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作品タイトル不明

名門

1564年夏

「賠償金の支払いが一銭もないとは、これいかに。銭で払えぬのなら、土地と命で払ってもらうのみ」

岐阜城の織田信長から届いた報告書には、行間から炎が噴き出すような苛烈な決意が記されていた。信長率いる織田軍は、美濃・加賀の国境を越え、怒涛の勢いで北上を開始した。名目は、朝敵への制裁と債権の回収。これに呼應して、越中の国衆も経済封鎖に協力し、能登への物資流入は完全に断たれた。

信長は徹底的な弾圧を行い、畠山家の威信を粉砕しながら進軍する。一方で、副将の武田義信は、その裏で飴の役割を担っていた。

「抵抗せぬ民は保護する。戦禍を逃れたくば美濃や信濃へ行け」と布告し、逃げ出す民を誘導する。恐怖と安堵、この硬軟自在な攻めに、能登の民心は瞬く間に畠山家から離れていった。

そして、決定打となったのは、内応を約束していた長氏の動きであった。七尾城内にて、長続連は重臣たちにこう告げたという。

「海からの攻撃に備え、儂が水軍を率いて海上で迎撃する。皆は城に籠り、陸の守りを固めてくれ」

その言葉を信じた畠山家臣団を尻目に、長氏は水軍を率いてそのまま戦線を離脱。七尾城は能登の海を失い、完全に孤立無援の籠城戦を強いられることとなった。

信長の攻勢は止まらない。七尾城への猛攻を続けつつ、降伏の使者に対しても冷淡であった。

「いまさら当主の首一つで許されると思うか。城に籠る重臣全員の投降と、全領土の無条件明け渡し以外は認めぬ」

おそらく秋には兵糧も尽き、限界を迎えるだろう。信長の報告の結びには、自信に満ちた文字で『紅葉が散る頃には、能登は今川の庭となろう』と記されていた。

続いて、氏真自身が討伐令を発した河内方面の戦況である。大将の岡部元信から届いた書状には、河内畠山家の内部崩壊の様が詳細に記されていた。

「当主・畠山修理大夫高政は、先の松永への加担や戦そのものに反対であったようですが、実権を握る家臣らに押し切られた模様。しかし、今川の大軍を前にするや、家臣らは掌を返し、『行軍は当主の独断であった』として彼を弾劾しております」

責任を押し付けられた高政は幽閉され、家臣らは弟の秋高を新たな傀儡として立て、保身に走ろうとしているという。まさに泥舟から逃げようとする鼠の如き醜態であった。だが、氏真は情けをかけるつもりはなかった。

「今川への返金もなく、逆賊に加担した罪は重い。家臣もろとも責任を取ってもらう」と厳命を下した。

戦場の様相も、従来のものとは異なっていた。岡部元信と副将の井伊直親は、無理な力攻めを行わず、徹底した調略と補給戦を展開したのである。

「避難してくる一般兵や民には、温かい食事と安全を約束する」

今川陣営から漂う飯の匂いと、捕虜を厚遇するとの噂は、瞬く間に畠山軍の足軽たちに広がった。飢えと絶望の中で戦う兵たちは、夜陰に乗じて次々と城を抜け出し、今川の陣へと投降した。脱走兵を監視するはずの将校までもが、共に逃げ出す始末である。

支城は次々と打ち捨てられ、畠山軍は本拠・高屋城に雪崩れ込むように籠城した。だが、収穫前の時期を狙った攻撃により、城内の備蓄は乏しい。

「既に多くの兵が消え失せ、残るは責任のなすりつけ合いをする重臣らのみ。彼らが干からびるまで、じっくりと囲み続けまする」

元信の報告は、勝利への確信に満ちていた。名門・河内畠山家は、武力によってではなく、自らの腐敗と今川の豊かさの前に敗北しようとしていた。

最後に、北伊勢から南下を伺う松平元信の戦線である。こちらは、槍や鉄砲の音よりも、大工の槌音と茶の湯の香りが支配する奇妙な戦場となっていた。

元信が最初に着手したのは、敵である北畠家への攻撃ではなく、伊勢神宮への寄進であった。紀伊を経済圏に組み込んだことで手に入れた、最高級の木材。それを惜しげもなく伊勢神宮へ献上したのである。

「今川は、北畠家よりも神宮を尊んでおります。この最上級の木材と、今川が誇る腕利きの職人で、社殿をより立派に修繕いたしましょう」

元信の言葉と、実際に運び込まれる巨木を前に、神宮の神官たちの心は大きく今川へと傾いた。「もしこの先、北畠との間で何があっても、今川は神宮の味方である」という暗黙の了解が形成されたのだ。

さらに元信は、北伊勢にて盛大な茶会を催した。招かれたのは、朝倉義景、朽木近江守元綱といった文化人に加え、京からの公家衆、そして伊勢神宮の禰宜たち。だが、その席に、伊勢国司である北畠具教の姿だけがなかった。呼ばなかったのである。

これは、名門の誇りを何よりも重んじる北畠家にとって、刀で切られる以上の屈辱であった。自国で行われる華やかな宴から、当主である自分が排除され、あろうことか敵である今川が主人のように振る舞っている。

「北畠の面目は丸潰れ。焦った北畠が軽挙に出れば好機。出ずとも、神宮と公家を味方につけた今川の威光は、北畠家中の国人らを動揺させましょう」

元信の報告には、静かながらも底知れぬ計算が働いていた。武勇に優れる剣豪大名・北畠具教に対し、正面から挑めば被害は避けられない。ならば、その足元の権威を内側から崩し、孤立させる。じわじわと、真綿で首を絞めるが如く。伊勢の戦線は、元信という男の恐ろしさを静かに物語っていた。