作品タイトル不明
無防備
1564年秋
若狭での戦後処理—といっても、主に帳簿の監査と人事異動であったが—を終え、氏真は駿府へ向けて二通の書状をしたためた。
一通目は、将軍・義輝公へ宛てたものだ。
『拝啓、公方様におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。さて、若狭の義弟・武田大膳大夫義統殿についてご報告申し上げます。大膳大夫殿は、長年の心労によりご様子があまり芳しくありませぬ。つきましては、公方様のおそばで、妹君とともにゆっくりと療養をしていただくのが最良かと存じます。公方様がおられる駿府こそ、今や日ノ本で最も安全で、最も文化的な町。父・権中納言にも、よしなにもてなすよう伝えておきますゆえ、まずはご安心なされませ』
あくまで療養という名目での政治的な保護である。義輝も薄々は感づくだろうが、義統が傀儡として殺されるよりはマシだと納得するはずだ。
そして二通目は、駿府の留守を預かる文官・林秀貞と、大御台所(寿桂尼)様へ。
『若狭の荒くれ者をそちらに送ります。彼らは計算もできぬほど錆びついておりますが、再教育を望んでおります。彼らが再び現場に戻れるよう、官僚として、あるいは学生として、骨の髄まで鍛え直してあげてください。よろしく頼みます』
美しい言葉で包んだ、終わりのない再教育の依頼である。駿府の学問所は、彼らにとって地獄の鍛錬場となるだろう。
畿内の統治が進むにつれ、予想通り宗教勢力からの反発が表面化した。天台宗の総本山、比叡山延暦寺から、今川法の施行に対する激しい抗議文が届いたのである。「寺社への不介入特権を侵すものだ」という主張は、かつて駿河で改革を始めた時と全く同じ構図であった。
「…まあ、想定通りだな」
氏真は抗議文を机の端に寄せた。延暦寺以外からの批判が少ないのは、事前の根回しが功を奏していたからだ。氏真はあらかじめ、畿内の影響力ある寺社に対し、寄進と共に対話を重ねていた。
「今川の法に従えば、武力による自衛は不要となります。無駄に僧兵を抱える費用も浮き、民は武力を持つ寺として恐れるのではなく、救いの場として心から頼るようになりましょう」
既得権益は失うが、宗教本来の姿に戻ることで得られる信頼と、今川による保護。この理屈を説いて回ったおかげで、公然と批判してきたのは、権威に固執する延暦寺くらいであった。
本来ならば、紀伊の根来寺なども過激な反応を示してもおかしくない武闘派だ。だが、彼らは既に沈黙している。
なぜなら、根来はすでに今川の経済圏にどっぷりと浸かっているからだ。鉄砲鍛冶の技術供与、火薬の原料供給。これらを今川に握られ、金銭的・物資的に完全に依存している彼らに、今川へ弓引く力は残っていない。
大和の興福寺などは今後言ってくるかもしれないが、今のところ直接的な利害関係は薄い。
「何も言ってこなかった寺には、追加で寄贈をしておこう。『いきなり無茶を言ってごめんね、ほんの気持ちだよ。これからもよろしく』という挨拶代わりだ」
アメを与えることで、彼らをこちら側に留め置く。そして、延暦寺の抗議に対しては—。
「無視だ。放っておけ」
反応すらしなかった。武力も経済力も持たぬ権威だけの叫びなど、痛くも痒くもないのだ。
夏から秋にかけて、堺の外れに建設していた今川館がついに完成した。引っ越し作業が一段落した頃を見計らい、氏真は畿内への転居挨拶を兼ねた、大規模な茶歌会を開催した。
この屋敷は、従来の武家の常識を覆す構造をしていた。敵の侵入を防ぐための高い塀もなければ、水堀や石垣もない。代わりに屋敷を囲むのは、四季折々の花木が植えられた広大な庭園のみである。
「正気か!? 塀も石垣もない本拠など、裸で寝るようなものだ!」
この館の設計案を聞いた時、織田信長は激怒し、武田義信は呆れ果てた。
せめてもの守りとして、信長からは熟練の鷹匠と眼光鋭い名鷹が、義信からは腕利きの猟師と鼻の利く甲斐犬の群れが送り込まれてきた。おかげで、美しい庭園の木陰や茂みには、常に鷹と犬、そしてそれらを操る警備兵が目を光らせている。侵入者が一歩でも足を踏み入れれば、空と地から即座に補足される仕組みだ。
「入るには、招待状を持って正面から堂々と来るしかない、ということだな」
茶歌会当日。正面の受付には、着飾った小姓たちに混じり、目つきの鋭い男たちが控えていた。滝川一益率いる館護衛班である。彼らの手元には、事前に招待状を送った相手の顔と名前、家紋が詳細に記された元帳があった。
「…失礼ですが、招待状のお名前と、あなた様のお顔が一致いたしませぬな」
華やかな宴の入り口で、数人の男が捕縛された。彼らは、正規の招待客である商人から招待状を買い取り、あるいは譲り受けて潜り込もうとした者たちだ。
氏真は、潜り込もうとした者を捕らえると同時に、彼らに招待状を渡した商人たちに対し、即座に手を打った。
「領内に布告を出せ。『この者は信義に悖る行いをしたゆえ、信用するべからず』と」
今川の経済圏において、信用なし。と烙印を押されること。それは商売人にとって死刑宣告に等しい社会的制裁であった。
一方で、正規の手続きで招かれた京の公家や、堺の有力商人たちは、屋敷の開放的な造りに感嘆の声を漏らしていた。
「なんと…。堀も塀もないとは。これほど無防備な構えは、今川様の自信と余裕の表れですな」
公家の一人が、安堵したように扇子を揺らす。 彼らは、今川が武力で京を制圧しに来たのではないかと心のどこかで怯えていた。
だが、この威圧感のない屋敷と、文化を重んじる茶歌会の趣向に、その警戒心は急速に解けていった。
「この茶器は越前の、こちらの漆器は駿河の職人によるものです」
氏真は自ら公家たちに声をかけ、今川領の特産品を紹介して回った。彼らがこれを気に入り、京で噂にしてくれれば、彼ら自身が最高の広告塔となる。
「お互いに顔を売り、繋ぎ止めておく。それが今の京には必要なことだ」
城を本拠とせず、庭園に囲まれた屋敷で政を執る。その姿は、かつての足利将軍家が花の御所で見せた雅を想起させつつも、その裏には鷹の目と犬の鼻の監視と、盤石な経済基盤があった。
堺の商人も、京の公家も、今川に反発する理由はない。むしろ、この心地よい今川の庭にいる限り、安全と富が約束されるのだから。
塀のない城は、鉄壁の城よりも強く、人々の心を絡め取っていった。