軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

16.春ねぇ

教会の建て替え計画は、想像よりずっとスムーズに進んでいった。

雨漏りがしている箇所もあったので、建て替えに反対する人もいなかった。

むしろ慈善事業を担当している母からは、「気が付いてくれて良かったわ」と褒めて貰えた。

ついでに母の差配で、ヴァロー侯爵家からも資金援助を受けられちゃったのに、教会が建っている土地ってヴァロー侯爵家の持ち物だったから、土地取得にかかる費用も必要なかった。

ヴァロー侯爵家の土地としての権利は放棄しないけれど、定期借地権を設定してくれたのだ。勿論、格安。なんなら平民一人でする寄進と同じくらいの年額だ。

しかも100年。そこまでするなら土地そのものを教会に上げちゃえばいいのにと思ったんだけどそれは拙いらしい。

「本当に融資額多すぎて困っちゃう状態になったわねぇ。完全に想定外だわ」

まぁね、領地には他にも教会があるのに、この丘の上の教会ばっかり新しく建て直したり土地を上げちゃったりするのは、あまりにも不平等だもの。

古い教会というか高い場所にある教会から修繕していくつもりだけど、ハリケーンが来る日までに、何か所工事ができるのかは分からない。

所詮、人が直すのだ。お金があれば何とかなる部分はいっぱいあるけど、領外から職人や工事監督ができる人を連れてくるのは難しい。

王家から、謀反の芽があると難癖を付けられても困るじゃない。

領内でできる範囲で順番にやるのが結局は早く終わるのよ。

「実際、横に建ってるのとおんなじ建物建てるだけだしなー」

教会なんで建築様式にはいろいろな決まり事があるんだって。だから意匠の変更もなにもないんだってさ。つまんないのー。

変えてもいいところもあるんだけどさ、そういうのは実際に使う人の意見を採用するべきで、結局私の意見なんて必要ないってことなのよ。

「必要なのは私じゃなくて、私の口座だけってね。ふふ。ムナシイ」

「実際には、お嬢様の口座にはまるで手を付けられないのでは?」

「くっ。クレアがひどい」

「ふふ。身体が冷え切る前に、お呼び下さいね」

庭の東屋にお茶の用意といつもの本を用意して、クレアが下がっていく。

こんな風に冗談を言ってクレアが笑うことなんて、前の時にはなかった。

幸せすぎて頬と涙腺が弛む。

ぐいっと目元を拭って、あのノートを開いた。

「ハリケーンが来るまでにできることを考えなくちゃ」

最初は、居住に必要のない部分から壊してレンガとか使いまわせる資材を使いまわしていくという話もされてたけど、完全に新しいモノが横に建つことになった。

予算余ってるし。

だから引っ越しは完全に新しい建物ができてからすれば良くて、更に余裕ができたという訳よ。

出世払い融資のお陰で、予算もケチらずに済むハズだったんだけど。

ケチらないどころか、現在のところ、せっかく借りたのに銅貨1枚すら使ってない有様だ。

「まぁいいか。順調だし。でも順調ではあるんだけどさぁ」

ここから、どうすればいいのかが分からないのだ。

家がいっぱい壊されて、農作物が全部だめになって、人がいっぱい死んだという記憶から、避難所にできる教会や孤児院、そして食べるものを確保しようと考えたのだけれど。

「でも実際にハリケーンの被害を、どうやって最小限にするのかが分からないのよね」

図書室の本は全部読んでみた。

まぁ半分以上がこの領地に関する人口推移とか農作物の収穫に関する過去データで、私が読んでも分からないものばかり。

もう半分は貴族としてのマナーの本とか5年ごとに新しく出る歴代貴族年鑑が無駄にずらーっと並んでいて、私が知りたかったこの土地固有の動植物に関する図鑑のようなものはほとんどなかった。がっかりだ。

「でも、2冊だけだったけど隣国の辞書があったのは良かったかな」

交易相手だからね。あっても不思議じゃない。そうして、異国の辞書が置いてあるんだから、ついでにその隣の隣の、メーダ国の辞書があってもおかしくないよね。……だよね?

「はぁ。でも辞書じゃ読み込む気にもならないしなー」

彼に貰ったメーダ語の辞書を引き寄せ、その豪奢な表紙に指を滑らせる。

基本的に翻訳用の辞書だから、内容薄いし。エードルンド語からメーダ語に訳すのと、その逆引きができるようになっているから、それだけでページ数がいっぱいいっぱいなのは分かるんだよ。製本できる厚みってあるし。

でも、だから文法についても手紙の作法については、触り程度しかない。

「この本があるからって、メーダ国の本が読めるって無理あるよねぇ」

ぱらぱらと、あてなくページをめくる。

この本を手に入れた時は、それだけですべてが上手くいきそうな気がした。けれど冷静になった今、自分で立てた計画ながら穴が大きすぎて頭が痛い。

「はぁ、そんなに簡単に、欲しい本が手に入ったりするわけないわよね」

本を押しのけ、テーブルに両手を伸ばしてつっぷす。

春だ。庭の東屋でお茶をするのにいい季節だ。この時間は暖かいのに誰も来ないから、考えを纏めるのに向いている。

「春ねぇ」

そよぐ風から花々の甘い香りがするようになった。

まぁね、咲いてるのは園芸種でもなんでもなく、野に咲くような草花だけど。

「甘い、いい香り……でもこれって、花の香りじゃないような?」

ひくひくと鼻を蠢かし、匂いの元を探す。

「くんくん。くんくんくんくん」

「あはは。まるで犬みたいだ」

「ぎゃっ」

香りに集中しようとして目を閉じていたから、突然すぐ近くで声がして身体が跳ねた。

「しかも悲鳴が『ぎゃっ』って。面白すぎる」

左手に本の束、そうして右手にはトレーを持ったまま器用に笑い転げている。

「あなた! また案内もなく庭に入ってきて。失礼だわ」

「おっと。失礼しました、ヴァロー侯爵令嬢ターシャ様におかれましてはご機嫌麗わしく」

「あぁ、もう。人払いなんてするんじゃなかったわ。誰かいないの!?」

人を呼ぼうと声をあげた私の鼻先に、彼が手にしていたトレーが差し出された。

「まぁまぁ。これでも食べて落ち着いてください」

「まぁ、チョコレートね!」

口の中に濃厚なとろけるような甘さが浮かんで、よだれが溢れそうになる。危険だわ。

それにしても、なんと蠱惑的で、なんていい香りなのかしら!