作品タイトル不明
第12話 新学期の朝に
雲ひとつない青空に、満開の桜が舞う。
今日から二年生。学園の正門前は、再会を喜ぶ生徒たちの華やかな声で溢れかえっていた。
「……ユリウス様、あのような噂、本当にお気になさらないでくださいね」
隣を歩くジャネットが、僕の腕にそっと手を添えながら上目遣いに言った。
休暇中、僕が彼女の領地に入り浸っていたことは、すでに一部の貴族たちの間で揶揄の対象になっているらしい。だが、僕にとっては誇らしい勲章でしかなかった。
「噂なんて、正しいことをしていない者たちの嫉妬だよ。気にすることはない」
僕は彼女に優しく微笑みかけ、エスコートの歩みを緩めなかった。
さて、ビビはどこかな。
僕は自然と、人混みのなかから「いつもの場所」を探した。
ドルーマン家の馬車が停まる位置。彼女がいつも、本を片手に凛とした姿で僕を待っていてくれる場所。
だが、そこには別の見知らぬ家の馬車が停まっており、彼女の姿はなかった。
(おや、珍しい。ビビが遅れるなんて)
時間は始業式の開始まであと三十分。
彼女はいつも余裕を持って登校するタイプだ。だが、僕は特に焦りもせず、「まあ、準備に時間がかかっているのだろう」と都合よく解釈した。
「ユリウス様、どうかなさいましたか?」
「いや、ビビアンの姿が見えなくてね。少し遅れているみたいだ」
「……左様ですか。ドルーマン伯爵令嬢様、お体の具合でも悪いのでしょうか」
ジャネットの言葉に、僕は少しだけ胸がざわついた。
だが、すぐにその不安を打ち消す。春休みの最後にお茶をした時、彼女はいつも通り穏やかだったし、体調が悪そうでもなかった。何より、彼女は僕の「一番の理解者」だ。僕がこうしてジャネットを連れてくることも、当然分かってくれているはずだ。
「ビビアンは、しっかり者だからね。きっと、ギリギリに現れて僕を驚かせるつもりなんだろう」
僕はジャネットを伴って、講堂へと向かった。
新入生の視線が、僕と、その隣にいる可憐なジャネットに集まる。
誇らしかった。弱きを助けるヒーローとしての自分と、それを支えるべき「賢い幼馴染」がいる、完成された僕の世界。
式が始まっても、淑女課の席に彼女の姿はなかった。
演壇で校長が話をしている間、僕は何度も彼女が座るはずの場所へ視線を送った。
空席。
その隣で、彼女の友人が不思議そうに首を傾げているのが見えた。
(……おかしいな。本当にどうしたんだろう)
それでも、僕の心のどこかには「甘え」があった。
ビビのことだから、後で「ユリウス、ごめんなさい」と、いつもの柔らかな微笑みで現れるに違いない。そう思っていた。
でも、式が終わり、教室への移動が始まっても、彼女は現れなかった。
校門の近くまで戻り、僕はもう一度周囲を見渡した。そこには、新入生だろうか、二人で並んで歩く生徒たちの姿があった。
ふと、胸の奥に冷たい風が吹き抜ける。
思えば、春休みの間に彼女から返信が来ることは一度もなかった。
最後のお茶会の時、彼女が「さようなら」と言ったような気がしたが……あれは、その日の別れの挨拶だったはずだ。
「ユリウス様、次の講義が始まってしまいますわ。行きましょう?」
ジャネットに袖を引かれ、僕は「ああ、そうだね」と頷いた。
「ビビのやつ、あとでたっぷりお説教だな。二年生の初日にサボりだなんて」
僕は軽口を叩き、自分を安心させるように笑った。
彼女が、僕に何も言わず、断りもなく、僕の視界から消えるはずがない。だって僕たちは、誰よりも強い絆で結ばれた特別な幼馴染なのだから。
その確信が、もはや自分を支えるための「呪文」に過ぎないことに、僕はまだ気づいていなかった。
眩しい朝の光のなかで、僕の隣は確かにジャネットがいる。
けれど、心の一部にぽっかりと空いた「説明のつかない欠落」が、じわじわと体温を奪い始めていた。