軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二百六十四話 南部戦線⑱ 歴史の悪意

イシュタルの攻略を目指した、ハーリー公爵率いる別動隊は、当初歩兵12,000名、鉄騎兵7,000騎の一大勢力であった。それは、ゴーマン伯爵の関門防衛部隊1,200名、イシュタル防衛軍2,500名と比べても、圧倒的であり、帝国軍の勝利は約束されたようなものだった。

だが、戦場での幾つかの誤認と偶然が、カイル王国陣営に幸いした。

別動隊が進発した時に第一皇子は、荷駄隊に偽装していた軍馬を、これ見よがしにアイギス方面に展開して意味もなく動かしていた。大規模な別動隊として、鉄騎兵の大半が抜けたことを偽装するために。

これを見たタクヒールらは、その欺瞞工作に見事に引っ掛かっていたのだ。

当初、別動隊の存在に慌てたタクヒールも、眼前に上がる土煙と夥しい数の軍馬を見て、別動隊として派遣された鉄騎兵は、2,000から3,000騎と予想していた。

もし彼が戦場を俯瞰でき、事実を知っていれば、その先の歴史は変わったかも知れない。

圧倒的多数、そして打撃力を伴った別動隊に対し、周囲の反対を押し切り、無理を承知で部隊を割き、援軍を派遣していたことだろう。

焼け石に水と知りつつも……

事実を誤認し、綱渡りのような対応を余儀なくされた彼らは、イシュタルの奇跡的な勝利と、ダレクの参戦という偶然による不確定事項によって、この方面での戦いに勝利した。

「物見より報告です!

黄-白-白に続き、赤-白-白!

関門及びイシュタルにて、お味方勝利の報告が上がっております!」

この報告を受け、アイギスの本陣は大いに沸いた。

「やりましたな! これで我らの懸念はなくなりました。此方も負けてられません!」

ほっとした表情で、喜びに沸く団長の姿を見たとき、俺は思った。

団長自身が一番、イシュタル方面への援軍に出たかったのだろうと。

だが、俺のこと、本営のことを考えて、自ら心を押し殺して冷徹に振舞っていたのだと。

「ならば、あまりやりたくはなかったのですが、そろそろ此方も一気に行くため、アレを使いますか?

鉄騎兵は我々が城壁を出て攻勢に出たとき、相当な脅威になりかねませんし」

「報告! 関門より急使が到着しております!

ゴーマン伯爵より、大至急お知らせしたきことがあると伝言を携えているようです!」

「すぐに通せ! こちらも戦況が知りたい」

どうやら今回、関門での戦いの勝利により、敵軍の警戒網を縫って使者を送る余裕ができたのだろう。

そう思って、使者を引見した。

「失礼いたします。

関門は、ダレク様率いる辺境騎士団の参戦により、キリアス子爵軍1,000を撃破し、勝利しました。

援軍部隊はそのまま、イシュタル方面を攻め寄せていた敵軍、約12,000の歩兵と、7,000の鉄騎兵を防衛部隊と挟撃し、勝利した模様です。

イシュタル方面において、敵の集団戦力は存在せず、掃討戦に移行した模様。

お味方、大勝利です!」

「なっ!」

勝利に喜ぶ前に、俺と団長は同時に驚きの声を上げていた。

イシュタル方面の攻撃に、19,000もの敵軍が参加していただと?

俺たちが驚かされたのは、まさにその点であった。

「敵軍の総数に間違いはないのか?」

「はい、関門の望楼より、複数の物見により観測した数でございます。

尚、わが主は、イシュタルにも使者を放ち、状況を確認しておりますが……

あっ! 失礼しました! キリアス子爵軍を加えれば、敵の総数は20,000でした。申し訳ありません!」

「……」

いや、俺たちの疑念はそっちではないんだけど……

「主はこうも申しておりました。

『辺境騎士団の一隊が山岳地帯を抑えたことにより、敵軍は袋の鼠となり、完全にその戦力は失われた。

敵が状況を掴めぬ今、敵の本営を衝く好機デアル』と」

「!!!」

俺と団長は、はっとなって互いの顔を見合わせた。

「団長! 直ちに準備を! ここで一気にカタを付けます」

「承知しました!」

この貴重な戦機を、ゴーマン伯爵は危険を冒して使者を放ち、わざわざ知らせてくれたのだ。

それにしても、この絶体絶命の状況を知らず、俺は友軍に大きな負担を掛けていた、そういうことか。

「それにしても、またダレク兄さんに助けられたな……、でもどうやって戦場を迂回してここまで?」

この時俺は、ハストブルグ辺境伯の死に端を発した、王国内での状況変化を、それに乗じた狸爺の作戦指示を知らなかった。

この一連の出来事は後日、カイル王の英断と、ハストブルグ辺境伯が死してなお、国の護りとして放った刃として、長く語り継がれることになるが……

タクヒールらが、勝利報告を受けているころ、味方の勝利報告を待ちわびている者たちがいた。

彼らは、東側の防衛都市が陥落し、それがカイル王国軍守備兵の全軍崩壊に繋がるであろうこと予期し、ここ数日はアイギス側からの『いやがらせ』攻撃にじっと耐えていた。

「ハーリーからの知らせはまだか?

昨日より総攻撃に入ると知らせてきて以降、何の報告もないではないか?」

「きっと潰走する敵軍を追っていらっしゃるのでしょう。

今少しすれば、我らの鉄騎兵がテイグーンを経由して、奴らの後背に現れることでしょう」

「そうだな……」

短く答えた第一皇子は、その逸る心を抑えるしかなかった。

彼の不幸は、別動隊との通信手段を持たなかったことだ。伝令で使者を走らせる以外……

もし、別動隊の敗退と惨状を、彼らが知っていれば、涙を飲んで軍を返すか、アイギス攻略を放置してイシュタル方面に軍を動かしていただろう。

「やむを得ん、念のためハーリーに使いを走らせろ。

目の前にぶら下がった餌に夢中で、報告を怠るとは仕方のない奴らだ」

第一皇子の命により送り出された使者はその後、ハーリー公爵の元に辿り着くことはなかった。

その時、公爵自身が傷付き、アレクシスたちの虜囚となっていたからだ。

そして、彼らが死地を脱する唯一の経路、山岳地帯に築かれた侵入路には、ゴーマン伯爵から情報を受けたダレクが、エロール率いる別動隊1,000騎を放っており、彼らに制圧されていた。

この過程でも、第一皇子陣営には不運が襲っていた。

エロールがこの地を占領する前、この退路となるべき侵入路から最も近い位置に陣を敷いていたのは、後方に配置された負傷兵1,000名と、それを預かる400名の鉄騎兵たちであった。

彼らの元には、前日の攻撃で新たに500名の負傷兵たちが後送されており、それらを守る役割を担っていた。

「おいっ! 1,000騎程度の敵軍が、此方に向かって来ているぞ」

「なっ、何! ハーリー公爵の本隊はどうした? あの城砦を落としたのではないのか?」

「今すぐここを撤退すべきだ!」

突然の、しかも数に勝る敵軍の来襲に、彼らは戸惑っていた。

総勢は400騎の鉄騎兵といえど、そのうち200名は、埋葬と亡骸の運搬に駆り出され、捕虜として返還された者たちで、乗馬も鎧も、そして剣すら持っていなかった。

「200対1,000、話にならんわ。即時撤退すべきだ!」

「1,500名もの負傷者を抱えてか?」

「……」

彼らは困惑していた。

足手まといとなる、1,500名を抱えて、撤退などできるわけがない。

その時、一人の男が声を上げた。

「負傷兵を抱えて魔境を撤退するなど、それが何を意味するか貴様らは分かっているのか!

ブラッドリー侯爵軍が全滅した経緯を、その後、我ら遠征軍が全軍崩壊したことを思い出すがいい。

貴様らは、この戦いを敗戦に導き、味方を魔物の餌にしたいのか!」

この時の話は、悪夢のように帝国軍に語り継がれている、誰もが知る逸話だ。

一瞬、全ての者たちが身震いした。

「かといって、我らの誇りにかけて、同胞は見捨てておけん。戦えぬ彼らを、我らは守る義務がある。

私は、敵軍に負傷兵の保護と、治療を要請する代わりに降伏する。

それが聞き入れられぬ場合、鉄騎兵の誇りにかけて、一騎でも多く道連れにするまでだ」

そう言って白旗を掲げ、敵軍の中に身を投じていった。

彼と、彼と思いを同じくする者たちの心の中には、開戦当初にアレクシスが採った、敵軍にも寛大な処遇のことが胸にあった。

「ほう? 負傷者を見捨てることなく、最後まで守り続ける意気込みは、称えるべきことだな」

そう呟いたのは、別動隊として派遣されたエロールだった。

このことも、帝国兵たちには幸いした。

復讐に燃えるハストブルグ辺境伯兵や、ファルムス兵なら、彼らの降伏を受け入れられなかったかもしれない。

だが、一度は反乱軍としてソリス男爵領を攻め、その後帰参して許されたエロール配下の兵たちは、自身の経験から、敵に対しても温情あふれる対応を取った。

積極的に負傷兵の看護に手を貸し、結果として多くの負傷兵が命を長らえることができていた。

そんな経緯もあり、唯一、第一皇子率いる本隊に報告をもたらすはずの者たちも、戦わずしてカイル王国の軍門に下っていた。

歴史は、本来の流れを取り戻すため、時として形にはならない偶然として、様々な災厄を振りまいていた。その牙は、なにもタクヒールたちだけに、向けられたものだけではなかった。

本来(前回)の歴史では皇位継承に敗れ、表舞台から消えていく定めにあった第一皇子にも、偶然の不運という形をとった、歴史の悪意は降り注いでいたのである。

そのことを、当事者たちは知る由もない。

こうして、第一皇子は敵中深く、魔境の中に孤立し、雌雄を決する時が来るのを、ただ待つだけの身となっていた。