作品タイトル不明
第五十六話 面倒な試作
ギルは作業場の端に並ぶ試作品を軽く見て回った。
馬車用の部品も、炭の試作も、前に見た時より少しずつ形になっている。職人たちは進み具合を話したがったが、今日のギルには別に頼みたい物があった。
「新しく保存食用の容器を考えているんだがな」
その言葉に、近くにいた職人たちがちらりと顔を見合わせた。
また若様が何か思いついた。
声に出した者はいないが、そんな空気が少し流れる。
「保存食、でございますか」
「ああ。干し肉や塩漬け肉も悪くはないんだが、あればかりだと飽きる」
「それはまあ、そうでしょうな」
「もっと美味い物を長く持たせたい」
ギルは手元にあった小さな木片をつまみ、何となく容器の形を思い浮かべた。
瓶詰め。
缶詰。
前世では当たり前にあった。だが、作り方を細かく知っているわけではない。知っているのは、空気が入らないようにすること、煮ること、しっかり閉じること。その程度だ。
その程度でも、何もないよりはましだろう。
「こう……空気が入らないようにしたいんだ」
「空気、ですか?」
「ああ。容器を煮てから食い物を入れてだな、なんかこう、固く閉じるんだ」
ギルは手を使って、蓋を押し込むような動きをしてみせた。
職人たちは真面目な顔で見ている。
真面目に見られるほど、自分の説明が雑な気がしてくる。
「すると長持ちする……はずだ」
「はず、でございますか」
「細かいところまでは知らん」
ギルは素直に認めた。
「だが、試す価値はあると思う」
「瓶でございますか?」
「瓶でもいい。金属でもいい。捩じ込む感じの蓋がある容器でもいいし、蓋をぎゅっと押さえて閉じられる物でもいい。とにかく空気が入りにくい形が欲しい」
職人の一人が腕を組む。
「中身を入れてから煮るのですか。それとも煮た容器へ中身を入れるのですか」
「そこも試してくれ」
「若様」
「俺もそこまで詳しくない」
ギルは苦笑した。
「だが、汚れた容器に入れるのは駄目だろう。だから容器は煮る。中身も火を通す。で、空気が入らないように固く閉じる。たぶん、この辺が大事だ」
「たぶん」
「たぶんだ」
職人たちは顔を見合わせた。
呆れたというより、いつものことだと思っている顔だった。
こういう時、彼らは最初から完璧な答えを求めない。俺が曖昧に方向を出し、職人が形にして、駄目なら変える。その繰り返しだ。失敗を怒鳴るより、なぜ駄目だったかを拾う方がここでは役に立つ。
「漏れなきゃいいんなら、蝋で塞いじゃ駄目なんですか?」
若い職人が言った。
ギルは顔を上げる。
「蝋?」
「はい。瓶の口を蝋で固めちまうとか」
ギルは少し考えた。
蝋か。
たしかに、瓶の口に何かを塗ったり固めたりしていた気もする。前世で見た酒瓶か何かに、そういうものがあったような記憶がある。だが、それが食べ物の保存にどこまで使えるのかは分からない。
分からないなら、試せばいい。
「やってみよう」
「よろしいので?」
「ああ。駄目なら駄目でいい。瓶、金属、蝋、色々試してくれ」
「中身はどうしましょう」
「最初は水でいいんじゃないか。漏れるかどうかを見たい。次に汁物か、煮た肉でも入れる」
「腐ったらどうします?」
「捨てろ」
即答すると、職人たちが笑った。
「食うなよ」
「食いやしませんよ」
「若様が一番先に試すとか言い出さないか心配で」
「そこまで馬鹿じゃない」
職人たちは微妙な顔をした。
「何だ、その顔は」
「いえ」
「若様なら、少しやりかねないなと」
「やらん」
たぶん。
いや、やらない。
腹を壊すのは嫌だ。いや、治癒魔法があれば大丈夫か?
ギルは咳払いをして、別の職人へ目を向けた。
「金属の容器はどうだ。蓋ごと潰すように閉じるとか」
「一度閉じたら開けにくそうですな」
「開けにくくていい。保存できる方が大事だ」
「熱でくっつける方が簡単かもしれません」
「中に食べ物を入れるつもりだから、熱しすぎるとまずい気がする」
「なるほど」
「ただ、それも試していい。中身を入れずに形だけ作ってみるなら問題ないだろ」
「では、小さい物から作ってみます」
「頼む」
ギルは作業台に置かれた木片を指先で転がした。
美味い保存食。
それが作れれば、迷宮でも旅でもかなり楽になる。干し肉と硬いパンだけでは気分が沈む。塩漬け肉を焼いても食えるが、毎回それでは飽きる。もっとまともな味のものを持ち歩ければ、疲れ方が少し変わるはずだ。
贅沢かもしれない。
だが、貴族なのだ。
贅沢できるところはしていい。
むしろ、快適さを追求して何が悪い。
そう思っていると、作業場の端でダリアが足を止めた。
壁際に、長い金属筒のような物が置かれている。木の台に固定され、半分ほど布をかけられていた。今はほとんど使われていない。失敗作を片づけきれず、端に残しているだけだ。
「これは……?」
ダリアが少し身を寄せる。
「触らんでください」
近くにいた職人が慌てて声を上げた。
「一応、武器なんで」
ダリアはすぐに手を引いた。
「申し訳ありません」
その様子を見ていたレティシアが、小さく息を吐く。
「ああ、あれですか」
ギルは顔をしかめた。
「その言い方は何だ」
「若様が昔、妙な物を作ろうとしていた時の失敗作ですね」
「失敗作って言うな」
「実際、失敗しておりますので」
職人たちの間から小さな笑いが漏れた。
ギルは苦い顔をする。
確かに失敗した。
昔、銃のような武器を作れないか試した。前世の記憶をもとに、筒から何かを飛ばせば強いのではないかと思ったのだ。だが、結果はひどかった。扱いは面倒で安定しない。作るのに手間も費用もかかる。威力や使いやすさを考えると、この世界では弓や魔法の方がずっと現実的だった。
「扱いも面倒で安定しませんしな」
職人が肩をすくめる。
「結局、弓の方が強かったんだよ」
ギルは渋々認めた。
「若様、途中から完全に飽きてましたし」
「飽きてはいない。一応ちゃんと改善することを考えていた」
「三日ほどでこちらへ放り投げましたが」
「三日も考えたなら十分だろ」
「十分ではありませんな」
職人たちはまた笑った。
レティシアは慣れた様子でそのやり取りを聞いている。ダリアだけが、金属筒とギルを交互に見ていた。驚いているというほど大きな反応ではない。だが、また一つ、ギルという男の置き場所に困っているように見えた。
戦場で攻撃魔法を使う。
迷宮へ入り、魔物を狩る。
レティシアを甘やかし、ダリアを連れて帰る。
そして、職人街の作業場で失敗作の武器を笑いながら眺める。
自分でも少し妙な男だと思う。
だが、仕方ない。
思いついたのだから。
「まあ、それは今はいい」
ギルは金属筒から視線を外した。
「保存容器の方だ。小さい物をいくつか作ってくれ。瓶、金属、蝋。どれも試す」
「中身は?」
「最初は水。それから煮た豆か肉。汁気がある方が分かりやすいだろう」
「食べるんですか?」
「様子を見てからだ」
職人たちが少し安心したような顔をした。
「何で安心してるんだ」
「若様がすぐ食べると言い出さなくて良かったなと」
「俺はそこまで信用がないのか」
返事がなかった。
ギルは少し傷ついた。
レティシアが横で静かに言う。
「若様、珍しいものを見ると試したがる癖がございますので」
「レティシアまで」
「事実でございます」
ダリアが小さく目を伏せた。
笑ったのかもしれない。
ギルは見なかったことにした。
その後もしばらく話は続いた。
瓶の口をどう作るか。蓋を回すなら溝がいるのではないか。細かすぎる加工は難しい。金属容器は小さく作れば何とかなるが、大きくすると歪む。蝋は夏場の保管が問題になるかもしれない。職人たちが実際に手を動かす目線で問題を挙げ、ギルは分かる範囲で頷いた。
分からないことは分からないと言う。
その代わり、試すことは止めない。
「失敗してもいい」
ギルは言った。
「ただ、何が駄目だったかは残せ」
「かしこまりました」
「あと、同じ失敗を二回やるな」
「若様も時々やりますが」
「俺はいいんだ」
「ずるいですな」
「若様だからな」
職人たちが笑った。
作業場の空気が少しずつ昼へ傾いていく。
窓から入る光の角度が変わり、作業台の影が短くなった。奥で叩いていた槌の音が一度止まり、誰かが腹減ったなと呟く。すると、近くの職人がそれを叱り、また別の者が笑った。
ギルはそこでようやく空腹を意識した。
朝食は食べた。
だが、城を出て、職人街を歩き、生産拠点を見て回り、ずっと話していた。時間は思っていたより進んでいる。
「もう昼時だな」
ギルが言うと、職人たちの何人かが顔を上げた。
言われて気づいた、という顔だった。
レティシアとダリアも戻ってくる。
「だいたい見たか?」
「はい」
レティシアが頷いた。
「危ない場所は避けましたが、主だった作業場はご案内しました」
「面白い場所です」
ダリアは素直に言った。
灰色の目がまだ周囲を見ている。
「若様がなぜここへ来たがるのか、少し分かる気がします」
「そうか」
ギルは少し嬉しくなった。
城とも戦場とも違うこの場所の面白さが、少しでも伝わったなら悪くない。
「レティシア、金はあるか?」
「はい」
「よし」
ギルは職人たちへ向き直った。
「それじゃ、全員分の昼飯を買ってこい。金はレティシアから受け取れ」
若い職人たちが顔を見合わせた。
誰が行くか、目だけで押し付け合っている。
「若様、わたくしが行きますが?」
レティシアが静かに申し出る。
ギルは即座に首を振った。
「駄目だ」
「ですが」
「万が一があるといかん」
レティシアが少しだけ目を細めた。
護衛はいる。城下でそう簡単に問題が起こるとは思っていない。だが、嫌なものは嫌だ。レティシアに何かあったら、俺の精神が死ぬ。
本当に死ぬ。
ダリアも口を開きかけた。
「では、私が」
「ダリアも駄目だ」
「……はい」
ダリアは素直に引いた。
少し残念そうに見えたが、譲れないものは譲れない。二人を買い出しへ出すくらいなら、若手職人を走らせた方がはるかにいい。
「おい」
ギルは若い職人たちを見た。
「なんか面白くて美味いのを買って来い」
「面白くて、ですか」
「美味いものを?」
「センスは任せる」
若手職人たちは分かりやすく困った顔をした。
「若様が面白いと思う食い物ですか……」
「難しくないですか、それ」
「しかも若様、舌が肥えてるでしょう」
小声が漏れる。
ギルは笑った。
「かまわん。気楽に買って来い」
「気楽にって言われてもな……」
ベテラン職人たちはにやにやしている。
「若ぇの、頑張れよ」
「若様の無茶振りは慣れるしかねぇぞ」
「最初から正解なんか出ねぇから安心しろ」
「安心できませんよ!」
若手が悲鳴に近い声を上げ、周囲に笑いが広がった。
レティシアから金を受け取った若手たちは、何やら相談しながら外へ出ていく。背中に妙な緊張が漂っていた。ギルはその様子を見送りながら、少しだけ満足した。
「若様」
レティシアの声が横から来る。
「今のは若い職人たちへの訓練でございますか」
「ん、そうだ」
「今考えましたね」
「少しな」
「やはり」
レティシアは呆れたように息を吐いた。
だが、声は柔らかい。
朝の拗ねた空気は、もうほとんどない。ギルはそれだけでかなり救われた気分になった。
若手職人たちが戻るまでの間、ギルは保存容器の話をもう少し詰めた。
瓶は作れるが、口を揃えるのが難しい。蓋も同じ形で揃えなければならない。金属容器は小さいものなら試せるが、蓋をどう閉じるかが問題になる。蝋は一番早く試せそうだが、食べ物に匂いが移るかもしれない。
「匂いか」
ギルは眉を寄せた。
「それは嫌だな」
「料理に蝋の匂いがつくと、食えたものではないかもしれません」
「なら、匂いの少ない蝋も探すか。いや、そもそも蝋以外のものでもいい」
「また増えましたな」
「増えたな」
ギルは素直に認めた。
作るものはいつも増える。
だが、増えなければ前へ進まない。
そうこうしているうちに、若手職人たちが戻ってきた。
「戻りました!」
少し息を弾ませている。
手には大きな籠があった。
籠の中には、挽肉を挟んだ焼きたてのパンと、大量の揚げ芋が入っている。肉の焼けた匂いと、揚げ油の香ばしさが一気に作業場へ広がった。
「お」
ギルは目を細めた。
「これは」
「街でかなり売れてました!」
若手の一人が少し誇らしげに言う。
「若様が考えた料理だって聞きました!」
「こっちは行列でしたよ」
「ほう」
ギルは籠から挽肉を挟んだパンを一つ取った。
焼いたパンはまだ温かい。挟まれた肉からは脂が少し染み出ていて、香草の匂いもする。城で最初に作らせた時とは少し違う。店ごとの工夫が入っているのだろう。
一口かぶりつく。
肉汁と塩気が口へ広がった。
「うん、美味いな」
ギルは素直に頷いた。
職人たちがほっとした顔をする。若手たちは特に分かりやすかった。貴族の舌に合うかどうか、かなり不安だったのだろう。
レティシアは慣れた手つきで揚げ芋を取り、ダリアも横からそれを覗き込んだ。
「ああ、これですか」
ダリアは少し納得したように頷く。
「前に若様が作っていた料理ですね」
「お、覚えてたか」
「油の匂いがかなり残りましたので」
ダリアが小さく言うと、近くの職人たちが笑った。
「油の匂いは強いからな」
ギルも揚げ芋を一つ取る。
外は少し固く、中はほくりとしている。塩気も悪くない。揚げ方は城で作らせたものより少し荒いが、これはこれで街の食い物らしい勢いがあった。
レティシアも口に運び、小さく頷いた。
「悪くありません」
「レティシアがそう言うなら、かなり良いな」
「若様は時々、わたくしを基準にしすぎでございます」
「信用しているからな」
レティシアは返事をしなかった。
だが、横顔がほんの少し柔らかくなった気がした。
ダリアは挽肉を挟んだパンも受け取った。
少しだけ眺め、それから小さくかぶりつく。
普段の彼女は表情が薄い。だが、噛んだ瞬間、目が少しだけ動いた。
「……美味しいです」
「だろう」
ギルは満足した。
自分が思いつきで作らせたものが、街で売られ、こうして職人たちの昼飯として戻ってくる。妙な気分だ。発明と言うほど大げさではない。だが、食べ物が広がっていくのは分かりやすく楽しい。
「前に行った店だと、パン包みって呼んでましたな」
職人の一人が言った。
「こっちはパン挟みだったぞ」
「店ごとに名前が違うんだよな」
「肉パンって言ってるところもありましたぜ」
ギルは手の中のパンを見下ろした。
名前めちゃくちゃじゃねぇか。
まあ、当然と言えば当然だ。
そもそも、中に挟んでいる挽肉の料理自体に名前を付けていない。城で作らせた時も、肉を焼いてパンに挟むという雑な言い方で進めた。名前を決めずに広がれば、店ごとに好き勝手呼ぶに決まっている。
うーむ。
めんどくさいな。
「よし」
ギルは顔を上げた。
「これは今日からハンバーガーだ」
職人たちが揃って止まった。
レティシアも、ダリアも、少しだけこちらを見た。
「ハンバーガー?」
若手職人が首を傾げる。
「そうだ」
ギルは勢いで頷いた。
「これは俺が城で考えた料理だからな。ギルバートの料理で、ハンバーガーだ」
「ギルバートとハンバーガー、あまり似てませんな……」
年嵩の職人が困ったように呟いた。
「バーが一緒だろうが! バーが!」
ギルは勢いで押し切った。
職人たちは顔を見合わせる。
どう考えても無理がある気がする。そんな空気は流れていたが、若様本人が妙に満足そうなので、とりあえず頷いておくか、という顔も混じっていた。
「じゃあ、今日からハンバーガーで」
「本当にそれで決めるんですかい……」
「決める。名前がめちゃくちゃだと面倒だ」
「ハンバーガーも十分変な名前では」
「そのうち慣れる」
職人たちの間に、また小さな笑いが広がった。
レティシアは困ったように目を伏せている。たぶん、若様がまた勢いで変な名前を付けた、くらいに思っているのだろう。ダリアはハンバーガーを見下ろし、それから俺を見て、何とも言えない顔をしていた。
ギルはそれらを全部見なかったことにした。
炭の匂いと油の匂いが混じる昼の作業場で、ギルはハンバーガーへもう一度かぶりついた。
肉の旨みとパンの香ばしさが口に広がる。
うん。
名前はともかく、やっぱり美味い。