作品タイトル不明
169話 ユルゲン・3
現世に戻ってきた。
自らの肉体の感覚でそれを再確認したのち、ユルゲンは辺りを慌てて見渡して──
「!」
すぐに、見つけた。
カティア。自分の娘。 魔銘解放(リベラシオン) を使った場所のままその場で倒れている。意識はない。
そして……同時に分かってしまった。あまりにも今の彼女が危うい状態であることを。
魂が、薄い。間違いなく魔法が暴走している、そちらに引っ張られている。
このままではシータが言っていた通り、彼女自身の魂が『救世の冥界』に飲み込まれて消えてしまう。
「──っ」
ならば、どうするか。
やれることは、一つしかない。きっと今この場で自分にしかできないこと。
できるかどうかは分からないしできない可能性の方が高い。でも……やるしかない。
その決意とともに、ユルゲンは自分の全身全霊を掛けて己の内側に意識を集中し。
──息を吸い。
唄う。
「──【三叉の月光 十字の旅路 集え 集え 蒼の松明 救世の現世も影は降る】!」
これが、きっと。
唯一の、今のカティアを救う方法だ。
「【朽ちた炎骨 奈落の星辰 赦せ 赦せ 黒の系譜 無間の牢屋も空を願う】」
ユルゲンに、魔法の才はない。
だから、本来これは無謀なのだろう。うまくいくはずもない試みなのだろう。
「【輪廻を言祝ぎ 転界を紡ぐ 其は月神 転じ狩人 然れど破滅の化身に在らば】」
だが、ユルゲンは曲がりなりにも見た。その極致を、その手本を。
ならば──不完全でも良い、手をかけるくらいは、できてくれと。
「【生ける者こそ美しく 死せるものすら美しい そんな世界を 謳い給え】」
その願いのもと、その想いのもと。ユルゲンは祈りと共に、詠唱を紡ぎ。
「【終末前夜に安寧を謳え 最早此処に夜明けは来ない 救いの御代は 現(うつつ) の裏に】」
その魔法を。ただ一つの願いを込めて、解き放つ。
「『 救世の冥界(ソテイラ・トリウィア) 』── 魔銘解放(リベラシオン) !」
そうして、解放の成句を言い切ったその瞬間。
──肉体を。魂さえも。激甚な痛みが余すところなく貫いた。
「────ッッ! っ、ぁ────!」
気を抜けば一瞬で意識を持っていかれそうなほどの激痛。それに歯を食いしばって抗いつつ……それでもユルゲンは、心中で一つ声を上げる。
(っ──よしっ、まずは第一段階だ……!)
だって、痛みがあるということは。無茶の反動が来ているということは。
[少なくとも発動自体は成功した]ということ。であれば、第一の賭けには勝った。
無論、痛みが示す通り発動自体は不完全。やはりカティアのような天才ではない自分が 魔銘解放(リベラシオン) など無謀だったのだ。
だが、それでも。
(カティ、ア……!)
刻一刻と増していく痛みに耐えながら、ユルゲンはカティアの方へと手を伸ばす。
……そうだ、不完全で良い。
世界を創るほどの練度でなくて良い。長く保たずとも構わない。
ただ──ただ、一瞬だけ。わずかの間だけ、冥府の玉座に触れる権利を得られれば。
カティアをそこから引き剥がすだけの力さえ、あれば良い。
その想いのもと、カティアに触れ。そこから更に魂で、魔法で手を伸ばし──玉座に、触れた感覚があった。
これで、第二の賭けにも勝った。
(あとは──!)
あとは、最後の一つ。……実はこれが、一番自信のない要素。
──ちゃんと、カティアと同じ視座で、カティアと同期して魔法を扱えるか、だ。
『 救世の冥界(ソテイラ・トリウィア) 』は、魂を扱う魔法。同時に──かなり『魂の相性を選ぶ魔法』でもある。
故に、喚び出せる魂や扱える魂は、自らと同じ気質を持ったものに限られて。きっと同じ魔法を扱える魂の相性も、その例外ではない。
詰まるところ──彼女と魂の相性が良くなければそもそも触れることができない。
……こんな、自分で。
復讐に囚われてしまった自分なんかで、あんな悍ましい怨霊たちを呼び出せてしまう可能性を秘めているような自分なんかが。
こんな綺麗な魂に、触れられるのだろうか。その資格があるのだろうか。
そんな想いが、怯懦が溢れて。思わず意識が遠のきかけるユルゲンに──
『あなたは、本当はとても優しい人。それは決して揺らいでいない』
シータの言葉が、再び響いて。それがもう一度、彼を奮い立たせる。
今は、それを信じる。そう信じて、手を伸ばし続ける。
「っ、ぁ────!」
震わせるのは、自分の想い。
様々なことがあって復讐に落ちる前の、綺麗なものがあったと信じられていた頃の自分の想い。それを、もう一度と思い出す。
そうだよ、本当は。
本当は自分も、純粋に。妻の理想を叶えたくて、綺麗なものを創りたくて。
そして、何より──
(──この子が健やかに、平和に暮らせる国があれば。
それで、それだけで、良かったんだ。だから──!)
それ以外、もう何もいらないから。
そのためなら、全部差し出すから。
彼女だけは、守らせてくれ。友も妻も救えなかった愚かな自分に、せめて娘だけは救わせてくれ。
そう、想いを燃やして。最早感覚すら無くなってきた痛みに耐えながら。
必死に、手を伸ばして、伸ばして──その、果てに。
届いた、感覚がして。
残る全ての力を振り絞って、彼女をそこから引っ張り上げた。
しばし、意識が飛んでいた。
はっと我に返ったユルゲンは、自分の手が強く何かを握っていることに一拍遅れて気がつく。そちらを見ると──
「──ぁ」
手を、握っていた。
その先にいるのは、カティア。彼の、たった一人の娘。
彼女は、穏やかな息を立てて眠っていた。微かに胸が上下していた。息遣いが、確かに聞こえてきた。魂が引っ張られているような危険なものも、既に感じなかった。
何より……繋いだ手が、暖かかった。
ちゃんと、生きていた。
それを、認識した瞬間。
あらゆるものが、彼の中で溢れ出して。
「──────っ、────!」
もう一度、彼女の手を両手で強く握って。額を当てて。
その場で、声にならない声をあげた。
自分の体も魂も、もうボロボロだ。 魔銘解放(リベラシオン) は確実にもう二度と使えない──どころか、下手をすると通常効果ですら怪しい。寿命とかも何年か縮んでいてもおかしくない。この国の貴族としては、もう死んだも同然だ。
でも……それでも、ようやく。守れたものは、あったのだと。
そのたった一つを握りしめながら、ユルゲンはその場で様々な想いを吐き出し続けた。
こうして。
誰よりもこの国を良いものにしたいと願い、それと同じくらいこの国を壊したいとも思ってしまっていた男の。歪で純粋な復讐の道は、途絶えた。
彼にとって大きな喪失と報いと──けれどその最後に、ささやかな奇跡を残して。