軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

その好きは、どの好きでしょう

ニーナのドレスは準備万端。

宰相様のお邸で開かれる舞踏会が明日に迫った今日、私はローズ様の授業へとやって来ていた。

アレンとは扉の前で別れ、王女宮への帰り道はまたジャックスさんが送ってくれる予定だ。

扉の前にいた騎士集団は随分と数を減らし、ローズ様の勤勉な姿を感じさせられる。もう逃げないと信じてもらえたらしい。

「ソアリスさん!ようこそいらっしゃいました!」

今日も元気なローズ様は、美しい金髪をゆるく三つ編みにして紅いリボンで結んでいた。お名前の通り、バラのように華やかで美しい姫君だと思う。

挨拶をすると、王妹殿下の成長ぶりに目を瞠った。姿勢や歩き方が、随分と優雅なものに変わっているのだ。

ドレスの裾さばきも慣れたようで、前を向いて歩いていても長い裾を踏むことはない。

「歩き方がお美しくなられましたね……!」

思わずそう漏らすと、ローズ様は照れたように微笑んだ。

その笑顔の愛らしさは、何ともいえない。弟妹を愛してやまない私としては、不敬だと思いつつもこんな可憐な妹も欲しかったなぁと思う。

どうやら、まだ私がアレンの妻ということに気づいていないらしい。

なんで誰も言っていないの?

ちらっと侍女長さんとマルグリッド様に視線を投げると、ささっと目を逸らされた。

もしかして、将軍の妻が私だと知ると、ローズ様が「悪口みたいなことを言ってしまった!」とパニックになってまた逃げ出すとでも心配しているの?

でもマルグリッド様って、こういうときにこっそり教える役割のお友達候補なのでは……。

「「…………」」

じっと見つめると、にこりと笑みを向けられる。もしかすると、彼女には彼女なりの思惑がある?

腹芸が得意なタイプなのかも。

だとしたら、まともに探って私に勝ち目はない。

社交界デビューもしていない、争いなんて起きない王女宮でぬくぬく生きてきた私にこのご令嬢の相手は無理だ。

ローズ様は私の胸のうちに気づかず、満面の笑みを向けてくれる。

「ソアリスさんに褒められると、うれしいです!」

「喜んでいただけて光栄です」

こうなってくると、マルグリッド様からの説明を期待するよりも、私が改めて自己紹介した方がいいよね。

ただ、この屈託のない笑顔がなくなってしまったらと思うと少し怖い。

将軍の妻という冠が、ソアリスという私自身よりも前に出る。それは少し悩ましいことだった。

現に、将軍の妻として知れ渡ってしまってから新しくできた友人はいない。

食堂で気軽に話しかけてきてくれた文官たちも、どこかよそよそしくなっちゃったくらいだし。

私の素性を知ったとき、ローズ様はまた同じ笑顔を向けてくれるかな。

こんな風に、信頼を置いてくれるのかな。

「がんばっておられるのですね。それでいてお元気そうで、安心いたしました」

「ふふっ、がんばったらいつか皆さんに認めてもらえるかなって希望が持てたから……」

なんて愛らしいお姫様なんだろう、そんな風に思いながら見つめていると、ローズ様は以前よりぐっと明るくなった顔つきと声音で言った。

「がんばろうって思えたんです。ヒースラン将軍のおかげで」

「アレン……、ディオ様のおかげで?」

まさか夫の名が出てくるとは。予想外だったから、つい愛称のまま呼びそうになった。

ローズ様は「はい」と答えてにっこりと笑う。

「あれからがんばって話しかけてみたんです。やっぱり将軍は無口でほとんど笑わないし、特に会話は広がらないんですけれど、でも私が落ち込んでいたときにとても優しい言葉をかけてもらって……大好きになりました!」

無邪気な笑顔が、私の心に容赦なく突き刺さる。

先日は、アレンにユリの花を贈ってくれて、信頼されているのは知っていた。

でもこの「大好き」は、どういう種類の好きなんだろう。不安というほどの大げさなものではないものの、ちょっとだけ胸がもやっとした。

自分の気持ちに戸惑っていると、ローズ様は穏やかな笑みで語る。

「ずっと自分が王妹だなんて、私が一番信じられなかったんです。認めたくないって、心のどこかで思っていました。いつかは元の暮らしに戻るんじゃないかって。だから、侍女たちに陰口を叩かれても『やっぱり私なんて』って思ったんです。ここでは、私が生きてきた16年間はダメなものだったんだって……。でも、『花屋の娘だったことを恥じる必要はない』ってヒースラン将軍が言ってくれたんです。そんなことを言ってくれるのは、将軍だけでした」

「そうですか……」

「ここに来てから、王族だからできるだろうって色々と教え込まれて、私はその度に『平民育ちなんだからできない!』って思っていたんです。でも、その気持ちは先生方も私も実は同じだったんですよね。生まれや育ちで、すべてが決まってしまって変わらないって……。

将軍に過去の私を認めてもらえて、がんばれば変われるんじゃないかって希望が持てました。あの方が怖いだなんて、私が間違っていました。ソアリスさんが優しい人だって言っていたのは本当でした。裏表のない、素敵な人だと思います!」

うっとりとした表情は、心からアレンのことを好ましく思ってくれているんだと伝わってきた。これまでの「怖い」というイメージががらりと変わったんだろう。

それは、喜ばしいことだ。

「優しい人なんだって気づいたら、これまでそっけないと思っていた態度も意味があるんじゃないかって思って。そしたら、何気ないときでも周囲に気を配ってくれているし、私が転びそうになったら手を差し出してくれるし、笑いかけると微妙に笑ってくれることもあるんです」

アレンは職務に忠実なようで、ローズ様の口からは次々と称賛が飛び出した。

「横顔が本当に素敵で、つい見惚れてしまうこともあるんです。こんなに強くてかっこよくて、優しい人に守られているんだって思ったらうれしくて」

「はは……そうですか」

でも私は、夫が王妹殿下に褒められているのに沈んだ気持ちになっていく。

なぜ?

喜んでいいはずでしょう?

護衛として認められ、人として信頼してもらえるのはすごいことだもの。

妻として喜ばなきゃ。それに――

「ローズ様が楽しそうで、何よりです。お顔が明るくなられましたね」

これは本心だった。

あの儚げなローズ様がこんなに元気になったんだから、ホッとしている。

「ふふっ、ご心配をおかけしてすみません。あ!見てください、このリボン!私も将軍に憧れる淑女の一人として、紅いリボンを用意してもらったんです。ノーグ語を教えてくれるマリナ先生も、ヒースラン将軍のファンなんですよ!」

マリナ・カーライル先生は、王女宮へもよく現れるから知っている。赤髪の淑女で、確か私と同じくらいの年の娘さんがいたはずだ。

優しくて笑顔の素敵な理想のマダムだけれど、まさかあの方までアレンのファンだったとは。

うれしそうにリボンを見せるローズ様は、ただただ眩しかった。

「ソアリスさんはいつも青系の髪飾りが多いんですか?よろしければ、一緒に紅いリボンをつけません?」

「え」

いいのかしら……?

いやいや、でも私に遠慮して青系の髪飾りを控えてくれているのよね、皆さんは。

それなのに私が皆さんの領域(?)にズカズカと入っていくのは気が引ける。

普段は青や緑系のものを意識して身につけていて、アレンにもらった紅い宝石のついたバレッタは休日や邸にいるときだけ使うようにしていた。

「これを着けていると、私も将軍みたいにかっこよく強い気持ちになれるんじゃないかなって思うんです!とても素敵だと思いませんか、皆さんとお揃いのリボン」

「えーっと、そうですね。かわいらしいと思いますわ。よくお似合いです」

私が困っていると、侍女長がスススッとローズ様のそばに寄り、「そろそろお勉強を始めてください」と耳打ちした。

ローズ様は「あっ」と思い出したかのような反応を見せ、ペンを握って本を開いた。

返答に困っていたので助かったけれど、さすがにもう引き延ばすことはできない。

この笑顔が見られなくなったとしても、今日のティータイムには私がアレンの妻であることを言わなくては。

そもそも、秘密にしているわけじゃない。

むしろ、城内で知らないのはローズ様だけなのだ。そのうち誰かから耳に入るだろうけれど、もしもこの先ローズ様がアレンと親しくなって、妻について尋ねたら?

初対面のときに名乗っているから、あえて2回も「私はヒースランです」って言うのは覚えていないことを指摘することになり、身分が上の人に対しては失礼にあたる。

本来であれば、私から伝えていいことじゃない。

でもローズ様は、身分うんぬんよりまだこの環境に馴染めていないのだから、私が早々に伝えるべきなのかも。

迷う気持ちと葛藤しながら、私はローズ様の教科書とノートに視線を落とす。

「まぁ、もうこんなところまで?」

以前よりも、進みが早い。しかも予習をしたといい、かなり先の方まで理解できていた。

「すごいです!ローズ様、とてもがんばっておられるのですね」

ところどころ間違っている数字もあるけれど、努力の跡が確かに見える。

「うれしい、ソアリスさんにそんな風に言ってもらえるなんて!算術は好きみたいで、この勉強は苦じゃないんです」

毛嫌いする人も多いから、珍しいことだと思った。

純粋に笑顔を向けてくれるローズ様を見ていると、昔のニーナを思い出す。

「これならすぐに、基礎部分は終えられますね。先へ進むかは、ほかの教養科目とバランスを見ることになりますが、この調子なら中級までは一気に行けそうです」

「本当ですか!?がんばります!!」

「ふふふ、楽しみにしています」

この日もつつがなく授業を終え、ローズ様お楽しみのティータイムがやってきた。

目の前に並んだプディングやパイは、甘い香りを放っている。

「あの、今日は金庫番のスタッドさんもお招きしたんです。あのとき、私が迷っていたときに近衛騎士を呼びに行ってくださったので」

「アルノーを?」

驚く私の背後から、近衛騎士に連れられたアルノーが現れる。

私をびっくりさせようとしたのね!?

目が合うと、アルノーはニヤリと口角を上げた。

「お招きに預かりまして、光栄にございます。アルノー・スタッドです」

礼儀正しい青年の皮を被ったアルノーは、私の隣に着席する。3人でスイーツを囲み、わずかな時間ながらティータイムがスタートした。

最初はなにげない会話をしていたのだが、パイを食べ終えたローズ様はいたずらな目で私たちを交互に見る。

「お二人はとても仲がよろしいんだって聞きました。もしかして恋人同士なんですか?」

「「ぶっ……!?」」

唐突な質問に、私たちは同時に紅茶を噴き出しかける。一滴も零してはいないけれど、マナーとしては最悪だ。

コホンと咳ばらいをした私は、口元をナプキンで拭う。

アルノーはニコニコとした笑みをすぐに貼り付けたが、そのオーラからは「絶対に勘違いされたくない」というのが伝わってきた。

「殿下、私どもは同じ職場で働く友人でございます。天地がひっくり返ろうとも、空から火の矢が降り注ごうとも、絶対に恋仲ではありません」

そんなに力いっぱい否定する!?まぁ、事実なんだけれども。

世の中には、何がどうなろうとも恋が生まれないことがある。それが私とアルノーなのだ。

私も彼の意見に同調し、苦笑いで頷いた。

まさかここで、アルノーがどーんと暴露するとも知らずに。

「もしかして殿下はご存知ないのでしょうか?ソアリスは、殿下のおそばについているヒースラン将軍の妻ですよ」

「「っ!!」」

今度はローズ様と私が息を呑む。

あああ、空色の瞳が極限まで見開かれている!

「しょっ、将軍の!?ヒースラン将軍の奥様って、ソアリスさんがですか!?」

驚くローズ様を相手に、アルノーは平然と述べた。

「はい。巷で話題になったでしょう?10年間も離れ離れで、それでもお互いを思い続けた純愛の政略結婚です」

うん、大きな違いがあるね。

確かに噂ではそうなっているけれど!

「ソアリスさん」

「は、はい……」

ローズ様がガクガクと震えている。

その瞳は、明らかに私に対して怯えていた。

「わ、わたくし、わ、わたすは」

何で言い直してさらに噛んだの!?

「ああああ、なんていう失礼を……!!知らなかったんです、知らなくて、ソアリスさんがヒースランだったって、家名まで覚えられなくてそれで」

狼狽えるローズ様と私の顔を、アルノーが交互に見て首を傾げた。

「ごめんなさい……!ごめんなさい……!奥様なのに、私ったら将軍を怖いって」

「大丈夫です!何の問題もございません!」

慌ててフォローするも、ローズ様はひたすらごめんなさいと繰り返す。

「ローズ様。お気持ちはわかりますが、王妹様ともあろう方が簡単に謝ってはいけません」

侍女のマルグリッド様がそっと囁くように告げた。

その通りだ。

私はただの臣下の妻であり、城の文官。そして貧乏子爵家の娘。

そんな私に謝ってはいけない。

「でも、でも!私ったら軽率にあんなことを」

「ご本人が大丈夫だとおっしゃっているのですから、ここは何事もなかったように流すのがマナーですよ」

はい、私も流して欲しいです。

忘れて欲しいです。

マルグリッド様の意見に完全に同意する。コクコクを頷く私を見て、ローズ様はやっと落ち着いたのか紅茶を一気飲みした。

侍女長がきらんと目を光らせているけれど、今だけは許してあげて!

動揺して目を泳がせるローズ様に、私は謝罪した。

「申し訳ございません。私が将軍の妻だと、もっと早くにお伝えすればよかったのですが……」

すべては私の、会話の瞬発力のなさが原因だ。

今日伝えるつもりだったけれど、それでは遅かったのだ。

「いえ、ソアリスさんは何も悪くないです。私が……」

ローズ様はマルグリッド様をちらりと見て、続きの謝罪の言葉を飲み込んだ。市井育ちのローズ様にとって、この「謝っていけない立場」というのは違和感があるらしい。

「「…………」」

気まずい。

アルノーが小さな声で「ごめん」と呟いたけれど、彼が悪いわけではない。

気まずい空気のまま、お開きの時間が来てしまう。

「また、お伺いしますから」

私はそう言ってこの場を終わらせた。

「は、はい……。また今度」

ローズ様は気落ちした様子だったけれど、わざわざ扉のところまで見送ってくれた。

私ったらこんなに優しい子に嫉妬心なんか抱いて、自分が情けない。

扉が閉まり、私はアルノーの共に王女宮へ戻る。

アルノーは申し訳なさげに私を見た。

「大丈夫?将軍、呼ぶ?」

こんなことくらいでアレンを呼び出すなんて、できるわけがない。

静かに首を振った私は、ため息を堪え、背筋を伸ばして前を向く。

「次の授業のときに、誠心誠意お話をするわ。大丈夫、きっとわかり合えると思う」

ローズ様はあんなに優しくて素直な方だから、きっと話し合うことができるだろう。今は、そう思いたい。

アルノーは私と少しだけ距離を取り、歩きながら言った。

「ま、ソアリスと将軍のすれ違いっぷりに比べたら早いうちに解決できるんじゃない?」

それを言われると何も言えなくなってしまう。

私たちは、ジャックスさんに付き添われながら王女宮へと戻って行った。