軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

旅の隠居とその曾孫

レオナルドへ宣言したように、暖かな宿の一室で刺繍をしていると、傍に控えていたカリーサが不意に動いた。

控えの間に何かを取りにいったのだろう、と気にも留めなかったのだが、カリーサの「お待ちなさい!」という珍しくも大きな声が聞こえ、何事かが起こったことを悟る。

身構えるよりも先に扉が開かれ、扉の向こうから出てきたのは、先ほどの顔だけは可愛い男の子だった。

「おい、黒猫女! 喜べ、遊びに来てやったぞ!」

そんな男の子の宣言の後ろで、大きな音が二回続く。

扉の向こうで何が起こっているのだろう、と想像もできなくて固まっていたら、カリーサが男の子の背後から現れた。

「のっ!?」

背後にカリーサが立った、と思った瞬間に、男の子の表情が凍りつく。

そのままCGか特撮映画のように男の子が背後へ音もなく移動し、この突然の一幕は終わった。

……え? 何? 何が起こってるの?

困惑して控えの間に立つカリーサを見つめると、カリーサは私を安心させようと思ったのか、にっこりと笑う。

「……なさい、ティナお嬢様。子どもの乱入、想定外。ただちに処理してくる」

「うん? いってらっしゃい?」

カリーサの笑顔に圧されて、つい小さく手を振る。

なんとなく、あの男の子が不自然な動きで背後へと移動した真相が見えた気がした。

……それにしても?

安全な宿だ、とレオナルドは言っていたが、子どもとはいえ簡単に侵入してきた。

本当に安全な宿なのか、実に怪しいものである。

さて、昼食はどうしようかな、と考えていると、隣の宿泊客から招待状が届いた。

正装に身を包んだ使者が持ってきた招待状は、この部屋の主が 幼女(わたし) であると知っているのだろう。

私にも読める言葉を選んで昼食への招待と、先ほどの 曾孫(ひまご) の非礼を詫びる内容が書かれていた。

「……丁寧なお誘いですね」

直筆か代筆かは判らないが、文字も綺麗に装飾されている。

文末に記載された差出人の名前には『エセル』と書かれていた。

文面だけを見るのなら、それほど悪い人物ではない。

そうは思うのだが。

「あの子の 曾(ひい) お 祖父(じい) さんのお詫びは受け入れますが、昼食のお誘いはお断りします」

「御大の招待を断るとは、なんと無礼な……」

こちらとしては相手を立てつつ、お断りしたつもりなのだが、招待状を持ってきた使者はムッと顔を歪ませた。

どうやらこの招待をお断りすること自体、相手にしてみれば考えられない程に失礼なことらしい。

……あ、これお断りして正解だったね。

使用人の 躾(しつけ) がなっていないのが、今、目の前で露呈した。

ついでに言えば、先ほどの曾孫の非礼も保護者の躾の問題だろう。

「お嬢さん、御大のお誘いは素直に受けておきなさい。お嬢さんはまだ小さいからこの素晴らしい幸運がまだ理解できていないかもしれないが……」

「面倒臭そうだから嫌です」

「面倒……」

……あ、絶句しちゃったね。

つい本音が漏れてしまったのだが、煩そうな使者が黙ったので良しということにする。

さっさと扉を閉めて奥に引きこもろうとしたら、誰が呼んだのかシードルが仲裁にやってきた。

……や、仲裁されたって、嫌なものは嫌ですよ?

そうは思うのだが、 友人(ニルス) の父親と思えばそう無碍にもできない。

自分の顔を立てて、御大の招待を受けてくれないか、とシードルに請われると、断りにくかった。

「御大、御大って、あの子の曾お祖父さんって、そんなに面倒な人なんですか?」

「高貴な身分の方ですが、驚くほど気さくなお人柄です」

……うん、すっごく面倒な人だ、ってのは解った。

あの失礼な男の子の身内と思えば、わざわざ会いたくはない。

が、このまま使者とシードルに了承するまで説得され続けるのは精神的に苦痛を感じる。

暖かい部屋でのんびり刺繍をしてレオナルドの帰りを待っていたかったのだが、面倒を避けるためには、一度この面倒を飲み込むしかなさそうだった。

「……一階にレストランがありましたよね?」

知らない人の部屋を訪問するのは怖いので、周囲に 他者(ひと) の目があるレストランでならば招待に応じる。

私にできる譲歩はここまでだ。

準備が整った、とシードルのエスコートでレストランへと向かう。

自分が望んだことではないが、招待されてのお食事会なので、とカリーサに訪問着へと着替えさせられた。

髪もオレリアが編みこむのと同じぐらい複雑に編みこまれている。

……カリーサって、実はスーパーメイド?

先ほども一撃で男の子の護衛二人を沈め、男の子自身は後頭部を掴んで排除していた。

レオナルドの残していった護衛のはずの黒騎士より動きが早かった、と当の黒騎士たちが反省会を開き始めるぐらいだ。

そして計算能力が高くて、料理も着付けもできる。

欠点といえば、少し人見知りなところぐらいだろうか。

それだって、見様によっては魅力的に見える。

……カリーサより強いっていうサリーサがちょっと想像できないよ。

サリーサといえば、美味しい料理を毎食作ってくれた記憶しかない。

とてもではないが、護衛の代わりができるようには見えないのだ。

そして、三姉妹で一番強いのはアリーサらしいのだが、よく考えたらその三姉妹を育てたのはイリダルと四代前の砦の主だ。

黒騎士の鍛錬を間近く観察し、時には指導まで受けたというのなら、普通の 女中(メイド) にはない戦闘技能のひとつぐらい持っていても不思議はないのかもしれなかった。

……いや、そんなはずないよね。

そんな 他所事(よそごと) を考えているうちに、一階のレストランへと到着してしまった。

他者の目がある方が安心できる、という私の希望に沿うように、人払いや貸し切りといった処置はされていないようだ。

ただ、一角に席が設けられているのはひと目で判った。

そこだけ用意されている椅子やテーブルの質が明らかに違う。

……わ、あの子もいる。

出会いがしらの悪がきっぷりは、猫を被っているのか綺麗に潜めている。

静かにたたずむ様は、育ちの良いお坊ちゃまそのものだ。

……まあ、もう中身は知ってるから、いくら可愛くてもときめかないけどね。

視線を男の子から外し、曾祖父を名乗る老人へと向ける。

男の子の曾祖父は、白い 髭(ひげ) をはやした細身の老紳士だった。

……あ、私このお爺ちゃん好きだ。

ほんわかとして上品そうな笑みを浮かべる老紳士に、そう確信した。

つい先ほど、見た目だけは可愛らしい男の子に幻滅させられたばかりなのだが、そんなことはコロっと忘れて老紳士に対する警戒心が薄らぐ。

「はじめまして、小さな黒猫のお嬢さん。わしはエセルという旅の隠居じゃ」

「はじめまして、エセル様。私はティナです。お招きありがとうございます」

とりあえず相手の身分が判らないので、ヘルミーネに教わったことを参考に行儀良く挨拶をする。

貴族にする挨拶と平民にする挨拶は微妙に違うらしいのだが、御大と呼ばれる老紳士の身分を私は知らなかった。

となれば、精一杯お行儀良く振舞うだけだ。

多少の失敗は、老紳士自身が身分を伏せていることと、私が子どもだから、で見逃してくれるだろう。

シードルからエスコートが老紳士に移り、席まで案内される。

クッションで高さの調整された椅子へと腰を下ろすと、向かいの席に男の子が、私と男の子の間の席に老紳士が座った。

「先ほどは曾孫のディートが失礼をしたようじゃな。わしの目が行き届いておらず、お嬢さんには悪いことをした」

こんな謝罪の言葉とともに、食事会は和やかに始まった。

我儘坊主と称された男の子『ディート』は曾祖父の言葉にピクリと反応をみせたが、無言で前菜を口へと運んでいる。

「エセル様がどのようなご身分の方かは存じませんが、曾孫の躾はちゃんとしてくださらないと困ります。自宅で女性の家族の部屋へ入るのならともかく、出先で赤の他人の部屋へ許可もなく押し入るのはダメですよ」

被害者の身分がどうあれ、許可もなく女性の部屋に押し入るのは大問題だ。

紳士としては終わっているし、そもそも人としても不味い 行(おこな) いである。

ことさら子どもらしく見えるよう拗ねた顔を作って老紳士に釘を刺すと、老紳士は曾孫に二度とそんな愚行はさせない、と約束してくれた。

これで未来の押し込み強盗が一人、正しい道へと矯正されたのかもしれない。

「そういうお嬢さんは、随分と躾の行き届いた子じゃな。母君の躾が良いのじゃろうか」

「母は昨年亡くなったので、お行儀は家庭教師のヘルミーネ先生が教えてくださっています」

「ヘルミーネ……?」

はて? と老紳士は白い髭を撫でる。

なんだろう? と思いながらディートに視線を向けると、こちらは苦虫を噛み潰したかのような顔をしていた。

「お嬢さんの家庭教師のヘルミーネとは、ヘルミーネ・ハルトマン女史のことかな?」

「はい、そうです。ヘルミーネ・ハルトマン先生です」

「……そうか。かの 女傑(じょけつ) は、まことに優秀な師であったのじゃな」

……女傑?

およそヘルミーネの印象にかすりもしない単語が老紳士の口から出てきた。

私がヘルミーネに抱いている印象といえば、いつでも真っ直ぐに背筋を伸ばした淑女の鏡だ。

女傑というイメージではない。

「うん? しかし、昨年母御が亡くなったと言ってはいなかったか?」

「言いました」

「となると、お嬢さんがハルトマン女史に師事したのはいつのことじゃ?」

「ヘルミーネ先生にはこの冬から我が家に来ていただいております」

「……三ヶ月も経っておらんじゃないか」

「そうですね」

それがどうかしたのだろうか。

なんともすっきりしない会話だ。

ただ、何の話なのか、と問い質して良いものかどうかが判らない。

おそらくヘルミーネなら、淑女は他者の詮索などしないものだ、とか言いそうな気がする。

ヘルミーネならこうする、と脳内のヘルミーネ像に従って詮索はしない方向に決めたのだが、考えていたことが全部顔に出ていたのかもしれない。

老紳士は苦笑いを浮かべ、ヘルミーネの名に驚いた理由を教えてくれた。

「ハルトマン女史は三年ほどこのディートの家庭教師をしていたんじゃよ」

「……ヘルミーネ先生に三年習ってアレですか?」

つい素が出てしまったが、仕方がない。

驚きすぎて取り繕うことなどできなかった。

「三年目にしてついに匙を投げられてしまってな。学ぶ気のない者に何を教えても無駄じゃ、と」

老紳士の話によると、ディートは両親の手ではなく、乳母や使用人に育てられたらしい。

天使のように愛らしい容姿をしたディートを、周囲の人間はただひたすらに甘やかせて育てた。

その結果、絵に描いたような我儘暴君に育ってしまったそうだ。

これでは不味い、と迎えた厳しいと評判の家庭教師がヘルミーネだった。

「ハルトマン女史は期待通りに厳しく接してくれてな。今ではこのように……」

食事の時間ぐらいはおとなしくできるようになった、と老紳士はディートに視線を向ける。

ディートがおとなしいのは猫を被っているのでもなんでもなく、ヘルミーネの躾けた成果だったらしい。

ヘルミーネは根気強くディートを躾けようとしていたようだったが、そこへディートをひたすらに甘やかして育てた乳母や使用人が邪魔をした。

ヘルミーネの教育は厳しすぎる、ディートが可哀想だ、とディートの両親に訴え、ついには呆れたヘルミーネが職を辞することになったのだとか。

「……その乳母と使用人は全員解雇した方がいいと思います」

「さすがはハルトマン女史の教え子じゃな。女史と同じことを言いよる」

……や、ヘルミーネ先生の教え子でなくても判ると思うよ、環境がマズイって。

暴君を育てあげたのが乳母と使用人で、ヘルミーネがようやく食事ぐらいは静かにできるよう躾けたと思ったら、またヘルミーネを遠ざけてディートを甘やかせるだなんて、ヘルミーネの努力が水の泡である。

見かねた曾祖父がディートを引き取って外の世界を見せることにしたらしい。

自分と同じ年頃の子どもが、どんな様子なのかを。

「子どもなんて、いろいろいますよ?」

「そうじゃな。現に今、同じ家庭教師に、それもたった三ヶ月しか経っていないというのに、驚くほど行儀の良い子が目の前におる」

「お行儀は、まだ子どもだからで許される範囲なだけだと思います。私が大人だったら、エセル様とはもっとちゃんとした話し方をしないとダメなんですよね?」

「……今はただの隠居じゃ。お嬢さんがもう少し大人だったとしても、そうかしこまった話し方は必要ないぞ」

老紳士は茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせたが、言われたままに受け取ってはいけない、となんとなく判った。

確信のないただの勘のようなものだ。

というよりも、これは確認しない方がいい話な気がした。

老紳士の身分は、聞いてはいけない。

そんなことを考えていると、微かにカトラリーを置く音がした。

どうやらヘルミーネが躾けた『食事の時間ぐらいはおとなしくできる』という時間が終わったようだ。

「おじいさま」

「ディートもちゃんとお嬢さんに謝罪をするんじゃ」

不満たっぷりな顔をして睨んでくるディートに、老紳士は涼しい顔をして言い放つ。

ディートは暴君らしいのだが、それでも目上の人間には従うことができるらしい。

むっと眉を寄せたあと、それでも私に向かって頭を下げた。

「先ほどはいきなり部屋へ押し入って悪かった」

……案外素直?

嫌々なのは見て判るのだが、反省はしているようである。

顔は不機嫌そうなのだが、青い瞳は怯えたように揺れていた。

「……もう、他人の部屋にいきなり入ったらダメですよ?」

「解っている。おじいさまにも、そこの 女中(メイド) にも殴られた」

……え? カリーサが殴ったの?

思わず背後に控えたカリーサへと振り返ると、カリーサは不思議そうな顔をしていた。

カリーサからしてみれば、躾けのなっていない子どもへの対処として、あたりまえの行動だったのかもしれない。

「ぼくはもうちゃんと謝ったからな! もういいだろう。遊ぶぞ!」

「へ?」

ディートは切り替えの早い子どもらしい。

謝ったから、この話はもう終わりだ、とばかりに次の話題を出してきた。

「わたし、まだ食事中……」

「食べるのが遅いぞ、黒猫女!」

「わたし、そんな名前じゃないです。ティナってお父さんたちの付けてくれた名前がちゃんとあるんですから」

……あと、ディートの遊び相手になるなんて一言も言ってない。

自分の食事中だけではなく、他者の食事中もおとなしくしていてください、と言ってみたのだが、聞き流された。

どうやらヘルミーネは、そこまで面倒を見てはくれなかったようだ。

「ティナだと短い。ホントの名前じゃないだろ」

貴族の名前はみんな長いからな、と言いながら、『ディート』は愛称であり、正式な名前は『ディートフリート』である、と教えてくれた。

ついでに老紳士の名前についても『エセル』は愛称であり、正式には『エセルバート』だと教えてくれる。

……知りたくなかったよ、そんな個人情報。

ちらりと聞き覚えのある名前だったので、記憶のひっかかりを確認することは止めた。

世の中には知らない方が良いことが多々ある。

老紳士の名前は、その中のひとつだ。

ディートに本当の名前をしつこく聞かれ、知らないと答えて流す。

ティナと名乗り続けると決めたのだから、本名になど興味はなかったので、文字は教わったが読みをレオナルドから聞いたこともない。

今なら自分で読めるはずだが、あの時はまだ語尾の『ティナ』しか読めなかったので印象も薄い。

「……なにして遊ぶんですか?」

本名を教えろ、としつこく食い下がるディートに根負けする。

本名から意識を逸らそうと先の話題を持ち出せば、ディートはコロリとこれに釣られる。

「リバーシは知っているか? 知らないだろう? 特別にぼくが教えてやるぞ。だから遊ぼう!」

「え? リバーシ?」

ディートの口から出てきた馴染みのある単語に、この世界にもやはりリバーシはあったのか、と一瞬だけ瞬く。

私は単純に驚いただけなのだが、エセルは苦笑いを浮かべながら私へとリバーシについてを話してくれた。

「リバーシというのは、孫がどこかから持ち帰ってきた 盤上遊戯(ボードゲーム) じゃ。ルールは簡単じゃから、すぐに遊べるじゃろう」

……リバーシを持って帰ってきた孫?

リバーシ盤を所有している人間と考えれば、アルフのことだろうか。

もしかしたらアルフレッドも王都に戻ってから作らせているかもしれないが、私が知っているリバーシ盤の所有者はレオナルドとアルフだけだ。

そう考えてみると、ディートとアルフは同じ色の髪をしている。

「もしかして、アルフさんのお祖父さんですか?」

可能性としては、アルフレッドの場合もあるかもしれないが。

むしろそちらの方がありそうな話だったが、希望を込めてアルフの名前を出しておく。

アルフレッドの祖父であった場合、目の前の老紳士は前国王ということになってしまう。

そんな事実、あってほしくはない。

……聞いたことがある気がする名前だったけどね! 気のせい、気のせいっ!

内心で思わぬ高貴な人物に出会ってしまった、と混乱していると、老紳士は少し驚いたような顔をした。

「お嬢さんは、アルフの知り合いかな?」

「グルノールの街でいつもお世話になっています」

なんだ、本当に可能性は少ないと思っていたアルフの方で当っていたのか、と安堵していると、老紳士はまじまじと私の顔を覗き込む。

孫の知り合いに旅先で出会ったことが珍しいのかもしれない。

「……もしや、お嬢さんは噂のレオナルドの妹か」

「はい。わたしがレオの妹ですけど……」

その噂って、どんな噂ですか? と私が聞き返す前に、老紳士は得心顔で頷き始めた。

なるほど、これが噂のレオナルドの妹か、と。

……ホントに、私ってどこでどんな噂されてるの?