作品タイトル不明
息子の息子
スライムの討伐後は、ほとんど休むことができなかった。すぐに夜が明けてしまったからだ。軽く朝食を摂り、出発に向けてテントを撤収した。
水筒をぶら下げて出発の準備をした。アーヴィンは小脇に抱える。
「どうしてもこうしないとダメ?」
アーヴィンが俺の腰元で不満そうに言う。
「走るの遅いだろ? さっさとミルジアを脱出したいんだから、我慢しろよ」
アーヴィンはまだ身体強化が使えない。確実に足手まといなので、抱えて走った方がいい。アーヴィンは不承不承に頷き、おとなしくなった。
すぐに出発だ。予想では、今日中にはミルジアを脱出してガザル連合王国領内に入る。国境付近でもう1日テント泊を挟むことになるだろう。
おおよその方角はアーヴィンの知識に頼る。街や整備された街道を避け、できるだけ人が居ない場所を進んだ。
この世界では、明確な国境が定められていない。通行困難な地帯を暫定的に国境と定めているだけだ。そのため、ミルジアとガザル連合王国の国境にも難所がある。
アレンシア、ミルジア間の難所は川だが、ガザル連合王国、ミルジア間の難所は、大規模な湿地帯だった。エウラが湿地帯にあることは聞いていたが、こんなに広い湿地だとは聞いていない。
「ここを通るのか……」
「そうだよ。もっと北か南に行けば、ちゃんとした街道があるんだ」
アーヴィンの案内でここまで来たが、このまま進むのは少し気が引けるなあ……。確実に服と靴が泥だらけになる。
アーヴィンを下ろし、湿地の様子を確認した。
足首から膝くらいの深さで、ゆっくりと水が流れている。その上を水生の植物が覆っていて、足を踏み入れると簡単に沈む。深さが見えないので、突然腰まで沈むことも考えられる。さらに、水の底はヘドロだ。その上に立つと、ズブズブと沈んでいく。厄介な場所だ。
「こんな所を通過したら、服がびしょ濡れになるだろう」
「でもさ、まともな街道は人が多いよ?」
「うーん……それなら仕方がないか。着替えは持っているんだろうな?」
「……あのタイミングで、どうやって着替えを準備するの?」
急な襲撃だったから、準備できなかったらしい。普段から急な襲撃に備えて、緊急持ち出しマジックバッグを準備しておくものだと思うんだけど……。冒険者と貴族の考え方の違いかな。
俺達の服を貸そうにも、サイズが合わない。仕方がないな。俺の布の服を加工してもらおう。
「リーズ、悪いんだけど、裁縫をお願いできるか?」
「いいよー」
「え……いいよ! 要らない! 濡れたままで大丈夫だから!」
アーヴィンが顔を赤くして首を振る。お姉さんの手縫いにテレている? いや、そんな歳じゃないだろう。中身はアラサーなんだから。
「そういうわけにはいかない。まあ、安い服だから。遠慮はするな」
「……そう言うなら、貰っとく」
アーヴィンはふてくされたように言った。
一番いいのは、服を濡らさずに渡り切ることなんだけどなあ。見渡す限り、ずっと奥まで湿地帯だ。濡れないのは不可能だな。
「こんさん、こうすれば大丈夫だよー!」
リーズが勢いよく湿地に足を踏み入れると、勢いよく水しぶきを上げて前進していった。
何をした?
戻ってきたリーズに話を聞く。
「片足が沈む前に、次の足を出すだけだよっ」
ああ……できるようになったのか。頑張ったんだな。でも……。
「リーズ、それは誰にでもできることではないぞ」
リーズは不思議そうに首を傾げた。自分がどれだけあり得ないことをしているか、理解していないようだ。
「そうかなぁ……コツはねぇ、前じゃなくて上に進むことだよー」
ずいぶんと簡単に言ってくれるじゃないか……。上に向かって? 高速でジャンプすればいいのかな。まあ、試してみよう。
右足を踏み入れると同時に水面を蹴り、左足で水面を蹴る。水しぶきが柱になって周囲に飛び散り、沈む事無くその場に留まった。少しだけ前に力を入れると、ゆっくり進んでいった。
できたな……。意外と簡単だったわ。
一度湿地帯から出る。
「これなら誰にでもできるよ。少し練習して、慣れたら先に進もう」
「……これが憧れの、水面走り……。僕だって練習したのに……本当にできる人、居たんだ……」
アーヴィンは、みんなの練習風景を見ながらブツブツ言っている。練習したのか……。俺ももっと早くから練習しておくべきだったなあ。 端(はな) から無理だと決めつけていた。先入観、良くない。
全員が水面走りをできるようになった。ただ問題が1つ。服を濡らさないための水面走りだったはずなのだが、練習中から全身がびしょ濡れになった。
水しぶきの勢いがありすぎるんだ。これは防ぎようがない。こういうものだと諦めよう。移動速度は上がったんだ。文句は言えない。
コツを掴むと、より速く走れるようになった。地面を走るよりは遅いが、十分な速度が出ている。このまま一気に湿地帯を抜けよう。
「ちょっと待って! ゴメン!」
クレアが突然停止した。ザブンと水に沈み込む。
「どうした?」
「ニュンパエア! この薬草、すっごい高いの!」
水に浮いた葉っぱを抱え、元気に叫んだ。蓮? いや、睡蓮かな。クレアに気を取られて止まってしまったでの、全員が水の中に落ちた。
「ゴボッ! 死んじゃう! ゲボッ! 離して!」
小脇に抱えていたアーヴィンが溺れかけている。両脇を抱えて水から出した。
「大丈夫か?」
「……なんとか」
立ち止まっていると泥に沈むので、少しずつ移動する。だが、クレアはその場で採取を続けている。そのため、もう胸のあたりまで水位が迫っている。
「クレア! 沈んでいるけど大丈夫か?」
「大丈夫! もうちょっとだけ……」
そう言いながら、水面が首にかかった。そろそろヤバイな。
「終わりだ。行くぞ」
クレアの腕を掴んで引っ張り上げる。クレアの体が少し浮き上がり、俺の体が沈み込んだ。拙い……出られない……。
その後、ルナとリーズが頑張って引っ張り上げてくれた。リリィさんは、人知れず沈みかけていたアーヴィンを救助していた。
「……ごめんなさい」
クレアが暗い顔で謝る。まあ今回は仕方がないかな。薬草に目がくらんだだけだ。服が泥塗れになったが、洗えば済む。薬草が高く売れるそうだから、そっちに期待しよう。
ちょっとのんびりしすぎた。日が暮れる前にまともな地面に到達しないと拙い。先を急ぐ。
しばらく走り、固い地面に辿り着いた。水面は早々に脱出したのだが、そこからしばらくぬかるみが続いた。水面とぬかるみを走って1時間から2時間くらいだろうか。ミルジアからガザルに抜けるには、相当な苦労が必要だな。
「この辺りが特に酷いだけだよ。北と南は割と平気」
アーヴィンがあっけらかんと言う。楽な道は人の往来が激しいため、敢えて最も過酷なルートを選んだらしい。絶対に通る人は居ないそうだ。
湿地帯にも多くの魔物が居たが、全て放置した。避けながら走ったので、何が居たかは知らない。あんな足場の悪い場所では戦いたくないからなあ。
びしょ濡れで泥だらけの服を、すぐにでも着替えたい。場所を選んでいる暇はないので、周囲の安全だけを確認し、まずはテントを設営した。
女性陣がテントの中に入り、着替えを済ます。その間に、俺もテントの外で着替えるつもりだ。
アーヴィンが女性陣に混ざり、テントの中に入ろうとしている。
「おいおい、お前はこっち。男は外だ」
アーヴィンの襟を掴んで引っ張る。
本物の10歳の男の子だったら別に何も言わないんだけど、こいつ中身は大人だからなあ。見逃すことはできない。
「え……いや、ちょっと……」
抵抗するアーヴィンに布の服を放り投げる。あとは勝手に着るだろう。
温度調整機能が付いた革の服を脱ぐと、外気を肌で感じられる。アレンシアではかなり寒かったが、ここは少し肌寒い程度だ。温暖な地域なんだな。
予備の革の服に着替え、服に付いた泥を落とす。ウォッシュの魔道具で一撃だ。ただ、泥は落ちても乾かない。水浸しのままだ。適当にロープを張り、服を引っ掛ける。
ふと横を見ると、びしょ濡れの服を着たままのアーヴィンが後ろを向いて佇んていた。
「どうした? 早く着替えろよ」
アーヴィンの服は、見たところ布の服だ。貴族らしい豪華な服だが、温度調整機能は付いていないと思う。濡れた状態では危ない。濡れた状態で放置すると、夏場でも低体温症になる危険性がある。
「大丈夫だから。すぐに着替えるよ。だから先に行ってて」
「かなり寒いだろう。早く着替えないと、体調を崩すぞ」
ちょっと風邪をひくだけでも拙い。低体温症はもっと拙い。まともな治療ができる病院なんて、この世界には無いからな。
嫌がるアーヴィンを無理やり脱がす。貴族の服というのは、どうしてこんな面倒な作りになってるのか……。いたるところを紐で縛ってあり、濡れて 解(ほど) きにくくなっている。
くっそ。ルナたちに丸投げしたい。ただの男の子だったら任せるんだけど、中身が大人だからなあ。さすがに恥ずかしいだろう。俺がやった方が抵抗感は少ないはずだ。
「本当に大丈夫だって! それに自分でできるから!」
結び目は背中にもある。何を考えてこんなデザインにしたんだ……。脱ぐのも着るのも、1人では不可能だぞ。デザイナーに文句を言いたい。
上着を引っ剥がし、ズボンを剥ぎ取り、下着を脱がせる。すると、ある重大な問題に直面した。
おっさんオマリィの息子に、 息(・) 子(・) が無い……。
「お前……女だったの?」
「だから……大丈夫って言ったのに……」
アーヴィンは、顔を真っ赤にして蹲ってしまった。このままというわけにはいかないので、布の服を渡して後ろを向いた。
「寒いだろうから、早く服を着ろ」
参った。息子と紹介されて、女の子だとは思わないぞ。生前の名前だって『 薫(カオル) 』だし……あれ? この名前はどっちでもあり得るな。どちらかと言うと女性名だ。前世も今も女性だったのか?
ガンマニアで元最強の使徒が女だなんて気付くわけないだろ。アホか。
「……もういいよ」
アーヴィンは、丈が全く合っていない布の服を、引き摺るように着ていた。サイズを測ったら、リーズに縫ってもらおう。
女性陣の着替えが終わったことを確認し、テントの中に入る。
まずはみんなに事の顛末を伝えた。アーヴィンの今後の世話は、女性陣に任せる。
「しかし、どうして先に言わなかったんだよ」
「貴族の女が優秀だと、いろいろ困るの!」
聞けば、ミルジアでは女性の権利が極端に制限されているらしい。たとえ貴族であっても、教育を受ける権利ですら危ういそうだ。
法律と戒律では男女平等を謳っている。だが、それとは関係無く優秀ではない男からの 妬(ねた) み 嫉(そね) み 僻(ひが) みが酷い。女であるというだけで、偏見の目で見られるそうだ。人の意識の問題なので、法律で縛っても仕方がない。
「アレンシアでも似たようなことはあるわよ。ミルジアほど酷くないけどね」
クレアがうんざりとしたように言う。
ビルバオの女鍛冶職人も、同じようなことを言っていたな。女であるというだけで、正当に評価されていないようだった。
「使徒時代も苦労したんじゃないのか?」
「そうなの。その反省があったからね。お父様に男として育ててもらうようにお願いしたんだ。
元の名前はアリーネ。5年前に改名して、身分証もアーヴィンだよ。兄たちは納得していないみたいだったけどね……」
アーヴィンは子爵を継ぐことは不可能だと言っていたが、確かに女だったらまず不可能だな。女だと知っている親戚一同は、当然反対する。
予定外はあったが、無事にガザル領内に入ることができた。明日にはエウラに到着できるだろう。