軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

薄日さす‐5

季節は巡り、私は十五になった。もう、以前のようにライラックの木の下で泣くことはない。

そんな、ある日のことだった。

「……断った、というのは本当ですか?」

凍えるような冷たい怒りを押し殺しながら私は訊ねた。今しがた母から聞かされた言葉が抜き身の刃のように胸の奥をずたずたに切り裂いている。気を抜くとみっともなく怒鳴り散らしてしまいそうで、私はぎゅっと拳を握った。

「ええ、そうよ」

三つ年の離れた姉は、そんな私の心情などまるで気がついていないように柔らかな微笑を浮かべていた。

「どうしてですか」

信じられない、信じたくなかった返答に、目の前が真っ白になる。

「私の、せいですか? 私が、」

――サラったらルウェインからの求婚を断ったそうなの。

――どうしてかしら。あんなに、仲が良かったのに。

「私が、あの人のことを好きだと言ったから――」

「まさか」

姉は穏やかな、けれどきっぱりとした口調で私の言葉を遮った。

「違うわ、ジョー。それは違う。これは私の問題なのよ」

そうしてまた優しい微笑を浮かべる。まるで、その件に私のことなどこれっぽっちも関係ないのだと言うように。

でも、違わない。

きっと、違わないのだ。

私は知っている。誰からも天使のようだと愛されるこの人の 身(・) 勝(・) 手(・) さ(・) を、よく知っている。

「……姉さまなんて」

抑えていた何かが、とうとう音を立てて決壊した。

だから、例えそれがひどい八つ当たりだとわかっていても――

「姉さまなんて、大っ嫌い!」

とめることなど、できなかったのだ。

――怪しげな路地裏でジョセフィンとトマスのやり取りを見てしまったあくる日。

コニーとスカーレット、それにランドルフは、エメラインから場所を教えてもらい、例の学校を訪れていた。

屋敷から少し離れた下町の外れにあるそこは、学校とは言うものの建物自体は使われなくなった教会らしく、老朽化は進んでいるが厳かな印象だった。

周囲を隔てる門はあったが、もちろん衛兵もいなければ鍵もかかっていない。

『つまり、誰でも入ってよろしいということね?』

スカーレットがそう嘯いて微笑む。どうやらランドルフも同感のようだった。コニーは若干気が引けたものの、他に方法があるわけでもないのでそのまま敷地内へと足を踏み入れる。

今は休み時間なのか、林檎の木のある庭では生徒であろう子供たちがはしゃいだ声を上げながら走り回っていた。その傍らで彼らの様子を見守っているのはジョセフィンだ。彼女の服装は最初に会った時のように動きやすそうなものだった。

「――“青の秘蹟”はすでに絶版になっている神学書だ」

腕を組んだランドルフが、ジョセフィンたちを注視しながら口を開く。

「内容もだが、当時まだ駆け出しだった天才画家、オルベール・ビジュが装丁を手掛けていることで有名なんだ。オルベールはそれからすぐにミシュリヌス王に才を見出され、若くして亡くなった寵姫メリル=アンのために建てられた小宮殿――グラン・メリル=アンの装飾を一任された。彼は多くの芸術品を残したが、現存する銅版画は“青の秘蹟”の表紙だけだ。そのため美術品としても価値があり、好事家の間では高値で取引されていると聞く。闇競売にでも出品すれば、おそらく家がひとつどころかふたつは買えるだろう」

『わたくしも昔、どこかのご婦人のサロンで一度だけ目にしたことがあるわよ。確かに神秘的で目を奪われる作品だったわね』

コニーがなるほどと頷いていると、背後から声が掛けられた。

「あなた方、ここでいったい何を」

どこか困惑したような表情を浮かべていたのはジョセフィンだ。

「……勝手に、入ったのですか?」

「い、一応、声は掛けました」

嘘ではない。コニーは確かに、入ります、と言った。ただし、非常に小さな――それこそ申し訳程度の声量だったが。

ジョセフィンの眉がぴくりと持ち上がる。

コニーがひっと小さな悲鳴を上げていると、庭の方で何やら言い争う声が聞こえてきた。

「――いきなりなにすんだよ!」

「それはこっちの台詞だ!」

見れば、栗毛と黒髪の男の子ふたりが掴み合いの喧嘩をしている。

コニーは驚いて目を丸くした。ジョセフィンは眉を顰めると、ふたりに近づいていく。

「アラン、ダン。一体どうしたのですか」

すると栗毛の方の男の子が振り返り、ジョセフィンの元へ駆け寄っていった。

「先生、ダンが……! ダンが急におれのことを突き飛ばしてきて!」

言いながら、擦り剝けて血の滲んだ肘を見せてくる。

「ダン、アランが言ったことは本当ですか?」

ジョセフィンが訊ねると、ダンと呼ばれた黒髪の男の子は唇を噛んで俯いてしまった。

彼女は小さく嘆息すると、その場にいた他の子供たちに視線を向ける。

「あなた達も何か見ましたか?」

彼らは遠巻きに様子を窺っていたらしく、答えはすぐに返ってきた。

「……うん。ダンがいきなりアランのことを押し倒したんだ」

「あたしも見た。ダン、すっごく怖い顔してた」

「ぼくもみたよ」

その言葉を聞いた栗毛の子が得意気に胸を張る。

「ほら! 先生も聞いただろ? ダンがぜんぶ悪いんだ!」

すると、ジョセフィンはすっと目を細めた。

「それではアラン、あなたが手に持っているのは何ですか?」

「あ……」

子供の手には継ぎ接ぎだらけのハンカチがあった。

かなり年季が入っていたが、染みもなく綺麗に折りたたまれ、きっと大切に使われていたのだろうと見てとれる。

「それはダンのものでは?」

「……」

アランはばつが悪そうな表情を浮かべたまま黙り込んでしまった。

「許可なく人のものを奪うことを窃盗と言います。立派な犯罪ですよ、アラン」

しかし、どこか不貞腐れた様子の子供からは返事はなかった。ジョセフィンはそんな反抗的な少年をじっと見つめると、表情を変えることなく、なぜかコニーたちの方を向き直る。

「いいですか、アラン。あちらに世にも恐ろしい憲兵隊員がいます。ほら、あの凶悪そうな顔をご覧なさい。おそらくこれまでに何百人もの罪人を葬っているのでしょう。今この瞬間にも、犯罪者を捕まえたくて仕方がないはずです。しかも、噂では幼い子供を甚振るのが大好きだとか」

その声につられたのか、アランがランドルフの方を見る。

次の瞬間、アランの顔からさっと血の気が引いていった。

「ちなみに反省して謝れば許してくれるそうです」

「ご、ごめんなさいいいい!」

間髪入れずに絶叫のような謝罪してくる子供に、げせぬ、とコニーは思った。

「ダンもですよ。理由がどうあれ、暴力は犯罪行為です」

こちらはむっつりと地面を睨みつけたままだった。

ジョセフィンはやはり動じることなく淡々と言葉を続けた。

「ほらあの顔を――」

「……わ、悪かった」

ダンも死神閣下を見るや否や表情を強張らせ、すぐさま態度を一変させた。げせぬ。

ランドルフが無表情ながらそこはかとなく傷ついたような空気を纏っている。

コニーは何とも言えない気持ちになって、元凶であるジョセフィンの様子を窺った。

すると、彼女はその視線を問いかけだと勘違いしたようだった。

「……昔、私も似たようなことがあったんですよ」

そうして訥々と自身の過去を語り始める。

「私の場合は、相手は夏の休暇で屋敷に遊びに来ていた従兄たちでしたけれど――ちょうど、あの子たちくらいの年頃だったでしょうか。大切にしていた人形を奪われて、目の前でぼろぼろにされたんです。取り返そうと決死の覚悟で飛びかかったら、相手が足を滑らせて。それで、そのまま池に落ちて、おおごとになってしまったんです。父にひどく叱られました。事情を私がきちんと説明できれば違っていたんでしょうけれど、私はひどく委縮してしまって。反対に、従兄たちは口がうまかった。けっきょく私だけが悪者にされて、悲しくて悔しくて、屋敷の庭にあるライラックの木の下で泣いて――」

そこまで言うと、ハッと我に返ったようだった。

「……つまらない話をしましたね。それで、あなた方の用件は?」

さてどうやんわりと話を持って行こうかとコニーが考えていると、ランドルフがおもむろに口を開いた。

「――クラバート氏が“青の秘蹟”を所有していたというのは事実ですか?」

いきなり本題である。ぎょっとして婚約者を見上げれば、ランドルフが不思議そうに瞳を瞬かせながらコニーを見返してくる。

「何故、それを――」

ジョセフィンがわずかに目を見開いた。けれど、すぐ理由に思い当たったらしい。

その表情が、純粋な驚きから咎めるようなものへと変わる。

「まさか、昨日のやり取りを見ていたのですか」

コニーが愛想笑いを浮かべながらそっと視線を逸らせば、ジョセフィンは諦めたように小さく溜息をついた。

「……本当ですよ。師が教会に籍を置いていた頃に発表した論文が評価され、褒賞として譲り受けたのだと言っていました。だから、あれは師の誇り――勲章なんです。彼らに渡すわけにはいきません」

『は? もとをただせばそいつがこさえた借金じゃないの。だいたいもう死んでいるんだから、何をしたってどうせ気づかれやしないわよ』

スカーレットが身も蓋もないようなことを言い始める。コニーは必死の形相で「やめなさい」と制止しようとしたが、女王さまはどこ吹く風と知らん顔だ。

「では、他に解決の当てはあるのですか?」

ランドルフが訊ねれば、ジョセフィンは唇を噛んで押し黙った。

「あの……」

重い空気に耐えられなくなったコニーがそうっと手を上げる。

「え、ええと、そもそも、本当に、クラバートさんは借金なんてしていたのでしょうか? しかも、わざわざあんな怪しい人たち相手に。“青の秘蹟”が本当に価値のあるものなら、質屋に入れるなりすればいいような……」

その言葉に、ジョセフィンは少しだけ迷うような素振りを見せた。けれど、疑念を払うように 頭(かぶり) を振りながら「私も最初から信じたわけではありません」と告げる。

「けれど、あの 署名(サイン) は間違いなく先生の筆跡でした」

それに、と言葉を続けながら氷のように冷たい眼差しを向けてくる。

「前にも言ったはずです。あなたたちには関係ないと」

しん、と静寂が辺りを支配する。

先に口を開いたのはコニーだった。

「――ジョセフィンさま」

顔を上げ、しっかりと彼女の瞳を見つめる。

「確かに、私たちは会ったばかりの赤の他人かも知れませんが」

今はまだ受け入れてもらえなくても、それでも、この人はランドルフの 血縁者(かぞく) なのだ。――だから。

「これから親しくなりたいと願うのは間違いですか?」

ジョセフィンは険しい表情のまましばらく口を閉ざしていたが、ふいに顔を背けると、ひどく素っ気ない口調で「勝手にしなさい」と吐き捨てた。