軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

軍師

1566年秋

秋風が上野の山々を黄金色に染め始める頃、静かな、しかし確実な変化が始まった。これまで上野に駐在していた上杉軍が、整然と越後へと兵を下げていく。それと入れ替わるように、今川の直轄軍と、筆や算盤を手にした官僚たちが、堰を切ったようにこの地へとなだれ込んできた。氏真はその先頭を自ら行き、上野各地の国衆の元を丹念に回った。

呼びつけるのではなく、新たな支配者である氏真が、あちらからやってくる。そして、一献酌み交わしながら、領内の振興策を一つ一つ丁寧に、かつ熱を込めて説いて回るのだ。今までの武士が守ってきた、武力で従わせるという常識とは対極にある今川の振る舞いに、国衆たちは戸惑いながらも深い感銘を覚えていた。

度重なる戦火により、上野の田畑は荒れ果て、人口の減少は目を覆いたくなるほどに著しかった。氏真は即座に直轄軍による徹底した治安維持を命じ、同時に官僚らによる迅速な地検と治水事業を開始させた。さらに、人別帳による人口管理といった今川独自の先進的な施策を次々と導入していく。

「復興のため、今後三年間は年貢を免除する。また、兵農分離を加速させるため、農民らを今川が直接雇い上げ、土木事業に従事させることとする」

この宣言は、困窮していた民や国衆を驚喜させた。隣国、甲斐が今川の統治下で劇的な発展を遂げる様を間近で見てきた国衆たちも、この無駄のない、かつ合理的な統治の速さを前にしては、異論を挟む余地など微塵もなかった。彼らは瞬く間に、氏真の掲げる新時代の秩序へと掌握されていったのである。

一方、越後の地にも変化は訪れていた。今川の手配により、加賀や能登から豊富な物資が越後へと流れ込み始めたのだ。当初、輝虎が関東から手を引いたことに不満を抱いていた家臣や国衆たちも、目の前に並ぶ豊かな品々や食料を前にしては、その怒りを収めるしかなかった。義だけでは腹は膨らまぬ。今川の経済力は、越後の荒ぶる魂をも静めていったのである。

氏真は、上野の自治を認めつつも、今川の法の下で正しく発展させるためには、信頼できる監督役が必要だと判断した。

「弥太郎、そろそろお主も独り立ちの時だ。この地の舵取りを任せる」

氏真は朝比奈泰勝を、上野領管に任命した。勝手の違う地での苦労はあるだろうが、彼ならば今川の理を誠実に伝えてくれるだろうと、氏真は全幅の信頼を寄せていた。

十月に入り、遠く離れた西の堺から、待望の吉報が氏真のもとに届いた。早川殿の出産が無事に済んだという。

「三人目も、男子であったか」

文を読み終えた氏真は、安堵と共に柔らかな笑みを浮かべた。上の子たちに続き、また一人、守るべき血脈が増えたのだ。無事に帰還した際、どのような名を贈るべきか。その喜びは、戦場を駆ける武士のそれではなく、一人の父としての穏やかなものであった。

また同じ頃、播磨の小寺家家臣である黒田官兵衛という若者が、今川に挨拶に訪れたという報せもあった。

「力になれることがあれば、何なりと仰っていただきたい」

そう殊勝に述べて立ち去ったというその男の名を聞き、氏真は目を細めた。

竹中半兵衛と並び称される、あの一代の奇才。もし彼を今川の陣営に完全に引き入れることができれば、これほど力強いことはない。

「両兵衛を左右に従えるか…面白い」

氏真の脳裏には、知略の限りを尽くして日ノ本を塗り替えていく二人の軍師の姿が浮かんでいた。

一方、大和の国からも大きな動きが報告された。筒井家の当主、筒井藤次郎順慶から、今川への従属を改めて打診する秘密裏の提案があったというのだ。順慶によれば、大和を実質的に支配してきた宗教権威、興福寺の内部は今、未曾有の大混乱に陥っているという。

先の延暦寺に対する今川の苛烈かつ見事な制裁を目の当たりにし、興福寺の僧たちは、次は我らの番だと、戦々恐々としているのだ。

「今のままでは、歴史ある大和の国が今川という蛮族によって蹂躙されてしまう」

既得権益にしがみつく老僧たちは、そう喚き散らして強硬姿勢を崩さない。

しかし、その一方で、新時代の統治を冷徹に見つめる若手の僧たちは、もはや抗う術なしと達観し、今川の秩序を受け入れるべきだと主張している。延暦寺の際と全く同じ、醜い内紛の構図であった。順慶自身も僧として修行に励む身であり、若手たちの意見に近い。彼らには既得権益の恩恵などほとんど降りてこないため、古い体制が壊れることへの抵抗感が少ないのだという。

順慶の願いは、かつての覚恕と同様であった。この機に乗じて興福寺内での自らの影響力を盤石にし、実質的な主導権を握ること。本来、興福寺の別当は藤原氏の末裔が就くのが伝統であったが、順慶はその壁を越え、新たな大和の形を作ろうとしていたのである。

この動向を逃さず、現地で差配を振るっていた竹中半兵衛は、すかさず動いた。筒井家以外の大和四家と呼ばれる有力国衆、十市、箸尾、越智に対しても即座に声をかけさせ、「勝ち馬に乗れ」と揺さぶりをかけ、彼らを統合すべくまとめ上げているという。

「殿が関東より戻られ次第、こちらから正式な使者を送る。それまでは、何としても大和の足並みを揃えておけ」

半兵衛はそう順慶に伝え、一旦の区切りをつけたようだ。戻ったら、詳しい状況を精査せねばなるまい。だが、半兵衛の機転のおかげで、大和もまた今川の掌中へと収まりつつある。氏真は、頼もしい部下たちの働きを誇らしく思いつつ、秋が深まりゆく東国の空を眺めていた。