作品タイトル不明
第304話 夢、再び
空は暗く、血の涙を流したような紅く染まった月の光が不気味に注がれる。炎が渦巻く。崩れた瓦礫になじむように、積み重なった骸を焼き焦がし、次々と伝染する。
(―――なぜ…… なぜ、このようなことに……)
地獄の真っ只中で、少女は呟く。その手は紅く紅く鮮血が垂れ、瞳からは大粒の涙を流していた。そして、胸に抱くは最早動かなくなってしまった男の姿。幾重にも刻まれた傷口は深く、そのどれもが致命傷といえるものであった。少女は男の額に唇を当て、祈り捧げる。捧げる先は神か悪魔か、そんなことはどうでもよかった。この人を助けられるならば、何にだって縋る。
(―――あはは、駄目。こんなことをしても、やっぱり駄目。祈って何の意味があるというのでしょうか?)
やがて少女の口から出たのは、乾いた笑いだった。祈りを捧げる間にも、男から流れ出る血は止まらない。生命の源が段々と遠ざかるのが、直接触れている少女には分かってしまうのだ。
(―――この人は、もう助からない。でも、そんなことが許される?)
少女を天を見上げ、手を伸ばす。紅き月を掴み取るような動作はロマンに満ちたものであるが、この場合は違った。少女の美しき顔は死に物狂いというか、狂気染みていたのだ。
(―――もう、後悔はしたくない。私は、私は―――)
月に向かって翳された拳が力強く握られる。己の憎悪を集めるように、決意を固めるように。爪が食い込み、血が血で洗われる。
(―――私は、神を、この世界を許さない。絶対に……!)
呪詛を吐き出す少女の背に、闇を纏ったかのような黒き翼が広げられた。
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―――デラミス宮殿・コレットの寝室
「……また、この夢か」
見慣れぬ天井を目にし、覚醒し切っていない頭を動かす。窓を覗けばまだまだ闇が深く、遅い時間であることが窺えた。意味もなく顔に手を当ててみれば、手汗が酷いことになっている。いや、手だけじゃなくて体中か。
最近、不可解な夢を見ることが多くなった気がする。夢の内容はぼんやりと、漠然としか頭にない。荒れ狂う炎の中に佇む少女。そして少女に抱かれる血塗れの男。顔は――― 駄目だ。思い出せない。普通であればそのうちに忘れるようなものだが、こうも繰り返し見せられては心に引っ掛かる。しかも、夢自体が段々と鮮明に、シーンが長くなっているような感じもするんだよな。うーむ……
「むにゃ……」
隣を向けば、半裸状態のメルフィーナが実に気持ち良さそうな寝顔で寝息を立てている。ああ、そうだったな。やってしまった。やってしまった…… 後悔先に立たずとはよく言ったものだが、俺の場合マジで死の危険が迫るから洒落にならない。主にセラとかセラとかセラとか。アンジェは――― どうだろうな? 選択肢を間違えると拙い気もする。
いや、メルフィーナなら問題はないんだ。エフィルやセラからもお墨付きを貰っているようなもんだしな。俺からプロポーズだってしている訳だし。問題はそうじゃない。そっちじゃない。メルフィーナ だけ(・・) ならどれだけ気が楽だったことか。
「スゥ…… スゥ……」
メルの逆側、詰まり俺のもう片方の脇を見ればコレットが、デラミスのナンバー2が、フィリップ教皇の愛娘である巫女が、リンネ教徒から一身に信頼を浴びる巫女様が静かに寝息を立てていた。 ……半裸で。
「……流石にこれは拙いんじゃないか? 下手すれば国際問題に発展するレベルじゃないか?」
最終的に話をするだけという名目でコレットの部屋へ移動した俺たち。今思えば、最初から全てを疑ってかかるべきだったんだ。装備の調整をするからと、『女神の指輪』をメルフィーナに手渡したのだが、あのタイミングでその話を切り出すのは妙だよな。言われるがまま手渡した俺も色々と動揺していたらしい。
そして流れるような動作で、コレットが部屋に備え付けてあった水をコップに注いでくれたんだ。儀式の後でお疲れでしょう? せめて喉を潤してください。とか言ってさ。氷らしきものは瓶に入ってないのに、キンキンに冷えててさ。何も疑問に思わず飲んでしまったんだよ。それだけコレットを信頼してたってのもあったが、クソ、なぜ俺はいつもいつもどこか抜けているんだ。
「まさか、媚薬入りの水だったとは……」
そう、コレットが用意した水の中には超強力な媚薬が入っていたんだ。鑑定眼で確認したところ、コレットのお手製だった。この狂信者はメルの為なら倫理観無視で本当に何でもやりやがる。指輪による状態異常耐性を失った俺は、それはそれはもうね…… 言い訳をするとすれば、元々好きでもない奴なら我慢できた自信はある。だが、俺の横にいるのは心から愛するメルと、いつも献身的なコレットだ。俺の意思で止めることはできなかった。理性が完全にぶっとんだ。途中から記憶がおぼろげだが、水を口にした瞬間の2人の顔が忘れられそうにない。
というかさ、女神と聖女が媚薬使うってどういうことだよ? 普通ここまでして陥れようとする? メルフィーナは義体だから判断し切れないが、コレットに関しては完全に初めてだったろうが。巫女として、聖女としてそれでいいのか? もっと自分を大切にしなさいと声を大きくして言いたい!
……うん。心の中で愚痴ったら、多少スッキリした。いや、分かってるんだよ。コレットの中では後悔の文字などないんだろう。歪んでいるが、好意は好意である訳だし。これからの接し方にとても困ってしまうが。
「しかしこの汗、夢のせいかと思ったけど、そのまま寝ちゃったからか」
コレットのベッドは3人で寝ても大分余裕があるほどに大きい。肌触りも良く、高価なものであることが素人目にも分かる。ただ、シーツなんか汗で酷いことになっている。そう、これは汗だ。汗なんだ!
「このままじゃ何だし、せめて 清風(クリーン) で綺麗に―――」
「スゥ…… それをなくすなんて、とんでもない…… スゥ……」
「……コレット、起きてない?」
「スゥ……」
寝てる。こいつ、無意識に何てことを言い放つんだ。アレか? アイドルと握手した手を洗わないとか、そういうアレか?
「ふへへ~、あなた様ぁ……」
―――パシィ!
寝相を極めたメルから放たれるバックナックルを受け止める。寝言の声は甘美であるが、手癖は苛烈。ふふ、メルの隣は飽きないぜ。
「おかわりぃ……」
「……また食い物の夢でも見てるんかねぇ」
「大丈夫ですってぇ…… まだ、大丈夫…… まだ、で……」
うん? 危険察知スキルが反応した? ……ハッ!
「これは…… 明日の朝はとんでもなく食べるという兆候かっ!?」
「ふへへぇ……」
うーむ、デラミスの食料貯蔵庫が心配だ。今日はセルジュ相手にかなり消耗していたようだし、その反動が明日に来る可能性は大いにある。いざとなったらクロトの保管にある、対メル用非常食の大型モンスターを出す必要が出てくるかもしれないな。こいつ、最近食事系のスキル取りまくってるから尚更心配だ。
「ふあ…… 変に心配したら俺も眠くなってきたな…… 寝るか」
ばふっ、とそのままベッドに身を投じる。どうせ明日にならねば何が問題になるかなんて分からないんだ。ならば、万全を期す為に睡眠を欲する。ってことで寝てしまおう。うん、どうにかなるさ。寝起きにこのサプライズは衝撃的過ぎだ。
などと半ば投げやりに、疲れ切った体と頭を休ませる。こうして俺の頭からは夢のことなど綺麗に消え去っていた。