軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第22話 父の審判、そして出立の風

ビビアンが去った後のドルーマン伯爵邸は、火が消えたような静けさに包まれていた。

かつて愛娘が、ユリウスのためにと、その知性を尽くして整えていた帳簿も、丹精込めて淹れていた紅茶の香りもない。

その邸宅の重厚な扉を、一人の男が叩いた。

リッチモンド伯爵家嫡男、ユリウス。

かつての輝かしい金髪は乱れ、瞳には濃い隈が浮かんでいる。かつての「麗しい幼馴染」の面影はどこにもなかった。

「……何しに来た、ユリウス君」

応接室で彼を待っていたドルーマン伯爵の声は、地を這うように低かった。

その傍らで、伯爵夫人もまた、氷のような冷ややかな視線を彼に注いでいる。

ユリウスは何も言わず、その場に崩れ落ちるように膝をついた。

「……お願いです。ビビアンが、彼女がどこへ滞在しているのか、詳しく教えてください」

「どの口がそれを言う!」

伯爵がテーブルを叩いた。ティーカップが激しく鳴る。

「娘が、君とあの男爵令嬢の醜聞にどれほど心を痛めていたか、知らないわけではあるまい。彼女はすべてを捨てて、一人で国外へ渡ったのだ。君の顔を見たくないからこそ、挨拶もせず、行き先も告げずに!」

「わかっています……! すべては僕の、傲慢で幼稚な正義感が生んだ過ちです」

ユリウスは額を床に擦り付け、絞り出すように言葉を繋いだ。

「僕は、彼女を連れ戻しに来たのではありません。今の僕に、そんな資格がないことは百も承知です。ただ……彼女が幸せであるか、笑っているか、それをこの目で確かめたい。もし彼女が困っているなら、陰からでもいい、守りたいのです。……そのためなら、僕は家も、名前も捨てます」

長い沈黙が流れた。

ユリウスの背中は、嗚咽を堪えるように震えている。

「……ユリウスくん」

伯爵夫人が、静かに口を開いた。

「家を捨てると、本気で言っているの?」

「はい。リッチモンドの地位は、ジャネット嬢への償いと家の存続のために、従弟に譲る手続きを進めています。僕は、ただのユリウスとして、彼女を追います」

伯爵は、手元の書類をじっと見つめていた。そして、一枚の羊皮紙と小刀をテーブルに置いた。

「……ならば、これを書け。ビビアンを二度と泣かせないという誓約だ。言葉だけでは信じられん。お前の血で、その覚悟を刻め」

ユリウスに躊躇はなかった。小刀を手に取り、迷わず指先を裂く。

滲み出た赤色で、彼は震える手ながらも一文字ずつ、己の魂を削るように誓約書を書き上げた。

それを受け取った伯爵は、深く、深く溜息をついた。

「……明日、我が家の商船がローゼンタールへ向けて発つ。一介の荷運びとしてなら、乗せてやらんでもない。着いた後のことは、君次第だ」

「……っ、ありがとうございます……!」

ユリウスが部屋を去り、重い扉が閉まった後。

先ほどまでの張り詰めた空気は、嘘のように霧散した。

ドルーマン伯爵は、ユリウスが書いた「血判状」をまじまじと見つめ、ふっと口角を上げた。

「……ユリウスくん、本当に行っちゃったわね」

夫人が、どこか楽しげに扇で口元を隠す。

「ああ。遅いくらいだよ。あんなに平伏して、血まで流して……。うちの可愛いビビを泣かせた罰としては、これくらいは当然だがな」

「ふふふ。あの子もあの子よね。あんなにビビアンのことを想っているくせに、どうして今まであんなに空回っていたのかしらね」

伯爵は、背もたれに深く体を預け、はははと声を上げて笑った。

「全くだ。あの二人は、一体何をしているのかね。幼い頃から互いに想い合っているのは間違いないというのに、揃いも揃って不器用すぎる」

「ビビアンも、きっと驚くでしょうね。まさか、あの『完璧』を絵に描いたような彼が、泥にまみれて海を越えてくるなんて」

「いい薬だよ。あいつも、ビビアンのいない人生がどれほど不自由で、冷たいものか思い知っただろう。ローゼンタールに着く頃には、少しはマシな男になっているはずだ」

伯爵夫妻の視線の先には、窓の外に広がる、ローゼンタールへと続く夜空があった。

娘を送り出した寂しさは、今、新しい希望へと変わっていた。

彼らが知るビビアンなら、きっとユリウスを許すだろう。あるいは、存分に困らせるだろう。

どちらにせよ、あの日、時が止まっていた二人の物語が、再び動き出したことを、二人は親の愛を持って確信していた。

「さて、あの子たちが帰ってきた時のために、最高の茶葉を仕入れておかなければな」

「ええ、あなた。とびきり美味しいお菓子も用意しておきましょう」

嵐の去ったドルーマン邸には、久方ぶりに、穏やかで温かな笑い声が響いていた。