軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

家庭教師と過ごす冬の生活 2

淑女の 手慰(てなぐさ) みは、なにもセークだけではない。

刺繍だって、立派な淑女らしい趣味のひとつだ。

ヘルミーネは私に淑女らしい趣味へと一通りは触れさせる気だったようで、セークの他にもいくつかの盤上遊戯を教えてくれた。

中には私にも勝てそうなゲームがあったのだが、ゲーム以外もと次にヘルミーネの持ってきた刺繍に、自分でも意外だったのだが嵌ってしまう。

針と糸を使った手縫いなど、前世では小学生の頃に習ったぐらいで、しかも縫ったものといえば雑巾という実用一辺倒だったため、授業で習った以上にはさわりもしなかったのだが、刺繍は意外に楽しい。

ちまちまとした細かい作業に没頭できるのが良いのかもしれなかった。

……不細工猫枕はホントに、ただの暇つぶしだったしね?

屋根裏部屋で発掘した古い枕カバーを利用して作った不細工な猫枕は、ざっくり感が売りだ。

ザクザクと子どもらしく大雑把な縫い目で耳を作り、猫の目と 髭(ひげ) を黒い糸で描いただけの作りをしている。

ざっくり感を出すために中へは故意に綿を入れず、古い生地を丸めて詰め込んであった。

私としてはこの不細工加減が気にいっていたのだが、 淑女(わたし) が持つものとして相応しくない、と刺繍に励む私の横でヘルミーネに改修される。

不揃いな縫い目を整えられ、ほとんど線だった目は綺麗に刺繍されたラインに変わる。

目だと判ればいいや、と私の作った不細工猫枕は白目の部分は下地がそのまま見えていたのだが、ヘルミーネの改修版は白目部分には白い糸でちゃんと刺繍がされていた。

まるで目の形をしたアップリケを付けたように一部分がふっくらとしている。

……不細工が売りなのに、微妙に可愛くなっちゃったね。

髭も綺麗に刺繍し直され、本当に可愛い猫枕になってしまっていた。

おまけのように前足まで刺繍で描かれたので、本当に少し太った猫がちょこんっと座っているように見える可愛らしい枕だ。

……刺繍が立派すぎて、コクまろのベッドにしにくいよ!

少なくとも、抱き運んで移動するごとに座布団としてお尻の下には敷きにくくなった。

裁縫の腕があるのも、考え物である。

「ティナさんは、刺繍がお上手ですね」

不細工猫枕と手元にある作業中の刺繍とを見比べて、ヘルミーネは僅かに首を傾げる。

猫枕を作った人間と、目の前にある刺繍を縫った者が同じ人間であると、にわかには信じられないのだろう。

「猫枕はぶちゃいくにしたかったかりゃ、縫いめもバラバラにしたんれす」

刺繍は布と布を縫い合わせるのではなく、布地に絵を描いていくものだから、そもそも物が違う。

そう主張してみたのだが、ヘルミーネは釈然としないようだ。

指定された図案の縫い取り終えた布をチェックしながら、不思議そうにしていた。

「縫い目があるのでお裁縫は指導する必要がありそうですが、刺繍についてはユピンスとアシャンテーの祝福があるようですね」

「……そんなに上手にれきましたか?」

ユピンスは技巧の神様で、アシャンテーは芸術の女神様だ。

この二柱の祝福があるというのなら、本当によく出来ているのだろう。

……いやいや、私にそんな才能あるわけないよね?

前世で刺繍を趣味にしていたわけでもないし、学生時代の美術の成績も普通だ。

とてもではないが神々の祝福があるだなどと評価される物が作れるとは思えない。

……でも、ヘルミーネ先生ってお世辞を言うタイプには思えないんだよね?

変だなと思いながら、まじまじと刺繍と自分の手を見比べる。

子どもらしい小さな手だ。

……あ、わかった。

「わたしの手が小さいかられすね」

現在の私の手は子どもサイズでとても小さい。

ついでに言うのなら、実年齢も子どもだ。

つまり、ヘルミーネの評価は「この年齢の子どもとしては上手に出来ている」という程度のものだろう。

……うっかり調子にのるところでした。

才能があると勘違いする前に気づけてよかった。

そう自重の笑みを浮かべると、ヘルミーネは少し怒ったような顔をする。

「たしかにティナさんの手が小さいのは 精緻(せいち) な刺繍を行ううえで一助になっているとは思いますが、それだけではありません。 私(わたくし) はお世辞など言いませんよ」

僅かにムッとしていると判るのは、私の自重が原因らしい。

本気で褒めているのだから疑うな、と怒っているようだ。

「……本当に上手にれきてますか?」

「お上手です」

自信に満ちた顔で言い切るヘルミーネに、少しだけくすぐったい。

お世辞ではなく、大人の目から見てもちゃんと上手に出来ているらしかった。

「何かに刺繍をしたら、喜んでもらえるぐらいに上手れすか?」

「刺繍だけでしたら今からでもお針子になれるぐらい、お上手ですよ」

なんと仕事にできるレベルで良くできていたらしい。

これといって将来なりたい職業も、目標もなかった私には朗報である。

ヘルミーネからの意外にも高すぎる評価に、改めて自分で縫った刺繍を見下ろす。

チマチマと細かく縫う作業は根気がいるが楽しい。

段々図柄になっていくので達成感があるし、仕上がりにも華がある。

糸でふっくらと膨らんでいる図柄を指で撫でていると、ムクムクと欲が出てきた。

「……刺繍で何か作れるものってありましゅか?」

「お兄様に何か贈り物を、ということでしょうか?」

特に何かを言ったわけではないのだが、すぐに企みを看破されてしまう。

ちょっと思いついただけのことなので、こうもすばやく指摘されたらほんの少しだけ気恥ずかしかった。

……だって、お仕事にできるぐらいだ、って言われたら、何か作ってあげたくなるじゃん? 私、レオナルドさんにはずっとお世話になってるけど、何にも返せてないし。

冬が終われば引き取られて一年になるというのに、なんのお礼もできていない。

ずっと世話になりっぱなしで、金額に換算すると絶対に恐ろしいことになっている。

私にできることがあるのなら、少しでも日頃の感謝は返したいのだ。

「今から用意されるようでしたら、 春華祭(しゅんかさい) にシャツの襟や袖口へワンポイント何かを刺繍するのが良いかもしれませんね」

春華祭は、毎年春の初めに行われる。

長い冬の終わりと、春の女神の訪れを祝うお祭なのだ、と秋にメンヒシュミ教会で教わった。

残念ながらメイユ村のような小さな村ではお祭自体がなかったが、よく思い返してみればあれがそうだったのではないか、と思われる記憶が薄っすらとある。

春になると母が父と私の服に小さな刺繍をしていた。

……あれがお母さんなりの春華祭だったんだね。

貧しい我が家では修繕のついでにワンポイント刺繍を入れるぐらいがせいぜいだったが、物に溢れる街では違う。

お祭には春の花が溢れるし、修繕ついでのワイポイント刺繍どころか、新しくあつらえた服に袖を通す習慣があるそうだ。

レオナルドは男性なので花模様などの華やかな刺繍は避けた方が良いかもしれないが、女性の家族が日頃の感謝を込めて贈るものとしては、袖口などにワンポイント刺繍を入れるのは丁度良いだろう。

ちなみに、女性が男性に刺繍を入れたものを贈るのは「あなたの家族になりたい」アピールだ、というのはおませなエルケ情報だ。

刺繍の腕を男性に見せ付けて、裁縫上手な私を花嫁に如何ですか、と逆プロポーズするらしい。

……私はもうレオナルドさんの 家族枠(いもうと) だから、その辺は気にしなくていいね。

刺繍の腕はお針子レベル、と太鼓判を貰ったので、早速レオナルドに相談することにした。

サプライズプレゼントなんて、財力のない私には不可能だったし、実際に刺繍入りのシャツを貰ったとして使うことになるのはレオナルドだ。

本人の希望なり、意思は確認しておいた方が良いだろう。

「……というわけで、新しいシャツをくらさい」

「なにがどういう 理由(わけ) だ?」

要求だけをされて、理由がさっぱりわからないレオナルドは当然首を捻るしかない。

本日の成果である図柄が刺繍されたハンカチを見せながら、ヘルミーネに刺繍の腕を誉められた話を聞かせた。

「刺繍でレオにゃルドさんに何かあげれにゃいかな、ってヘルミーネ先生に相談したりゃ、しゅんか祭の服に刺繍をしてあげたらって教えてくれましら」

女性の家族が刺繍をするんですよね? とレオナルドの膝の上で見上げると、レオナルドは外には出せない顔で笑った。

家族という単語がツボにきたのか、デレデレだ。

あまりにしまりのない顔をして笑うので、かかとで脛を蹴ってみると、一瞬だけ頬が引き攣ったあと表情が引き締まる。

「春からおろす予定の服はありましゅか? わたしに刺繍させてくらさい」

「毎年新しいシャツは用意していたが……ティナが刺繍を入れてくれるんなら、何枚でも大歓迎だ」

「……一枚でいいれす」

さすがに何枚も、は作業したくない。

日ごろの感謝の気持ちはあるが、レオナルドに何枚でもと答えたら、それこそいつまでも新しいシャツを用意される気がする。

警戒はしておいた方が良い。

「明日にでも仕立屋に連絡をしておこう。袖の布だけを館に届けるように」

「……袖にワンポイントだったら、三着まで刺繍してあげましゅ」

「一着だけじゃなかったのか?」

「洗いがえは必要れす」

私が一着にだけに刺繍をいれたら、レオナルドはそれを延々着る気がしてしかたがない。

社会人なので本気でそこまでネジの緩んだ行動はしないと信じたいが、それでもやはり洗濯用に数着は絶対に必要だ。

折角なので、刺繍する図案も希望を聞いてみた。

見えないところに名前を入れるだとか、袖周りにぐるりと一周図案を入れるだとか、私が勝手に決めるよりは本人の希望を聞く方が良い。

そんな話をした翌日の夕方には仕立屋から布が届いていたので、レオナルドは家族からの刺繍というものが本当に嬉しかったらしい。

親に売られて以降は孤児として孤児院にいたそうなので、普通の家族関係への憧れが強いのかもしれない。

花柄は避けてほしいとの希望だったので、ヘルミーネに相談をしながら刺繍する図案を決めていく。

せっかく三着に刺繍ができるのだから、全部に違う図案を刺繍したい。