作品タイトル不明
6話 麦芽水あめを売ろう
「なんだこれは……。ハチミツじゃないが、サパ(果汁を煮詰めた糖化液)でもない。穀物の香りがするのに、驚くほど甘い……!」
俺はデキムスさんにもルシア同様に麦芽水あめを一口振る舞う。
それをなめたデキムスさんは驚きの表情。
「ヴィリクス様、これは……!?」
そして、スプーンを俺に返しつつこの屋敷のヴィリクスであるフェリクスのおっちゃんに聞く。
まあ現物を持っていたのは俺とはいえ、この屋敷にある物資はすべてフェリクスのおっちゃんが基本的に管理している。
これが何かを知っているのかをフェリクスのおっちゃんに聞くのは正しい反応だ。
「あぁ、それか……おいルシ坊ちょっといいか?」
一旦デキムスさんにこの麦芽水あめが何かを教えるのを渋ったかと思うと、俺の肩に手をのせて俺を脇の通路に連行する。
「お前なぁ……まだ小麦麦芽水あめが出来上がっていないのに、外の商人にばらす奴があるか……っ!」
「小麦麦芽の状態は前回よりもいいから、多分来週にはそっちは解決するよ」
「まじか!?頼むぞマジで!!この歳で鞭打ちはマジつらいんだからな!?」
俺の朗報に必死の形相になるフェリクスのおっちゃん。
「まあ、後は俺のやる気次第?……俺も ペクリウム(へそくり) が欲しいなぁって」
「お前な……さすがに10歳で商いのペクリウムの許可は俺の権限じゃできないぞ?かと言ってマルクス様もお認めになると思うのか?」
「うん、だからおっちゃんのペクリウムにして、俺が成人する時に半分頂戴よ。あと成人する前も俺の分は好きに使わせて?」
「最初からそのつもりだったな……?」
ジト目でこちらを睨んでくるフェリクスのおっちゃん。
「だって、大麦麦芽水あめ、ふるまい以上の分を作ってるじゃん……いずれ外に売るつもりだったでしょ?そのときは俺を巻き込まずにやるなんで無理だよねぇ?と、言うことは後はタイミングの問題だったでしょ?」
それに対して俺は 飄々(ひょうひょう) と返す。
麦芽水あめは発明者が俺というのもそうだが、俺を抜かして商売をし、その結果俺というお気に入り奴隷の発明を『盗った』とお嬢様にみなされた日には連鎖的に大麦麦芽水あめの件がバレる爆弾付き商品でもある。
「お前……本当にルシウスか?」
「なんだよおっちゃん、藪から棒に」
「……元々頭が良いやつだったが熱を出してからのお前は少しさえ過ぎているぞ。……レシピ以外にもミネルヴァ様から何か授かってないか?」
「……」
フェリクスのおっちゃんの問いに俺はあいまいな笑みを浮かべる。
「いや、怖いから答えなくていい」
その結果深読みしたおっちゃんは質問を撤回した。
知らないほうがいい情報もある。
何気にポンペイ有数の家に仕えてるだけあって、そこのセンサーは優秀なようだ。
「で?お前はなんであの行商人に目星をつけたんだ?」
「だって新規の商人で後腐れがないし、フェリクスのおっちゃんの色がついてない定期出入りの行商だろうから後々主導権握れそうだし。……ウンブリキウス様の件で巻き添えになった 薪商人(まきしょうにん) の 後釜(あとがま) でしょ?デキムスさん」
「なんでそこまで想像ついてるんだよ……」
お手上げといった感じで両手を上げるフェリクスのおっちゃん。
数日前、薪倉庫から薪が枯渇しかけるという非常事態があった。
原因はポンペイのガルム王、アウルス・ウンブリキウス・スカウルス様の邸宅で突発的な大規模な宴があり、テルマエや床暖房の関係で一時的に薪の需要が数日切迫したこと。
宴を絶対成功させろといいつけられていた向うの家のヴィリクスは普段の倍の値段で薪を買ったらしい。
そのあおりを受けてうちに出入りしていた薪商人がうちの分の薪をウンブリキウス邸に回し、うちが巻き添えで薪不足に。
そしてタイミング悪くそれがマルクス様に知られた。
1日バレなかったら何の問題もなかったのだが、原因がウンブリキウス様と知ったマルクス様は激怒。
その薪商人を出禁にし、今日中に薪を納入した商人を新しい出入りの商人にすると宣言。
その結果、新しく出入りを始めたのがデキムスさんというわけだった。
「というわけで、デキムスさんが頑張って家に即日で薪を届けたんでしょ?」
「あぁ。その通りだ。で、あとはお前の想像通りだよ。それを伝えた上で、お前を説得するつもりだったんだがなぁ……あの後計算したんだがな、お嬢様のお小遣いだけで材料を買うのには限界がある。マルクス様に知られずに大麦麦芽水あめをふるまい続けるにはお前が小麦麦芽水あめを作れ次第やる必要があったわけだ」
「じゃあタイミングもばっちりだね」
「結果的にはな」
目頭をもみながらフェリクスのおっちゃんは続ける。
「でもな?今回はたまたま思惑が合致したから良いものの、無断でこういう策略を巡らすのは勘弁してくれ」
「あ、うん」
俺の肩をつかんで疲れたような声で言うフェリクスのおっちゃんに 気圧(けお) されて俺は素直に返事をする。
「お前はミネルヴァ様から何かを授かったんだろう。いや内容は言わなくていい。何かすごいものを授かったような気が俺はする。だからと言ってな、お前は10歳で、奴隷なんだ」
「わかってる」
「いや、わかってないから言ってる。やるなって言ってるんじゃない、やるなら手順を通してくれって話だ……これならわかるな?」
フェリクスのおっちゃんが俺の目を見て言う。
うん。
フェリクスのおっちゃんの言っていることは正しい。
今回の件も、俺の予測が外れていた可能性もあるし、すでにフェリクスのおっちゃんが他の商人とうまい事交渉の下ごしらえをしてくれていた可能性だってある。
そうしたら、フェリクスのおっちゃんと利害が衝突していた可能性だってある。
ばらしてしまった手前、デキムスさんも一枚かませる結論は変わっていなかったろうが、それでも今後の関係を考えたら結果としてはしこりを残す結果になっていた可能性もあるわけだ。
そのあたり、今後注意しないとな。
……まあそれはそれとして。
「で、結局デキムスさんに麦芽水あめを試しに売ってもらう、でいいんだよね?」
「あぁ、そこは構わない」
「値付けは2セクスタリウス(1リットル)あたり11アスくらいかな?」
俺はハチミツの流通価格から逆算してフェリクスのおっちゃんに値付けを提案する。
いわゆる良品質以外の一般的なハチミツが1セクスタリウスあたり3~4セステルティウス(12~16アス)、パン屋などへの卸値で7掛けと考えると1セクスタリウスあたり8~12アスとなる値段なら都市内物流で完結することを考えれば妥当な金額だろう。
「まあそんなもんか。ルシ坊、交渉してみるか?」
「冗談。ガキの俺がやったら足元みられるに決まってるでしょ」
「策は巡らせるけど常識ごと投げ出してる訳じゃないようで安心したぞ。じゃあ俺が交渉してやろう」
「さっすがおっちゃん頼りになる~」
持つべきは運命共同体の大人だよね!
「……まあ俺にとっても小遣い稼ぎ程度にはなるからな」
おそらくフェリクスのおっちゃんの中では精々稼げて数デナリウス(銀貨数枚)程度の計算なのだろう。
まあ確かに今の邸宅内の製造能力だとそんなもんか。
おっちゃんの見落としに突っ込む必要は特にないため、俺はおっちゃんのつぶやきをスルーして別のささやきを流し込む。
「あ、おっちゃんと料理人のおっちゃんがこそこそ食べてる白パンついでにあげると食いつき良くなるかも」
「ほんと抜け目ねえなお前」
そう言って俺を連れてデキムスさんの元に戻るフェリクスのおっちゃん。
後はフェリクスのおっちゃんに任せればいいやと思った俺はそのまま自分の次の仕事であるお嬢様の相手をするために中庭に行くことにした。
結果、デキムスさんは卸値とこの水あめの材料が大麦という部分で難色を示したものの、うちでフェリクスのおっちゃんと料理人のおっちゃんがひそかに自分たちのご褒美として作っている白パンを食べて態度が一変。
パン屋に売りに行ってみるために数セクスタリウス分の麦芽水あめを仕入れてそのままパン屋に向かったとのことだった。
そしてその数日後、転がり込むように裏口の通用口からフェリクスのおっちゃんの面会を希望するデキムスさんを見て、俺は目論見が成功したことを確信した。