作品タイトル不明
第134話 ヴァイス、久しぶりの正座
「ふざけているのか?」
その一言で、空気がピキッと凍った。
リリィはリビングの真ん中で正座し、小さな肩をすくめてぷるぷると震えている。
ついこの間も似たようなシーンを見た記憶がある。そうだ、リリィの成績が悪くてジークリンデが怒ったんだ。最近のことなのに、ずっと昔のようにも感じる。ここ数日の生活リズムの変わりようは凄かったからな。
「──ヴァイス、お前もだ。止めるならまだしも一緒になって遊んでいただと? 私は二人分の子育てをするつもりはないんだがな」
「すまん……」
あの時と一つだけ違う所があるとすれば──それはリリィの隣で俺も震えてるということだ。怖くて顔が上げられねえ。
「反省の色が薄いな」
「いや、心の中ではめっちゃ反省してるんだよ!」
「なら、ちゃんと声に出せ」
「めっちゃ反省してます!」
「よろしい」
くそっ……どうしてこうなった。ジークリンデが帰ってくるまでに戻って来ればバレることはなかったのに。誰の魔法の餌食になったのか、気が付いたら夕方になっていた。
「仕事から帰ってきて、少しは自覚のある姿が見られるかと期待していたんだがな」
テーブルの上には、野菜や果物やお菓子が所狭しと並んでいる。ネギ、キャベツ、トマト、ピーマン、とうもろこし。まるで万引き犯の証拠品だ。
「……しかし」
ジークリンデはその中からネギを一本手に取った。
「これは、どうするつもりだったんだ?」
「……えっと……やさいは……ぱぱが……」
リリィがもじもじと視線を泳がせる。
「皆が善意で持たせてくれたものだ。無駄にする気は……ないよな?」
「……うん……」
消え入りそうな声で答える。
「なら、ちゃんと食べよう。全部とは言わないが、ちゃんと口をつけるのが礼儀だ」
「うう……やさい……」
頭では分かっているが、野菜は食べたくない。リリィの頭の中で天使と悪魔が戦ってるのが透けて見えた。
「きゅ……!」
飼い主の危機を察したのか、近くにいたくまたんが小さく鳴き、勇気を振り絞って一歩前に出る。
「なんだ?」
ジークリンデの視線がくまたんを捉える。
「きゅぅ……」
それだけでくまたんは即座に方向転換し、毛皮マットへと退避した。判断が早い。生存本能が働いたらしい。
「くまたん……みすてないでぇ……」
友達の絆なんてものは恐怖の前ではいつも無力だ。ゼニスだろうが帝都だろうが、暗い路地裏だろうが暖かい家の中だろうがそれは変わらない。くまたんはリリィに背を向けて丸くなった。
「……ヴァイス」
「は、はい」
「今は気まずそうな顔で黙る場面ではない」
「……すいません」
逃げ道はもうない。あとは煮るか焼かれるか……俺もここで終わりか。思えば儚い人生だった。
「料理をする。ヴァイス、手伝え」
「え、俺が?」
「当然だ。野菜を食べさせるなら美味くした方がいい。それくらいは、親としてやれ」
親として──その言葉は、思った以上に胸に残った。
そうだ、俺はリリィの親だ。
こうして隣で仲良く怒られるのが親のやることか?
本当は俺がジークリンデの立場に立たなきゃいけないんじゃないのか?
ジークリンデに悪役を任せちまってる現状を恥ずかしく思わなきゃならん。それくらいは俺にも分かるんだ。
◆
「……私は、ダメな母親だ……」
深夜のリビングに、グラスを置く乾いた音が響いた。
ジークリンデは机にうつ伏せになり、肩で息をしている。頬は赤く、声もいつもより大きい。酒が回っているのは明らかだった。
「リリィちゃんは家出するし……」
言葉が途中で詰まる。
「……お前は……相変わらずだし……」
「ちょっと待て。俺の扱いが雑すぎないか?」
「雑じゃない……事実らろ……」
語尾がふらついた。ここまで酔ってるジークリンデは珍しい。
「……ヴァイス」
「ん?」
「酒……なくなった……」
命令でも怒鳴りでもなく、少し拗ねた声だった。
「まだ飲むのか? もう止めた方がいいって。顔、真っ赤だぞ」
「飲まないと……やってられないんだ……」
少し間を置いて、続ける。
「……だから……付き合え」
俺は溜息をつきながら、グラスに酒を注ぐ。
「……私は……ちゃんとやってるつもりなんだ……」
ぽつりと漏れた声は、怒りでも説教でもなく、完全な弱音だった。
「厳しすぎるのは分かってる。でも……どうすればいいか、分からなくなる時がある……」
グラスを持つ手が、少しだけ震えている。
「リリィちゃんが家出したのは……私のせいだ……」
「それは違う」
俺は即座に言った。
「リリィが家出したのはな……お前が怖いからじゃねぇ」
「じゃあ……なんだ……」
「信頼してるからだ」
「…………は?」
ジークリンデが目をぱちくりさせる。
「お前がちゃんと見つけてくれるって、分かってたからだよ。あいつ、そういうとこは妙に頭が回るんだ」
ジークリンデの目が、少しだけ潤んだ。
「それに――俺だって、少しは変わったつもりだぞ」
「どこがだ……」
「お前が怒ってる時、逃げずに隣に正座してた。昔なら姿くらましてただろ」
一瞬、ぽかんとした顔になる。
「これでも、俺なりに成長してんだよ。それはお前が隣にいるからだ。お前が頑張ってるから、俺も頑張らなきゃって思えるんだ」
ジークリンデは小さく口を開けたまま固まった。完全に想定外の言葉を喰らった顔だ。
「な、なんだその……妙にまっすぐな言い方は……気持ち悪いだろ……」
「酔ってるお前に合わせたんだよ」
「うるさい……」
そう言いながら、目をそらすその頬は赤くて、耳までほんのり染まってた。
「……ヴァイス」
「ん?」
「……ありがとう」
聞き取れるか取れないかの小さな声。でも、俺にははっきり届いた。
「おう」
「……だが、説教は免除しない」
「えぇぇ……」
「調子に乗るな……反省は別だ」
そう言いながらも、口調はもう随分と柔らかかった。