作品タイトル不明
事故調査ファイル_災の共鳴④
聖ペトラーダ教では最初の神が『金の槌』で岩を叩き、その『響き』で地を割り、地下に水の道を通したと言われている。
故に、ペトラーダの神は岩の上に立つものとして描かれる。
聖地エクレシアにおいて、神が降り立った岩はもっとも神聖な場所だ。
その直下の岩壁へと深く刻まれた亀裂の合間に建てられた神殿。そこに足を踏み入れる事が出来るものはごく僅かだ。
その神殿こそが、セレスティア派の高位神官たちが集まる枢密聖院であった。
大聖堂が瓦礫の山と化した今も、その奥に位置する聖院は、岩壁に守られ不気味なほど静まり返っている。
清貴は、アレスとゼノンを従え、枢密聖院の廊下を歩いていた。
砂漠の中にある土地とは思えないほど、枢密聖院の内部は涼しく、そして太陽は遥か遠くにある。
断崖絶壁に抱かれた場所は、日の光はわずかに差し込むばかりで、光源として魔石ランプが青い光を灯している。
歩む靴音は高く反響していたが、それでもそこにあるのは、圧倒的な静寂だった。
「本日はお時間をとって下さりありがとうございます」
大神官との面談は『礎石の座』と呼ばれる部屋で行われた。
そこは、天然の巨大な岩の空洞をそのまま利用した、円形の広間だった。
天井は高く、遙か上方にある岩の隙間から、一筋の鋭い光が差し込んでいる。
壁面には細い溝が紋様のごとく彫り込まれ、それが水路となって絶えず地下水が滴り落ち、室内に「 水琴窟(すいきんくつ) 」のような澄んだ音を響かせていた。
部屋の中央には、磨き抜かれた黒い岩のテーブルが置かれ、『金の槌』のモチーフが飾られている。
その奥には岩壁と一体化した巨大な椅子――大神官の座る「石座」が鎮座していた。
特筆すべきは、その音響効果だ。
室内で発せられる僅かな吐息さえもが、計算し尽くされた壁面の反響によって増幅され、まるで神の囁きのように部屋全体に満ちる構造になっている。
「とんでも御座いません。こちらこそ遠路はるばる聖女様にお越し頂いたにも関わらず、ご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした」
「無理もありません。あれだけの大惨事が起こったのですから」
「ええ、左様でございます。まるで、……我らセレスティア派の信仰が試されたかのような”悲劇”で御座いました」
その言葉に、清貴は僅かながらに棘を感じた。
自分という”異端の聖女”の存在が、天罰となって現われた。そんな非難が混ざっていたように感じたのだ。
だが清貴はあえて気付かないふりを決め込んだ。
「その、”悲劇”についてお伺いさせて下さい。
現場からは、人員不足や、大聖堂に無数のヒビが入っていたなどの報告が上げられていたとお伺いしております。
神の声だけでなく、人の声を聞くのもまた教会の役目ではないのでしょうか?」
清貴の問いかけに大神官は静かに微笑みを浮かべた。
その顔に幾重にも深く刻まれた皺は、歳月という名の風雨に耐えた老木の樹皮のようで、穏やかな微笑からは不思議なほど人間らしい感情が読み取れない。
彼はその場から動かぬ、枢密聖院という機構の一部としての完成された威厳を纏っていた。
「人の声とは、常に低きに流れゆくもの。試練を苦痛と呼び、神の製図を綻びと呼ぶ。痛ましいことでございます」
「神の製図、……神殿に無数に刻まれていたヒビが、神の描かれたものであった、と?」
「左様にございます。我らが神は岩盤の上に立ち、黄金の槌を振るわれました。さすれば、神殿に刻まれたそれも、神のご意思であったのでしょう」
「では、悲劇もまた神のご意思であったと? なぜ、そのように非情な真似をなさるのですか?」
「神は非情ではございません。これもまた、神託であったのです」
血染めの神託か、と清貴は思わず吐き捨てそうになった言葉を飲み込んだ。
「……現場責任者の日誌は見向きもされなかったのも、流れゆく有象無象と判断した故ですか? 」
清貴は、マルティスから預かった日誌を石のテーブルに滑らせた。
澄んだ水琴窟の音が響く部屋で、紙が擦れる乾いた音が異質に響く。
「我ら神官は神のお声を正しく聞くために、聖なる音のみをより分ける義務がございます。主観に満ちた動揺に印を刻むことは、かえって神への不信を示すことになるのです」
「現場の声はあなたがたにとって雑音ですか?」
「そうは言っておりません。ただ彼らは神の意図を読み違えていたのです」
大神官の言葉は、聖堂の崩壊はあくまでも神の意思であり、神の意思を正しく受け入れるために現場の声は無用だと言うものだった。
起こるべくして起こった悲劇も、受け入れる事が正しいと信じている。
それが信仰であるのか、責任転嫁であるのか、清貴には判断がつかなかった。
「では、今回の悲劇は、すべて神のご意思であったと、そう信者たちに話すおつもりですか?」
「いいえ。彼らに神のご意思をそのままに受け止めることは難しいでしょう」
「ならばどうなさいますか?」
「正しきを証明いたします。すなわち、試練を苦痛と呼び、神の製図を綻びと呼んだ者を、――」
大神官は手にもった錫杖でテーブルに滑らせた日誌を突く。
「背信者マルティスを、こたびの悲劇の元凶として裁くことこそが、迷える信徒への答え。そして彼にとっての正しき殉教となるでしょう」
「何だってッ!? 無茶苦茶だ。崩壊が神の意図だというならば、個人の責任など存在しないはずだ!」
「違います、聖女よ。それこそが神のご意思なのです。怠惰は罪であると悟らせること。
……我々がその教訓を得るために、神は二百人の命を糧として悲劇を与えたのです」
大神官の静かな声が、完璧な音響空間で何倍にも膨れ上がり、清貴を圧迫する。
清貴は、その歪んだ聖性に震える拳を隠すように、大神官を真っ向から見据えた。
「それは違う、……――ならば、私が正しく、神の製図を読み解いてみせる」
「それはなりません」
カシャンっと錫杖が床を叩く。
その瞬間、壁に並んだ石像の後ろから、武器を携えた二人の神官が姿を表した。
筋肉隆々とした二名の神官は、その手に棘つきのモーニングスターを携えている。
ヒィっと悲鳴をあげたのはゼノンだった。持っていた書類の束を落としかけて、慌ててそれを抱え直す。
「ちょ、ちょ、なななな、なんですか!? 聖都エクレシアとヴェネンティカ王国の間で締結された『信教の自由及び身体の安全に関する相互不可侵条約』の第十二条を失念されたのですか!
如何なる宗教的権威も、外交特権を有する調査員の身柄を拘束することは許されないはずです!」
「いいえ」
大神官の声が静かに響く。
「聖光庁の異端審問官の前においては、いかなる世俗の特権も無効となります。
ですが、ご安心下さい。彼らに貴方方を異端者として裁かせるつもりはありません。ただ、マルティスが『殉教』を遂げるまでの間、この静寂の中で祈りを捧げていて頂ければよいのです」
「馬鹿なッ! そんなの無法も同然じゃないか!」
叫びを漏らした清貴を制するように、前に進み出たのはアレスだった。
そこでようやく大神官の顔に人間らしい表情、……”嫌悪”が宿る。
「――異端審問官アレス、大神官である私の決定に反するおつもりですか?」
「恐れながら、……セレスティア派の異端審問官として、我が忠誠は聖女であられる清貴様に捧げております」
「ですが、ここにいる貴方以外の審問官たちは、聖女様がここに留まるべきであると判断しておりますよ?」
「では、どちらの響きが真実であるか、神の槌によって証明するしかないでしょうね」
アレスもまたモーニングスターをとり出した。
重い金属音とともに火花が散り、その先端から無数の棘が現われる。
「聖法において、 理(ことわり) が並び立った時、神は常に『勝者の正しき響き』を自らの御声として選ばれます」
「ええええ、待って、待って下さい! それって、意見が食い違ったら殴り合って強い方が正しいとか、そういう話ですか!?」
ゼノンの悲鳴に、否を返す言葉はない。
どうやらそういう事のようだ、と清貴も思わず生唾を飲み込んだ。
「聖女様、ここは私に任せて、マルティス殿の元へお急ぎ下さい」
「い、いや、……しかし、……」
躊躇する清貴に、アレスは口元だけの笑みを浮かべる。
「第七執行官アレス・レクイシム、この意味をご存じですか?」
「いや、……」
「執行官は常に七人。そして、執行官になるためには、第七の執行官より優れた力を示す事が必要です。
私は14歳でこの地位についてから10年間、一度たりともこの座を譲ったことはありません。
そして、第七より上位になるためには、より上の執行官に打ち勝つ必要がありますが、……私がそれをしなかったのは、第七のこの座こそ、もっとも苛烈でもっとも戦場に近い地位であったからです。
私は10年、数多の執行官の候補を打ち倒し、この腕を磨き続けてきた」
アレスはまるで、ペンを転がすように、重いモーニングスターをくるりと回す。
「じょ、冗談でしょう!? 人の尊厳に関わる役職を、そんな暴力的な方法で選出してたんですかッ!
そんなの脳筋の気まぐれ判定じゃないですかぁ!!」
またも悲鳴をあげるゼノンに、清貴の顔もますます渋くなる。
「……アレス、必ず勝つと誓えるか?」
「ええ、勿論で御座います」
アレスは一歩、一歩、ゆっくりと歩を進めていく。
そうして二人の異端審問官に向き合うと、優雅にスカートの裾を持ちあげた。
アレスが静かにカーテシーを決めた瞬間、部屋を流れる水の音がぴたりと止まったように感じられた。
――いや、違う。アレスが放つ”殺気の圧力”が、空間の反響を塗り替えたのだ。
「第七執行官アレス・レクイシム。これより、神の槌にて正しき調律をご覧にいれましょう」