作品タイトル不明
第四十六話 重たい会議と軽い夢
朝の光が、薄い布越しに寝室へ滲んでいた。
夜の冷たさを少しだけ残した空気の中で、ギルはぼんやりと天井を見上げ、それから隣へ視線を落とした。
レティシアが眠っている。
白い肩が寝具から少しだけ覗き、長い髪が枕へ流れていた。呼吸に合わせて胸が静かに上下している。普段は乱れ一つ見せない女なのに、眠っている時だけは少し無防備だ。
まあ、それでも綺麗なのだが。
ギルは小さく息を吐いた。
今回は、かなり上手くやれた気がする。
以前、一日中レティシアを愛し続けてしまった時は、本気でやりすぎた。途中からレティシアは声も掠れ、最後の方などほぼ意識が飛んでいた気がする。俺もほぼ無意識状態で治癒魔法を使っていたから体は壊していないはずだが、それでもかなり負担をかけた。
反省した。
さすがに反省した。
だから今回はちゃんと加減したのだ。
回数も調整した。
休憩も挟んだ。
水も飲ませた。
うむ。
俺も成長している。
以前の俺なら勢いで最後まで行っていた。
やはり経験は大事だな。
ギルは満足げに頷いた。
……まあ、結局途中からレティシアは意識を失っていた気もするが。
そこは仕方ない。
うん。
仕方ないな。
ギルはそう結論づけながら、寝台の上で横向きになった。
レティシアの寝顔は穏やかだった。
疲れてはいるのだろう。だが、苦しそうではない。少なくともギルにはそう見える。むしろ少し幸せそうにすら見えた。
なら大丈夫だ。
たぶん。
ギルはそっと指先を伸ばし、レティシアの髪を軽く撫でた。
柔らかい。
指の間を滑る感触が心地いい。
こうしていると、本当に平和だなと思う。
帝国の皇位争いだの、腐銀だの、帝都攻撃だの、そんな面倒な話が全部遠く感じる。
いや、実際には全然遠くないのだが。
ギルがそんなことを考えていた、少し前。
マバール城の奥。
厚い石壁に囲まれた秘密会議室では、まだ重たい空気が残っていた。
長机の上には燭台が並び、蝋の匂いと酒の残り香が薄く混じっている。机には書類が積まれ、いくつもの杯が置かれていた。中にはすでに空になっているものもある。
長かった。
本当に長かった。
誰もがそう感じていた。
だが、話し合わなければならない内容が多すぎたのだ。
「……しかし、まさか帝都まで行くとはな」
低い声が落ちる。
発言した老騎士は、片手で額を押さえていた。
「はい」
向かいに座る文官寄りの騎士が頷く。
「少数で動いたこと、そしてアバルディア家という協力者がいたこと。それが良い方向へ働いたのでしょう」
「それでもだ」
別の男が呻くように言った。
「帝都だぞ」
誰も否定しない。
帝都。
帝国最大の都市。
四帝家の力が集まり、皇帝宮が存在し、膨大な兵と騎士が集まる場所。
そこへ攻撃魔法を放った。
しかも個人で。
正気ではない。
いや、正気ではないのに成立してしまったから、今こうして皆が頭を抱えている。
「ギルバート様は、かなり細心の注意を払っておられたようですな」
文官の一人が静かに言った。
「おそらくですが、正体を特定されるような確たる証拠は残していないかと」
「だが、アバルディア家は知っておるぞ」
「それはやむを得ないでしょう」
即座に返る。
「むしろ、もしアバルディア家より新たな皇帝が出るのであれば、大きな借りを作ったと考えてよいはずです」
「本当にアバルディア家から皇帝が出ると思うか?」
「それは分かりません」
文官は正直に言った。
「ですが、帝国内に権力の拮抗を生み出したことは間違いないでしょう。少なくとも、メガレス家が一気に帝国を掌握する流れは崩れました」
「うむ……」
低い唸りが漏れる。
マバール家にとって最悪なのは、帝国が完全に一つへまとまり、その力を王国へ向けてくることだ。内乱は困る。だが、統一されすぎるのも困る。
今回、ギルはそこへ石を投げ込んだ。
しかもかなり大きな石を。
「新たな皇帝が決まるまでは、アバルディア家を支援すべきではないか?」
武官寄りの騎士が言う。
「その考えも分かります」
文官は頷いた。
「ですが、帝国内へ留まれば留まるほど、ギルバート様の正体が露見する危険は高まります」
「知られればこちらが危険、か」
「はい」
短く返る。
部屋の空気が少し重くなった。
マバール家は辺境伯家だ。
国境を守る。
だが、王国への忠誠は絶対。
帝国の皇位争いへ独断で深く介入しているなど知られれば、王国内でも立場が揺らぐ。
だからこそ、ギルは山賊もどきとして動いた。
だからこそ、アバルディア家とも表向きは繋がらない。
その危うい線の上を、今も歩いている。
「それにしても」
別の騎士が苦い顔で言った。
「帝都へ向かって攻撃魔法を放った、か」
「ええ」
「十から二十ほどだったか?」
「そのようです」
「どれほど離れていたのだ?」
問いに、しばし沈黙が落ちた。
誰にも分からない。
「おそらくですが」
感知に優れた騎士が口を開く。
「帝都側から個人を識別できぬ程度には離れていたのでしょう」
「数キロか?」
「その程度かと」
「……信じられんな」
本音だった。
数キロ先の都市へ向け、攻撃魔法を叩き込む。
普通なら話にもならない。
攻撃魔法は距離が離れるほど制御も威力も落ちる。まして都市規模を狙うなど、軍でも難しい。
だが、ギルはやった。
「ギルバート様の魔力容量と魔力強度は、もはや想像の外ですな」
誰かが呟いた。
「考えても仕方あるまい」
老騎士が吐き捨てる。
「ギルバート様以外に出来る者はおらん、少なくとも王国にはな」
その言葉に、皆が黙って頷いた。
そして話は、防衛計画へ移った。
「市街地への城壁建設計画ですが」
文官が書類をめくる。
「今回の件を受け、再検討が必要かと」
「最低でもマバール城から数キロは離さねば意味がない」
「そうなります」
「資材は?」
「それはどうにでもなるでしょう」
文官は淡々と言った。
「問題は期間です」
「どの程度かかる」
「おそらく十年以上」
部屋の空気がさらに重くなる。
元々、領都マバール全域を囲う城壁計画は存在していた。
国境領である以上、防衛は重要だ。
だが、今回ギルがやったことは、その前提を根本から崩してしまった。
数キロ外から攻撃されるなら、従来の城壁にどれほど意味があるのか。
防衛の常識が揺らいでいる。
沈黙の中、ガルシアが静かに手を上げた。
「計画は一時中断とする」
「はっ」
全員が即座に応じる。
辺境伯の決定は絶対だった。
ガルシアは感情を見せない。
酒も入っているはずなのに、顔色一つ変わっていなかった。
「次だ」
短い言葉で会議は続く。
「腐銀、か」
老騎士が低く言った。
「伝説だと思っておりました」
「無理もない」
「これまで確認されたことがないからな」
腐銀。
王国内でも存在自体が半ば伝説扱いされていた代物。
それがフリージア家にある可能性。
重い。
非常に重い。
「待て」
文官の一人が眉を寄せた。
「ギルバート様も、腐銀については見ただけで確認はしておられんはずだ」
「どうやって確認するというのだ」
即座に返る。
「ギルバート様自身の肉体で確かめろとでも言う気か?」
「そうは言っておらんが……」
「この状況、この時期で出してきたのだ。本物と考えるべきだろう」
「うむ。偽物なら、わざわざ見せる意味がない」
皆の表情が険しくなる。
「フリージア家、か」
「どうする?」
「どうにも出来んだろうな」
誰も軽々しく動けない。
腐銀が本物なら、扱いを誤れば大惨事だ。
だが、現物がない以上、対策も難しい。
「少なくとも」
文官が静かに言った。
「アバルディア家は、我らが腐銀の存在を知ったことを理解しているはずです」
「アバルディア家は、それをフリージア家へ伝えると思うか?」
「伝えられんでしょう」
「なぜだ」
「ギルバート様のことも同時に話さねばならなくなる」
納得したように数人が頷いた。
アバルディア家も、ギルの存在を表へ出したくはない。
それは彼らにとっても切り札だからだ。
「しかし、なぜギルバート様へ腐銀の話を?」
「おそらく安全保障ですな」
「安全保障?」
「もしアバルディア家で不自然な死が出たなら疑え、と言っているのでしょう」
「なるほど」
「そして、我らに腐銀の情報を渡した以上、こちらへ向けるつもりはないという意思表示でもある」
「そちらはアバルディア家を疑うな、か」
「ええ」
しばし沈黙。
「対策は?」
「現物が無ければ、やりようがあるまい」
「もしこちらへ不審が向けば」
武官が口元を歪めた。
「アバルディアとフリージアを攻める」
「うむ」
冗談ではない。
本気だ。
だが、だからこそ空気が少しだけ緩んだ。
「それこそ、もう一度ギルバート様に帝国内で暴れていただくか」
「今度はアバルディア家へ攻撃魔法を放ってもらうか」
小さな笑いが漏れる。
重たい会議の中で、ようやく出た笑いだった。
「不審があれば報告、警戒継続ということでよろしいでしょうか」
「うむ」
「それしかあるまい」
そこでようやく、話題が少し変わった。
「ギルバート様は、今どうされておる?」
「お眠りでしょうな」
「様子は?」
「普段とあまり変わっておりませんでした」
「……ご自分がどれほどのことをしたのか、分かっておられんのだろうな」
「ギルバート様には、そういうところがありますからな」
苦笑混じりの声が漏れる。
「そういえば」
別の文官が思い出したように顔を上げた。
「ほれ、ギルバート様が考えられた料理」
「肉のパン挟みか?」
「そう、それだ」
「食ったぞ」
「どうだった」
「なかなか美味かった」
「うむ。掴んで食えるのが良い」
「軍でも採用してはどうだ」
「作り方自体は難しくないようだからな」
「城下でも売る店が出たらしいぞ」
「ほう、早いな」
「味付けはそれぞれ違うようですが、なかなか好評とか」
少しずつ、空気が緩む。
戦争や腐銀や帝都攻撃だけでは、人は疲れる。
だからこういう話題が必要になる。
「そういえば」
老騎士がにやりとした。
「ギルバート様が女を連れ帰ったそうだな」
「ああ」
即座に反応が返る。
「平民の女だとか」
「見た者に聞いたが、あまり胸は大きくないらしいぞ」
「ん?」
「ギルバート様は胸の大きな女がお好きではなかったか?」
「多少、尻の大きな女のようだが胸はそれほどらしいぞ」
数人が妙に真剣な顔で頷いた。
「好みが広がったということか」
「それならそれで良いことだが」
「平民か……」
「まあ、別に構わんだろう。練習と思えば」
「うむ、そうだな」
極めて真面目な空気だった。
誰も笑っていない。
彼らにとって、魔力持ちの子を増やすことは貴族の重要な責務だ。ギルほどの魔力を持つ男なら、なおさら。
だから、女の好みすら重要な情報になる。
「ですが」
文官が口を開く。
「好みが広がったのであれば、お側に仕える女たちも変えた方が良いのではありませんか?」
「だが、レティシア殿への執着が無くなったわけではあるまい」
「うむ。あまり一気に変えて重圧になっても困る」
「確かに」
そこで、壁際に控えていたメイド長が静かに答えた。
「レティシアへの執着は変わっておりません」
「そうか」
「ふむ。やはり胸か?」
「そう決めつけることもありますまい」
「ギルバート様はまだお若い」
「はい」
メイド長は淡々と続ける。
「ですので、今後はお側に仕える者の種類を少しずつ増やしていこうと思います」
皆が頷いた。
本気だった。
実に本気だった。
ガルシアだけは最後まで表情を変えない。
「基本方針としては、帝国を注視しながら警戒継続、ですな」
「うむ」
「これまでと変わりませんな」
「変わらずにいられること自体が、ギルバート様の成果だろう」
「うむ」
そして。
「だが、ギルバート様の周囲の女は増やさねばな」
「うむ。胸の小さな娘がおる家にも声をかけよう」
真剣な声だった。
ガルシアが静かに口を開く。
「これまでとする」
「はっ!」
全員が頭を下げる。
長い会議は、ようやく終わった。
そして現在。
朝の寝室。
ギルは隣で眠るレティシアを見ながら、真面目な顔で考えていた。
そういえば。
一日中裸デーはいつにするかな。
以前からちょくちょく考えている計画だ。
服を着せない。
一日中。
朝から晩まで。
かなり夢がある。
ただ、今すぐは難しい。
ダリアも来たばかりだし、城に慣れていない。レティシアとの距離感もまだある。使用人たちの空気もある。
うむ。
やるなら、もう少し後だな。
ダリアが城に慣れてから。
その頃には、もしかしたら。
もしかしたらだけど。
あくまで、もしかしたらだけど。
ダリアも一緒に――。
ギルは真剣に考え込んだ。
いや、まだ分からない。
可能性の話だ。
だが、もしそうなったら。
夢が広がるなぁ。
ギルは満足げに頷いた。
隣で眠るレティシアは、もちろんそんなことは知らない。
朝の光の中、静かな寝息だけが寝室に溶けていた。