作品タイトル不明
161話 転界
「【三叉の月光 十字の旅路 集え 集え 蒼の松明 救世の現世も影は降る】」
あり得ない、と思った。
けれどその思考に固まるのは一瞬、即座に詠唱を止めさせるべく自らの死霊を放つ。
「【朽ちた炎骨 奈落の星辰 赦せ 赦せ 黒の系譜 無間の牢屋も空を願う】」
だが、それはカティアの死霊によって阻まれる。
……皮肉なことに、ここに来て魔法の特性の違いが生きている。カティアの召喚する死霊は極端な防御特化、破壊特化の自分の死霊相手に耐え切ることこそできていなかったが……抗うことはできる。すなわち、今のような時間が何より必要な時にはこの上ない性能を発揮する。
「【輪廻を言祝ぎ 転界を紡ぐ 其は月神 転じ狩人 然れど破滅の化身に在らば】」
突破しきれないまま、詠唱が紡がれる。
そこで、ユルゲンは発見する。詠唱を続けるカティアの右手の上に現れている──翡翠の文字盤を。
そういうことか、とある程度は納得する。
記録として知っていた、かつて学園でサラが行ったことと同じだ。『 原初の碑文(エメラルド・タブレット) 』の力を借りて自身の魔法を分析、それによって理解を深めて魔銘解放に必要な情報と知識をサポートする手法。
だが……それを加味してでもあり得ない、とやはり思う。
現実逃避ではない。確かな認識に基づくものだ。
そも、ユルゲンも同じものを扱う以上この魔法については一通り調べられる範囲で調べ尽くしている。その上で。
──この魔法は、魔法の原点を持っていた初代以降。
誰一人として(・・・・・・) 、 魔銘解放を(・・・・・) 成し遂げた(・・・・・) ことが無いのだ(・・・・・・・) 。
他の魔法であれば、記録程度は存在する。
場合によっては解放の内容も伝えられ、それは後世の人間が解放を行う手助けになることもあるのだ。事実、そのおかげで王国に名を残せたものも何人か存在する。
王家の魔法であっても、解放を成したものは最低一人か二人は居る。
例外としてはローズの『 無縫の大鷲(フレースヴェルグ) 』くらいだが、それもローズの登場によって覆された。
何より……そのローズ自身が言っていたのだ。
かつて、彼女が王都にいた頃。 魔銘解放(リベラシオン) についての話題が出たときに、彼女が神妙な顔でこう語ったことがある。
曰く、解放の難易度の話。彼女の感覚では、
『 流星の玉座(フリズスキャルヴ) 』は遠くないうちにできると思う。
『 無縫の大鷲(フレースヴェルグ) 』は難しいけどいつかはできる気がする。
そして……最後に、ユルゲンを指さして。
「多分、あたしの知る血統魔法の中で…… 一番解放が(・・・・・) 難しいのは(・・・・・) あんたの魔法だ(・・・・・・・) 。
正直あたしが持てたとしても、できるかどうかは分からない」
と。
他ならぬローズの言葉と、これまでの記録から、一つの推測が成り立つ。
恐らく……この魔法は、他の血統魔法と比べても。
魔銘解放(リベラシオン) の難度だけなら、隔絶しているレベルで高いのだ。
その理由は分からない。けれど、まず不可能と呼べるレベルなのは確か。
故に、もともと魔法の才がそこまでなかったユルゲンはその方向に見切りをつけて、文官としての能力を磨くことに専念した。
──のに。
「【生ける者こそ美しく 死せるものすら美しい そんな世界を 謳い給え】」
そんな、自分の認識を嘲笑うように。
わずか十五歳、魔法を得てから十年足らず、魔法を十全に扱うに足る肉体も出来上がっていないはずの、自分の娘が。
見せかけではない魔力の高まりと共に、詠唱を紡いで、そして。
「【終末前夜に安寧を謳え 最早此処に夜明けは来ない 救いの御世は 現(うつつ) の裏に】」
自分もよく知る最後の生起句と共に。
その銘を、告げる。
「『 救世の冥界(ソテイラ・トリウィア) 』── 魔銘解放(リベラシオン) 」
それを、聞き届けた瞬間。
ユルゲンの意識は、一瞬で暗転した。
◆
気がつくと。
ユルゲンは、見知らぬ場所にいた。
「こ……こ、は……?」
正体不明の困惑。
ここ数十年レベルで覚えのない混乱のままに、とにかく現状を確認するべく周囲を見渡す。
不思議な空間だった。
明るいようにも見えれば、暗いようにも思える。気温は暖かくも冷たくもなく、そもそも空気があるのかどうかも分からない。生存できているということは普通に考えて呼吸もできているはずなのだが……何故か、 自分が(・・・) 呼吸を(・・・) しているという(・・・・・・・) 感覚がない(・・・・・) 。
そして何より、全身を覆うこの感覚。
この上なく安心できるような、同時にどこか微かな根源的な畏れも感じるような。
まるで大いなる何か、原初の何かに見守られているようなこの感覚は、一体。
何もかもが、不明な空間。
混乱の中でもどうにか理解を得ようとするユルゲンの背後から……かつん、と音が響く。
反射的に振り向いて──
──人生最大の驚愕の衝撃に、完全に思考を停止して固まった。
緩やかな紫の長髪。
吸い込まれるような紫水晶の瞳に、優しげな顔立ち。
まるで娘のカティアがそのまま大人になったらこうなるかのような外見をした美女が、ふわりと佇んでいた。
当たり前だ。見間違えるはずもない。だって、彼女は……
「…………シー、タ?」
出会えるはずのない、もう自分の前に現れることはないと思っていた、妻の姿。
信じられずに瞠目するユルゲンに……シータは、ふわりと顔を綻ばせ。
「久しぶり……と、あなたの感覚ではなるのかしら」
いつまでも覚えている声のままで、聞き間違えようのない声色で語ったのち。
「そうね。色々と言うことも聞きたいこともあるでしょうけれど……まずは挨拶として、言うべきことを告げておきましょうか」
自己紹介のように、そしてここの紹介のように手を広げて。
少しだけ悪戯げに微笑んで──こう、告げるのだった。
「──ようこそ。『 救世(ぐぜ) の 冥界(めいかい) 』へ」