだよ。どうかしたのか」
「……いえ」
ユキはぼそぼそと答える。
「ただユキには、セイカさまがここまで手間をかける意味が……」
その時。
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目の前で、一匹の化け狐が五芒星の陣に封じられていた。
六つに分かれた尾は、五回の転生を重ねた証。力の流れからも、並みの妖とは一線を画す呪力を持っていることがわかる。
ただ、ぼくの相手にはならなかった。
化け狐から目を離して振り返ると、腰を抜かしてへたり込んでいる少女に問いかける。
『大丈夫か?』
十を三つか四つ、過ぎたほどの少女だった。
この辺りでは見慣れない装束を纏っている。そしてその周囲には――――数匹の茶色い管狐が、ちょこまかと走り回っていた。
呆けた様子の少女だったが、しかしほどなくして、ぼくをキッと睨んで言う。
『わ、わらわは助けなど頼んでおらぬからなっ!』
思わず懐かしさを覚える。
久しぶりに、彼女の声を聞いた。
少女の名は××××。信濃国にある飯綱使いの大家に生まれ、後に頭領となる人物だが、この頃はまだ未熟だった。
この数年後、ぼくは彼女からユキをもらい受けることになる。そこからさらに数十年、彼女の晩年まで、付き合いは続いた。
おそらく、前世で最も長く続いた友人関係だっただろう。
まだだ。
まだ、浅い。
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場面が変わる。
目の前には、見慣れた屋敷が建っていた。
『ようやく、完成したか』
真新しい屋敷を見て、ぼくは満足げに呟いた。
日本に帰国後、旅の過程で溜め込んだ財産を使い、建てた屋敷だった。
前世で弟子たちと共に長く住んでいた、ぼくの住まい。
『ずいぶん時間はかかったが、職人の腕は確かだったようだな』
『すごいです、 師匠(せんせい) ……! すごい豪邸です!』
そばに立つまだ幼い少年が、目を丸くして言った。
その髪は小麦色で、瞳は青い。
旅の途中でとった、初めての弟子だった。
『生まれて初めて住む家が、こんなに大きくていいんでしょうか……!』
『その分、掃除は大変そうだけどな。少し大きく造りすぎたかもしれない』
ぼくは苦笑して言った。
『それに、都も少し遠いから不便だ。あそこに戻る気には、どうしてもなれなかったからなんだが……』
『そんなの、全然平気ですよ!』
少年が元気よく言って、それから屋敷の周囲を見回す。
『それに僕、ここが気に入りました。人ばかり多い街の中より、ずっと好きです』
『……そうか。気に入ったのならよかった。実はこの辺り、貴族の別荘も多いんだ。住むのは初めてだが、きっといい場所だろう』
『そうなんですか!? なんだか贅沢ですね!』
その後、少々水はけが悪いことがわかったり、鷹狩りに訪れていた皇族と出くわしたりと、想定外なことも多かった。
それでも、嵯峨野に居をかまえたことを後悔はしていない。
まだだ。
この程度ではまだ、何も掴めない。
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再び、場面が変わる。
そこは、薄暗い地下遺跡だった。異国の乾いた空気が、肌を微かに撫でる。
『……無理だ』
ぼくは絶望の中で呟いた。
地中海に浮かぶ島。そこで発見した地下遺跡は、かつて存在した古代魔導文明の研究施設だった。
呪符の灯りで照らされた机には、ほとんど劣化のない不思議な紙に記された、かつての研究資料が乗っている。
並んでいる文字は、どこの文化圏にも見られない奇妙なものだ。だが気の遠くなるような解読作業の果てに、今やその内容のすべてを読み取ることができる。
これを残した者は、世界の真理を解き明かしていた。
その叡智が今、ぼくの手の中にある。
呪(まじな) いにかなうことならば、ぼくはもはや、ありとあらゆることを為せるだろう。
だからこそ、絶望していた。
机の前で立ち尽くしたぼくは、資料を呆然と眺めながら呟く。
『やはり……死人を蘇らせることは、かなわないのか』
呪(まじな) いにかなうことならば、あらゆることを為せる。
だが 呪(まじな) いをもってしても不可能なことは、決して為し得ない。
死者は……たとえ何があろうと、生き返らない。
『結局、死の事実そのものをなかったことにするしか方法はない。世界のあらゆる出来事が記された、高次元に浮かぶ情報の鎖……これを書き換えることができれば、擬似的な死者の蘇生も可能だろう。だが……』
ぼくは表情を歪ませる。
『ぼくの呪力では……せいぜい、一日程度遡っただけで限界が来る』
覆したい出来事から時間が経つほどに書き換えるべき記録は増していき、その難易度は加速度的に上昇する。
妻の死から、すでに二十年もの時が経っていた。
これだけの期間を遡り、死の事実を覆すには……おそらく地上に存在するすべての人間、すべての妖、すべての神が持つ呪力を束ねても、まるで足りないだろう。
『ぼくは……いったいなんのために、ここまで……』
旅に出て最初の数年で、不老を得た。
幾人もの賢者や錬金術師に教えを請い、世界の理を学んだ。
そして今や、真理すら手中に収めた。もはやこの地上に、ぼくに力で勝る者など存在しないだろう。
最強だ。
だが、なんの価値もなかった。
『……帰ろう』
途方もない価値を持つ資料の数々を残したまま、ぼくは地下遺跡を去る。
そして、二度と戻ることはなかった。
目標を失い、ぼくは途方に暮れていた。
きっと……最初の弟子を拾うことがなければ、生きる目的すら見失っていただろう。
まだだ。
まだ――――。
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『さようなら、ハルヨシ……元気でね』
ギリシアの地で、青い目を持つ邪視使いの魔女と別れた。
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『ぐゎはは!! 儂に力で 勝(まさ) ったのは、貴様が初めてだ!!』
スラヴの地で、山のように巨大な男と出会った。
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『このような場所で思い悩むな。考え事に適するのは、 馬上(ばじょう) 、 枕上(ちんじょう) 、 厠上(しじょう) に尽きる』
宋の地で、若き役人と酒を飲み交わした。
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『たのしいね、ハルヨシ』
ぼくははっとした。
夢の光景が、急速に色づいていく。
正月(むつき) の、なんでもない日。
庭には、雪が薄く積もっていた。
冷たく澄んだ空気の中――――××が、屋敷の 縁(えん) に腰掛け、ぼくを振り返って微笑んでいる。
『……何が楽しいんだ?』
夢の中のぼくが、困惑気味に訊ねた。
××は庭に向き直ると、まるで当たり前のように答える。
『冬が、たのしい』
いつものように、不思議な答えだった。
ぼくは自然に、××へと歩み寄る。
『今日は冷える。火桶もなしにそんなところにいれば、また体調を崩すぞ』
『大丈夫』
××がまた、当たり前のように言う。
『ハルヨシがあっためてくれるから』
『……』
ぼくは狩衣の袖から呪符の束を取り出すと、軽く真言を唱えつつ宙に放った。
呪符は空中に浮遊し、ほどなくして青い炎を上げて燃え始める。
周囲は、ほんの少しだけ暖かくなった。
『こうか?』
『もう……違う』
××がぷいと顔を逸らし、足をゆらゆらと揺らした。
その隣に、ぼくは腰掛ける。
『……』
無言のまま、彼女と同じ景色を眺める。
冬の庭は、あらためて見れば、なるほど確かに悪くなかった。
雪化粧が美しく、澄んだ空気と相まって静謐な雰囲気がある。
四十雀(しじゅうから) が一羽、庭の木にとまって羽繕いをしていた。
かつては寒くて忌々しいばかりの季節だったが……冬が楽しいとは、こういうことなのだろうか。
『ねえ、ハルヨシ』
××がぼくの名を呼ぶ。
『また、新しい妖つかまえた?』
ぼくはわずかに表情を曇らせて答える。
『捕まえたには捕まえたが……』
『見せてよ』
期待のこもった声音に、ぼくは嘆息しつつ一枚のヒトガタを取り出した。
宙に浮かべ、軽く真言を唱える。
位相への扉が開き、空間の歪みが生まれる。
そこから現れたのは――――細長い猿のような人間のような、奇怪な妖だった。
『わ』
××が、小さく声を上げた。
その妖には、足が一本しかなかった。全身を覆うのは、体毛の濃い薄汚れた皮膚。ざんばら髪の間からは、真ん丸の単眼が覗いている。
不気味な妖は無言のまま、庭をぴょんぴょんと、一本しかない足で飛び跳ね始めた。新雪に、裸足の足跡が刻まれていく。
その光景をじっと見つめていた××が、ぼくに訊ねる。
『これ、なんていう子なの?』
『 一本踏鞴(いっぽんだたら) という』
ぼくは説明する。
『先日の妖退治の帰り、田を飛び跳ねていたところを見かけたため、捕まえてみたんだ』
『へぇー』
彼女の横顔を見る。
××は、飛び跳ねる妖を眺めながら、楽しげに笑っていた。
『かわいいね』
『……本当か?』
ぼくは思わず怪訝な顔になる。
『捕まえてきておいてなんだが、ここまで気味の悪い妖はなかなかいないぞ。刈り入れが終わった田を飛び跳ねるだけの無害な存在だが、子供が見ればまず泣く』
『そうかな? かわいいよ』
××は、当たり前のように言う。
『妖は、みんなかわいい』
ぼくは、思わず笑ってしまった。
本当に、不思議な女だった。
『ねえ。この子は強いの?』
『ん? いや、弱いな。人間が近づいただけでも逃げていくくらいだ』
『ふうん? じゃあ……ハルヨシは、なんでこの子つかまえたの?』
ぼくは素直に答える。
『もしかしたら、お前が喜ぶんじゃないかと思ったんだ』
『ふうん?』
××が、にやにやと笑う。
『ハルヨシって、わたしのことけっこう好きだよね』
『悪いか?』
即答したのが予想外だったのか、××はわずかに照れたような顔になる。
『……ううん』
『次の仕事は、少しばかり遠出をすることになりそうなんだ』
ぼくは言う。
『また珍しい妖がいたら、捕まえてきてやる』
××がこてんと、ぼくの肩に頭を預ける。
『……うん。たのしみにしてる』
この後に起こることを、ぼくは知っていた。
ぼくが陰陽寮の仕事で妖退治にかまけている間に、××は流行病で死ぬ。
三日後に帰還した頃には、すでに火葬まで済んでいた。
都で双ぶ者なしなどと謳われようとも……たった一人の妻すら、救うことはできなかったのだ。
不意に――――引き戻されるような感覚に襲われた。
呪符に刻まれた式に従い、霧の影響から脱しようとしているのだ。
ぼくはとっさに印を組み、真言を唱える。
解呪の 呪(まじな) いを、さらに解呪していく。
――――嫌だ。
なぜ、醒めなければならない。
その時――――耳の端に、強い痛みが走った。
▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▖
「う……」
ぼくは目を覚ました。
顔のすぐ横に地面がある。口の中を切ったのか、舌先に血の味が滲んだ。
「……気がつかれましたか、セイカさま」
耳元で、ユキの声がした。声音には深刻そうな響きがある。
ぼくはゆっくりと体を起こす。
どうやら、ぼくは地面に倒れていたようだった。
これまでは立ったまま目を覚ましていたが……今回はそれだけ長い間、異変の影響に囚われていたということだろう。
「申し訳ございません」
ユキが言った。
ぼくはふと気づいて、耳に触れる。
指先を見ると、血がついていた。
ユキが硬い声で続ける。
「ご様子がおかしいように、思われたものですから」
「いや……助かったよ」
夢の中で感じた耳の痛みは、ユキが噛み付いた時のものであるようだった。
異変の影響から脱する護符は、念のために複数枚用意している。だがもしも、夢の中から解呪を成功させ続けていれば……ぼくは永遠に、夢に囚われ続けていたのだろうか。
身代の術が発動し、口内や耳の外傷が治っていく。
それを感じながら、ぼくは小さく呟く。
「……やられたな」
最初に夢を見せられた時から、覚悟はしていた。
だが……覚悟していてもなお、囚われかけるとは思わなかった。
「眠り続ける者の条件が、はっきりしたぞ」
「えっ」
驚いたように、ユキが声を上げた。
一時的に解呪しても無駄なはずだ。
彼らは自らの意志で、夢に囚われ続けているのだから。
「取り戻したい過去のある者だ」