軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

11.

前世で表紙がすり切れるほど読んだ物語の内容は、自分自身で音読すると、想像の数倍恥ずかしかった。

「〝王子さま。あなたの瞳はまるで星を浮かべた夜の湖。あなたの髪はまるで漆黒から紡がれた絹。凜々しいお姿を思い出すたび、わたくしの胸は甘く焦がれるのです〟」

「〝おお、美しき姫。それは私とて同じ事。初めて出会った時のあなたの金糸雀のような歌声、白薔薇のような佇まいが忘れられない――〟」

主に姫と魔女をジュリエット、語り手と王子をオスカーが担当し、物語は進んで行く。

恋物語なのだから仕方ないのだろうが、いちいち台詞が甘ったるすぎて、読むたびに胸の奥がむずむずする。

ちらと隣の椅子に座るオスカーの様子を窺えば、存外真面目な表情で紙面を追っている。照れているジュリエットのほうが過剰と思えるほどに、平然とした様子であった。

こんな台詞を口にすることに慣れているのだろうか、と邪推したくなる。

けれど、『お前は特別だ』なんて妻でもない女性に平気で告げるほどだ。きっと慣れているのだろう。

――わたしには関係ないのに。

「〝姫、どうか私のことは忘れてください。私は呪われた存在。あの邪悪な魔女によって決して解けない呪いをかけられてしまった〟」

「……」

そう、関係ない。

リデルはリデルで、ジュリエットはジュリエットだ。

それなのにどうして、気にしないふりをしようとするたびに胸の奥が引き絞られるように痛むのだろうか。

「――ジュリエット?」

「あっ、すみません」

名を呼ばれ、音読が止まっていたことに気付き、ジュリエットは慌てて本に目を戻した。

物語は丁度佳境に入ったところで、呪いを掛けられた王子が姫に別れを告げようとしている。

「ええと……〝そんなことを仰らないでください。わたしはあなたのお側にいたいのです〟」

「〝穢れた私は姫に相応しくありません。もう二度と、あなたの前に現れることはないでしょう〟」

「〝嫌です。どんな困難も、ふたりで支え合うと決めたではありませんか。それとも、わたしのことをお嫌いになったのですか? それならそうと、どうか仰って下さい〟」

「〝いいえ、 姫君(プリンシア) 〟」

姫君(プリンシア) 。

特別な響きが込められたように聞こえるその単語に顔を上げると、ふと、オスカーと目が合った。

ただの偶然の出来事だ。

すぐに逸らそうと思ったのに、揺らいでいたジュリエットの目は冬色の瞳に縫い止められたかのように、彼をまっすぐ見つめてしまっていた。

「〝貴女を愛しています。――永遠に〟」

「わたしも、」

これまで何度も呑み込んだ言葉を、今夜もやはり呑み込んだ。

それでも視線は離れない。

もしかしたらほんの数秒だったかもしれないし、もっと短かったかもしれない。

けれどジュリエットにとってそれは、永遠にも感じられるほど長い時間だった。

不思議な感覚だった。まるで自身が本当に絵本の中の姫で、呪いを掛けられた王子から告白されているような。

相手は『氷の騎士』で自分は『はずれ姫』なのに、これではまるで彼と、本当に心が通っているかのようだ。

――旦那さま……。

ずっと、遠い人だった。

けれど今、彼は目の前にいて、手を伸ばせば届くかもしれない。

夢うつつでオスカーへ手を伸ばしたジュリエットは、直後、すぐ近くで聞こえたエミリアの声によって正気を取り戻した。

「ううー、ん……。やっぱりクッキーよりマフィンにするわ……」

少し前まで楽しそうに読み聞かせに耳を傾けていたエミリアは、今やすっかり夢の世界にいるようだ。むにゃむにゃ呟きながら寝返りを打っている。

彼女がいつの間にか眠っていたことにも気付いていなかった。

――わたしったら、何を考えているの……!?

「……我が家の姫君はすっかりお休みのようだ」

「そっ、そうですね! それではわたし、失礼します! そろそろっ……。失礼します!」

二度も同じ言葉を吐いたことにすら気付けないほど動揺しつつ、椅子を鳴らして立ち上がったジュリエットは転けそうになりながら大慌てで部屋を出た。

オスカーが追ってこないことを確かめ、階段の陰で一息つく。

ずるずると壁に背中をもたれかけさせながら見つめるのは、 自身(リデル) の肖像画だ。

――わたしはわたしで、リデルはリデル……。

そう思っていた。

否、思わなければならないと考えていた。

関係ないと言い切るにはもう、前世の自分という存在はあまりにも大きすぎて――。

――だからわたしは、どう足掻いてもはずれ姫のままなんだわ。

だから生まれ変わってもなお、報われない想いを捨てきれないで、そのことに気付かないふりを突き通すことすらできないでいる。