軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

掲示板が燃えている

結局、六階層の入口で引き返した。

通路の奥は暗かった。ヘッドライトの光が十メートルで途切れて、その先はただ黒い。壁の材質が五階層までと明らかに違っていた。滑らかな黒い石に、指の腹でなぞれそうなほどくっきりした紋様が刻まれている。触れると冷たい。石というより、金属に近い感触。

モンスターの気配はなかった。ただ、奥に進むほど体にかかる圧が増していく。足の裏が床に吸いつくような感覚。重力が変わったわけじゃない——空気そのものが重いのだ。一歩ごとに、胸の中の空気が押し出されるような圧迫感。

B級ダンジョンの空気じゃない。知っている。この重さは。

「……今日はここまでにしとこう」

配信を止めて、ダンジョンを出た。夕方の空が白く曇っていた。路地裏の空気が薄くて軽い。普通の空気だ。自分がどれだけ重い空気の中にいたのかが、外に出て初めて分かる。

翌朝。吉田食堂。

アパートから歩いて三分の定食屋だ。商店街の端っこで、看板の字がかすれている。引き戸を開けると、出汁の匂いが鼻を包んだ。昆布と鰹節。五年間変わらない匂いだ。カウンター七席。奥のガスコンロの上で、やかんが湯気を上げている。

店主の吉田のじいさんが一人で回している。七十過ぎ。白髪を後ろで束ねて、手拭いを肩に掛けている。朝定食は五百円で、味噌汁と焼き魚と白飯と漬物がつく。

「おう、遥一。今日は早いな」

「うん。昨日から無職だから」

「あらま」

じいさんは焼き魚をトングでひっくり返しながら、眉一つ動かさなかった。この人はいつもこうだ。俺が風邪で寝込んだ時も、スフィアの仕事で三日間ダンジョンに籠もった時も、顔を出せば「おう」と言うだけだった。

「まあ、飯は食えるんだろ」

「今のところは」

「なら大丈夫だ」

味噌汁がカウンターに置かれた。白い湯気が立っている。椀を両手で持って、口をつけた。白味噌。出汁が濃い。舌の上を旨味が滑っていって、胃の底にじんわり沈む。朝一番にこれを飲むと、昨日がどんな日だったとしても、今日はまだやれるような気がしてくる。

焼き魚は鯵。皮がぱりっとしていて、身がほろりとほぐれる。大根おろしに醤油を垂らして、白飯と一緒に口に運ぶ。うまい。

箸を動かしながら、スマホを見た。配信アプリの通知が異常な量だ。画面を下にスクロールしても終わらない。

フォロワー数——二千三百。

「……は?」

「どした」

「いや、なんか……増えてる。すごく」

「何が」

「配信の、その、見てくれる人が。昨日ゼロだったのに」

「へえ。人気者じゃん」

「いや、俺が人気なわけじゃ——」

再生回数を確認した。昨日の配信。十二万回再生。

十二万。

嘘だろ。視聴者二人から始めたんだぞ。何が起きた。

じいさんが漬物の皿を追加してくれた。きゅうりの浅漬け。

「おかわりいるか」

「……もらう」

白飯をおかわりして、漬物で食べた。ぽりぽりと音がする。歯触りのいい音。頭の中がぐちゃぐちゃでも、飯を食ってる間は落ち着く。

アパートに戻って、掲示板を開いた。

「ダンジョン配信総合」のスレッドに、昨日の配信のサムネイルが貼られていた。暗い通路にヘッドライトの光が差し込んでいる画像。再生ボタンの上に「12.3万回再生」の文字。

```

【速報】底辺B級ダンジョン配信のおっさん、ボスを一突きで倒して地図にない階層を発見してしまう

1: 名無しの探索者

昨日たまたまTLに流れてきた底辺配信なんだが

この「おっさん探索者」ってやつがヤバい

B級ミノタウロスを一突きで塵にしたあと

ボス部屋の奥に地図にない通路を見つけやがった

3: 名無しの探索者

見た。は?ってなった

5: 名無しの探索者

B級ボス一突きって最低でもA級上位の実力だぞ

モーション解析したやつがXに上げてたけど

抜刀から突きまで0.3秒だってさ

8: 名無しの探索者

>>5

0.3秒はさすがに盛ってるだろ……

11: 名無しの探索者

>>8

フレーム解析のスクショ見たか? 盛ってない

しかもこのおっさん「B級ボスってこんなもんだろ」って言ってる

自分で何やったか分かってない

15: 名無しの探索者

それより最後の通路だよ

管理局の公式マップで五階層最下層って出てるダンジョンに

六階層以降がある

これ大発見じゃね?

18: 名無しの探索者

>>15

ヤバいよ。未発見の深層なんて、S級以上のダンジョンでも滅多にない

B級扱いのダンジョンの下に隠れてたとか聞いたことない

22: 名無しの探索者

おっさんの正体が気になる

プロフ見ても猫アイコンだけで情報ゼロ

自己紹介欄も空白

26: 名無しの探索者

配信中の身のこなしを見る限り、現役のプロだな

剣の抜きが異常に速い

しかも無駄がない。手首の角度が毎回同じ

十年二十年の実戦経験がないと、ああはならん

31: 名無しの探索者

>>26

わかる。一番ヤバいのはモンスターの処理が呼吸みたいに自然なとこ

考えて動いてないんだよあのおっさん。体が勝手にやってる

本人が自分の速さに気づいてないのが一番怖い

36: 名無しの探索者

ダンジョン管理局のデータベースを調べたやつがおる

C-087の管理者が最近変更されてる

旧:スフィア・コーポレーション

新:篠塚遥一(個人)

40: 名無しの探索者

>>36

スフィアって探索大手だろ

なんで個人に管理権が移った?

43: 名無しの探索者

>>40

最近リストラしたって話が社員の愚痴垢から漏れてる

探索部門の統廃合。ベテラン切りまくったらしい

47: 名無しの探索者

つまりこのおっさん

大手をリストラされて

底辺ダンジョンを退職金代わりに押し付けられた

元プロってことか……

50: 名無しの探索者

>>47

それで視聴者2人から配信始めたのかよ

……泣けるわ

54: 名無しの探索者

次の配信が待ち遠しすぎる

地図にない階層の続き、頼むぞおっさん

58: 名無しの探索者

俺もリストラ経験者だけどこのおっさん応援したくなる

会社にいらないって言われたやつが一人でダンジョン潜って

誰も知らなかった場所を見つけるって

フィクションかよ

62: 名無しの探索者

>>58

リアルタイムのノンフィクションなんだよなあ

```

読み終わった。

スマホを閉じて、テーブルに置いた。画面が暗くなる。部屋が静かだ。

掲示板の人たちが何を言っているかは、なんとなく分かる。でも——「A級上位の実力」とか、「0.3秒」とか、そういうのは分からない。俺はいつも通りに潜っただけだ。B級のボスなんて、スフィアにいた頃の朝の体操みたいなもんで、別に特別なことをしたわけじゃない。

腹が減った。冷蔵庫を開けたら、卵が一個だけ残っていた。

フライパンに油を引いて、卵を割る。白身がじゅっと音を立てた。白飯は朝炊いたのが残っている。卵かけご飯にしようかと思ったけど、目玉焼きにした。なんとなく。半熟に焼いて、醤油を垂らして、白飯に乗せた。黄身を箸で突くと、とろりと流れて飯に染みる。

食べた。うまい。卵はいい。安いし、うまいし、裏切らない。

明日もダンジョンに行こう。六階層の奥がどうなっているのか、気になっている。飯代は稼がないと。

掲示板のことは——まあ、気にしても仕方ない。気にしたところで、俺は俺だ。

あの通路の先に、何があるのか。それだけが、知りたい。