軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

濡羽色の罠(後編)

ペンは剣よりも強し。

そう宣言したミレーヌの顔はどこか誇らしげだった。

「なるほど……?」

「それにほら、今日私が来た理由、まだ言ってないでしょ?」

確かに怒涛の情報量のせいで、肝心のミレーヌの用事をすっかり忘れていた。

「実は新しい記事はね、インタビュー形式なの。それでね、どうしてもコニーに一番最初に読んでほしくて」

そう言うと、鞄の中から記事の書かれた紙を取り出した。

「きっと、気に入ると思うわ」

なぜコニーに? という疑問は持ったものの、特に口には出さずに目を通す。

どうやらひとりではなく、何人かから話を聞いたようだ。

どれどれ、と読み進めようとしたコニーは次の瞬間、はっと息を呑み込んだ。

「ミレーヌ、これって――」

弾かれたように顔を上げれば、ミレーヌはにっこりと微笑んでみせる。

「我ながらタイトルが秀逸だと思わない? 幽霊屋敷の秘密に、じゃがいも畑殺人事件。それに、猫侯爵の婚活事情――ってね。でもまあ、正直あの 人嫌(ひとぎら) いで有名なサマセット侯が対応してくれるとは思わなかったけど」

なぜミレーヌがこのインタビュー記事を一番最初にコニーに読ませたかったのかよくわかった。

そこには、今までコニーが依頼を受けた依頼人たちの『声』が載っていたのだ。

「記事にはね、どれだけ薔薇十字探偵事務所の探偵が優秀で、お人好しで、誠実だったか書いてあるの。みんなあなたに感謝していたわ。そして、それ以上に怒ってた。もちろんあんな記事、誰も信じてなかったわよ」

ふいに熱いものが込み上げてきて、思わずぐっと唇を噛みしめる。

「私ね、前に誰かから言われた言葉があるの。ずいぶん昔のことだから、どんな状況で、誰に言われたかは、あんまり記憶にないんだけど。でもね、その言葉だけはすごくよく覚えているのよ」

ミレーヌはコニーの目をじっと見つめた。

「――あなたの振る舞いは、いつかあなたに返ってくる」

そう言うと、ぐいっと勢いよく親指を立てる。

「だからね、コニーは何があっても大丈夫よ!」

にっ、と勇ましく笑ったミレーヌは「その記事あげるから読んでみて!」と言うと、来た時と同じくらい慌ただしく帰って行った。

インタビュー記事を読み終えたコニーは目元を乱暴に擦ると、真剣な表情を浮かべた。

「ねえ、スカーレット」

『なによ』

「黒鴉会の人たちに、ロイヤル・クラウン探偵事務所にやったようなことができないかな」

『あいつらにやったようなことって、わざと犯罪行為をさせて捕まえさせるってこと?』

うん、と肯定すれば、スカーレットがわずかに眉を寄せた。

『……どうかしら。あの時は脅迫状っていう餌があったし、そもそも相手が三流だったもの。相手は犯罪に手慣れているんでしょう? 難しいと思うわ』

「そっか」

『店主には釘を刺したし、ここまで来たら放っておくのが一番じゃない? ミレーヌ・リースから聞いた話をランドルフにでも伝えればすぐに解決してくれるわよ』

「うん。怒られそうだし、連絡はするよ」

『……連絡 は(・) ?』

怪訝そうな声に、しっかりと頷く。

「だってほら、ジェームズさんの事件だけは早く解決してあげないと」

『お前ね、人の話を聞いて――』

「聞いてるよ。確かにショーン・ブラウンが嘘をついてるってことはすぐにわかると思う。当然、背後関係も調べるよね。そうしたら黒鴉会が絡んでるってわかるでしょう? さすがに大本まで叩くのは無理だとしても、少なくともレイブン調査局くらいは摘発したいと考えるんじゃないかな。でもそうなると、証拠固めにかなり時間がかかると思うの」

だからこそ、ジェームズの件はコニーが何とかしなければと思うのだ。

コニーの目を見たスカーレットはひどく嫌そうな顔になり――最終的に、はあ、と面倒そうに溜息をついた。

『……言っておくけど、店主やショーン・ブラウンから証言を引き出すのは難しいと思うわよ』

「うん。でも――」

コニーは窓の外を見た。

遠くの森の頭上では、烏の群れがぐるぐると旋回している。

あの高さには手が届かないかもしれないが、森の場所なら見つけることができるはずだ。

「 も(・) う(・) ひ(・) と(・) り(・) 、いるでしょう?」

王都郊外にあるヴェイルアル地区。

狭い路地裏は人ひとり歩くのがやっとだった。道は入り組んでいて、石畳はところどころひび割れている。石の隙間からは雑草が顔を出し、可憐な花を咲かせていた。

時刻は昼過ぎだ。建物が密集しているせいで、この辺りにはあまり日が差し込まないらしい。

しばらく待っていると古びた娼館の裏口が開き、中から女がひとり現れた。

「――イサドラ・シェードさんですよね?」

そう言うと、コニーは相手の退路を塞ぐように目の前に立った。

「あんた、誰よ」

胡乱な眼差しを向けてきたのは黒髪の女だった。やや蓮っ葉な口調で、くたびれたような空気を纏っている。

「ジェームズ・ウィンスロップさんから依頼を受けた者です」

そう告げれば、女――イサドラはわずかに怯んだようだった。

「ど、どうして、あたしのことが――」

コニーはにっこりと微笑んだ。

ミレーヌの話に出てきた黒鴉会が経営しているという娼館。

その場所を見つけるのに、さして時間はかからなかった。着くや否や店前を掃除していた少年を捕まえ、銅貨を握らせながら最近羽振りのいい娼婦について訊ねると、 予(・) 想(・) 通(・) り(・) イサドラの名がすぐに出てくる。さらに彼女はジェームズから聞いた特徴通りの姿をしていた。変装用の鬘かと思っていた黒髪も地毛だったようだ。あまり悪巧みに向いてないのかもしれない。

(まあ、その方がこちらの計画的には助かるんだけど)

「どうしてって、裁判所に申し立てをしたでしょう? 記録が残っていましたよ」

「は!? だってあれはぜったい見られないって……!」

イサドラはぎょっとしたように目を見開くと、わかりやすく狼狽えた。

もちろん彼女の言う通り、裁判所は見ず知らずの人間に個人情報を開示したりはしない。

けれど世の中には、偶然、という言葉がある。つまり、たまたま善良な一般市民が裁判所に行き、たまたま記録簿を管理している本棚のバランスが崩れ、たまたまその中の一冊が床に落ち、たまたま開いたページがジェーム・ウィンスロップの訴状だった――ということもあるのだ。

「騙されたのでは?」

素知らぬ顔でそう 嘯(うそぶ) けば、事情を知らないイサドラは怒りで顔を朱に染めた。

「くそっ! あいつら適当なことばっか言いやがって……!」

「でも、まあ、仕方がないですよ。だって、あなたも人を騙したんですから」

記録簿のおかげでイサベラの名前を前もって知ることができた。どうやら夫がいるというのは事実のようだ。けれど細身の優男だというから、酒屋にいた大柄な男とは別人だろう。おそらくあれは黒鴉会の構成員――レイブン調査局の人間かもしれない。

「うるさいうるさいっ、騙したっていうなら証拠を見せな! どうせあんたが勝手に言ってるだけで、証拠なんて何もないんだろ!?」

「ありますよ」

コニーは冷静に告げた。

「あなたがジェームズさんを騙して恐喝したという証言です。立派な証拠ですよね?」

「しょ、証言って、誰の――」

「青羽亭の店主とショーン・ブラウンさんですよ」

するとイサドラは安心したように嗤った。

「ははっ、やっぱり嘘じゃないか! あいつらが黒鴉会を裏切るわけないだろう!?」

その言葉にコニーはきょとんと目を瞬かせると、「うーん」と小首を傾げた。

「実は、たまたま青羽亭の帳簿の写しを手に入れまして。それで、 送(・) 金(・) 相(・) 手(・) とイサドラさん、どちらを守りたいか店主さんに訊ねたんですよ。――答えはもちろん、わかりますよね?」

「なっ……」

「あとブラウンさんは借金の肩代わりを申し出たらころっと寝返りましたよ。だって借金さえなくなればおっかない人たちとは無関係になりますからね」

「う、嘘だ!」

もちろん嘘である。正確には、嘘も方便というやつだ。

「そん、な……」

そう呟いたきり黙り込んでしまったのは、有り得るかもしれない、と思ったからだろう。

イサドラは親指を唇に押し当て、落ち着かない様子で視線を動かしている。

コニーはひどく痛ましそうな表情を浮かべた。

「でも、私、あなたには同情してるんですよ」

「……同情?」

「ええ。実は、ふたりから聞いてしまったんです」

そう言うと、コニーはそっと声を潜めた。

「――黒鴉会は、あなたのことを 処(・) 分(・) するつもりだって」

「……は?」

「ご存じないでしょうけど、実は今、憲兵局がジェームズさんの事件の捜査を始めてるんです。もちろんあなたが訴状を出した謂れもない暴行罪なんかではないですよ。あなたから恐喝された件で、ジェームズさんが被害届を出したんです」

ちなみにこれは事実である。ショーン・ブラウンの告発のせいで事件が公になってしまった以上、きちんと捜査してもらい、身の潔白を証明したいのだとジェームズ本人が言っていた。

イサドラは言葉の意味がわからないように何度も目を瞬かせていた。

「ほら、あなたも黒鴉会がどれだけ薔薇十字通りにお店を出したがっていたか知っているでしょう? それなのに、系列店の娼館の人間が犯罪に手を染めているだなんてわかれば影響は計り知れません。だから、憲兵局の捜査の手があなたに伸びる前に始末することになったみたいです」

明日の天気を伝えるような軽い口調で告げれば、イサドラは乾いた声で「そんな、そんなはずは……」と呟いた。そのままぶつぶつと何かを呟いていたが、しばらくすると堪えきれなくなったのか、力なくその場に崩れ落ちる。

「……逃げなきゃ」

焦点の合わない目でぽつりと呟く。

「い、今すぐ逃げれば間に合――」

「逃げ切れると思いますか?」

耳元でそっと囁けば、女の顔に絶望の色が浮かんだ。

恐怖のせいか、イサドラの体が小刻みに震えだす。コニーはがたがたと震える女の手を優しく握りしめた。

「実は、助かる方法がひとつだけあるんです。――聞きたいですか?」

その瞬間、イサドラの瞳に小さな光が灯る。

縋るような視線を受け止めると、コンスタンス・グレイルは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

というわけでイサドラ・シェードを伴い憲兵局を訪れると、待ち構えていたランドルフに出迎えられた。

なぜか、苦虫を嚙み潰したような表情をしているが。

「自首です」

「ああ」

小さく頷くと、彼女の身柄を近くにいた部下に引き渡す。

あらかじめ伝えてあった通りうまく事が運んだにも関わらず、ランドルフの眉間に寄った皺はそのままだった。

コニーは不思議そうに首を傾げる。

「ええと……今回はちゃんと事前に相談したと思うんですが……」

「……そうだな」

そう言うと、どこか諦めたように溜息をついた。げせぬ。

――それからの話をしよう。

ジェームズ・ウィンスロップの一件が明らかになったことで世間の批判の声は次第に小さくなっていった。

その時点ではまだ疑う者も少なくなかったが、ミレーヌのインタビュー記事が出ると一気に風向きが変わった。

薔薇十字探偵事務所は傲慢な加害者ではなく、むしろ被害者だったのではないか――という図式に成り代わったのである。

事務所は無事営業を再開し、依頼人は再び足を運ぶようになった

そして――

「ありがとう、コンスタンス」

花が咲きこぼれるオブライン邸の中庭で、アビゲイルが微笑んでいる。

テーブルの上には相変わらず宝石箱のような一口サイズの焼き菓子やタルト、サンドイッチが並べられていた。

どれもほっぺたが落ちるほど美味しいが、特に柑橘の香りがするチーズタルトは絶品である。

一通り堪能したコニーは、ティーカップを 受け皿(ソーサー) に置いた。

それから一呼吸すると、おもむろにこう切り出す。

「それで、アビー様は一体どこまで予想していたんですか?」

ちょうど公爵夫人の名にふさわしい優雅な仕草でティーカップを持ち上げていたアビゲイルは、コニーの質問にきょとんと瞳を瞬かせた。

「何の話かしら?」

コニーは一瞬怯みそうになったものの、背筋を伸ばして彼女と向き直る。

「え、ええと、その……アビー様の本当の狙いは問題を起こしている探偵事務所への牽制ではなくて、黒鴉会そのものだったのでは……?」

アビゲイルは紅茶を飲むことなく静かに戻した。

それから顎の下に両手を重ね、コニーの目を覗き込むように顔を傾かせる。

「―― 何(・) の(・) 話(・) か(・) し(・) ら(・) ?」

先ほどとまったく同じ台詞。

けれど、そこに浮かぶ顔は別物だった。

まるで悪戯がばれた無邪気な少女のような――

スカーレットが、けっ、と吐き捨てる。

『白々しいわね。わざと薔薇十字通りの探偵事務所の不祥事を見逃していたくせに。どうせミレーヌ・リースの記事をとめていたのもお前でしょう?』

――そう。けっきょく と(・) め(・) ら(・) れ(・) て(・) い(・) た(・) という例のミレーヌの記事はあれからあっさりと掲載されたのだ。

それも一連の事件が公になり、レイブン調査局や黒鴉会への非難の声が噴出し始めた絶好のタイミングで。

もはや致命傷を負わせる機会を窺っていたとしか思えない。

あれでは黒鴉会もしばらく大人しくせざるを得ないだろう。そして世論を味方につけられない以上、薔薇十字通りに関わることは難しいはずだ。

きっと、 最(・) 初(・) か(・) ら(・) 最(・) 後(・) ま(・) で(・) アビゲイルの計画だったに違いない。

「ところで、コニー」

裏でそんな物騒な企てをしていたことなど微塵も感じさせず、アビゲイル・オブライエンはいつもと変わらぬ明るい口調でこう告げた。

「私の我がままでコニーに色々と面倒なことをお願いしちゃったけど、ずっとこのままってわけにはいかないでしょう? だから代わりに探偵事務所を任せられる人間を探してみたんだけど――困ったことに、どうしてもコニー以上の逸材が見つからないよねぇ」

ぱちくり、とコニーは瞳を瞬かせた。

「ねえ、コニー。あなたはどうしたい?」

どこかおどけたようにアビゲイルが訊ねてくる。

コニーは迷うようにテーブルの上に視線を落とした。

浮かんでくるのは、今まで依頼を受けてきた依頼人たちの顔だ。

クロエ、ネリー、ガブリエル、ジェームズ……。

はじめのうちは不安や恐れが滲んでいた彼らの表情が、次第に晴れやかなものへとなっていく。

コニーはゆっくりと顔を上げた。

「アビー様、私は――」

からん、と木製のドアに取りつけた鐘が涼やかに鳴る。

恐る恐るといった表情で入ってきたのはエプロン姿の女性だった。

中に入ると、落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見渡している。

すると、ばたばたばた、という軽快な足音とともにひとりの少女が階段を降りてきた。

若草色の瞳に、榛の髪。

どこにでもいるような顔立ちの少女は、どこか不安そうな女性と目が合うと、満面の笑顔を浮かべてこう言った。

「――薔薇十字探偵事務所にようこそ!」