軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

168話 シータ

「っ!?」

『救世の冥界』が、震えている。

それを感じる。いや今の自分の明確な感覚器官はないのだが、それでも魂で感じるのだ。世界そのものが震え、ひび割れていると。

これは──まさか。

「……崩れかけているわね」

ユルゲンの推測通りのことを、シータが述べた。

「『救世の冥界』が維持できなくなっている。……っ、無理もないわね、カティアの 魔銘解放(リベラシオン) は未だ未完成、一つの世界を創造するなんて離れ業、長く保たせられるはずもない」

「っ、それは──カティアは、大丈夫なのか!?」

冗談抜きで、今までの人生で一番の焦りと共にユルゲンは問いかける。

さしものシータもこの状況は想定外だったらしく、冷や汗をかきながら。

「……大丈夫、とは言えないわ。元々この 魔銘解放(リベラシオン) 自体相当の無理をしているの、だからエルメス君に『やってはいけない』と止められていたわけだし」

彼女も焦りを帯びた声で、答える。

「このままだと──彼女自身が世界を創る負担に耐えられないわ。どころか制御すら離れかけている、下手をすればカティア本人も『救世の冥界』に飲み込まれて……二度と帰って来れなくなる」

「──」

それは、事実上の死であることは言われるまでもなく分かった。

何とかしなければならない、一刻の猶予もない。

けれど、どうすれば良い。自分に何が──と考えて。

すぐに、思い至った。

「…………あ」

「気づいた? 私も同じことを考えたわ。……あなたにしかできないことよ、頼めるかしら」

「言われるまでもない──!」

これ以上の言葉を交わす時間すら惜しい。

もう、十分なことを彼女に気づかせてもらった。であればもう、お互いにやるべきことをやるだけだ。

……本当は名残惜しいが、そう思考を切り替える。

今自分がやるべきことは、兎にも角にもこの世界からの脱出。幸い同じ血統魔法持ちである以上やり方は朧げに理解した。世界が不安定になっている今ならば不可能ではないだろう。

そう確信し、自身の内面に意識を集中しつつ一歩踏み出し──

──その足を、下から掴む手があった。

「──え」

一つではない。二つ三つと増えていって、遂には無数の亡者の手のようなものがユルゲンの足を掴んで奈落に引き摺り込もうとしている。

(これ、は……!)

その正体は、すぐに思い当たった。

怨霊だ。

この世への負の念が強く出た霊魂。これまでユルゲンの復讐に力を与え、思う存分想いのままに使役してきた悪霊たちが、ユルゲンを絡み取ろうとしている。

そうか。ここは死者の国。であればユルゲンとシータだけでなく……ユルゲンが今まで操ってきた死霊たちも一緒に来れない道理はない。

そんな死霊の声が、音もなく聞こえてきた。

── お前だけ逃げるのか(・・・・・・・・・) ?

「ッ!」

──これまで、散々復讐の道にどっぷりと身をやつしておいて。

──我々を好き放題使っておいて、その血塗られた道で多くの同胞を増やしておいて。

──なのに、お前は今更光の道に戻れるとでも?

「……っ、ぁ」

──許さない。

──許されない。我々はこう成り果てたのに、お前だけがそうなることなど絶対に。

──お前もこっちに来い。復讐の道を進んだ分の、報いを受けろ!!

……その通りだ、と思ってしまった。

ユルゲンがこれまでやってきたことは、絶対に許されない。都合よく全てを無かったことにして戻ることなど、通らない。それを通しては、あの貴族たちと同じ存在に成り果ててしまう。

今すぐ戻りたい。カティアを喪う結末などあってはならない。

でも……でも。道理があるのは悪霊たちの方だ。何より自分自身がその理屈に納得してしまっている。ならば、何も──と。

凄まじい葛藤と苦悩にユルゲンが苛まれていた、その時。

「……そうよね」

かつり、と音が響いて。

シータがこちらに歩み寄ってきた。

そんな彼女の様子が、変わっていることに気づく。

具体的には、体が淡く発光していた。ユルゲンを掴む怨霊たちと対を成すような、柔らかく清浄な光に彼女の全身が覆われていた。

「……シー、タ?」

「時間がないから端的に言うわね」

疑問の声を上げるユルゲンに対し、シータは言葉通り端的に。

「私がこの子達を浄化します」

そう、答えた。

「私の霊魂の気質は、カティアの魔法の通り正に寄っているわ。その霊魂として持っているものを全部使えば、相殺する形でこの子達と引き剥がすくらいはできるはず」

「そ……んなこと、いや、でも、そうすれば君は」

「ええ。お察しの通り、もうここにはいられないわね。でも安心なさい、別に完全消滅するわけじゃない。輪廻の輪に戻る──今度こそ、ちゃんと成仏するだけよ」

そのまま、より光を増してユルゲンに近づき。

「報いを受けるべきっていうのには、私も賛成。だから私があげるわ、誰もが納得するようなとびきりの、自らが成したことの報いを」

ユルゲンの頬に手を当てて、微笑んで告げる。

「── あなたはもう一度(・・・・・・・・) 妻を目の前で喪うの(・・・・・・・・・) 。

一度ならず二度も、再会できた喜びすら束の間に。今度は消えていくところを目の前でまざまざと見せつけられながら、ね」

……ああ、それは。

なんと厳しく、残酷で──そして、なんて優しい報いだろうか。

もう、言葉は要らなかった。

というよりは、言葉を交わしてはいけない。これ以上シータと語らう資格はない、その時間が長引くほど怨霊を納得させるのが難しくなるから。

だから、最後にシータの……出会った頃からずっと変わらなかった微笑みだけを目に焼き付けて。

自分の足を掴んでいた怨霊たちの手が緩んでいくのを、合わせてシータの姿が光と共に薄れていくのを。

『目の前で妻を喪う』という報いを受けるべく、最後まで見届けて。

「…………ありがとう」

その言葉だけを、手向けに。

今度こそユルゲンは、この死者の世界から脱出した。