作品タイトル不明
51. 冬の精霊王と春の女神
「まぁ……」
街中は飾られ、とても賑わっていた。露店やマーケットはお祭り仕様に変わっており、広場には舞台が建てられていた。雪が積もっていたり降っていることを当たり前とし、それに耐えうるお祭りの形にフローラは感心していた。
「アーサー様はどちらにいらっしゃるのかしら」
「おそらく一番広場……運営の方かと」
「そう……ん?」
子供の泣き声が聞こえた。フローラの地獄耳と同様に戦場で鍛えられた耳を持つドリスも声の方を見る。いつまで経っても泣き止む気配がない。
フローラが幼い頃散々利用していたように、善性を持つ大人というのは子供が泣いていたら助けようとするものである。フローラに善性なんてものはなかったが、領主の妻というのは善性を求められる。フローラは内心では渋々、外面では心配した様子で子供の元へ駆け寄った。
「どうしたのかしら?」
子供は隠れるように舞台の下で縮こまり、ボロボロと涙をこぼして鼻水を垂らしていた。フローラは子供の顔をハンカチで優しく拭ってやる。本当は嫌だと思いながら。
「おれ……おでっ……」
「ゆっくりでいいわ」
「春の女神役の人が急病になっちゃったの、みんなに伝え忘れてて」
春の女神役。フローラが事前に読んだ資料と照らし合わせれば、とても重要な役だとわかる。フローラとドリスは顔を見合わせた。
「……代役はいないの?」
「いない」
フローラは話しかけたことに後悔した。そんなことを相談されても、どうにもできない。そもそも普段のフローラは、家と研究室、牢屋や拷問部屋など辺境伯邸内を行き来する日々だ。街に知り合いなどいないし、新参者の自分が代役になどなれば批判が殺到する。
「あっ、こんなところにいた!」
そんなところに年長者らしき女の子が垂れ幕を捲ってやってきてしまった。どうやらもう時間はあまりないらしい。
「誰? この人」
「……春の女神の、代役の人」
「はぁ!? 代役!? 聞いてないんだけど……ってああもう!! あんたもこの人も早く着替えて! もう始まるんだから!」
子供は咄嗟に嘘をつき、女の子は急いでいるのかフローラが北の出身でないことに気づかず去っていった。フローラは嘘をついたガキの頭を叩く。
「いだっ!!」
「代役になるなんて、一言も言ってないわよ」
しかし、もうどうしようもない。その上、春の女神の服……白と金を基調としたワンピースは、小さく華奢なフローラにピッタリだった。フローラはもう諦めて台本のセリフを覚え始めた。
第一幕の最初は祖母が孫に神話を語る。その後、話を聞いた雪娘が街へお使いに行く途中に、邪気の影に襲われ、冬の精霊王が彼らを追い払う。
これはおそらく異民族の襲撃とフロスト家を表しているのだろう。
「我が氷は世界を清め、休息を与える。だが、邪気が我が領域を汚している」
冬の精霊王役の青年がそう宣言し、第二幕が始まる。長い冬が終わりかけ、冬の精霊王は力が弱り、深い傷を負ってしまった。
「春の女神よ、来たりたまえ! 精霊王を助け、芽吹きの光でわれらを救いたまえ!」
困り果てた村人たちは、春の女神を召喚する。ここからが、フローラの出番だ。
……物心ついてからずっとほんわかを演じてきたフローラにとって、春の女神の役は不思議なほどに馴染んだ。
「冬の試練を耐えた者たちよ、我が力は汝らに希望を与える。我は、春の女神なり」
足音が聞こえない。ふわりと顕われ、人でない存在として舞台上を歩く彼女に、観客は皆息を呑んだ。その声はこの世の者と思えぬほど透き通り、動きは春の風のように嫋やかだった。北で珍しい亜麻色の髪と桃色の瞳は春を思い起こさせた。
「冬の精霊王よ、共にこの邪気を払いましょう」
冬の精霊王役の青年でさえ、春の女神の美しさに魅入ってしまう。フローラが内心困っているところで、悲鳴が聞こえた。役のままにゆっくりと振り向くと、そこにはクマがいた。
「……」
今は冬で、クマは通常冬眠する生き物だ。しかし、食料が足りなかったり、または異常個体だった場合は、街に降りてくることもある。ここには武器はなく、舞台に魅入っていたことで人々は対応が遅れている。フローラは一瞬で絶体絶命なことを悟った。
「グ……ア……」
覚悟を決め、目を瞑った瞬間。音もなくクマの首が落ちる。
再び目を開けると、剣を持ったアーサーが立っていた。
「我は再び冬に帰る。だが、試練は続く。私の役目は終えた。汝、春を愛せよ」
混乱によって儀式が止まらぬようにアーサーは精霊王のセリフを続け、春の女神は微笑む。意識を取り戻した邪気の影役は舞台袖に戻って行った。
「は、春よ、永遠に! フロストに栄光あれ!」
村人たちの言葉により、閉幕。人々の拍手は鳴り止まず、フローラは逃げる隙を失った。アーサーは何事もなかったかのようにクマを処理する指示を出している。
「本物の冬の精霊王と、春の女神だ!!」
人々に囲まれ、もみくちゃにされ、果てまでは神扱いされた。そんなフローラを救出するように、アーサーはフローラを抱き上げて一言。
「彼女は俺の妻だ」
────地方の人間、特に自然の厳しい土地では、民は信仰心が厚い。フローラはそのことを知識としてしか知らなかった。
圧倒的な演技力と、春の女神を思わせる美貌。子供を助ける献身。春を思い起こさせるフローラの名と女神の姿絵は町中に広められた。顔が知られてしまい邪気グッズが買えなかったフローラは少しいじけた。