軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:信じるのは難しい

連れだった二人の男性が、瓦礫混じりの土を踏む。

目の前に立ち並ぶ半壊した建物。二人は通常庶民が目にすることなどそうそうない非日常の光景を何の気なしに見つめる。それは双方ともに、今まで非日常を生きてきた証だった。

親子といえば離れすぎている。外見の年齢としては兄弟が近い。だが、黒髪と金髪と分かれ、体つきも痩身と筋肉質とまるっきり違う体。兄弟といえるほど似ているわけでもない二人。

「目合わせんなよ」

「……わかってます」

二人のうち大人といえる年齢の金髪の男は、面倒くさそうに目を細め、それでも前を向いたままもう一人の子供に注意した。

もっとも、その注意など不要なものだ。

ここ副都イラインより遠く北方にある副都ミールマン。その街の中で、蔑まれ煙たがられる孤児として、通陽口の住民として生きてきた黒髪の少年モスクは、警戒心と呼べる心が根底から根付いている。

当然、注意した大人の方も同様だ。

レシッドは通陽口で暮らしていたわけではない。けれど、危険や旨い話を嗅ぎ分ける嗅覚は、長年の仕事で研ぎ澄まされていた。

彼らを見つめるねっとりとした絡みつく視線。

隠されているもの、隠す気もないもの。それは様々だが、その目的はどれも変わらない。

値踏みだ。

そこを歩く彼らは獲物たり得るか。奪うために必要な労力と、奪える旨みは釣り合っているだろうか。そうしたことを、その持ち物や仕草から皆必死に読み取っていた。

だが、虎視眈々と見つめている彼ら。幸運にも、彼らは動けなかった。

誰もそこまでは気がついていないが実際は、彼らの秤からすればその二人は獲物たり得ただろう。持っている物資は貴重で、使いようによってはこの貧民街から脱出し、一番街で屋敷を持ち大勢の召使いを侍らせることが出来る。

しかし、彼らにはそこまで読み取る能力はない。生き抜くために培われてきた獲物を見つける眼力だが、それでもその眼力には生来の才能という上限があるのだ。

少し前にこの街を訪れていた探索者は、襲うのは少しばかり難しそうで、旨みは少なそうだった。だが、今回の二人は持っているものによっては、それなりに価値があるだろう。何人かはそう思った。

特に、金髪の男が身につけているケープは、とても良い生地を使っている。ならば襲う価値もあるだろう。そう読み取れた者もいた。それが綿クラゲという最高級の生地を使っている、とわかったのはさらに少なくほんの数人だったが。

だが、彼らは動けない。

この貧民街に足を踏み入れた獲物。獲物たり得るとそう思っても、動けなかった。

懐に忍ばせた短刀を握りしめれば、ちらりと金髪の男の視線が向く。その赤い目が見えるだけで、体が硬直した。鋭い者であれば、金髪の男が指を折り曲げるだけで背筋が凍った気さえした。

彼らは動けない。警戒した強者相手に動かないという能力は、確かにあった。

結果、レシッドとモスクは貧民街の街中を悠々と歩く。

色付きの護衛。それがどれほど贅沢なことかをモスクが知るのは、まだまだ先の話だ。

はたと二人は足を止める。

見上げる先にある割れた看板は、確かにモスクも聞いた、目的地だ。

「ここ、で俺の仕事もここまでだ」

「こんな小さな店……?」

モスクは思わずそう呟く。だって、聞いていた話とは印象が違うのだ。

カラスという同じくらいの子供に聞いた話では、この国で一番信用できる店。

探索ギルドも魔術ギルドも価値を読み取れない希少な物品も、正確に目利きし価値をつける店だと聞いた。

だが、その信憑性もこの店の外観で一気に落ちてしまう。

店の顔ともいえる看板は割れたまま直されておらず、外観もおよそ綺麗とは言い難い。そのような凄腕の店主がいるとは思えない小さな店。

ウェイトという聖騎士に聞いた話の方が、よっぽどわかる。

盗品を扱い、訪れた者の弱みを握り骨の髄まで啜る悪党の店。その言葉のほうが、よほど信用できた。

もっとも、そこまでとも思えない。

そのような悪人であれば、もっと驕奢な印象を持った店を持つ。と、モスクは思う。

金や名誉を求める悪党とて、その金や名誉は使うために求めているのだ。そして初めに求めるのは、外見からと相場は決まっているはずだ。

豪華な宝石で身を飾ることもあるだろう。大勢の人を侍らせ人に見せつけて、愉悦に浸る者もいるだろう。そして、信用とは見た目に直結する、とそういったことに無縁だったモスクも知識としては知っている。

詐欺を働くとしても、まず見た目が重要だ。誰が、襤褸を纏った小汚い醜男に大金を出すものか。

信じられるに足る外観は、人間の見た目と同様だ。

このような小さく汚い店で、旨い話があるなどと誰が信じよう。

なるほど。

モスクは一人納得する。

まだ足を踏み入れてもいない店だ。まだ内情はわからない。

だが、内情について仮説を立てるのであれば。

一つは、そういった悪事を働かないまっとうな店。清貧に尽くし、この治安の悪い貧民街でかろうじて生き残っている店だ。

清く正しい商売をこの荒れた街で行っているため、外観を直す資金もない。

だが、それも違う気がする。この店について話した二人の話を統合すれば、もう一つの仮説の方が有力だと考えた。

もう一つは、そういった外観などを気にする必要がない店。

すなわち、自分から騙す必要がない。皆が騙されにくる店だ。

騙された、という者もいるかもしれない。けれどこの外観だ。およそまっとうな店には思えない。商店自体利用したことなどほぼないモスクですらそう思った。ならば、この店に来て騙されたというのはよっぽどの大馬鹿者だ。そうなるかもしれないことを初めから予感できるはずなのだから。

そもそも、この立地からしておかしい。モスクはそう思いながら周囲を見渡す。

この街に来てから感じていた視線は嫌な種類のものだ。自分が担いでいる荷物を見て、値踏みをする。武装をしていた者すらいた。おそらく自分を害さなかったのは、善意とかそういったもの結果ではなく、ただ単に損得勘定の結果だろう。

つまり、まともな人間が訪れられる店ではないのだ。

にもかかわらず、この店を利用するしかなかったような人間。そんな彼らが、騙されたと言っても同情できるものではあるまい。

この石ころ屋を利用することに反対していたウェイトも言っていた。普通の店を使えば良いのだ。売るにしても買うにしても、本来こんな信用に値しない店を使うべきではない。

普通の人間ならば。

もちろん、騙す者と騙される者のうち、悪いのは必ず騙す方だ。

騙された方が悪い、なんてことは絶対にあり得ない。

けれど、騙されると予感できるのに、信じて行動し、後になって騙されたと喚く。

その場合は、『騙された方も悪い』と言ってもいいのではないだろうか。

モスクはそう思った。

しかし、とモスクは笑う。

自分はその店を頼りに、育った街を飛び出しここまで来たのだ。

レシッドが扉を開く。そこから見えた店内には老人が一人座っていた。

モスクも一歩踏み出す。

護衛をしてくれたレシッドさんには感謝している。その、希望へと至る道を作ってくれたカラスにも感謝している。

ならば、ここを進むしかあるまい。自分は、騙されたとしても悔いはない。そもそもあの街に残っても、自分には道はなかったのだから。

彼らへの恩義に報いるのであれば、それはそれでよかった。

それに、自らの頭には自信がある。あの通陽口にいた馬鹿どもはもとより、通気口内から見聞きしていた子供たちの様子からしても、自らは高みに立っていた。

騙すのであれば騙すがいい。自分をそう簡単に欺けるとは思うな。そんな少しばかりの自信とともに、もう一歩モスクは踏み出す。

後ろで軋む音を立てて、ひとりでに扉が閉まった。

「おう。来たな」

「じじい、客だぜ。もっと愛想良くしろよ」

いつものように無表情で、店主であるグスタフは二人の客を迎えた。

レシッドは内心苦い顔をする。実際にはレシッドは客ではないのだが、それでもこの店主とのやりとりには緊張する。貧民街の中を歩くよりも、よっぽど。

じ、とグスタフはモスクを見つめ、それから目を閉じ口を開く。

「話は聞いてる。その背中に背負った荷物が、例の品か?」

「え、あ、はい。焦熱鬼の髪の毛です」

モスクは言われるがままに荷物を前に出す。だが、次の瞬間それを悔いた。いけない、商談自体が不慣れなのに、その上流れまで持っていかれてしまっては。

そう思い唇を引き締めるが、その表情も目の前の老人は見ていない。

ただ、カウンター越しに渡された荷物を開き、その中の繊維を手のひらの上で弄んでいた。

だが、その仕草にモスクの体が無意識に警戒をした。

一瞬、それが何に対してなのかわからなかった。特に命の危険を感じるところではない。まだ依頼終了の記名もしておらず、レシッドは護衛のままだ。この頼れる男性ならば、どんな敵にも負けないだろう。そう信じている。では、荷物の心配だろうか。いや、荷物を強奪されようとも、目の前の非力そうな老人ならば自分でも取り返すことが出来る。

しかし、また次の瞬間理解する。自分が何に対して怯えたのか。

その老人の真摯な目。

焦熱鬼の髪を引っ掻き、引っ張り、強度を確認する。日に透かして色を見る。その、自らの渡した物に対して向けた真剣な眼差しに、心臓を射貫かれたのだ。

そうして手や目を動かし続け、様々な方法で状態を探る。

「……物は確かみてえだな。だが、およそ俺の知る素材とはかけはなれた感触。俺もこいつは初めて見る」

やがて結論が出たようで、グスタフはぽつぽつと口を開いた。

「なるほどな。これじゃあ、ギルド連中は買い取らねえ。何処へいっても門前払いが精々だろう」

「ですが、この店ならば、とカラスが言っていました」

「ああ、そうだな。で、お前はどうしたい?」

「え?」

突然のグスタフの質問に、モスクの思考が止まる。

意図がつかめなかった。

実際には、グスタフは言葉の通りに聞いているだけなのだ。

『この髪の毛を、売るか売らないか』『売るとするならば、何と換えればいいのか』『お前はこの店に、何を望んでいるのか』そういった質問を、端的に口にしただけ。

だが、モスクはそうは思わなかった。ウェイトに植え付けられた、『騙される』という言葉が、未だに心のどこかに作用していた。騙されてもいいと覚悟はしたが、無意識までは簡単に変えることは出来ないのだ。

原因はいろいろとあるが、モスクの感じた疑心。

これが、この店の怖さでもある。

この店では、取引に嘘はない。騙されることなどありはしないのだ。もちろん、人間である以上グスタフも失敗はする。それはもちろん出来る限り避けなければいけない事態ではあるが、故意でない以上、それは不可抗力というものだ。

この店に来た者は騙されるという言葉。それは正確ではない。

この店を訪れる者の事情は様々だ。

だが、共通点はある。この店でなければいけない、ということだ。

街の店では扱えない後ろ暗い品。街の店で出入り禁止を受けている素行不良者。他にも、善良であるはずの一般市民すら、街の店では出来ないことをしにこの店に縋ってくる。

この店で、騙すのはいつも客だ。それが確信犯かそうでないかはそのときによって異なるが。あの名高い店から金を騙し取れれば詐欺師としての箔が付く、そう考え偽物を高値を狙って売りつけに来る者がいる。そういった目的などなくとも、疑心暗鬼に染まり、または虚栄心から商品に対して嘘をつく者がいる。

そして、価値の高い物に真っ当な値段をつけたとして、グスタフを信用しないことも多い。『この店では買い叩かれているのではないだろうか』『外の店ならば、もっと高値で買い取ってくれるのではないだろうか』そうした自らの考えを元に外へ飛び出し、そして外の商店ではその価値を見抜くことができず偽物と断じられる。

逆もまた然りだ。外ではそれなりの値段が付いた商品も、この店では偽物と判定されてしまうことがある。

グスタフは、取引に関しては真っ当だ。『悪人を支援し統制をはかる』という理念から盗品に対して少しだけ色をつけてはいるものの、偽物を本物と、また本物を偽物と偽ったりはしない。

だが、それすらも一般の市民には気に入らない。

『貧民街にある店が真っ当なはずはない』『あそこの店主が扱う物は信用できない』そう、自らの偏見のみで判断する。

その結果が、件の噂である。

もしも本当にこの店を利用するとして、商品の売り買いだけで損をすることはない。

その客が、本当に真っ当で、本当に人を信じることが出来るのであれば。

それを皆、心のどこかでは理解している。自覚している者などほぼいないが。

しかし、人を真に信じられる者。そんな者はそうそういない。そして自らがそうでなかったことを認めることが出来る者も中にはいるが、そうであれば騙されたなどと声を上げない。

だから、大多数の 善(・) 良(・) な者はその取引の失敗を石ころ屋に求める。

『あの店に騙されただけ』『自分はあの店を信じていたのに』そう自らに、そして周囲に言い聞かせる。自らもそうであるため、それを否定する者はいない。

だから、石ころ屋は人を騙す悪い店である。

彼らは悪人で、不当な取引をする悪徳業者。善良な市民にとって、そうでなければいけないのだ。

もっとも、それはグスタフ自身も望んでいることというのが、この事態を複雑にさせている一番の原因なのだ。

しかしそのことを知るものは、そう多くはないのだから仕方がないだろう。

グスタフの質問の意図が読めなかったモスクはゴクリと唾を飲む。

後ろに佇んでいるレシッドには察しが付いていたが、仕事の範疇ではないので黙ってそれを見ていた。

本当は既に依頼を終えており、依頼箋に記名を求めれば帰ってもいいくらいではあるが、彼の律儀さがそれをさせなかった。

静寂の後、悩んだモスクが言葉を絞り出す。

「どれくらいの価値がありますか?」

「……価値か。さて、どれくらいだろうな」

その言葉をからかうように、グスタフは応えた。声音はそのままであるので、モスクはそれを不気味としか思えなかったが。

「まず、本当ならその『焦熱鬼の』って部分に価値はねえ。俺も初めて見た素材だ。扱い方を知ってる奴なんざ、この国にはいねえだろうな」

見方によっては自信過剰なその言葉を、モスクは否定できない。先ほどの真摯な目が、未だに網膜にこびりついている。あのような凄みを持つ人物の言うことだ。それも本当かもしれない、とそう思った。

「だが……」

少しだけ、ほんの少しだけグスタフの表情が柔らかくなる。それを見分けられる者はこの場にはいなかったが。

そのグスタフの言葉を遮るように、扉が開いた。

「えーと、遅れました?」

おずおずと、半開きの扉から顔を覗かせる。その茶色いショートカットの人物には、レシッドも見覚えはなかった。もちろん、モスクにも。

そういったことに関しての鑑定眼を持たないモスクにもわかる服の仕立ての良さ。少しだけ年上だろうその目の前の人物に、モスクは首をかしげた。誰だろう。そう感じて。

しかし、その入ってきた人物に向けて、グスタフが声を上げる。

「いや。ちょうどいいところだ」

「よ、よかった……」

安堵の息を吐き、その人物はグスタフのいるカウンターに歩み寄る。途中でレシッドとモスクに会釈をしながら。

「で、これですか?」

その白く綺麗な手で焦熱鬼の髪を触る。その大きな目に、モスクは先ほどグスタフに感じた畏怖の片鱗を見た気がした。

「不思議な手触りですね。絹糸と似ていますけど、かなり頑丈で……、髪の毛らしく方向によっては引っかかりがあるし」

「お前の店で扱える商品だと思うか?」

「んー、難しい……気がします」

商品についての品評を突然始めた二人に、モスクは面食らう。

だが、このまま流れを持ったままにされるわけにはいかない。そう、生来の勝ち気を発揮し、一歩モスクは踏み出した。

「えっと、あの……、誰?」

突然乱入してきた人物に対する誰何。それにしては優しい言葉遣いなのは、今まさに空気に飲まれているからだ。

分野は違うものの、専門家の会話の出す雰囲気は独特なものがあった。

その声に応えて、乱入してきた人物は振り返る。

そして、自己紹介などしていなかったことに今まさに気がついたかのような大仰な動作で手を打った。

「ごめんね。僕はリコ。今修行中の……どういえばいいかな。仕立屋だよ」

そして、謝りながら名乗る。実際には仕立て以外にも、素材の仕入れから販売に至るまでかかわっているのだが、それをどう言い表せばいいかわからなかった。

「え、はい、俺はモスクっていいます。えーと、どういう繋がりで……」

「グスタフさんに教えてもらったんだよ。面白い繊維があるって聞いたから、後学のために見に来たんだ」

グスタフはその言葉に頬を掻く。

気まぐれでの質問だったが、そこまで反応するとは思っていなかったのだ。

グスタフがカラスからの書簡を受け取った直後。ちょうど依頼していた調和水を届けにリコが来た。そのときに、気まぐれで『未知の素材』に関する意見を聞いた。

それは商人としての見識を試すものだったが、リコはきちんとグスタフの期待通りに答えたのだ。

本人は認めないことだが、二つも続けて嬉しいことがあった。その高揚感に、少しばかりグスタフの気も緩んだらしい。その結果、質問の原因となった焦熱鬼の髪の毛に対して興味を示すリコに対し、その取引の場に引き合わせるという選択をしたのだった。

そして、少しばかりリコの評価がグスタフの中でまた上がる。

一般の探索者ですら恐怖する道を駆け抜けてこれたのは、リコがこの貧民街出身ということもあるだろう。慣れ親しんだ道。値踏みの視線を躱す術も、逃げ切る術も心得ている。

だがそれ以上に、リコの足を止めなかったのは、未知の素材に関する興味だ。

自分の扱うものに対して、我を忘れるほどの興味を持つ。

それは、商人が大成するための、数ある道の一つだからだ。

それを改めて確認して、グスタフは小さく頷いた。もう一度、先ほどと同じ質問を。

どう動いていいか決めかねているモスクに、グスタフは声をかけた。

「ちょうどいい。モスクっていったな。お前にとって重要なことだ」

「はぁ……?」

突然の話題変更らしきものに、モスクは戸惑う。だが、話題など始めから何一つ変わっていなかった。

「リコ。この素材、お前が商店を持っているとして、扱うか? もちろん、取引に関する金に関しては期間も額も相談して、問題ないとしてな」

それは、調和水を届けに来たリコに対してした質問と、同じもの。その答えが変わらないことを、グスタフも期待して口にした。

求めていたのは即答。けれどもリコは少しだけ悩んだ様子を見せ、それでもグスタフの求めていた言葉を答える。

「悪いですけど、無理……かなぁ」

「クク、まあそうだろうな」

かすかに嬉しそうに、グスタフは納得する。これは扱えない、その答えがほしかった。

「な、何でっすか? 焦熱鬼、って貴重な素材らしいじゃないですか! 高いからってのはわかりますけど!!」

モスクは食ってかかるようにリコに詰め寄る。だがその剣幕にも負けず、毅然としてリコは言い返した。

「んーと、まず、その焦熱鬼ってのがなんだかわからないからかなぁ……。いや、名前はどこかで聞いたことあるよ? 凄い魔物だったって感じで」

「凄い魔物なら、高くなるでしょ?」

「でも、誰もその魔物を知らないからね。本物かどうかはわからない。それに、丈夫だけど商品として扱うのもなぁ……」

一本の髪の毛を引っ張りながら、リコは唸る。全力で引っ張っても千切れる様子もなく、伸びることも撚れることもない。素材としては一級品だろう。

「この量じゃ、一品物としてしか作れない。でも、特注品ならともかく、鎧とかそういう実用品として作るんなら数が必要だ。だから、僕が店を持っていたとしたら、扱うことは出来ないよ。ごめんね」

「そんな……」

愕然としてモスクは口を開く。自分が手に入れた物を、価値がないと断じられたのだ。

そこで、その品物を託したカラスに怒りが向かなかったのは、彼の美徳の一つだろう。

「ま、そういうこった。お前が持ってきたのはそういう品だってことは理解したな」

グスタフがまとめるように口を挟む。まるで、楽しむように。

「で、じゃあ、俺がここに来た意味は……」

それとは対照的に、モスクは絶句する。だがそれを追うように、グスタフは言う。

「さて、俺からも質問に答えよう。金貨二百枚ってとこだな」

「え?」

モスクは聞き返す。グスタフのほうは、書類の棚の方を見てこともなげに続けた。

「端数はまあ、勉強してくれや」

「え?」

愕然とし、膝でも折りそうなほど落ち込みつつあったモスクに、被せるように出されたグスタフの言葉。その言葉に、グスタフ以外の三人が同時に驚いたような仕草をした。

もちろん、一番驚いているのはモスクだろう。

「え、なんでですか?」

何故、とここに来て何度も繰り返すモスク。自慢の頭脳も、この店ではなかなか役には立たなかった。

「さっき、リコが言ったことは大体が正しい。質はいいが、得体の知れない素材。量も確保できず、使い道も今のところわかんねえ。まあ、大した価値は付かねえな。だが、リコにも言ってねえ前提条件がある」

「前提条件?」

リコももちろん初耳だ。その澄んだ瞳をぱちくりと動かし、グスタフの言葉を待つ。

「この素材は、カラスのお墨付きだ。この素材は焦熱鬼の髪の毛。それは明らかなんだよ」

「カラス君の!?」

両手を頬に添えてリコは叫ぶ。先ほどまで自分が口に出していた言葉が、今自らに突き刺さっていた。

「いや、カラス君を信用していないわけじゃないんですけど、ていうか、え? モスクって君、カラス君とどういう関係で!? グスタフさん? なんで言ってくれなかったんですか」

言い訳するように、リコは早口でまくし立てる。それを、内心の微笑ましさを隠しながらグスタフは制した。

「まあ、奴が言ったってだけで信用出来るもんでもねえ。実際は少し裏付けを取らなきゃ断言できんがな。お前がこの髪の毛について、もう少し詳しく尋ねたら言ったよ」

「えー?」

リコが吠える。だが、グスタフはこれ以上詳しく説明する気はない。

商品の品質に関しては、商品だけを見れば十分だ。というよりも、商品以外を勘定に入れては駄目だ。誰がどうやって捕まえたか、商品に価値をつけるにはそれは不必要な情報だ。リコたちの捕まえた魚を腐し、カラスの捕まえた魚を褒めたときのように、そのものだけを見ればいい。

だが、真贋を鑑定する際には、商品だけを見ては駄目だ。その入手経路や、関わったものを考慮に入れて考える必要がある。

そういったことに自ら気がついてほしい。グスタフなりの教育だった。

「だからまあ、カラスに感謝しとけよ。あいつの信用がなけりゃあもっと額は少なかったんだ」

グスタフは水筒から水を一口含む。喋り続けて口の中が乾いていた。

「で、俺からも質問を返すぞ。それで、お前はどうしたい?」

「金貨、二百枚、ですか」

モスクは驚き、呆然としながら返す。

一般人の月収のおよそ二百ヶ月分にも及ぶ大金。それは、モスクにも想定を超えた金額だった。

それがあれば何が出来る? モスクの想像できる範囲の贅沢であれば、何でも思いのままだろう。

鼠をお腹いっぱい食べて、すり切れのない服を着て、温かい布団で寝ることが出来る。モスクの脳内では、まるで王侯貴族にでもなったかのような光景が広がっていた。

「俺、は……」

欲望が頭の中で膨れあがる。金貨二百枚。途方もない財産。

それも、手に入るかもしれないという不確定なものではない。もう既に、それはモスクの手中にある。

それを自覚し、モスクの心の浮き立ちが唇に現れた。

唇の端が吊り上がる。

これでもう、逃げ隠れる生活などしなくてもいい。そうだ、その金で家を買おう。

潤沢な餌をつけたねずみ取りを仕掛け、毎日お腹がはち切れんばかりに食事をするのだ。そして、お腹いっぱいになったら誰から隠れることもなく、家の周りから聞こえてくる音など気にすることもなく昼寝をする。

今まで穴蔵ばかりだった。だがこれからは、涼しい風に当たりながら、光を全身に浴びながら心地よい夢を見るのだ。

それはどんなに幸せなことだろうか。

きっと、生まれて初めて、生まれてきて良かったと心から思える。

明日の心配など要らない。当たり前に明日が来て、それでずっと幸せの中にいられるのだ。

夢に見た生活が、夢ではなくなる。

まだ手に入れてもいないのに、嬉しさが心に満ちた。

「その金で、俺の居場所を……」

欲望が口から漏れる。辿々しい、力のこもっていない声。それを、モスク自身も人ごとのように聞いていた。

しかし。

はっと気が付く。自分は何を考えているのだろう。

恩に報いるのではなかったのか。王侯貴族の生活など、今浮かんだ考えに頭を支配されてどうする。

騙されないよう、欺かれないようにと決心したほんの少し前のことすら忘れてしまったのか。

ゴクリと、唾とともに言葉を飲み込む。

危ない。空気に飲まれてはいけない。それは、もう決めてあったはずなのに。

モスクはグスタフの顔を見る。

その顔が、改めて恐ろしかった。

その目に見つめられると、正常な判断がつかなくなる。怠惰を心が求めてしまう。

それはきっと、今までの人生が身につけさせた魅力。

その背後に見える黒い炎はきっと、錯覚ではないのだ。

脳裏に、あの灼熱の部屋が浮かぶ。

炎。そうだ、こちらにも炎はある。もっと純粋で、熱い炎。シャナの、民のために命を賭すという炎は、自らの心に既に火をつけたはずだ。

もちろん、あのときに感じた夢を忘れてはいない。あのとき覚えた感情を、忘れてはいない。

血がにじみそうなほど強く、強く拳を握りしめて、モスクは気力を取り戻す。

言葉に力が込められた。

「……どうにかして、勉強がしたいです。地位と、能力がほしい。俺は、……ミールマンの地形を作り替えたい……です……」

「ほう」

絞り出すように答えられたその言葉に、グスタフは感嘆の息を吐く。

グスタフも、あまり期待してはいなかった。いくらカラスからの推挙があったとはいえ、職業などの支援をすることもないだろうと高をくくっていた。

金貨の額を聞いた途端、もしくは金貨の山を見た途端、欲望に傾くと思っていた。

欲望にまみれた結果、正道から脱落する。それは、貧民街の者だろうが心清らかな聖人だろうが変わらないのだ。そして期待通りに成長してくれる者など殆どいない。ハイロが脱落してしまったように。

だが、目の前の少年はそうならなかった。

自分の経験から導かれていた正解が、当てはまらなかったのだ。

それを感じ、グスタフは内心笑う。

やはり、自分は間違っていたのだろう。そうでなければいけない。

世の中、欲望に染まり悪へと落ちる者ばかりではない。

そんな少しばかりの抵抗を感じ、グスタフは笑う。

さて、詳しい話を聞いて、いくつかのテストをして、それから適正な就職先を斡旋してやらなければ。

そこから先の支援に関しても、いろいろと考えておかなければならない。

何しろ、カラスの話では何年もかかる大事業を目論んでいるのだ。取れるべき手は取っておかなければいけない。子供たちの未来は明るくなければ。

その未来に自分はいるだろうか。いや、そこに存在してはいけないのだ。

少しばかりの寂しさを押し殺し、グスタフは水筒の水を呷った。