軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第17話 恋心の正体

ビビアンの部屋に、彼女はもういない。その事実を知ってから、僕の生活は文字通り「砂を噛むような」ものへと変貌した。

学園に戻れば、そこには当然のようにジャネットが待っている。しかし、今の僕にとって彼女の姿を見ることは、自分の犯した愚行を鏡で突きつけられるような苦痛でしかなかった。

「ユリウス様……。あ、あの。新しい灌漑路の件なのですが、父がどうしてもリッチモンド伯爵家からの融資を……」

放課後のテラス。ジャネットが僕の袖を引き、上目遣いに、しかしどこか手慣れた仕草で困り顔を作ってみせる。

かつての僕は、この表情を見るたびに「僕がなんとかしてあげなければ」と胸を熱くした。けれど、今の僕の脳裏をよぎるのは、冷めた、ひどく冷静な分析だった。

(……ああ。彼女はまた、僕の『正義感』を利用しようとしているんだな)

その瞬間、僕は自分でも驚くほど冷徹に、自分の心の底を覗き込んでしまった。

僕がジャネットに惹かれていた理由。それは、彼女が「可哀想」だったからではない。

彼女を救うことで、僕自身が「素晴らしい人間」であると実感したかっただけなのだ。

縋られ、頼られ、感謝される。

その優越感が、ただ心地よかった。

僕が彼女に抱いていたのは、気高い恋心などではなく、自分の虚栄心を満たすための卑しい「庇護欲」と、幼稚な「ヒーロー願望」に過ぎなかった。

「……ジャネット嬢。融資の話なら、正式に領地事務局を通してくれ。僕個人が口を出す段階ではない」

「え……? でも、ユリウス様なら、リッチモンド伯爵様を説得してくださると……」

「それは僕の仕事ではないし、君の家の義務だ」

僕は彼女の手を静かに、けれど明確に振り払った。

ジャネットの顔から、可憐な少女の仮面が剥がれ落ち、戸惑いと苛立ちが混ざった「女」の顔が覗く。その変化を、僕はどこか他人事のように眺めていた。

(本当に守るべきだったのは……こんな『称賛の言葉』をくれる相手じゃなかった)

脳裏に浮かぶのは、夕暮れの図書室で、黙々と僕の隣で勉強していたビビアンの横顔。

彼女は僕に、無理な頼み事もしなければ、縋り付いて泣くこともなかった。

ただ、僕という人間が、高潔な貴族として成長していくことを、誰よりも信じて見守っていてくれた。

彼女の沈黙は、僕への信頼だった。

彼女の自立は、僕への甘えではなく、僕を支えるための強さだった。

それなのに、僕はその「静かな愛」を退屈だと断じ、ジャネットという分かりやすい「報酬」に飛びついた。

ビビアンが僕にくれたのは、一生をかけて育むべき「信頼」という名の苗だったのに。僕はそれを、一瞬の「賞賛」という名の快楽のために踏みにじってしまったのだ。

「ユリウス様! どうして急にそんなに冷たくなさるのですか!? 私は、貴方様だけを信じて……っ」

「……ジャネット嬢。君が信じていたのは、僕じゃなくて、僕の持つ『リッチモンド家の権力』だろう?」

僕の言葉に、ジャネットは絶句した。

僕は一歩、彼女から遠ざかった。

自分が誰よりも大切にすべきだったのは、僕がどんなに愚かな行動をとっても、何も言わずに隣にいてくれた彼女。

僕が「自分は正しい」と勘違いしていた時、彼女は僕の代わりにその傲慢さのツケを払わされ、一人で傷ついていた。

僕は、善意という名の毒を撒き散らす、浅薄な偽善者だった。

ビビアンという一輪の花を、僕は自分の「ヒーローごっこ」という独りよがりの欲動で、時間をかけて引き裂き、ついにはその根までも腐らせてしまったのだ。

茜色に染まるテラスで、僕は一人、声を上げる術さえ失い、ただ醜く打ち震えていた。

「……僕は、なんてことをしてしまったんだ」

ジャネットを置いて、僕は逃げるように歩き出した。

かつてビビアンと一緒に歩いた道。

彼女がどんな想いで、僕とジャネットの仲睦まじい噂を聞いていたのか。

それを考えただけで、呼吸が止まりそうになる。

恋心の正体を知った時、僕に残されたのは、自分への底知れない嫌悪と、二度と埋まることのないビビアンという名の空洞だけだった。