作品タイトル不明
渓流釣り
空間魔法を発動させると、気が付くと俺たちは渓流にいた。
明るく開けたアンドレ家の前から一転して、薄暗い森の真っただ中へ。
枝葉の多い木々が多いお陰か照り付ける日差しは緩和されており、目の前に渓流があるからとても涼しく感じられる。
あちこちで水が流れる音が木霊し、俺たちの鼓膜を震わせる。
岩場の間を縫うように流れ落ちる、天然の小さな滝も見えた。
まさに山の中の避暑地といったところだな。
「さすがクレトの魔法だな! 一瞬でここまでやってこられたぜ!」
「年齢のこともあって渓流釣りは控えていたので本当に久しぶりです」
アンドレやリロイをはじめとする村人たちは、一瞬で渓流にやってこられたことに大喜びだ。
特にリロイのようなお年寄りの人は、ここまでやってくるのが困難であるために何年も来ていない人が多かったそうだ。そんな人は久しぶりの渓流を前にして感動している。
「よし、早速釣るぜ!」
「あんまり遠くには行きすぎないようにしてくださいね。必ず誰かが視界にいる位置にいるように。集合場所はここですからね」
「「はーい」」
引率な先生のような忠告を伝えると、村人たちは各々の場所に散っていく。
釣りをやっているだけあって、そういった事はわかっているだろう。
「あんまり奥に行っても道が険しくなって危ねえだけだからな。俺たちはこの辺りで釣るか」
「それもそうですね」
釣れるに越したことはないが、最優先するべきは安全と楽しさだ。
危険を犯してまで奥に向かう必要はない。特に慣れていないアルテがいる場合は尚更だろう。
俺たちは転移してきた場所からほぼ動かずに、岩の少ない平地部分で釣りをすることに決める。
「おお、魚たちがいっぱいいるのじゃ」
水面を覗き込むと、ハッキリとは見えないがいくらかの魚影が見えている。
多分、見た目や色からアユだろう。
小川よりも水の流れは少し強いのだが、それを感じさせない優雅な動きをしている。
「人の気配を察知して逃げていく様子がありませんね」
本来、こういった自然の中にいる魚は気配に敏感で神経質な個体が多い。少し人間が近づいたり、大声を上げようものならば逃げられてしまうこともある。
しかし、目の前を泳いでいる魚たちからはそんな素振りは見えない。
「ここにはあんまり俺たちも釣りにこねえからな。人間に対する警戒心は割と薄いと思う。だから、初心者でもそれなりには釣れると思うぜ」
「なるほど」
人があまりこないからこそ警戒心も薄いということもあるのか。
釣り場所が決まったところで、俺も亜空間から釣竿を取り出す。
「ちょっと俺は罠を仕掛けてくる。すぐに戻るが二人を頼むぜ」
「わかりました」
アンドレはそう言うと、罠を手にして下流の方へと歩いていく。
食卓に魚料理を確実に並ばせるための処置なのだろう。
「魚を釣るための餌だよ。アルテお姉ちゃんも針につけてね」
悲鳴に驚いて振り返ると、アルテが虫エサを前にして顔を青くした。
うん、温室育ちの王女様が虫エサを針につけるなんてやったことがないよね。
「虫エサが苦手なら別のエサを使うか? 俺もあんまり得意じゃないからクラーケンの切り身を使うつもりだぞ」
別に俺も虫エサでも平気だが、アルテがチャンレジするにはレベルが高いだろうし、他の選択肢も用意してあげる。
前世でもアユはイカなんかでも釣り上げることができた。同じようなクラーケンでもいけると思う。仮に無理だとしたら鶏の皮などの他のエサを試せばいい。
「うむ。わらわにもそっちの方が合っているかの」
そんな提案をすると、アルテが救いを得た子羊のような笑みを浮かべてこちらにやってくる。ニーナは気を悪くすることもなく、必死な様子のアルテを見て苦笑していた。
まあ、これに関しては慣れや育った環境もあるし仕方がない。
「ほれ、クラーケンの身だ。間違って指を刺すなよ?」
「わかっておるのじゃ」
クラーケンの切り身を小さくカットして渡すと、アルテはきちんと針につけることができた。
釣りは互いのペースに合わせる必要はない。
それぞれの準備ができたところで勝手に始めればいい。
ニーナが糸を垂らすのを横目にしながら歩いて回る。
少し奥にある岸ぎわにはたくさんの水草が生えている。それなりに水深があるからかアユがいるかまでは見えないが、こういった場所にアユが集まっていることが多いと知っている。
前世の経験を活かして、俺は水草の集まっている岸ぎわに糸を垂らすことにした。
「「…………」」
皆がそれぞれのポイントに糸を垂らすと、しばらくは無言の時間が訪れる。
聞こえるのは流れる水の音。
微かにオルガや村人の声が時折響いているが、そのほとんどは水音にかき消されていた。
そんな環境音がとても心地いい。
しばらく、目を瞑ってじーっと佇んでいると、針先に微かな反応があった。
「おお?」
早速の反応に驚きながらも引き上げず、ちゃんと食いつくのを待つ。
今度はエサにしっかりと食いついたらしく、竿がグッと引っ張られた。
その瞬間、こちらも竿を引き上げる。
「よし、釣れた!」
すると、針先には見事にアユがぶら下がっていた。
糸を手繰り寄せると網でしっかりとキャッチ。これで逃げられることもない。
「おお、早いな!」
「おめでとう!」
やはり、あの辺りにアユがいたらしい。
針を外すと、水を入れた魚籠に入れてあげる。狭い籠の中をアユが元気よく泳ぐ。
いきなり釣れるとは幸先がいい。
アユは一匹釣れれば、同じ場所に固まって棲息していることが多いので、エサを付け直した俺は同じ場所に糸を垂らす。
「やった! こっちも釣れた!」
そのままボーっと待っていると、今度はニーナが釣り上げたようだ。
針の先には灰緑色をしたアユが見えていた。
「おっ、そっちもアユか!」
「うん、アユだよ!」
ニーナは手早く針を外すと、俺と同じように魚籠に入れた。
籠に入れたアユを嬉しそうに眺めるニーナ。
「むむ、わらわも二人のように釣ってみたいぞ」
「アルテの方はまだ釣れないか?」
「まったく釣れぬ」
どこかしょぼくれた表情を見せるアルテ。
立て続けに俺たちだけ連れていれば、そうなってしまうのも仕方がない。
「糸を垂らす場所を変えてみようか。ああいった石に囲まれた所なんかにもいることが多いぞ」
「本当か!? やってみるのじゃ!」
そのようにアドバイスをしてみるとアルテは糸を戻し、指定した掘れ込みポイントに糸を垂らす。
しばらくは何度も放り投げて待ってみるが、アルテの竿に反応はない。
「むむむ、食いついてこぬな」
「やっぱり、アルテ姉ちゃんも虫エサにするのがいいんじゃない?」
「クラーケンの切り身でもクレトは釣れておる! だから、わらわはこれで十分じゃ!」
ニーナのからかいの言葉に過剰に反応するアルテ。
その必死ぶりから虫エサはかなり使いたくないようだ。
「少しエサを変えてみるか」
「……クレト、お前までそのような事を申すのか?」
「ああ、虫エサじゃない。使うのは鶏の皮だから!」
俺もちょっとからかってみるとアルテが泣きそうな顔になったので少しビビった。
きちんと伝えるとアルテはホッとしたような顔になる。
アルテのエサをクラーケンから鶏の皮に変更。
「もう一度同じ場所に垂らしてくれ」
「同じ場所で良いのか?」
「ああ、そこでいい」
怪訝そうな顔で尋ねてくるアルテの言葉に頷くと、彼女は素直に同じ場所に糸を垂らした。
「竿が引っ張られているのじゃ!」
「魚が食いついているから引っ張りあげて!」
ニーナがアドバイスを送ると、戸惑っていたアルテは我に返ったように竿を握りしめる。
「おおおおっ? 意外と重いぞ、こやつ!」
「魚も釣り上げられないように必死だからな! 頑張れ!」
釣りをやってみるとわかるが、意外と魚というのは重い。そんな奴等が針から逃れようと必死になって泳ぎ回るのだ。小さな体躯をしていようとそのパワーは中々だ。
俺とニーナがハラハラとしながら見守っていると、アルテがようやく魚を引っ張り上げる。
アルテ一人では網を持つことも難しそうなので、俺が網を手にして手繰り寄せた魚を捕獲する。
「おお、デカいアユだな!」
「うわっ! 本当だ! これ本当にアユ!?」
網の中に入った魚は俺やニーナと同じアユ。しかし、その大きさが桁違いだ。
全長が四十センチ近くある。正直、アユでこれほどの大きさのものは初めてだ。
これには俺もニーナも思わず驚きの声を上げる。
「これはそんなにも大物なのか?」
「ああ、少なくとも俺はこんな大きさのものを見たことはない」
「私も! 渓流や川で何回か釣ったこともあるし、父さんの釣ってきたアユを見たことあったけど、
ここまで大きいのは初めて!」
「そうか、わらわは大物を釣ったのか。えへへ」
改めて嬉しさが込み上げてきたのかアルテが嬉しそうに笑う。
「しかし、エサを変えたタイミングで急に釣れたのぉ?」
「まあ、生き物だから好き嫌いもあるだろうしね。こういうこともあるよ」
「なるほど、釣りというのも奥が深い」
「どうだー? 調子はー?」
などと話し込んでいると、ちょうど罠を仕掛け終わったのかアンドレが戻ってくる。
「アルテお姉ちゃんが見たことのない大きさのアユを釣ったよー!」
「うおっ! なんだこのお化けアユは!」
ニーナやアンドレのそんな声が響き渡ったのか、遠くにいた村人が続々と集まっては感心の声を上げる。
やはり、釣り好きの村人からしても、これほどの大きさのものは見たことがないようだ。
「くそっ! アルテに負けてられっか! 俺たちも大物を釣り上げるぞ!」
「嬢ちゃんに負けてられんわい!」
「ワシらにも長年釣ってきた意地がある!」
そんなアルテの獲物に触発されて村人たちが急いでい釣り場に戻っていく。
どうやらアルテの釣果は村人たちの釣り心に火をつけてしまったようだ。
「釣りというのは楽しいのお。いや、クレトたちが住んでいるハウリン村だからかの」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
しみじみと呟いたアルテの言葉に、俺とニーナとアンドレは頬を緩めながら糸を垂らした。