軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

血の臭い

スティーブンと一時別れた次の日。

昼過ぎに、僕は今日三つ目の街に立ち寄っていた。

昨日からここまで、街で何かをすることはなく寝る以外は歩き通しだ。

何処の街でも宿泊はせず、野宿をした。雪を山に盛り上げ中で眠る。かまくらでの野宿というのは初めての経験だったが、それなりにいいものだった。

僕が立って歩けないほど小さなかまくらだ。小さな火を焚いておけば暖は簡単に取れる。それに、小さくても風を防ぐには十分だ。夜中に吹雪には遭ったが、特に問題なく僕は朝を迎えることが出来た。

立ち寄る、というのは正確ではない。

朝から、二つの街は通過している。

道しるべに従い歩き続けてきたが、途中立ち寄る街には変わったところがなく、とくに逗留する必要性を感じなかった。

生活様式も町並みも変わらない。人の服装や、たまに聞こえてくる言葉などもとくに変化はなかった。ならば、その他のことも同じようなものだろう。そう思って。

同じように、三つ目の街もそうするつもりだった。

相変わらず、大きなかまくらが立ち並ぶ街。道は交通のためだけに使われており、啖呵売の気配はない。食料品店は店の中に引っ込んでおり、食堂も多分メニューは一つしかない。

代わり映えもしない街だ。

もちろん、建物の中に入ってしまえばそれなりに友好的であるだろうし、僕も別に嫌な印象は持っていない。

けれど、建物の外観すら見せないように雪で覆われているこの街は、貧民街と比べても閉鎖的で、気温以上に冷たく感じた。

この街も、他の街と変わらない。そう思っていた。

「買ってください! 買っていってください!!」

往来の真ん中で声を張り上げている、少女の姿を見るまでは。

年齢は僕よりも少し下だろう。

この国で外を歩く人間にしては珍しく、白いフードは薄く毛皮など入っていない。防寒性は低く、効果があるとしたら、外気に晒されていないという程度だろう。

手袋もない。冷たさからだろう、その手は真っ赤に腫れ上がっている。

定期的に顔を洗う程度はしているのだろう。清潔とはいえないまでも小綺麗な顔。

だがその出っ張り部分が赤くなっており、特に小さな鼻が痛々しい。

間違っていたら失礼どころか、間違っていなくても失礼だろう。

だが、多分間違えてはいまい。

僕はこの国で、日々の食事に事欠く者を、初めて見た気がした。

少女の手には、ぼろぼろにすり切れた籠。その中に、薄紫色の小さな花が詰まっていた。

「お願いします! お願いします!!」

叫ぶその言葉は、その花を買ってくれ、ということだろう。だが往来にはそれなりに人がいるのに、振り返る人も殆どいない。誰の耳にも入らないように、その声はどこかに消えていく。

窓から顔を覗かせるような人もいないということは、もう興味すら持たれないのだろう。

この世界でもそういう意味合いがあるのかはわからないが、多分、もう一つの意味でも。

「買ってくださ……」

珍しく避けずに歩き続けていた男性に、少女は歩み寄りながら声をかける。

けれども、もともと少女自体視界に入れていなかったのだろう。男性は少女に目をくれることもなく、突き飛ばすでもなく押しのけるように歩いて行ってしまった。

その後ろ姿で、少女の声を消すようにして。

残念そうに少女は俯く。まるで、空気のように無視されたことが残念なように。

だが、そう落ち込んでばかりはいられない。

顔を上げ、一度深呼吸をする。その後、また大きな声で『買ってください』と叫びだした。

上手い。

僕はそう思った。

この国に来て、スティーブンに続いて二度目だ。

その 演(・) 技(・) に感心をしたのは。

少女は花売りをして、客に無視された。

健気な彼女はそれでも懸命に、今日の糧を得るために客になってくれそうな人を探し始めた。

そう見える。

本当に、その決定的瞬間を見ていなければ、僕も騙されてしまっていたかもしれない。

だが、僕は見た。

男性客にすり寄っていった彼女の手が、迷いなく男性客の腰の袋に伸びていたのを。

なるほど、日々の食事に事欠く者なのは間違いないだろう。

僕やモスクに近い存在の彼女。だが、彼女は僕らよりも、かつてのハイロやリコに近いのだ。

彼女の生業は、 掏摸(スリ) 。

この国で初めて見た、犯罪を生業にしている子供だった。

これまで、この国で見なかったのは、きっと理由があるだろう。

この国は、孤児に厳しい。

法律や取り締まりがではない。環境自体が厳しいのだ。

まずこの、僕ですら気を抜けば凍えてしまうかもしれない寒さ。僕のような生まれつきの魔法使いや、潤沢な栄養と鍛錬が必要な闘気使いを除けば、野外で生活するのは論外だろう。

それに、食事情も厳しい。畑や田が限られた場所にしかなく、食料を手に入れられる森すらない。鳥などは飛んでくるかもしれない。しかし、実際は他にもいるのかもしれないが、僕が見た鳥はあの苦い鳥だけだ。僕ならば、毎食あれは我慢できない。

つまりこの国は、とてもではないが何の力もない子供が生き抜ける環境ではないのだ。

小さなうちに親に捨てられ、または親が死に野外に出ざるを得なかった子供は、死ぬしかない。

少し前のこの国の事情を鑑みれば、きっとそんな子供は大勢いたのだろう。

革命前、どれほどの期間でかは知らないが五万の民が死んだと聞く。その中に、親となっていた者も大勢いたのだと思う。

一族郎党連帯責任での処刑、などもあるのかもしれない。違う国ではあるが、サーロもそんなことを言っていたし。

だが、そういうものばかりではないだろう。そして生き残った子供は、行く場所がなければ死ぬ。

しかし、彼女は生き残った。

掏摸の手さばきは熟練の域に達していた。昨日今日始めたものではない。流石に同じ場所で繰り返していれば明らかに怪しいので定期的に街を変えたりしているのだと思うけど。

「買ってください、どなたか、花を……」

通り過ぎる人間に弱々しく声をかけていく彼女。

弱々しいだなんてとんでもない。とてもたくましく生きている少女だ。

たくましい。しかし本来、孤児はとても弱い存在だ。働こうにも職はなく、庇護してくれる存在などなく、社会に依存し寄生しなければ生きていけない弱い存在。

罪に手を染めずに生きてくることも出来た僕はきっと恵まれている。

この国がもっと弱ってしまえば、彼女のような存在は一番早く死んでいく。

盗むものもなくなる。彼女らを守ってくれるような存在がいなければまず初めに食糧が尽きるのは彼らだ。

目の前で犯罪が行われた。

本来ならば由々しき事態だ。

衛兵に通報してもいいし、すられた男性にも伝えるべきだろう。

だが僕はその犯罪が、この国がまだ生きているという証拠に感じて、少しだけ安心した。

広場のようになっている十字路。そのそれぞれ対角にいる僕と少女。

その少女の歩み寄る足が、明らかに僕に向いているところでその安心も吹き飛んだが。

我ながら現金なものだ。

先ほど、他人に向けられた犯罪を見過ごしたのに。僕が標的になった瞬間、少女への警戒心が湧き起こるなど。

「花はいりませんかー」

僕を視界に入れないように、往来を歩く人にぶつからないように、少女がさりげない仕草で近づいてくる。

僕もそれとなく離れるように歩き出すが、それでも彼女は追ってくる。僕がまっすぐ歩いて去れば追いつけはしないだろうが、

どうしようか。

走って逃げてもいいけれど、そんな風に逃げるのは少しだけ癪だ。

とりあえず、普通に歩き続ける。

たしか、道を戻れば衛兵の詰め所があったはずだ。その前まで行けば。

いや、そこまで行かずとも、人通りが少なくなれば諦めるだろう。

そう方針を決めて、少しだけ足を速めた。足下で蹴飛ばされる雪の量が多くなる。

「お兄さん!」

だが、そう決めたことを見抜かれたのか、それとも偶然だろうか。僕の後ろから声がかかる。明らかに、僕に向けて。

周囲にはまだまだ人がいるのだ。なのに、僕をわざわざ追ってきて、声をかけた。

……つまり、獲物だと思われた。そういうことだろう。

このまま無視して進めばいい。流石に、無理矢理接触はしてこないだろう。

このまま逃げればいい。

だが、ふと感じた臭い。

この国でも何度か嗅いだ、鉄錆の臭いがほんの少しだけ僕の鼻に触れた。

驚き、足を止めてからゆっくりと振り返る。

振り返るとは思っていなかったのだろう。少女は目を丸くして僕を見る。

「あの、花を買ってくれませんか!?」

必死に作られた笑顔。そのどこにも剣呑な気配は見えない。

籠の中に入っている花は、雪割草に似ていた。だが少しだけ違う。

その花は僕も見たことがある。グスタフさんから、その使い方を聞いたこともある。

しかし、今の僕には不必要なものだ。

「……いえ、私は旅の途中なので、そういったものは……」

「……そうですか」

僕が断ると、残念そうに目を伏せて少女は引き下がる。そのまま本当にどこかへ行くのだろう。そんな雰囲気で。

近づけないと思ってくれたようで何よりだが、それよりも僕には不思議なことがあった。

血の臭いがした。それも、最近の。まだ乾いていないような血の臭い。

臭いにそれなりに敏感な僕だからそう感じるのだろう。多分、実際には乾いている。だが、ここ二三日のものだ。

……怪我をしている?

いや、動きからはそんな風に見えない。怪我をおして歩いている後ろ姿ではない。

彼女の血ではないだろう。

では、どこから?

それを考えている間に、少女が路地裏に消えていく。

僕を掏摸の標的にした孤児の少女。そこから漂う血の臭い。

どうしようか。

面倒ごとだ。だが、少しだけ興味が湧いた。

この国の僕らがどう暮らしているのか。興味本位だが、それを覗いてからこの国を去ってもいいだろう。

今回は、好奇心に従って行動してみようか。

僕は路地裏に足を向ける。

足を踏み入れれば青みがかったその陰が、冷たく僕を迎えた。