軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

薄日さす‐7

「……あるべきもの?」

コンスタンスは首を傾げながらスカーレットの言葉を繰り返した。

そんなことを言われても、一体何のことだかさっぱりである。

疑問が顔に出ていたのか、スカーレットが小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

『クラバートの職業を思い出してみなさい』

「先生じゃないの?」

『その前よ』

コニーはぱちくりと瞬きをした。それからゆっくりと記憶を辿る。

「確か、教会の偉い学者さんで――」

『そう。ご高名な神学者さまだっていうのに、この部屋には専門書が一冊もないわ。おかしいと思わない?』

「せんもんしょ」

聞き慣れない言葉を繰り返せば、スカーレットがまるで可哀想なものでも見るような眼差しを向けてきた。

『論文とか神学書とか伝承を集めたものか研究に必要な資料とかそういうものよ』

「だ、だよね……!」

さすがに専門書が何たるかということくらいはコニーとて知っている。ただ、それがスカーレットの言う『あるべきもの』につながらなかっただけで。

「ええと、その、専門書がないということは、つまり……?」

「……ああ、そういうことか」

その時、コニーの独り言――実際には違うのだが傍から見たら空中に向かってひとりで喋っているようにしか見えないだろう――を黙って見守っていたランドルフが何かに気がついたように呟いた。

「質に入れたのは そ(・) ち(・) ら(・) の方だな」

「え?」

ランドルフの言葉にコニーが思わずスカーレットを見上げると、彼女は肯定するようにあっさりと肩を竦めた。

『“青の秘蹟”ほどではないにしても王都の上級聖職者の持ちものだもの。きっとそれなりの値がついたでしょうね。でも、生憎ここは王都ではないわ。ああいった類のものを扱うにはそれなりの人脈や伝手がいるはず。田舎の質屋にそれができるとは思えないわ。例の高利貸しに相談でもしたんじゃない? だとすれば、まず最初に確かめるのは盗品ではないかということよね。それで 高利貸し(トマス) はクラバートについて調べていくうちに“青の秘蹟”を所有していることを知った――そう考えるのが自然でしょう?』

「なるほど……」

訳知り顔で頷いたコニーはランドルフにも 相棒(スカーレット) の推理を伝えようとしたが、どうやら本職の捜査官殿はすでに同じような結論に達していたらしい。

「素人が出入りできる質屋は限られてくる。俺はそちらをあたってみよう。高利貸しと違って堅気だろうから、適当に脅せば何か証言が得られるかも知れない」

もちろん最後の台詞は全力で聞かなかったことにした。

一頻(ひとしき) り室内を物色し終えたコニーたちが建物から出ると、門の付近でちょっとした騒動が起きていた。

「いったいどこの阿保たれがこんな馬鹿げた真似をしたんだい!?」

「や、やめてよ母さん――」

恰幅の良い女性がぼろぼろになったハンカチを手にしながら怒鳴り散らしている。その後ろで焦った様子で女性の服の裾を引っ張っているのは、確か、ダンと呼ばれていた少年である。

「やめて欲しいならどいつにやられたのか白状するんだね! 家中の端切れを集めてやっと拵えたものだったってのに……!」

その台詞を聞いて、ハンカチを傷物にした張本人であるアランがさっと顔を青ざめさせた。何か言おうと唇をわずかに震わせたように見えたが、相手の剣幕に押されたのか、けっきょくそのまま固まってしまう。

そんなアランを庇うように前に立ったのはジョセフィンだった。

「――申し訳ありません、マダム。私の責任です」

ダンの母親はジョセフィンを視界に入れるとわずかに眉を顰め、それから大きく溜息をついた。

「……先生。あたしはさ、あんたがここを引き継いでくれて感謝してるんだよ。クラバート先生が死んじまってどうしようかと思ってたからね。でも、ここ最近は問題ばかり起きてるじゃないか。先生が悪いって言ってるわけじゃないんだ。ただ、人間には向き不向きってやつがあるだろう? 正直あんたみたいな高貴な身分の御方にはこの子らの世話は荷が重いんじゃないかい?」

ジョセフィンは何も答えなかった。ただ黙ってその言葉の意味を考えているようだった。

その様子を見てダンの母親はもう一度溜息をつく。

「とりあえず、今日はこの子を連れて帰るよ」

「えっ、ちょっと母さん、俺はまだ……!」

ダンの母親は抵抗する息子の手を強引に引っ張るとそのまま門から出て行った。

ふたりの姿が見えなくなっても、ジョセフィンは動かないままだった。

「……その、ジョセフィン、さま?」

不安になったコニーが声を掛けるとぴくりと彼女の肩が震えた。

それからゆっくりと振り向いた彼女の表情は、今しがたのやり取りなど微塵も感じさせない普段通りのもので――

「ああ、戻られたんですね。それで、何か進展はありましたか?」

「ええと、“青の秘蹟”を見つけました。それと、これも」

コニーは言いながら、白い封筒に入った手紙も手渡す。“青の秘蹟”をジョセフィンに遺すと書かれていたものだ。

メッセージに目を通したジョセフィンは小さく息を呑むと、説明を求めるようにこちらに視線を寄越した。コニーがちらりと隣に立つ婚約者を窺えば、ランドルフは小さく頷いて口を開く。

「叔母上。おそらくクラバート氏はあの高利貸しから借金はしていないと思う」

「ですが、あの署名は先生の――」

「署名が本物だったとしても、文書だけ偽造する方法はいくらでもある」

「え……?」

驚いたような表情から察するに、その可能性を考えたことはなかったようだ。

意味を理解したジョセフィンの顔からさっと血の気が引いていく。

「クラバート氏はかなり稀少性の高い専門書を質に入れていたはずだ。もちろん契約書に署名もしただろうな。その時のサインを高利貸しの連中が何らかの方法で手に入れて使い回したとしたら?」

青ざめる叔母を見据えながら、死神閣下は淡々と告げた。

「憶測にすぎないが、調べる価値はあるだろう」

『まあ、けっきょくのところ――』

屋敷に戻ると、スカーレットが皮肉気な微笑を浮かべながら口を開いた。

『この騒動の原因は、あの堅物女がどうしようもない世間知らずだったということね』

「――スカーレット」

あんまりな言い草にコニーは思わず足をとめてスカーレットを睨みつけた。けれど美貌の相棒はちっとも悪びれた素振りを見せず、つんと顎を逸らす。

『あら、だってそうでしょう? たかだか署名が 本(・) 物(・) だ(・) っ(・) た(・) 程(・) 度(・) であのいかにも胡散臭い金貸しの言い分を信じるなんて。ひょっとするとお前より抜けているんじゃなくて? まあ、それを言ったら上級神学者しか入手できないような専門書の類を何も考えずに質に入れたクラバートもだけれど。世俗から離れてずっと訳のわからない研究に没頭しているとああなっちゃうのかしら?』

「あのねスカーレットさん、物事には言い方ってものがあってね――」

『どんな言い方をしたって事実は変わらないわよ』

スカーレットはどうでも良さそうに肩を竦めると、珍しくわずかに眉を寄せた。

『わたくしたちだって気づいたくらいだもの。さっさとあのいかにも貴族的で腹黒い母親に相談していればとっくに解決できていたはずなのよ。ジョセフィン・ブランドンは世間知らずなだけでなくて、どうしようもなく不器用なのね、きっと』

――その日の晩餐にジョセフィンは姿を見せなかった。

コニーはいてもたってもいられず、彼女の部屋の前までやってきていた。「ジョセフィンさま、コニーです」と告げながらそっと扉を叩いてみたがやはり返事はない。

それでも諦めきれずに何回かノックを繰り返していると、ふいに声を掛けられた。

「ジョセフィンならいないわよ」

おっとりとした口調でそう告げたのはエメラインだった。体調が悪いという当初の話はどこに吹き飛んだのか、今のレディ・ブランドンは 都(・) 合(・) の(・) 悪(・) い(・) 時(・) 以(・) 外(・) は(・) 至って健康そのものである。

「あの子は落ち込むと、決まって屋敷を抜け出すから」

そう言うと、困ったように微笑を浮かべた。

するとスカーレットが何かを思い出したように口を開く。

『ああ、ライラックの木の下ね』

「ライラック……?」

言いながら、ふとジョセフィンとの会話が蘇る。

幼い頃、従兄にひどいことをされて、そのつもりはなかったのに結果的に池に突き落としてしまったと言っていた。

そして、そのせいで、ひとりだけ悪者扱いされてしまったと。

『屋敷の庭にあるライラックの木の下で泣いていたの――』

(確かに、そう言っていた)

コニーの呟きが聞こえたのか、エメラインが驚いたような表情を浮かべる。

「あら、よく知っているわね。昔からそうだったのよ。辛いことや、悲しいことがあると、誰にも言わず隠れるようにひとりで泣くの。あの子は難しい性格だから、そういう時は、皆、気づかない振りをしたものよ」

エメラインは廊下の窓の外に視線を移しながら懐かしそうに微笑んだ。

「――たった一人のお節介焼きをのぞいてね」

夜で覆われた世界の中央で真っ白な月が煌々と輝いている。

ジョセフィン・ブランドンはライラックの木に凭れかかりながらぼんやりとその光景を見上げていた。

もう、自分は、何も出来ない子供ではないというのに。

なのに、気がついたら逃げ出すようにこの場所に来ていた。

さすがに幼い頃のように泣きじゃくることはないし、こんなことをしていても何の解決にもならないことだってよくわかっている。

けれど、どうしても屋敷に戻る気にはなれず、こうして意味もなく月を眺めている。

果たしてどのくらいそうしていただろうか。

ふいに夜風がライラックの木々を揺らし、がさりと草を掻き分ける音がした。

ジョセフィンさま、と困ったように掛けられた声は、可愛い甥っ子の婚約者のものだ。

コンスタンス・グレイル。

この田舎にまで届く彼女の噂はどれもひどいものばかりで、初めのうちは一体どんな悪女が領地にやってくるのかと身構えていた。

けれど、やってきたのは拍子抜けほどする平凡な少女で。

平凡で、そのくせお人好しで、心優しくて――

噂など当てにならないものだとジョセフィンは小さく吐息を零した。

「……情けないでしょう?」

気がついたら、するりと言葉が零れていた。

「ご大層な学問を修めていても、子供たちを導くことも、ろくでもない金貸し相手に立ち回ることもできないなんて。……本当に、情けない」

あまりの愚かさに自分でも笑ってしまう。

「クラバート先生は、きっと、私を買いかぶっていたのでしょうね。本当の私はいつまでたっても半人前で、ひとりでは何もできない役立たず。騙されていることにも気がつかず、けっきょく先生の大切な本も、学び舎も、子供たちも、何も守れなかった――」

「――うん?」

何故だか妙に間の抜けた声が聞こえた。

今のは一体なんだろうとジョセフィンが俯いていた顔を上げれば、コンスタンス・グレイルが心底不思議そうな表情を浮かべて首を傾げていた。

彼女はジョセフィンと目が合うと、さらに「……んん?」と訝し気に眉を寄せる。

「……ええと、あなた、どうかして?」

「ジョセフィンさまこそ、どうしてそんなことを言うんですか? ジョセフィンさまは、ちゃんと全部守れていたじゃないですか」

予想もしていなかった台詞に、今度はジョセフィンが目を瞬かせた。

「守れていた……?」

「そうですよ。クラバートさんの大事な本も奪われてないですし、学び舎もそのままですし、子供たちだって喧嘩するくらい元気そうですし。どう考えたって守れているじゃないですか。これってどれもジョセフィンさまがいなければ残っていなかったものでしょう?」

いくら慰めようとしてくれているとはいえ、それはいささか強引過ぎる主張ではないだろうか。

眉を顰めながら少女の方に視線をやったジョセフィンは、次の瞬間、ぽかんと口を開けた。

こちらを見る若草色の瞳はあまりにもまっすぐだった。まっすぐで、揺るぎなくて、心の底からそう思っているのだと気づいてしまった。

ジョセフィンは小さく唇を噛みしめると、押し殺した声で告げた。

「……だとしても、高利貸しの問題は何も解決していません。あなた方の言う通り、本当に先生がお金を借りていなかったとしても、相手が黙って手を引いてくれるとは――」

「大丈夫ですよ」

「え?」

「大丈夫です。だって――」

ふわりとコンスタンス・グレイルが微笑んだ。

「だって、ジョセフィンさまには私たちがついていますから」

「あ……」

ひどく懐かしいその笑顔を見た瞬間、ジョセフィンは遠い日の記憶を思い出していた。

あれは、いつのことだっただろう。

薄日の差し込む、雨上がりの中庭だった。

紫色の花が揺れるライラックの木の下で、ジョセフィンは膝を抱えてしゃくりあげていた。

(――まあ、ジョセフィンったら泣いているの?)

(……泣いてなど、いません)

幼い頃のジョセフィンは泣き虫で、臆病で、引っ込み思案で、そのくせ周りからはそう思われたくないという面倒臭い性格をしていた。

だから、その日も平気な素振りで顔を上げたのだと思う。

もちろんつい先刻まで大泣きしていた頬は濡れていただろうし、目はみっともなく腫れ上がっていたに違いない。

けれど、ジョセフィンが泣いていると必ずやってきてくれる お(・) 節(・) 介(・) な(・) あ(・) の(・) 人(・) は、一度もそのことに触れたことがなかった。

きっと全部気づいていたはずなのに、気づかない振りをしてくれていた。

(――大丈夫よ)

何も言わず、誰よりも優しい笑顔を浮かべて。

(――あなたは、何があっても、きっと大丈夫。だって――――)

もうずいぶん長いこと、この先の言葉を忘れていたけれど。

あれから数十年の月日が流れて、ようやっとあの人の言葉を思い出すことができた気がする。

お節介で、身勝手で、でも誰よりも強くて優しかったあの人は。

あの時、確かに、こう言ったのだ。

(――だって、あなたには姉さまがついているもの)