軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第117話.ほしかったもの2

マシューは緊張していた。

落ち着かずに何度も、視線を彷徨わせる。

それに比べ、向かいのソファに座るシャロンは落ち着き払っていた。いっそ腹立たしいほどに。

彼女の名前は何度か耳にしたことがあったが、その噂に違わぬ愛らしさにも鼓動が騒いでしまう。

小さな手でカップを持ち上げる所作のひとつさえ優雅だった。公爵家の豪奢な調度品に囲まれながらも、シャロンはまったく見劣りしていない。

「わたしのこと、知ってるの?」

マシューがあまりに浮き足立っていたためか、シャロンがそう訊いてくる。

どう答えたものか迷った挙げ句、マシューは素直に答えた。

「ルキウス殿下の婚約者に内定していた令嬢で……唯一、イスクァイ帝国に旅立つときに見送るのを許された、って」

シャロンは微笑した。肯定も否定もしない。

余裕の表れなのだろうか。その顔を見ていると、マシューは次第に腹立たしい気持ちになってきた。

「……あなたはすごいですね」

「え?」

「よくそんな、へらへら笑っていられる。僕と同じで魔力がないのに」

これで嫌われて終わりだ、というつもりだった。

だから思いきり失礼に、笑いながら言ってやったのだ。

父親たちのいらぬ気遣いでこんな場が設けられたが、シャロンもすぐにマシューがどんな人間か理解するだろう。

そうすれば好き放題に馬鹿にしてくる。出来損ないだと罵って、顔を背けるだろう。

しかしシャロンの返答は、想像したどんなものより違っていた。

「あら。魔力がない人間なんて、いまどき珍しくないじゃない?」

「…………え?」

マシューはぽかんとしてしまった。

かなり間抜けな顔をしていただろうが、シャロンは変わらず微笑んでいるだけだ。

「アルヴェイン王国は、血統的に魔法の素養に優れた人間が多いそうだけど。他国では魔力なしが増えてきて、彼らのための教育機関だって造られているそうよ」

父親は魔道具研究所で働いている。

兄たちも優秀で、それぞれ魔力の才能がある。

そんな環境で生きてきたマシューにとって、シャロンの言葉はあまりにも想定外のもので。

それなのに――それだからこそ、すんなりと耳に入ってきた。

「それに魔力なしでも、わたしは恥ずかしくないわ。わたしの大切な友だちはたくさん魔力があるのだけど、あの子もわたしのこと、恥ずかしくなんかないって言ってくれたもの」

「友だち……」

「そうよ。ねぇマシュー、あなたもわたしの友だちになってくれる?」

シャロン。

シャロン・カリラン。

その名前だけが、マシューの脳裏に強く刻まれた日だった。

それから、マシューは月に一度くらいシャロンの家に遊びに行くようになった。

会うたびにシャロンは優しく接してくれる。その微笑みを向けられるたび、マシューは天に昇りそうなほどの心地になった。

しかし時折、エリオットと鉢合わせになることもあった。

王都にある魔法学院の制服を身にまとったエリオットこそ、シャロンの友人だったのだ。

娼婦の娘がシャロンに付きまとっている事実は、マシューを苛つかせた。

(こんな汚らしい女、シャロンに相応しくない)

きっと心優しいシャロンは騙されているのだ。

出会すたびにマシューは嫌みを吐いたが、エリオットも気が強い娘で言い返してくる。

エリオットのほうもマシューを嫌っているのだ。その点ではお互いの利害は一致し、粗雑な言葉でやり合う現場は一度もシャロンに見られなかったので、それだけは救いだった。

父親からはよく鋭い目を向けられた。

公爵家の令嬢相手に、いらぬ感情を抱いていないか見張っていたのだろう。

自分から引き合わせておいて勝手なものだ。もちろんマシューは、シャロンへの恋情は完璧に隠し通していたが。

(シャロンみたいな女の子と知り合って、好きにならないわけないだろ)

父親の目がある手前、本当は毎日会いたい気持ちを懸命に押さえている。

あくまで良い友人同士のように振る舞い続ける。しかし共に過ごす時間が増えるたびに、シャロンの気持ちもマシューには手に取るように分かってきていた。

(たぶんシャロンも、僕と同じなんだ……)

そう思うたびに興奮して、息もできないほどのときめきを覚えた。

――そんな日々が続いた、ある日のことだ。

留学先のイスクァイ帝国から、ルキウスが帰国した。

"稀代の天才"と呼ばれる魔道具開発者の帰国に、国中の空気が盛り上がる中、マシューにとって気掛かりなのはシャロンのことだけだった。

シャロンは自室で、ぼんやりと窓の外を見ていた。

少し、様子がいつもと違っていたが、挨拶の言葉もそこそこにマシューは訊いた。

ただただ不安で仕方なかったのだ。

「ルキウス殿下のことは、もう吹っ切れているんだよね?」

「当たり前じゃない。十年も前の話だもの」

おかしそうにシャロンが笑う。マシューもそんな反応に胸を撫で下ろした。

「そんなことより、聞いてマシュー」

「なんだい?」

「わたし、婚約することになりそう」

そして一気に、暗闇へと突き落とされた。

「……婚、約?」

「まだ分からないけどね。というか、お父様にはいやだって言っちゃった」

ぺろ、とシャロンが舌を出す。

そのお転婆な仕草に、マシューは安堵した。

「そうだよね。そうだよねぇ! だってシャロンは……」

――シャロンだって、僕のことを想ってくれているのだから。

今日こそは、と思った。

今日こそは、言おう。自分の気持ちをしっかりとシャロンに伝えよう。

お互いの両親はきっと反対するだろう。

それでも、愛があれば大丈夫だ。どんな困難にだって打ち勝てるはずだ。

突然のことで、花束も指輪も用意はないけれど――、きっとシャロンは喜んでくれる。

その一心で、マシューは続けようとした。

「ええ。エリちゃんに会えなくなるなんて、絶対に絶対にいや。わたし、そんなの耐えられないわ」

強い目をして景色を見つめたシャロンが、そう言い放つ。

(……………………、は?)

何を言われたのか、しばらく分からなかった。

理解が追いつかない。否、本当は理解しているはずなのに、マシューの全身が拒絶している。

シャロンの全てを愛しているのに。

彼女の言葉が、受け入れられない。

「……エリオット?」

「そう。わたしのいちばん。わたしの大切」

(いちばん? 大切?)

マシューの息が荒くなっていく。

気がつかないままシャロンは窓硝子を指先でつついて、苦笑している。

どこか愛おしそうに、笑っている。

「今でもね、けっこう我慢してるのよ? エリちゃんは周りに認められて、魔法省のお仕事を一生懸命に頑張っていて……応援したいから、会いたい気持ちを必死に押さえてるの。こう見えて健気なのよ、わたしって」

シャロンは、まだ何か言っている。

しかし聞こえない。煩わしい自分の呼吸の音だけが、世界に満ちている。

(うるさい。うるさい。うるさい)

このままでは愛するシャロンの声が、うまく聞こえない。

マシューはゆっくりと、踵を返した。

「マシュー? 帰るの?」

「いや。すぐ戻ってくるよ。必要な物を持ってきたら」

耳奥で、誰かが笑う声がする。

いつもシャロンの声が聞こえていた。彼女の笑い声が、マシューを呼ぶ声だけが脳内で響いていた。

しかし、今は違う。

――『ほら、やっぱりね』。

そう笑っているのは、セオドリクだった。