軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三十九話 腐銀の仮説

宿屋の部屋に入っても、ギルの頭から銀灰色の粉は離れなかった。

ルクレ家の屋敷を出てから、街道をしばらく進み、日が傾く前に適当な宿場へ入った。大きな街ではない。石畳は中心の通りだけで、外れは土の道のままだ。荷車が通るたびに乾いた土が舞い、厩の近くには馬糞と藁の匂いが濃く残っている。宿屋も立派とは言い難いが、部屋をいくつかまとめて押さえるにはちょうどよかった。

セバスチャンが金を出し、主人は余計な質問を飲み込んだ。

帝国内では、最近どの宿でも似たような顔をされる。

旅人は増えている。護衛を連れた商人も多い。貴族屋敷が焼かれている噂は流れているが、誰がやったかは分からない。だから宿の主人たちは、怪しい客を見ても簡単には追い出さない。金を払うなら泊める。深入りはしない。騒ぎになれば知らなかった顔をする。

実に賢い。

ギルたちは二階の奥の部屋を使った。

窓は小さい。壁は薄い。廊下を歩く足音も聞こえる。密談には向かないが、完全に静かな屋敷よりは逆に紛れやすい。騒がしい宿では、小声の会話が一つ増えても目立たない。

ダリアも変わらず同行している。

彼女は部屋の隅に立ち、濡れた外套を軽く払っていた。灰色の髪には街道の埃が混じり、褐色の肌には疲れの色が少し見える。だが、姿勢は崩れない。アバルディア家の人間としてなのか、汚れ仕事に慣れた者としてなのか、彼女は感情を顔に出すのが上手くない。

いや、出さないようにしているのだろう。

セバスチャンは椅子に腰を下ろし、宿の厨房から持ってこさせた焼き肉を手にしていた。相変わらず遠慮がない。部屋へ入ったばかりだというのに、もう食っている。実に図太いクソじじいである。

ギルは窓際の椅子に座ったまま、しばらく黙っていた。

窓の外では、宿場の通りを商人が歩いている。荷車を押す男、桶を抱えた女、馬番の少年、酒場へ向かう兵崩れらしい男たち。夕方の宿場は忙しい。誰も彼も自分の荷、自分の飯、自分の寝床に意識を向けている。

その日常の裏で、帝国の四帝家は腐銀なんて物を抱えている。

まったく、面倒だ。

ギルは指先で机を軽く叩きかけ、途中でやめた。

音を立てる必要はない。

「セバス、ダリア」

「へい」

「はい」

「少し話す」

ギルがそう言うと、セバスチャンの目が細くなった。肉を食べる手は止まらないが、意識は切り替わっている。ダリアも外套から手を離し、壁際から一歩近づいた。

「他は?」

セバスチャンが聞く。

「外と廊下を見させろ。近くに寄せるな」

「へい」

セバスチャンが扉を少し開け、短く指示を飛ばした。廊下にいたオルドの返事が聞こえる。足音が二つ離れ、別の足音が階段近くで止まった。ギルは感知魔法を狭く使い、周囲の魔力反応を確認する。魔力持ちは仲間だけ。平民は分からないが、扉の近くはセバスチャンたちが見る。

これで十分だ。

ギルは二人を見た。

「腐銀について考えたい」

ダリアの表情がわずかに硬くなる。

セバスチャンは肉を置いた。

珍しく、ふざけなかった。

「あれは本物なのか。なぜ今、フリージア家がアバルディア家へ持ち込んだのか。そこが分からない」

「若様はどう見てるんで?」

「分からん」

ギルは正直に答えた。

「本物かもしれないし、偽物かもしれない。腐銀という名前を使った脅しかもしれない。だが、アバルディア家は無視できない。俺も無視したくない」

「まあ、あれを見せられたら、そうなりやすな」

セバスチャンは低く言った。

ギルはダリアへ目を向ける。

「ダリア。帝国の家関係で分かる範囲でいい。フリージア家は、今なぜアバルディア家に腐銀を持ち込む?」

ダリアはすぐには答えなかった。

考えている。

彼女はアバルディア家の関係者で、帝国内部の家関係には一番詳しい。だが、だからといって何でも分かるわけではない。特にフリージア家が裏で何をしているかなど、簡単に断定できる話ではない。

「フリージア家は、現在かなり守りを固めています。表向きは沈黙していると言ってよいかと」

「それはエレオノーラ殿も言っていたな」

「はい。ですが、密使を出した以上、何かを伝える意思はあるはずです」

「要求は分からない」

「エレオノーラ様が伏せた可能性もあります」

「だろうな」

そこは仕方ない。

アバルディア家が全てを話す理由はない。こちらも全部は話していない。互いに利用し合っているだけだ。信頼などという言葉で包むほど、甘い関係ではない。

セバスチャンが肉の脂を指で拭いながら、ぽつりと言った。

「詫びなんじゃないですかい?」

ギルはそちらを見た。

「詫び?」

「へい」

セバスチャンは椅子の背に軽くもたれた。

「フリージアとやらは腐銀を持っている。もしかしたら作れるのかもしれやせん。だが、使ってはいない」

「つまり、使ったのは別のやつか」

「そうです」

セバスチャンは口元を歪める。

「詫びに、その使ったやつのことを教えたんじゃないですかい?」

「ふむ」

「腐銀を出したのは、これが使われたって証拠みたいなもんで」

「腐銀が主役じゃなく、腐銀を使った者がいると示すための物か」

「へい」

ギルは黙った。

悪くない仮説だった。

フリージア家が腐銀を持っている。だが、アバルディア家の男子を殺したのはフリージア家ではない。別の家が使った。フリージア家はそれを知らせるため、腐銀そのものを持ち込んだ。

詫び。

告発。

警告。

どれとも言える。

「なぜ今?」

ギルは問いを重ねた。

「追い詰められたからじゃないですかい?」

「誰が」

「フリージアが」

セバスチャンの声は軽いが、目は笑っていない。

「今の帝国は荒れてやす。メガレスは割れ、ザザントは疑われ、アバルディアは選ぶ側になりかけてる。フリージアは黙ってりゃ安全かもしれねえが、黙ってるだけじゃ後で潰されるかもしれねえ」

「だから腐銀を出した?」

「アバルディアに、うちは知ってますぜ、って見せたんじゃないですかい。ついでに、昔の件を全部うちのせいにされても困る、と」

ギルは指を組んだ。

フリージア家が弱い。

少なくとも、今の四帝家の中では強い立場には見えない。防御を固めて沈黙している。だが、その弱い家が腐銀を持っている。もし腐銀が本物なら、それは彼らにとって切り札か、あるいは厄介な荷物だ。

使ったのは誰か。

一番自然なのはメガレス家だ。

もちろん断定は出来ない。

だが、アバルディア家の男子が最も邪魔だったのはメガレス家だろう。帝家第二位とも言えるアバルディア家から男子が消えれば、皇位継承の競争相手が大きく減る。メガレス家が三代続けて皇帝を出せる可能性も上がる。

三代続けて皇帝を出す。

それは大きい。

この帝国で四帝家が交代しながら皇帝を出してきたのだとしても、三代続けば話が変わる。メガレス家は実質的な皇帝家に近づく。そうなれば、多少の醜聞が出ても力で押し切れるかもしれない。押し切れなくても、相手が騒ぐだけで終わる可能性もある。

フリージア家はどう絡む。

メガレス家がフリージア家から腐銀を奪った。

あるいは、フリージア家が生き延びるために差し出した。

どちらもあり得る。

弱い家が強い家に珍しい毒を差し出し、庇護を得る。中世期程度の貴族社会なら、別に不自然ではない。醜いが、醜いことは不自然ではない。

だが、それでも使ったのはメガレス家になる。

正しくは、使わせた、かもしれない。

「ギル様」

ダリアが静かに口を開いた。

「メガレス家が使ったとお考えですか」

「断定は出来ん」

ギルはすぐに答えた。

「だが、筋は通る。アバルディア家の男子がいなければ得をするのはメガレス家だ。ザザント家がやるなら、メガレス家にも使わないと意味が薄い。フリージア家は力が弱い。単独でアバルディア家の男子を削っても、その後に守りきれるか怪しい」

「はい」

「もちろん、全部俺の推測だ」

「承知しております」

ダリアは頷いた。

その顔に驚きは少ない。

彼女も似たような可能性を考えていたのかもしれない。あるいは、アバルディア家でもそういう見方が出ているのか。どちらかは分からない。

ギルはさらに考えた。

死んだ皇帝。

先帝。

その死はどうだったのか。

もし先帝が計画的にアバルディア家男子を排除し、メガレス家から次の皇帝を出すつもりだったなら、後継者指名くらいしていてもよさそうだ。長男、次男、弟。候補が割れている今の状況は、計画的とは言い難い。

それをしていない。

あるいは、できなかった。

「ん」

ギルは眉を寄せた。

「もしかして、先帝って腐銀の副作用みたいなので死んだのかもしれんなぁ」

ダリアの目が動いた。

セバスチャンは黙っている。

「どういう意味でしょう」

「いや、ただの推測だ。計画的に腐銀を使ってアバルディア家の男子を始末したなら、後継者指名くらいできたはずだと思ってな。だが、それをしていない。なら、急に死んだのかもしれない」

「腐銀で?」

「分からん」

ギルは正直に言う。

「ただ、あの腐銀って、もしかして近くにあるだけでも影響があるんじゃないかと思った」

前世の知識が、頭の奥で嫌な音を立てる。

ガイガーカウンター。

放射線。

近くにあるだけで危ないもの。

触らなくても、飲まなくても、浴びるだけで体を壊すもの。

もちろん、腐銀がそうだとは限らない。そんなものと同じ仕組みかどうかも分からない。俺は医者でも科学者でもないし、この世界の毒の専門家でもない。ただ、鈍く光る銀灰色の粉を見た時、妙に嫌な連想が浮かんだ。

魔力を乱す。

治癒魔法で悪化する。

魔力を失って死ぬ。

飲ませる毒だけで説明できるのか。

近くに置くだけでじわじわ影響するものなら、保管している側にも害が出る可能性がある。

「あ〜、ダリア」

「はい」

「もしかしてだが、フリージア家の当主とか貴族って、痩せ型で薄毛が多いとかあるか?」

ダリアが少し驚いた顔をした。

彼女にしては珍しい反応だ。

「……はい。代々のフリージア家当主は、確かに痩せた方が多かったと記憶しています」

「薄毛は?」

「そこまでは詳しく。ただ、髪の薄い方がいたという話は聞いたことがあります」

「ふむ」

偶然かもしれない。

ただの家系かもしれない。

帝家の当主なら苦労も多いだろうし、痩せる者もいる。髪が薄い者などどの家にもいる。これだけで何かを断定するのは馬鹿げている。

だが、嫌な感じがした。

近くにあるだけで削れていくもの。

弱らせるもの。

痩せる。

髪が薄くなる。

前世で見聞きした何かに似ている気がする。

全部、ただの連想だ。

それでも無視したくない。

「ダリア」

「はい」

「エレオノーラ殿に、くれぐれも腐銀を近くに置かないように言っておけ」

ダリアの顔から少し色が消えた。

「そこまで危険だと?」

「分からん。全部推測だ」

ギルは正直に答えた。

「だが、もし俺の考えが当たっているなら、持っているだけでも危ない可能性がある。封をしていれば安全なのか、箱に入れていれば大丈夫なのか、それすら分からん」

「すぐに伝えます」

「急ぎすぎて目立つなよ」

「はい」

ダリアは頷いた。

セバスチャンが低く口笛を吹く。

「厄介な代物ですな」

「ああ。屋敷を焼けば済む敵の方が、まだ分かりやすい」

ギルは椅子の背にもたれた。

腐銀。

フリージア家。

メガレス家。

先帝の死。

アバルディア家の男子。

そこまで考えたところで、もう一つ嫌な疑問が浮かんだ。

妙に弱いフリージア家が帝家に選ばれたのも、もしかして腐銀絡みか?

ギルは天井を見上げた。

古い梁が見える。煤で少し黒ずんでいる。宿屋の天井など見ても答えは出ない。だが、考えは止まらなかった。

もしそうなら、かつての帝家は皆、フリージア家の腐銀を知っていたのかもしれない。

あるいは、知っていたが長い時間の中で記録が失われた。

メガレス家だけが、その記録というか記憶を残していた。

なら、かつてのフリージア家は腐銀を誰に使った?

帝国内の政敵か。

それとも王国か。

もしかして、マバール家か?

そこまで考えて、ギルは顔をしかめた。

さすがに飛びすぎか。

だが、完全に捨てるには嫌な方向だった。

王国の国王で、妙な死に方をした者はいたか。マバール家の当主で、魔力を失ったように死んだ者はいたか。家の古い記録には、病死、急死、戦死などいくらでもあるだろう。その中に、腐銀を疑えるものが混じっていても、今の俺には分からない。

今さらだが、帰ったら調べよう。

マバール城の書庫には古い記録もある。父上や文官連中なら、家の当主の死因や王国史の妙な箇所を知っているかもしれない。もちろん、腐銀などという名前が出ているとは限らない。だが、魔力を失った、治癒魔法が効かなかった、急に衰えた、そういう記録ならあるかもしれない。

帰ったら。

その言葉が少しだけ胸に引っかかった。

帰る。

レティシアのいるマバール家へ。

豆の調味料と茶葉を持って。

そのためにも、ここで死ぬわけにはいかない。

「若様」

セバスチャンが声をかける。

「随分遠くまで考えてやすな」

「考えすぎかもしれん」

「かもしれやせんが、若様の考えすぎはたまに当たりやすからねえ」

「嫌なことを言うな」

「へい」

セバスチャンは笑った。

その笑い方はいつもの軽さを含んでいるが、目は油断していない。

この男も、腐銀を軽くは見ていないのだろう。

「とりあえず決めるぞ」

ギルは姿勢を戻した。

「腐銀らしきものを見つけても触るな。近づくな。持ち帰るな。封がされていても信用しない」

「へい」

「屋敷を襲う時も、妙な銀灰色の粉や壺、箱があれば俺に知らせろ。ただし触るな」

「火で焼くのは?」

「分からん。焼いたら煙で広がるかもしれん」

「うへえ」

「だから触るなと言ってる」

セバスチャンが顔をしかめた。

普段なら火で燃やせば済む物も、今回はそうはいかない可能性がある。毒なら焼けば無害化するかもしれない。だが、焼いて広がるものなら最悪だ。腐銀が何なのか分からない以上、安易な処理はできない。

面倒極まりない。

「ダリア」

「はい」

「アバルディア家へ伝える内容は絞れ。俺の推測を断定のように伝えるな」

「承知しました」

「腐銀は近くに置くだけでも危険かもしれない。封を開けるべきではない。保管場所は人から離し、魔力持ちを近づけるな。触るなら魔力を持たない者でも慎重に。これくらいだ」

「はい」

「それから、フリージア家の当主や貴族の体質について、可能なら調べろ」

「痩せ型や薄毛について、ですか」

「そうだ。できれば歴代でな」

「分かりました」

ダリアは真剣な顔で頷いた。

ギルはもう一度窓の外を見る。

宿場の通りは夕闇に沈み始めている。酒場の灯りが増え、旅人たちの声が少し大きくなってきた。外の世界は普通に動いている。馬が鳴き、荷車が止まり、子どもが走り、飯の匂いが漂っている。

その裏で、腐銀という得体の知れないものが動いている。

毒なのか。

魔力を乱す何かなのか。

近くにあるだけで危険なのか。

誰が作り、誰が使い、誰が知っているのか。

分からないことだらけだ。

「面倒だなぁ、本当に」

ギルは思わず呟いた。

セバスチャンが笑う。

「若様が面倒って言う時は、だいたい大事ですぜ」

「今回は本当に面倒なんだよ」

「でしょうな」

「敵なら焼けば済む。屋敷なら壊せば済む。貴族なら頭と心臓を攻撃魔法で貫けば済む。だが、これはそういう話じゃない」

「腐った銀の粉相手じゃ、剣も効きやせんしねえ」

「そういうことだ」

ギルは腕を組んだ。

俺は魔法の天才ではない。

前世知識とバカ魔力で既存の魔法を上手く使っているだけだ。攻撃魔法で貫くことも焼くこともできる。感知魔法で魔力を拾うこともできる。だが、腐銀の正体を一目で見抜く力はない。

分からないものは、調べるしかない。

だが、近づくのは危険かもしれない。

実に腹立たしい。

「若様」

ダリアが静かに言った。

「アバルディア家へ伝える件、早い方がよろしいかと」

「ああ。ただし、すぐにこの宿から出るな。目立つ」

「では、夜が更けてから」

「任せる」

「はい」

ダリアは小さく頭を下げた。

ギルは彼女を見ながら、少しだけ考える。

魔力を持たないダリアは、腐銀の影響を受けにくいのかもしれない。

だが、それも断定できない。

魔力持ちに効く毒という噂があるだけで、魔力を持たない者に完全に無害とは限らない。平民に影響がないから平民の間で伝承として残ったのかもしれないし、ただ効果が分かりにくいだけかもしれない。

やはり分からない。

嫌になる。

「ダリア、お前も無理に近づくなよ」

ギルが言うと、ダリアは少し驚いたように見えた。

「私ですか」

「魔力がないから安全とは限らん」

「……承知しました」

「大事な案内役だからな。死なれると困る」

「はい」

ダリアは短く答えた。

少しだけ表情が変わった気もするが、すぐに戻った。余計な感情は読み取れない。まあ、俺が言った通りなのだから仕方ない。実際、ダリアに死なれると困る。帝国内での標的選びも、アバルディア家との連絡も、彼女なしではかなり面倒になる。

ギルは立ち上がった。

部屋の中を歩く。

狭い部屋だ。三歩で壁際へ着く。引き返す。床板が少し鳴る。下から酒場の笑い声が上がってきた。生きている人間の声だ。何も知らない人間の声。いや、彼らも貴族屋敷が焼けていることくらいは知っているかもしれない。だが腐銀までは知らないだろう。

知らない方が幸せなこともある。

ギルは机の前へ戻った。

「今後の襲撃だが、少し慎重にする」

「やめるんで?」

セバスチャンが聞いた。

「やめない」

ギルは即答した。

「ここで止めたら、ザザント家とアバルディア家の流れが弱くなる。メガレス家への圧も足りない。仕事は続ける」

「へい」

「ただし、腐銀を持っていそうな場所には無理に踏み込まない。フリージア家系は軽く荒らすにしても、屋敷の奥へ深入りしすぎない。怪しい物があれば撤退も考える」

「山賊らしくねえ慎重さですな」

「上品な山賊は長生きするんだ」

「そりゃ初耳で」

セバスチャンが笑う。

ギルは少しだけ口元を緩めた。

笑えるうちはまだ大丈夫だ。

腐銀がある。

帝国が荒れている。

フリージア家が動いた。

メガレス家が怪しい。

ザザント家は追い詰められ、アバルディア家は選ぼうとしている。

面倒なことは増えた。

だが、まだ詰んではいない。

手はある。

情報を集める。

距離を取る。

怪しいものには触らない。

必要なら焼く。

必要なら貫く。

そして、生きて帰る。

ギルは窓の外をもう一度見た。

夕闇の向こうで、宿場の灯りが揺れている。遠くの街道は暗くなり、どこへ続いているか分かりにくくなっていた。だが、道はある。見えなくても、進める。

帰ったら調べることが増えたな。

王国の記録。

マバール家の当主の死。

妙な病死。

魔力を失った例。

腐銀。

レティシアへの茶葉と豆調味料。

いや、最後の二つは忘れてはいけない。

ギルは小さく息を吐いた。

「本当に、面倒だ」

その声は、今度は誰にも拾われないほど小さかった。