軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

夢で逢えたら(後編)

「マーガレットはな、正式にはマーガレット二世というんだ」

「はあ」

――サマセット侯爵邸の応接間。

飼い猫(マーガレット) 失踪事件の進捗を報告するためにガブリエルと対峙したコニーは、相手の言葉にやる気なく相槌を打っていた。

「一世は可愛い女の子でな。二世は一世とは血縁関係はないんだが、見た目がそっくりだったんだ。それで、思わずマーガレットと名付けてしまった」

「男の子なのに……?」

「関係あるのか?」

じろりと睨まれ思わず「全然ございません……!」と慌てて首を振る。

「非常に素敵な名前かと……!」

そう続ければ、珍しくガブリエルが口元を緩める。

「そうだろう?」

笑顔とまではいかないが、普段の不機嫌そうな顰め面を考えれば充分柔らかく見える。コニーの好みはもう少し無骨で不器用で斜め上な感じなので何とも思わないが、一般的には魅力的な部類ではあるだろう。

コニーは、こほん、と咳払いをひとつすると、先日依頼人としてやってきたシスター・メグの話を伝えた。

「――聖ジョーンズ孤児院だと?」

一通り説明し、父猫がマーガレットである可能性を告げると、ガブリエルはぽつりと呟いた。聖ジョーンズ孤児院はシスター・メグが働く孤児院の名だ。

「……どうして、そんなところに?」

どうやら気になったのは場所のようだ。

確かに聖ジョーンズ孤児院は下町の――それも貧民街に近い場所にある。貴族街とはかけ離れているので疑問に思うのも当然なのかも知れない。

ガブリエルは何かを考え込むように険しい表情を浮かべていたが、すぐに 頭(かぶり) を振った。

「考えても仕方がないな。すぐに迎えに行こう」

そう言うと立ち上がり、コニーを伴い厩舎へと向かう。

ガブリエルはちょうど馬の世話をしていた御者を呼び止めると、こう言った。

「今から聖ジョーンズ孤児院まで行けるか?」

すると御者はぎょっとしたように顔を引き攣らせる。

コニーはぱちくりと目を瞬かせ、ガブリエルは不可解そうな表情を浮かべた。

「なんだ? 道がわからないのか?」

「い、いえ、もちろんわかりますが……」

御者はしどろもどろになりながらそう告げると、消え入りそうな声で小さく呟く。

「で、でも、よろしいんですか? ま(・) だ(・) 昼(・) で(・) す(・) が(・) ――」

ガブルエルは心の底から不思議そうに「何を言っているんだ?」と眉を顰めた。ついでにコニーも「うん?」と首を捻ったが、すぐさま御者がハッとしたように「何でもございません……!」と告げ、まるで何もなかったかのように馬具の用意を始める。

疑問は残るものの、考えて答えが出るようなことではなさそうだ。

(まあ、いいか)

すると一連の流れを見ていたスカーレットが、コニーをじとりと見下ろしながら『お前……、そういうところよ』と呟いたような気がしたがが、おそらく気のせいに違いない。

揺れる馬車の中で、ガブリエルが気難しい表情のまま口を開いた。

「……孤児院の職員が依頼に来たのか?」

「あ、はい。ちょうど侯爵が帰られた後にシスターがいらっしゃって」

「シスター?」

「シスター・メグという方です。父猫の飼い主の方だと思われる方を連れて行くと話してあるので、その方が対応してくださると思います」

「……私の名を告げたのか?」

「え? いえ、名のある貴族の方とだけ……」

ガブリエルの性格上、勝手に名前を伝えると何だか面倒くさそうなので伝えなかった。

けれど、なぜだかすでに顔が険しい。何も伝えない方がよかったのだろうか。

何とも重たい空気が漂い、耐え切れなくなったコンスタンスはおもむろに口を開いた。

「ま、マーガレット様だといいですね」

そう告げると、ガブリエルも「……ああ」と頷き、次の瞬間、ハッとしたように顔を上げた。

「そうだ。君に伝えておくことがある」

「はい?」

きょとんと首を傾げれば、厳しい口調でこう告げられる。

「決して人前であの子のことをマーガレットと呼ばないように」

「へ?」

「あの子は私に似て誇り高い性格でな。私以外に名を呼ばれるのを嫌がるんだ」

コニーはぱちくりと瞳を瞬かせた。

いや誰からも愛される太陽のような子だったのでは――? と疑問に思ったものの、さすがに口に出さない程度の分別はある。

「ええと、それは構わないんですけれど、もし名前を呼ぶようなことがあればなんと……?」

「レットちゃんだ」

「レットちゃん」

心の中で盛大な疑問符を浮かべているうちに、コニーたちは聖ジョーンズ孤児院へと辿りついた。

場所柄ある程度は予想していたとはいえ、そこは想像以上にぼろぼろだった。煉瓦はところどころ剥がれ落ち、壁面にはひびが入っている。建物だけでなく、敷地全体が荒廃している雰囲気である。

予め訪問の旨を伝えておいたので、すぐに件の依頼人――シスター・メグが出迎えてくれた。世俗にはまるで興味がなさそうなシスター・メグだったが、さすがにガブリエルの美貌には驚いたような表情を浮かべていた。とはいえすぐに何でもないように取り繕い、マーガレットの元まで案内してくれたのだが。

そうしてコニーたちは今、念願のマーガレット二世と対面していた。

「レット……!」

ガブリエルは、なーご、と嬉しそうに鳴く白猫を感極まった様子で抱き寄せた。

「ああ、こんなに痩せてしまって……! ろくなものを食べさせてもらえなかったんだな。可哀そうに……」

あんまりな発言にコニーの顔が瞬時に引き攣る。

迷い込んだマーガレットを世話していたシスター・メグも当然いい気はしなかったようで、尖った声を発した。

「……失礼ですが、そのような言いがかりはやめて頂けますか?」

するとガブリエルが飼い猫を撫でまわしながらぼそりと呟く。

「 誘(・) 拐(・) 犯(・) が白々しい」

「……今何と?」

「聞こえなかったのか? 誘拐犯と言ったんだ。大方この首輪についた宝石に目が眩んで連れ去ったんじゃないのか? こんなあばら家だしな。まあ、売る前に改心したのは褒めてやるが」

「――は?」

暴言としか言いようがない言葉に、シスター・メグは思い切り顔を顰めた。

コニーも思わずぽかんと口を開ける。

突然何を言い出すのだろうか。

さすがに「あ、あのう……」と制止の言葉をかけようとしたものの、ガブリエルはさらに小馬鹿にするような態度で言葉を続けた。

「子が生まれたんだろう? 起きてしまったことは仕方がないし、子に罪はない。仕方がないから、この子の子供はすべて私が引き取ろう。こんな粗末な孤児院で育てられるのは可哀そうだからな。どうせ子猫を育てるような金などないんだろう? 一匹につき金貨十枚は支払ってやる。不満ならそちらの言い値でも構わんぞ」

絵に描いたような不遜な態度に、うわあ、とコニーは思わず片手を額に当てた。まさに火に油である。

予想通りシスター・メグはきっぱりとした口調で拒絶した。

「お断りします」

「……何だと?」

ガブリエルの顔が強張る。美貌の渋面はそれだけで威圧感があるーーが、シスター・メグも一歩も譲る気はないようだった。

「他にご用件は? ないのでしたら、その子を連れてすぐにお帰りになってください」

「……この私にそんな言い方をしてただですむと思っているのか?」

苛立ったような声に、応戦するようにシスターの琥珀色の瞳も眇められる。

「私はただ、高貴なるお貴族様がこのような粗末な場所にいたら、よからぬ詮索を受けるのではと心配しているだけです」

「何が言いたいのかまったくわからないが」

ぴしり、と空気に亀裂が入る音が聞こえる。コニーはハラハラしながら様子を窺っていた。

「え、ええと、そのう……」

さすがにためらいがちに口を開きかけたその時。

「……わからず屋の唐変木」

「……意地っ張りのひねくれ女」

ガブリエルとシスター・メグはほぼ同時にそう呟くと、まるで子供のように、ふんっ、と互いに顔を背けた。

「うん……?」

初対面とは思えない態度に違和感を覚えていると、いつの間にか飼い主の腕から抜け出したらしい白猫が呑気な様子でどこかへ行こうとする。

剣呑な表情でいがみ合う二人は気づいていないようだ。

コニーが慌ててその後を追いかけていくと、ちょうど庭に出た辺りで小さな人影がマーガレットを抱き上げた。

「しろちゃん、あそぼー」

そう言ってにこにこと笑っているのは、おそらく孤児院の子供だ。栗色の髪を編み込んだ、五、六歳ほどの幼い女の子である。

しろちゃん、というのはマーガレットの呼び名だろうか。

マーガレットも大人しく抱かれていたので、とりあえず様子を見守ることにしていると、少女の方がコニーに気づき、不思議そうに首を傾ける。

それから猫を抱えたまま、とてとてと近寄ってきた。

「ねえねえー」

人懐っこい性格なのか、 見知らぬ人間(コニー) にも特に警戒することなく話しかけてくる。

「またあのおじちゃんきたのー?」

「――へ?」

コニーは思わず声を上げた。

少女の視線は間違いなくガブリエルのいる方を向いている。

「今日はまだお外が明るいのにねー」

「……え? ええと、あのおじちゃんのこと、知ってるの?」

少女は「ミーナだよ」と言った。それから顔を上げて、にかっと笑う。

「ないしょのおはなし、する?」

「う、うん」

「じゃあ、とくべつにおしえてあげるね。――ミーナね、 お(・) ね(・) し(・) ょ(・) しないの」

「うん……?」

「寝ててもね、ちゃんと と(・) い(・) れ(・) におきるの。えらい?」

「う、うん、えらい。すごくえらい」

ミーナと名乗った少女は、ふふ、と嬉しそうに笑った。

「でもね、近道したくて、こっそりお庭を通っちゃってるの。……ないしょね? だって夜はお外にでちゃいけないから……」

そう言うと、ミーナはそっと声を潜めた。

「あのおじちゃん、よく、このお庭に立ってるの」

「……はい?」

意味がわからず、首を傾げる。

ここはおそらく孤児院の外廊下につながる中庭である。

そこで、誰が、何をしていると?

「ええと――え? 待って、どういうこと? どうして侯爵がここの庭に?」

「んーとね、門のかぎがこわれてたんだって」

「あ、ごめんね、そういう意味じゃなくて……」

「だからね、こっそりしのびこんじゃえば、シスター・メグに会えるかもっておもったんだって」

「――へ?」

先ほどから情報量が多くて処理が追いつかない。

誰が、誰に、会えると――?

「ええと、ミーナちゃんは、あのおじちゃんとお話したってことかな……?」

「うん」

ミーナはにこにこと頷いた。それからすぐにしょんぼりと眉を下げる。

「でもね、おじちゃん、こわくてシスター・メグには会えないんだって。シスター・メグはこわくないよって何度もおしえてあげてるのに、おじちゃんが泣いちゃうからミーナもあきらめちゃった」

「な、泣いちゃう……?」

それは本当にガブリエルなのだろうか。いやガブリエルなのだろうが。

「そう。会いにきたら き(・) ら(・) い(・) になるって、シスター・メグから言われたことがあるんだって」

「嫌いに……?」

「おじちゃんね、シスター・メグにきらわれたくないーってわんわん泣くの。大人なのに、子供みたいなの。ちょっとかわいそー」

目を瞬かせていると、スカーレットがぽつりと呟いた。

『――夢遊病?』

その言葉にコニーの表情が一変する。

屋敷にいた御者の行動を思い出したのだ。最初からこの孤児院のことを知っているような口振りだった。それに、 今(・) は(・) ま(・) だ(・) 昼(・) だ(・) ――とも。

夢遊病と判断できるほどコニーは症状に詳しくないものの、少なくとも実際にガブリエルは夜中に屋敷を抜け出し、聖ジョーンズ孤児院を訪れていたのではないだろうか。

「侯爵はシスター・メグと知り合いだったの……?」

「うん。シスター・メグはね、もともとお貴族様だったんだよー」

ミーナはずりおちそうになるマーガレットを抱えなおしながらそう告げた。

「でも、子供のころにお家が は(・) さ(・) ん(・) しちゃったんだって。シスター・メグのお父さん、だまされちゃったのー」

家が没落し、教会の預かりになったのだろう。借金の カ(・) タ(・) として身売りせずに済んだのは幸いだったのかもしれないが。

「それでね、おじちゃんとシスター・メグはそれまでなかよしだったのに、急につめたくなっちゃったんだって。まわりの大人からも、もうなかよくしちゃだめって怒られちゃったみたい」

人前で泣いていたことやミーナに語っている内容から推察すると、孤児院を訪れている時のガブリエルは精神が幼い頃に戻っているのかもしれない。

「だからね、まだお花もわたせてないんだよー」

「お花?」

「おじちゃん、いつもおっきな花束もってくるの」

ストーカーからの被害のひとつに、屋敷の庭の花が勝手に刈り取られていた――というものがあったはずだ。つまりそれも無意識のうちにガブリエル自身が行っていたことだったのだろう。

「けっきょくミーナにくれるの」

「そうなんだね」

「……でも、お花をもってたらミーナがお外に行ったことがばれちゃうでしょう?」

だからすてちゃった、と少女は申し訳なさそうに告げた。それから、白猫をずいっと差し出すと「ちょっともっててね」と言う。

「みて、あれ」

ミーナが指差したのは庭の片隅だった。群生とまではいかないが、マーガレットの花々が揺れている。

「あれは……?」

「花束。うめたらはえてきちゃった」

そう言うと、ミーナは困ったように口をへの字にした。

枯れてしまった花から種子が出た、ということだろうか。それが発芽し、花まで咲かせているということは、ガブリエルの訪問はここ数か月の話ではない――ということになる。

「……そのおじちゃんはいつ頃から来てるの?」

「んー、ミーナ、よくわかんない」

ミーナは首を傾けた。

もしかしたら二年前だろうか、とコニーは考えていた。飼い猫を亡くしたことがきっかけだったとしたら――

「でも、最初に会ったときは、しろちゃんもっと小さかったよ」

「つれてきてたの!?」

驚いて聞き返せば、ミーナは何か面白いことでも思い出したようにけらけらと笑いだした。

「おじちゃんね、おかしいんだよ。しろちゃんがここに来たがってるっていってたの。しろちゃんのお願いだから仕方なく来ただけで、自分が来たがったわけじゃないんだーって。でも、うそだよねえ?」

そう言いながら、不思議そうに首を傾げる。

「だって、しろちゃん、しゃべらないもんねえ?」

「そ、そうだね」

プライドが高い性格はどうやら子供の頃からだったようだ。

「そういえば、しろちゃん、よくノワールと遊んでたよ」

「ノワール?」

「うちの猫。黒いの。ノワールって、がいこく語で黒って意味なんだって。だからね、夜は見つけるのがたいへん」

「そのせいか……!」

どうして温室育ちのマーガレットが孤児院の猫と――と思っていたが、点と点が線で繋がってしまった。

つまるところ、すべて 飼い主(ガブリエル) のせいである。

そこまで話すと、ミーナがふいに眉を下げた。

「……しろちゃん、お家にかえっちゃうの?」

「え? ええと、たぶん……?」

「また夜にくる?」

「ど、どうかな……?」

すると少女の瞳にじわりと涙が滲み、コニーは慌てて首を振った。

「あっ来るよ! 来る来る! 侯爵はマーガレット様に甘いもの!」

ミーナがきょとんと目を瞬かせる。

「……まーがれっとさま?」

「はっ、言っちゃった……! まあ、いいか。あのね、しろちゃんの名前だよ。本当はマーガレットって言うんだって。でも内緒ね? 呼ぶと怒っちゃうみたいだから」

驚いた拍子に涙は引っ込んだようだ。

ミーナはコニーの腕の中にいるマーガレットと目を合わせると、「すてきななまえなのにねえ」と首を傾げる。

コニーも「そうだよねえ」と同意する。

それからミーナはコニーを見上げて笑った。

「じゃあ、いっしょなんだねえ」

「そうだね。花束のお花と一緒」

「ちがうよー」

コニーが「うん?」と首を捻ると、ミーナは楽しそうな表情を浮かべてこう言った。

「あのね――」

「――だいたい門の鍵も付け替えられないほど困窮しているくせに、子猫をまっとうに育てられる金銭的余裕などあるはずないだろう!? 私は子猫のために言っているんだ! 人間の都合に猫を巻き込むな!」

「だから、子猫の養育費用は私が個人的に出すと言っているでしょう……! だいたいどうしてあなたがうちの門の鍵のことを知っているんです!?」

「――え?」

シスター・メグの言葉にガブリエルの動きがとまる。ぱちぱちと瞬きをすると、不可解そうな表情を浮かべて首を捻った。

「いや、それは……うん……? 何でだ……?」

「そんな適当な返事ではぐらかすつもりですか!?」

「別にはぐらかしているわけでは――」

ガブリエルが歯切れ悪く言い淀む。その時だった。

「――お取込み中申し訳ないのですが、ちょっとよろしいでしょうか」

コニーが声を発すると、言い争っていた二人が同時に振り向く。

「 話(・) し(・) 合(・) い(・) はとりあえずその辺で。それよりも、私の方からひとつご紹介がありまして――」

言いながら、腕の中のマーガレットをそっと持ち上げた。

「こちらのレットちゃんなのですが、シスターは本当の名前をご存じですか?」

そう告げた途端、ガブリエルがぎょっとしたように顔を強張らせる。

シスター・メグは不思議そうに首を傾げた。

「ええと、レット、というのでは?」

「もちろん間違ってはいないんですけど――」

ガブリエルが焦ったように「やめろ! 言うな!」と叫ぶが、あえて聞こえなかったことにする。

「――本当は、マーガレットって言うんです」

その瞬間、ガブリエルの顔がぶわっと真っ赤に染まった。

それから「ち、ちが……」とひどくうろえたように声を震わせる。

「これは、その」

ちらり、とシスター・メグに視線を向けると、さらに顔を羞恥に染め上げた。

「とにかく違う!」

『違わないじゃない』

心底どうでもよさそうにスカーレットが呟く。

コニーも心の中で、違わないよねー、と同意する。

ミーナが教えてくれたのだ。

――シスター・メグも、マーガレットって言うんだよ。

言われてみれば、確かにメグはマーガレットの愛称である。

つまり、何のことはない。

ガブリエル・サマセットという男は、初恋の人の名前の花をせっせと育て、初恋の人の名前を愛猫につけて、目に入れても痛くないほど可愛がっていたのである。それも、二代続けて。

そう考えると、シスター・メグの琥珀色の瞳は、マーガレットの黄金色の瞳に似ている気もする。

『もう呪いの域よね。ここまでくると笑えなくてよ』

「いや愛だと思う」

コニーは周りに聞こえないようにぼそりと呟いた。

ただし、かなり重めの――。

ガブリエルは顔を真っ赤にしたままぷるぷると震え、シスター・メグは瞬きもせずにその場に凍りついていた。恐ろしいほどの無表情で、喜んでいるのか戸惑っているのかすらわからない。

何とも言えない空気を破ったのはミーナだった。

彼女は近所の友達でも見つけたような気安さでガブリエルのもとへ駆け寄ると、無邪気な様子でこう訊ねた。

「おじちゃん、今日はお花持ってきてないのー?」

ミーナの親し気な口調にガブリエルが怪訝そうな顔つきになる。

実際のところガブリエルが夢遊病かどうかはわからない。けれど、状況を考えると、 記(・) 憶(・) が(・) 退(・) 行(・) し(・) た(・) ま(・) ま(・) 何(・) ら(・) か(・) の(・) 行(・) 動(・) を(・) 取(・) っ(・) て(・) い(・) た(・) ――という可能性が高いだろう。そしておそらく本人はそのことを覚えていない。

「……花?」

「うん、マーガレットのお花ー。おじちゃん、シスター・メグにお花をあげたいっていつも泣いてたでしょー? でもね、シスター・メグはやさしいからちゃんとお願いすれば大丈夫だよー」

「――は?」

ガブリエルが目を見開いた。

それからひどく動揺したように視線を彷徨わせ、さらに 何(・) か(・) を振り払うように勢いよく首を横に振る。記憶はなくとも心が行動を覚えているのかもしれない。

「な、な、泣くわけないだろう……!? ぜったいに何かの間違いだ。勘違いだ。そ、そもそも私はそんな雑草、見たことも聞いたことも――」

ここまでわかりやすく素直でないと、余計な世話を焼きたくなってしまうのが人間というものである。

コニーはにっこりと微笑むと、 う(・) っ(・) か(・) り(・) 口を滑らせた。

「あれ、マーガレットの花なら屋敷で大切に育てていらっしゃいますよね? だいたいレットちゃんの名前も、その前に飼われていた猫ちゃんの名前も、マーガレットですし」

「お、おま、お前……!」

「確か花言葉は――」

とうとうガブリエルは癇癪を起こしたように大声で叫んだ。

「もういい! 帰る!」

その声に驚いたのか、マーガレットがコニーの腕の中からぴょんっと飛び出し、飼い主のもとへと駆け寄っていく。

毛玉のような白猫をぎゅっと抱き寄せたガブリエルは、無言のままずんずんと門へと向かっていった。

しかし、その途中でぴたりと足をとめる。

「…………なんでいつも送り返してくるんだ」

シスター・メグはそこでようやく我に返ったようにゆっくりと目を瞬かせた。

「何の話ですか?」

「寄付金だ」

「……あんな大金、貰えるわけないでしょう。変な噂が立って困るのはあなたなんですよ。ご自分の立場をよく考えてください」

その言葉にガブリエルはぴくりと眉を持ち上げ、苛立たし気に振り返った。

「お前はいつもそうだな。よくわからない理由で断ってばかりだ」

がしがしと頭を乱暴に掻くと、わずかに視線を落とし、ぼそりと呟く。

「あの日だって、私の求婚を断った」

「求婚も何も、あの時あなたはまだ十二だったでしょう」

「せっかく用意した花束までいらないと」

「……私だってまだ十二だったんです」

好きだったんだろうな、とコニーは思った。シスター・メグは、ガブリエルのことが好きだったのだろう。だから家が没落して、侯爵家とは結婚できないのだと理解はできても、納得はできなかったに違いない。まだ十二歳なら、なおさら。

きっと、彼女はきれいな思い出になんてしたくなかったのだ。だから、受け取ることができなかった。そういうことだろう。

その繊細な乙女心に、当の本人はちっとも気づいていないようだが。

「お前のせいで私はまだ独り身だ。どうしてくれる」

「人のせいにしないでください。そもそも結婚できないのは猫のせいだと聞いていますけれど?」

「うるさい。そんなわけないだろう。都合がいいから噂を利用しているだけで、ぜんぶこちらから断ってるんだ」

ガブリエルの言葉に、シスター・メグが「は?」と目を見開いた。

沈黙が落ちる。

そして次の瞬間――

「――――ばっかじゃないの!?」

雷鳴のような怒声が響き渡った。

ガブリエルがぎょっとしたように一歩後ずさる。

「ば、ばかとはなんだ」

「馬鹿は馬鹿に決まっているでしょう!? ガビー、あなたって昔からいつもそうよ! いっつもわけのわからない方向に暴走するんだから! 少しでもおじさまやおばさまの気持ちを考えたことある!? それに、私だって一体どんな気持ちであなたから離れたと――」

シスター・メグは言葉の途中でぴたりと硬直した。

ガブリエルが目を瞬かせ、「……うん?」と呟く。それからしばらく呆然とした後、恐る恐る、と言ったように口を開いた。

「……ええと、マーガレット。今のって――」

シスターは口元を手で押さえたまま、ぐるりと体を反転させた。

「マーガレット」

彼女は石のように固まったままぴくりとも反応しない。

「おい、こっちを向け。聞こえてるんだろう。なあ、マーガレット。無視はちょっとどうかと思うぞ。お前、昔からそういうところがある――」

何度も何度も呼びかけても、相手は答えようとしない。ガブリエルが困ったように懇願した。

「頼むから――メグ」

その瞬間、シスター・メグは何かを諦めたような吐息を零した。

「……用件は済んだでしょう。早く帰ってください」

決して振り向かないまま、素っ気なく口にする。けれど、ガブリエルの顔は一気に明るくなった。

それから、コニーが一度も聞いたことがないような優しい口調で告げる。

「帰るよ。すぐ帰る。でも、また来てもいいか。子猫たちを引き取れないなら、せめて顔が見たいんだ」

「だめですいやです諦めてください」

「ひと月に一度――いや、一年に一度でもいいから」

「……猫好きのあなたがその程度で我慢できると?」

ガブリエルは「当たり前だろう」と頷くと、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。

「私は我慢強いんだ。――なにせ、もう三十年も待っているんだからな」

「三十年越しの恋かあ」

こっそりと孤児院を後にしたコニーは揺れる車内でそう呟いた。

何だかんだ積もる話がありそうだったので、空気を読んで孤児院近くの停留所から辻馬車に乗ることにしたのである。

『ある意味呪いより怖いわね』

「えーそう? ロマンチックじゃない?」

『恐怖体験の間違いでしょう。まあ、夢遊病だか徘徊だか知らないけれど、それも落ち着くんじゃない? たぶん、精神的なものだったでしょうし。ちなみに本人には夜中の外出の件を伝えるの?』

「ちゃんと治すためには言った方がいいかなあ。ただもうミーナちゃんが色々喋ってそうだし、侯爵もたぶん何となく気づいていると思うけど」

余計なことをしたと後で怒られそうな気もするが、マーガレットも無事戻ってきたし、ストーカー問題も解決したし、依頼は無事完了したということでいいだろう。

「ただいま戻りましたー」

馬車から降りたコニーは、からころんというベルの音ともに事務所のドアを開けた。

けれど、予想していた声がいつまでたっても聞こえてこない。

コニーはわずかに首を傾げた。

いつもだったらすぐにセバスチャンが出迎えてくれるのに。

外出中だろうか――と思ったが、それならドアには「休業中」と書いたプレートとともに鍵がかかっていたはずだ。

事務所内は、奇妙なほどに、しん、と静まり返っていた。

妙な胸騒ぎがする。スカーレットを見れば、彼女も同じような違和感を覚えていたのか、険しい表情を浮かべていた。

互いに視線を交わしたその時、応接間で人が倒れるような物音が響き渡る。

「セバスさん――!? 」

部屋の中に飛び込んだコニーは、目の前の光景に思わず目を見開いた。

「あれ……?」

なぜか、セバスチャンが見るからに柄の悪そうな男を紐で縛り上げている。

さらに床にはすでに簀巻きにされた ご(・) ろ(・) つ(・) き(・) らしき男たちが転がっていて――

「おや、コンスタンス様。お帰りなさいませ」

そう言いながらセバスチャンが手にした紐をぎゅっと締め上げれば、縛り上げられていた男が潰された蛙のような悲鳴を上げて失神した。

「へ……?」

ひどく間抜けな声を上げるコニーを余所に、スカーレットが何を思い出したように、ぽん、と手を打つ。

『―― こ(・) い(・) つ(・) ら(・) のこと、すっかり忘れてたわ』