軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

怖い怖い

狒々色金の細長い棍を手に、エーミールは空中に躍り出る。

(危ねーっ!)

全てが咄嗟の判断だった。

執務室の中、殺気を感じ、方針の変更を笛で部下たちに伝えた。殺気から身を守るよう、闘気を限界まで賦活した。

次の瞬間だった。部屋の全てが自分に向けて殺到するように全てが砕けた。

瓦礫に全方位から圧縮されて潰される。高層の室内では通常はあり得ない事象が自身を襲い、その瞬間、全ての謎が繋がった。

攻めてきたのだ。この副都ミールマンに、ごく少数のムジカル兵が。

この副都ミールマンに詰めている第三位聖騎士団、またはその団長である自分に対抗できるムジカル兵が。

そのムジカル兵の階級は、おそらく五英将。

そしてこの超強力な念動力とも思える事象は、魔法によるもの。

五英将のうち、魔法使いは三人。

ラルゴはあり得ない。南側の指揮を投げだし、北側に単身来ることは考えられない。

フラムはないだろう。彼女ならば、毒虫や魔物の襲来が森の異変となり、部下は必ず察知する。襲撃に準備が必要な彼女の場合、報告が上がらないわけがない。

だから、答えは一つ。

(〈眠り姫〉トリステ・スモルツァンド……! いけるか!?)

迫り来る瓦礫を蹴飛ばし、棍で弾いて空中へと脱出する。

一瞬遅れて執務室は半ば消失するように抉れて崩れた。飛び降り、建物の外壁を蹴り宙を舞うエーミールは、その瓦礫も足場に空中で姿勢を立て直す。

それから近くにあった無事な建物の屋根に飛び移り、また腰の笛を手に取る。

悩む暇などない。部下たちからの敵影の報告はなかった。つまり、部下たちが姿を確認していない遠間から、敵はこの街を攻撃した。ならば続けて二度三度ない保証などなく、既に一刻の猶予もままならない。

エーミールの脳内で、ミールマン周辺の地形図が展開される。

攻撃された五つの塔の高さ、角度から、それを周囲から見た場合の風景も含めて。

(四班が一番近いか)

考えるのはトリステの目的。

戦略的な目的は、第三位聖騎士団の排除、もしくはここミールマンの占領だろうと当たりをつける。

それはそうだろう。秘密裏に隠れて通過するならばまだしも、敵はここまで大規模な攻撃を仕掛けてきている。これは攪乱、という可能性も残るが、しかし五英将の使い方としては些か贅沢だ。一時的な攪乱はあるかもしれないが、それにしても最終目標はここの陥落で間違いないだろう。

しかし戦術的な現時点の目標は。

トリステの初撃は、五つもの塔を一度に破壊するという大規模なもの。

何故それを行ったのだろうか、とエーミールは考える。

理由としていくつも思いつく。

目につく建物を襲った、というのが簡単なもの。

重要拠点に見えたから、というのが少しだけありがたいもの。

一番考えたくないのが、エーミールがそこにいたから、というものだ。

(考えすぎであってくれよ?)

蛇を叩きつぶすとき、狙うは頭だ。どれだけ長大で力強い蛇でも、頭を潰せば動かなくなる。

お手本のような連携を取って狩りをする野犬の群れでさえ、その統率を取る長の首を取ってしまえば、複数の野犬それぞれ一匹が残る。

エーミールにとって一番嫌な想像。

それは、トリステが自分の首をまず取りに来たということ。更にもしも仮にそれが成就したとき、この聖騎士団の連携を断ったトリステは、何をするのだろうか。

吹いた笛は、索敵の命令。笛に込められた闘気が遠くまで聞こえない音を飛ばす。

考えるのは周囲から見たミールマンの姿。周囲の地形から考えて、たった今破壊された塔が、他の塔に比べて目立って見える場所。探すべきはまずそこで、きっとそこにトリステがいるだろう。

いてほしい。いてくれないと困る。

仮にそこに誰もいなかったとしたら、エーミールにとって、今回は想定よりも更に手強い敵を相手にすることになる。

願うようにしつつ、四班の探す先を見る。

建物や街を囲む城壁に遮られて見えない先。きっと、そこにある丘に彼女は……。

僅かな時間の後、祈るエーミールの腰の音叉が震える。

定められた周期で断続的に繰り返される震え。本来簡単な情報のやりとりだけを行う方法であるが、第三位聖騎士団では工夫を加えて複雑化し、高度な意味のやりとりまでも行えるように訓練した信号。

"発見、二人"

「よしきた!」

部下に待機の信号を送りつつ、エーミールはそれからの算段をつけ始める。

見つけたとはいえ、相手はおそらく五英将。もしくはエーミールの目算が外れていても、最低限単身で第三位聖騎士団を始末できる能力を持つ相手だ。

エーミールの率いる第三位聖騎士団は、五人一組の小隊を作り、それを一つの班として運用する。だが、それはつまり五人。現在敵影を発見した一つの班だけで対応できる相手ではあるまい。

やるならもう少し戦力が必要だ。部下たちを集結させて確実に始末するか。それとも、最も危なげなく始末するならば自分が出るか。

エーミールは考えて、空を見上げる。

これからどうする、と半ば楽しむように。

……いや、それよりもまずは、目の前の光景から目を背けることをやめるべきか。

空にいくつも浮かぶ骸骨の船。吊り下げられた足場には、馬鹿笑いをし続ける裸の人間たち。投身自殺のように街に飛び降りてくる様は喜劇のようで、エーミールにとっては明らかな悲劇だ。

悪霊のように飛び来る顔だけの男は、まるで自分の痛みに頓着する様子もなく手近な建物に頭突きを加える。揺れる塔は簡単に崩れ、また轟音が響いた。

叫び声が響き始める。運の悪いことに、まだ避難を終えていない地区は東側が多い。

民間人が、突然現れた怪物に驚き慌てふためき路地を駆けてゆく。

警報の鐘が打ち鳴らされる。エーミールの立つ四階建ての建物の下も、物々しい足音が増えてきた。

「……よし、きた」

エーミールは乾いた笑いを一つ上げる。

もう確定した。

この街に攻め込んできた人間は、最悪の相手で決定した。もはや違うかもしれないなどとは言えず、考えることすらも無益なことだ。

黒眼鏡の中央、橋を持ち上げて気合いを入れる。

笛をもう一度吹く。

部下たちに命ずるのは、衛兵たちの援護、騎士たちの指揮。

まずは、残っている民間人を助けさせなければ。

笛の音を腰の音叉で聞いたウェイトは、音叉を見ずにその内容だけを把握する。

"各班、強制避難、開始"

反射的に先ほどの建物が崩れた方角を確認する。三班であるウェイトが駐屯、警戒区域として担当していたのは街の北側だった。

街を囲む城壁の上、ミールマン中の建物を見下ろす場所にいた彼は、ちょうどエーミールがいる塔が砕かれるのをその目で見ていた。

その後伝わってきた敵の居場所。今現在、犯人は街の東側の丘にいるらしい。

人数は二人。事前に団長エーミールが団内で周知していた通り、少人数の手練れなのだろう。

「班長、行かないと」

「……ああ」

作戦行動中は、彼が三班の班長だ。部下の声に応えて、ウェイトは城壁から飛び降りる。見上げる高さの城壁は人がそのまま飛び降りることには適さないが、彼らは別。班員五人全員が、近くの家屋を中継の足場として下まで軽やかに辿り着いた。

「フィリップ、アンクは対象貴族をそれぞれ重要度順に確保、二班まで速やかに移送しろ。他は我と共に、逃げる民間人を援護する」

「了解!!」

命じられた二人が駆けてゆく。二人とも、既にこの場合の手順は頭に入っている。

『強制避難』。強制と名がつくそれは、もはや自由意志に任せた避難ではない。聖騎士の職能、法の執行権とエーミールが得た上位貴族の許可による、強制的な避難。

もう少し平たく言えば、拉致といえばわかりやすいだろう。

叫び声が聞こえた。

もはや街の中には普段の喧噪はない。あるのは血生臭い戦場の音、煙。

頷きあってウェイト達三人も駆け出してゆく。

逃げ惑う民間人を衛兵達と共に捕らえ、放り投げてでも強制的に西側へ後退させる。それが今これからの彼らの任務だ。

路地を出て、大通りへ。

この街の空は狭い。路地の中から見上げる空はほとんど線で、日が真上でなければ直接光が入ることすらないほどの。

大通りともなれば、それが少しだけ開けるのが僅かな救いだ。

尤も今は、それが救いとも言いがたいのだが。

「ぐぎゃああぁぁ!!!」

まるで子供が考えた性質の悪い残虐劇だ、とウェイトは思った。

目や口、耳がでたらめについた裸の男女が、おそらく笑いながら一人の男性の首と足をそれぞれ持つ。

まるで雑巾でも絞るように、自身の身体を捻りながら男性の身体をそれぞれ反対方向に捻ってゆく。

ベキベキと響く音は、脊椎が砕けていく音だろう。捻りに耐えられずに裂けた皮膚から血が滴り落ちる。

ウェイトが、裸の怪物に躍りかかる。

手に持つ槍は精妙な動きでその首を切り落とす。怪物の首は嘲るようにウェイトを見てにやにやと笑い、転がり逃げて、あるところまで辿り着くと消えていった。

「…………」

怪物が取り落とした物体には、大丈夫か、という言葉すらかけられない。先ほどまで絞られていた男は苦悶の顔のまま既に絶命し、腹から血と糞便の匂いを漂わせていた。

ウェイト達聖騎士は一瞬視線を合わせてからまた視線を散らす。

これだけにかまけているわけにはいかない。同様の遊びは今まさにこの大通りでいくつも行われているものであり、ただ唯一のものではないのだ。

往来は、既に処刑場だった。

「……散開!! 手当たり次第でいい!! とにかく数を減らせ!!」

もはやまずはそれしかない。

ウェイトは叫び、自らもそれに従事しようと槍を握る手に力を込める。

往来は既に処刑場。

裸の化け物達は目についた人間を片っ端から襲っているらしい。それも、殺す、もしくは食う、という意味ではない。

より正しい表現をするならば、拷問、もしくは折檻。

「ひぃ……!!」

中年女性が短い悲鳴を上げる。四人の化け物が、彼女の四肢をそれぞれ掴んで強引に引っ張る。

悲鳴の内訳は恐怖からが半分、そして痛みが半分。ほぼ同時にどこか軽い間抜けな音が響いたが、それは彼女の四肢の関節が脱臼した音だった。

四人の怪物の胴を薙いで、ウェイトが中年女性を救出する。しかし同時に、女性の四肢が弾けるようにちぎり取られる。

中年女の響く悲鳴は、消え去る怪物の笑い声に掻き消されていった。

目の前で人が殺された。

悔しさと怒りがウェイトの胸中に満ち、槍にまた力が入る。

駆け出しながら怪物達を斬る。襲いかかってきた人間よりも大きな犬のような化け物を斬り伏せて、空から転がり落ちてきた巨大な中年男性の頭部を真っ二つにし。

怪物達が頑丈ではない、というのはウェイトにとって朗報だった。

怪物達は生物では、ましてや人間のような性質は持たないらしい。急所を斬る必要もない。内臓もなく、骨も見られない。ただ形を壊せばそれで消えていくらしい。その程度の脆弱な身体、というのは今はとてもありがたい。

また悲鳴が聞こえた。

「待ってろ、今……!!」

角を曲がり、路地を通り抜け、悲鳴が聞こえる度にウェイトはそちらへと駆けてゆく。

無限か、と思えるほどの化け物達。それに、襲われる人間達。

幸運にも助けられる場合、不運にも間に合わなかった場合。それらをどちらも経験しながら。

「ああありがとうございますっ……!!」

「今はいい、逃げろ!!」

丁寧に頭を下げようとする若い女に向け、叱りつけるように指示を飛ばす。

槍で指し示すのは街の西。もちろん西に移送担当の二班が待機しているからということもあるが、化け物達は東から襲来しているということもある。既にこの街中に避難勧告は周知してある。その取り決めに従えば、万事問題ないだろう。ウェイトはそう願った。

化け物に同じく応戦する騎士や衛兵達もそれに倣うよう、無事な民間人を西へと導く。

ばたばたと駆けてゆく人間達はもはや足音が響くほどに多く、それを背にして空を睨んだウェイトの耳に注ぎ込まれるように届いた。

(……これほど、まだ……)

ギリ、と奥歯を噛みしめながらウェイトは襲来する大きな頭の化け物に躍りかかる。

多い、と思っているのは化け物のことだけではない。

それよりも悔しく、残念なのは、まだ逃げていない者たちがいる、ということ。

切り裂いた化け物を蹴り飛ばし、もう一段高くへ跳ぶ。

蹴りが今まさに地面へと降り立とうと落ちてきていた裸の怪物に当たり、胴を砕いて消し去った。

(リドニックは、あれほどまでに……!!)

涙が滲みそうになるほど悔しいのは、避難の遅れ。

このミールマンに暮らす民は一万ほど。二十日ほどかけて、そのうちの二千人以上が未だ残ったままだった。

それが早いのか遅いのか、ウェイトにはそれを評せるような立場ではない。

しかし、経験があった。それは三年ほど前のこと。北の雪国、リドニックで。

(くそっ!!)

避け損なった大きな赤い犬の豪腕を足に受けつつ、その勢いを利用して身と槍を翻す。

豪腕の威力はそのまま赤い犬の腹を割き、他の悪夢と同様に消し飛ばす。

水天流免許皆伝の腕は、些かも鈍ることなく。

ウェイトは三年ほど前、リドニックで似たような事態を経験している。

北壁と呼ばれるリドニックの北にある白い不可侵の壁。それが膨れあがり、北部の平原から王都までを飲み込もうとした白波事件とも呼ばれる災害の時。

その時、リドニック政府は、王都スニッグの住民を避難させていたはずだ。

猶予はそうなかったはずだ。北壁が膨れあがったと、狼煙を上げてから猶予は一刻もなく。

しかしリドニックの政府、官憲は、素晴らしく速やかにそこの住民を避難させて見せた。

大量の雪車に乗せ、南にある街へと分散させて住民を大移動させた。一日もかからなかっただろう、何せ、あの事件はたった一日の間に起きた出来事だったのだから。

無論、人数は違う。

スニッグの住民はミールマンの半分もいなかったのではないだろうか、とウェイトは推測する。

人数が少なければ避難の手間も少なく、速やかに行動も出来るだろう。

しかし、たった一日だ。

一日で、王都をほぼ無人にして見せた。それも王が避難指揮などを放り出した上で。

(プロンデ、お前も)

あの日死んだ親友の姿を、ウェイトは思い出す。

親友は褒めていた。そのリドニック政府の手腕を。逃げ出した住民達が次の日戻ってきた様を見て、喜んでいたはずだ。

それはそうだろう。

喜ばしいことだ。リドニック政府の手腕のおかげで避難は迅速に済んだ。白波は結局街を襲うことなく引けていったが、実際に街が襲われようとも住民の死者は出なかったのだろう。

自分も、それを見習うべきだとあの日口にしたのだと思う。

なのに、この惨状は、どうだ。

(何故だ……!)

着地したウェイトの革靴が、水溜まりを踏む。赤く嫌な臭いのする水溜まりを。

細かな飛沫が飛び、白い聖騎士の外套を汚した。

そんな汚れなどを気にする余裕もなく、ウェイトは短く跳んで駆ける。街中での軽功は、建物の外壁を使えるために立体的な移動が多い。

(何故、我らにはそれが出来なかったのだ……!!)

悔しさに槍に力が入る。

怪物を切り払う槍が、その後方にあった街灯までも切り裂いて落とす。

斃れる街灯をふと見て、更にその奥へと目の焦点を合わせれば、そこには人影があった。

物陰に身を隠すように小さく身を屈めているのは革の鎧を着た男性。

革の鎧はこの街の衛兵の制服、その一つである。

「ひっ!?」

視線を向けられた衛兵は、びくりと肩をふるわせた。

偶然だった。ここでウェイトと遭遇したのは。化け物に襲われ、闘気を扱えぬ非力さから、命からがら逃げてきて隠れたこの場で。

ウェイトとしては、まったくの無感情だった。

思考したのは、そこに人がいる、程度だ。それが衛兵だと気付いたのはその一瞬後であるし、そして何も咎めようとしたわけではない。

覚えたとしたら、『ここで何をしようとしているのだろう』というほんの軽い疑問程度。

だが、衛兵としてはそうではない。

ウェイトの顔、それにこの街での所業は知れ渡っている。

ウェイトはこの街を離れる少し前、この街の貴族や官吏を『正して』回っていた。

不正あれば暴き、素行悪ければ衛兵である水天流の後輩を使い捕縛する。

身内だろうが贔屓せず、地位高くあろうが手を緩めず。

その様を知り、清廉な男だ、と褒める民もいた。もちろん彼を支持した者も大勢いる。

だがそれ以上に、彼を恐れる者、煙たがる者は大勢いた。

衛兵はもちろん後者だ。

ウェイトの目に留まるような悪徳を重ねてはいないが、それでも仕事をする以上、脛に傷を持つ覚えはある。

そんなウェイトに対する印象の上、今のこの状況。

衛兵は一人で逃げていた。本来彼も任務を帯びている身だ。民間人を逃がし、その盾となるという重要な役目が。

それを投げ出している今、罪悪感がウェイトの背後に炎を見せる。

「……ここで、何をしている?」

「申し訳ありません!!」

状況を確認したい。この近くで逃げ遅れていそうな人間がいないかどうか、保護した人間はどれほどいるのか。それを尋ねようと、口を開いたウェイトに対し衛兵は身を正して謝罪した。

ウェイトは一瞬戸惑い、衛兵は長年の世渡りの経験からその隙を逃さない。

「任務に戻ります!!」

「…………」

恐ろしい。怪物よりも、目の前の男の方が。

急ぎ走り出す衛兵は、ウェイトを見返しもせずに走り去る。

ウェイトは僅かな苛つきを覚えたが、それを無言で見送った。背後に迫る怪物が見えていたために。

舌打ちをしつつ、ウェイトはその怪物を迎撃する。

髪の毛の束のような球体は、肘打ち一つで霧散して消えた。

「さあて、どうすっか」

建物を蹴り、街の上空を駆けるエーミールは、駄賃のように髑髏の風船を破壊しつつ呟く。

時間が経って怪物は増え続けていた。

髑髏の風船は街の東側を覆い、壁を抜ける怪物達はちらちらと魚影のように街中を動き回っている。

人間の悲鳴はまだ少し響いているが、やや少なくなっていた。

街から人が減りつつあるのだろう。それが平和的にか、強制的にかはエーミールにもわからなかったが。

そして、厄介なのが。

「っ……!」

羽と角を生やした鬼のような怪物が、エーミールに対して槍を振るう。

空を飛ぶその怪物は石の肌のような質感で、またうねるような柔軟性に反してその堅牢さも石のようだった。

手に持つ棍を軽く振り、その首を叩き折る。それだけで消え去るような脆弱性は他と同じくエーミールにとってありがたかったが、だがそれよりも厄介ごとが増えたことが気にくわない。

(学習してんな)

見れば、髑髏の風船に混じり石像の怪物もまた増えてきている。

そして石像の怪物は他の怪物達とまた違うものを見せていた。仲間らしき集まりを作り、更にその指揮をする個体を作り、それが手で同胞に合図を送っている。

ある個体が舞い降りていった先で悲鳴が聞こえた。そこは衛兵と騎士が民間人の避難のため、一時作った中継地点だ。

長い時間をかけるとまずい。それはエーミールにそう判断させるのに充分な指標だった。

怪物達から知性を感じる。そして知性の根幹を成す感情も。

どの怪物達からも感じるもの。

それは、悪意。

どうすれば人間達が苦しむのか。どうすれば効率的に人間達を襲撃できるのか。

考え、そして楽しむ力が備わっている。

故に、まずいことがある。

それは自分が、明らかにトリステの居場所へ向かう動きをしていること。

「だから……ほら来たよ」

うひゃ、と小さく呟き、黒眼鏡の下の目を歪める。

街にいつの間にか広がっていた水溜まりのような影。いくつもの建物を無視するように、石の地面に染みこんだ血の塊のような影が、むくりと起き上がる。

真っ暗な影が山のように立ち上がり、くびれ、人の形の影となる。

五階建ての塔よりも高く、そしてその塔も無視するような真っ暗な霧のような身体。

頸はなく、代わりに腕から頭にかけてくびれなく繋がっているような起伏のない身体。おそらく目であろう白い光が霧の中に二つ見えて、エーミールを真っ直ぐに捉えていた。

蒸気を噴き出すような音を立てて、怪物が吠える。

街全体に響き渡ったその声で、貴族の邸宅にしかない窓硝子が割れる音がした。

「……まったく、魔法使いの対応は魔法使いに任せるに限る」

黒い怪物が、にょきりと腕を擡げて掲げる。

もう一声吠えて、エーミールを叩き潰そうと、手に力を込めた……ように見えた。

しかしその腕は、それ以上動かない。

「遅れましたね。ごめんなさい、寝てしまっていまして」

鈴を鳴らすような声がどこかから響く。

黒い怪物にまとわりつくのは、半透明の蛇。表面は石鹸水のように虹色がうごめき、にゅるにゅるとその動きを拘束する。

「や、つーか謝って済む問題じゃねえからな?」

真面目な話をするならば、彼女が最初から来てくれていれば、どれほどの被害がなく済んだことだろうか。

エーミールは抗議の言葉を呟く。その言葉も確かに彼女に聞こえているはずだが。

声を発していた彼女の影を見つけ、塔の上を跳んで彼女と合流する。

大きな帽子、赤い外套、茶色く波打った長髪。そして閉じられた目。

「だって、誰も起こしてくださらなかったんですもの」

精霊使いクロエ・ゴーティエはそう言って笑う。

その後ろで、怪物は半透明の蛇に飲み込まれて消えていった。