作品タイトル不明
念願のシュネーボネット
水に浸けておいたシュネーボネットを鍋に移し、新しい水をたっぷり注ぐ。
かまどに火を入れ、薪がパチパチと小気味よく爆ぜる音を聞きながら、リーナはふうっと息をついた。
今日は店がお休み。お休みということは、一日まるごと自分の時間だ。
(こういう日こそ、いつもは出来ないことをやっていかないとね)
なんといっても試作の時間がたっぷり取れる。気になることを気の済むまで試せる。
鍋の中の豆を見下ろす。一晩水に浸けて、膨らんでいる。これが楽しみにしていたシュネーボネットだ。
アデラインに話を聞いたときから、市場に並ぶ日を待ち続けていた。
知らせを持ってきてくれたのはマリアだった。
「リーナ! ついに来たよ、シュネーボネット!」
朝の仕込みの時間に飛び込んできたマリアは、息を切らしながらそう言った。入荷したら教えて欲しいとお願いしていたのだ。まさか走って知らせに来てくれるなんて。その気持ちがたまらなく嬉しい。
その足でマリアの店に向かうと、白い豆が麻袋からこぼれそうなほど入っていた。
ほんのりと黄みを帯びた、温かみのある白。豆を一粒取って、鑑定をかける。
『シュネーボネット』
『特性:淡白でほっくりとした味わい。煮込み料理で他の旨味をよく吸い、クリーミーな食感へと変わる』
『毒性:生の状態では微量。十分な加熱により無毒化』
(まぁ、うん……豆は生では食べないよね)
鍋の中の湯が沸き始めた。
リーナは目の前の鍋に意識を戻す。沸騰したら、最初のゆで汁は捨てる。豆から出たアクや渋みを抜くためだと、前世で祖母が言っていた。
ぐつぐつと音を立てて湯が躍り出した。
火を止めて、鍋の中身をざるに上げる。湯気がぶわっと立ちのぼった。ざるの上の豆を軽く水で流して、もう一度鍋に戻す。新しい水をたっぷり注ぎ直し、再び火にかけた。
ここからしっかり柔らかくなるまで、じっくり煮ていく。指で潰せるぐらいまで柔らかくするのが目標だ。
その間、溜めておいた仕事を片付けることにする。
まずは二階の掃除から。一階は毎日磨き上げているが、自分の住まいである二階は毎日は出来ない。箒で床を掃き、棚の埃を拭き、ベッドのシーツを替える……のだけど、どうしても意識が豆の方に向かってしまう。
(火加減、大丈夫かな。水足りてる? 豆がこんにちはってにょきっと出てたりしない?)
そわそわしてしまって、どうにも落ち着かない。窓を開け放ち、新しい風をさっと通したところで、たまらず掃除を切り上げた。階段を降りる足取りは、自分でも笑ってしまうくらい急ぎ足だった。
急いで確認した鍋の中は水の量も大丈夫で心配は杞憂に終わった。
とはいえ、また二階に戻ったら絶対に気になってしまうだろう。このまま一階で片付けられる仕事はないかと店を見渡し……カウンター席の上に広げたままの帳簿が目に入った。
(ちゃんと、つけてますよ……でも、ちょっと、もうちょっと綺麗に書こうと思ってたんだった)
鍋の番をしながら片付けるには、ちょうどいい作業だ。
カウンター席に腰を下ろし、ペンを手に取る。
マリアの店からシュネーボネット。ベラの店から野菜各種。チーズはいつもの店から。数字を書き連ねていく。
時々鍋を覗いては、湯の量を確かめる。減っていたら水を足す。豆が常に浸かっている状態を保たなければならない。
時間が経つにつれて、鍋の中の豆はだんだんと姿を変えていった。豆のしわは伸び、表面はふっくらとつやを帯びていった。
一粒すくって、指で摘まんでみる。
「あつっ! おお!? 柔らかくなってる!!」
すっと潰れたので、そのまま口に放り込む。
噛むと、ほっくりとしながらもクリーミーな食感。豆の素朴な甘み。
(うん、美味しい。豆の甘みがいいね。香りは……そんなにないかな?)
舌の上で味を確かめながら、何を作ろうかを考える。
甘煮にしてもいいけど、このクリーミーな食感を活かして今回はペーストにしてみようか。
塩気を効かせてパンに塗るのもよし、砂糖を加えて白あんにするのも捨てがたい。
(うん、せっかくだから両方やってみよう)
ゆで汁ごと、別の容器に半分だけ移す。残った半分は鍋に置いたまま。
湯を切った豆から湯気が上がっているうちに、木べらで粗く潰していく。なめらかにしすぎず、ホクホクした食感を残すのが狙いだ。
そこに細かく刻んだローズマリーとすりおろしたニンニクを加える。塩、そしてオリーブオイルをたっぷりと回し入れて、味を整えた。
「さてさて、味見~♪」
ぱくりと頬張ると、舌を包み込むような優しい味わいがまずふわっと広がる。そこへすかさず、ニンニクとローズマリーの香りが鼻に抜け、オリーブオイルのコクが全体を支える。
リーナはすぐに切っておいたパンに出来上がったペーストを塗ってがぶっと齧りつく。
「ん~~~~~! すごくおいしい~!」
クリーミーなペーストの中で、粗めに潰した豆が時折ホクッとした食感のアクセントになっている。
(前菜にぴったりだわ。きりっとしたワインに絶対合う。アデラインさん好きそうだな)
しょっぱいものを堪能すると、今度は甘いものが待ち遠しくなって、鍋のほうへ目を向けた。
もう半分の豆が、まだゆで汁の中で待っている。
こっちは白あんなので、なめらかな仕上がりにしたい。
大きめのボウルにざるをのせる。ゆで汁ごと豆をざるに移し、お玉の背で押すようにして裏ごしする。豆がざるの目を通り、下のボウルに落ちていく。
手の動きが一定のリズムを刻む。押して、引いて、押して、引いて。
「すんごい重労働だわ……でも美味しいのためには頑張らないと!」
途中で水を少しずつ加えながら、ざるに通していく。皮はざるの上に。中身は水と一緒に下のボウルに。これを何度も繰り返した。
大きなボウルに溜まった水を、しばらく置いておく。片栗粉を作った時と同じ要領だ。
上澄みを捨て、水を注ぎ、軽くかき混ぜて、また置く。
上澄みがほぼ澄んだ状態になったところで静かに水を流し捨て、ボウルの底に残った白いものを、布巾を敷いたざるに移す。四隅を持ち上げてぎゅっと絞る。水がじわじわと布の目から染み出していく。
「ぎゅーーーーっ! ふはっ! もうちょっと、っと!」
布巾を開くと、中に残ったのは白くてしっとりとした塊。
これが生あんだ。
鍋を洗って火にかけ直し、搾りたての生あんを移す。そこへ、たっぷりの砂糖をどさっと加えた。
「ほんと、砂糖が豊富な国でよかった」
日本でいつ頃から作られていたものなのかは知らない。でもこれだけ砂糖を使うのだ。
(きっと、昔は庶民の口には入らなかった料理だな)
弱めの火で、木べらを使ってゆっくり練り始めた。
最初は固い塊だったが、砂糖が溶けるにつれてしっとりとしてくる。
まんべんなく火を入れていくと、水分が飛び、つやが出てきた。
すくって落とすと、ツノが垂れるぐらいの硬さ。このくらいで火から下ろした。
木べらについた熱々のあんを少しだけすくい取り、ふうふうと息を吹きかける。火傷しないように、そっと口に含む。舌の上で、白あんがゆっくりと溶けていく。
砂糖の甘さの奥に、豆のほっくりとした風味がしっかり残っている。後味はすっきり。あんなに砂糖を入れたのに重たくない。
間違いなく、白あんだ。
前世で食べていた、あの白あんと同じ味。
……さて。
この白あんで、何を作ろうか。どら焼き、饅頭、餡バターもいけるだろうか。頭の中でいくつもの菓子が広がっていった。