作品タイトル不明
141話 怨霊
王都某所、とある貴族家にて。
今代当主の日課は、自宅にある庭園の散歩。使用人を含めた人払いを済ませ、専属の庭師によって整えられた庭園を穏やかな心持ちで歩いていたところ。
奇妙なものを、見た。
庭園の外側、うずくまる影。植物の影に隠れていて姿は詳しく見えないが、かろうじて女性のように見える。
妙だなと思いつつ、どうしてか他人の気がしなくて声をかける。
「………………、どうして?」
すると、予想通り女性の声で応えがあった。
「ねぇ、どうしてなのアルフレート。将来を誓ってくれたのに、あんなに愛を囁いてくれたのに。私よりも優れた魔法の持ち主が現れただけで、簡単に私を捨てるの?」
どこか虚な声だったが、かろうじて意味は聞き取れる。
「……ふむ」
察するに、血統魔法関連のいざこざで恋人、或いは婚約者に捨てられた貴族令嬢、といった辺りだろうか。
アルフレートという人間は知らないが、事情はその辺りだろうと察した彼は、その意味を誤解なく受け止めた上で。
こう、返す。
「……それは、仕方ないのではないか?」
人影がびくりと震えた。
「祖先より、神より賜った血統魔法をより良い形で後世に繋ぐのが貴族の責務。その原則が存在している以上、どれほど将来を誓い合った仲であろうとより優れた血統魔法を持つ存在がいればそちらに靡くのは道理」
「……」
「まぁつまるところ…… 劣った(・・・) 血統魔法(・・・・) しか(・・) 持って(・・・) 生まれ(・・・) なかった(・・・・) 君が(・・) 悪い(・・) 、のではないかね?」
彼の中では、生まれた時から刷り込まれた価値観。
今更何を疑うもない、天地が存在することと同じく自明の理を、淡々と語る。
対して、うずくまった女性は。
「…………そう、そうよね」
納得の声色。分かってくれたか、と満足げな面持ちで頷く貴族の前で。
「あなたはそういう人なのね、アルフレート」
訳の分からないことを、言った。
「────は? いや、私の名はアルフレートなどでは」
「いいえ、わたしが見間違えるはずがないわ」
困惑から身を引く貴族に対し、その女性の影は虚な声に、微かな情念を宿して。
「全く同じだもの、言っていることも、価値観も、何より身に宿すその魔法も」
「──え」
「その腹立たしい顔も、自分の正しさを何一つ信じて疑わない声も、私を見ていない瞳も不快極まる声も無自覚な偽善も気づかない心憎しみ嫉妬憎悪何も何も何も何も何も何も」
なんだ、こいつは。
そう思った瞬間には、最早何もかもが手遅れだった。
蹲っていた女性の影が、突如としてなんの前触れもなく凄まじい勢いで起き上がったかと思うと、自分にしがみついてくる。
咄嗟に振り解こうとするができない。あり得ないほどの万力に、氷と錯覚するほどの体温、何より──本来なら顔のある筈の場所に広がる、怖気がするほどの暗い虚無。
人間では、ない。こいつは、
「怨霊──ッ」
「ねぇアルフレート。ここはとても暗くて寒いわ、あなたにこんな場所に叩き込まれてから、わたしはこの日を待っていたの。ずっと、ずーっと、ず──────っと」
同時に気がつく。
アルフレート。確かそれは……自分の家の、四代前の当主の名ではなかったか?
「だから本当に、本当に嬉しいわ。
ようやくあなたも──『わたしたち』と同じ場所に落ちてきてくれたのね」
言われて、辺りを見渡す。
するといつの間にか、彼女と同じような顔の無い人影がそこら中に存在し、今なお新たな怨霊が尽きることなく立ち上がり始めている。
そこで、ようやく悟る。
何故かは分からない、どうやったのかなんて見当もつかない。
けれど──ここがとうの昔に、死者の国と化していたことを。
顔が引き攣り、青ざめる。
それを見た、彼にしがみつく怨霊が、無貌の奥でにぃ、と笑うと。
「とりあえず手始めに──ぐちゃぐちゃになってくれるかしら?」
「っ──ぃ──ぁ────ッッッ!!」
この、彼が。
王都を襲った未曾有の災害、その最初の犠牲者となった。
◆
王都のあちこち──否、この表現は適切ではない。
王都の人がいる全ての場所で、同様の現象が起きていた。
ある場所では、死者の行進によって家にいる全員があっという間に皆殺しにされ。
ある場所では、私腹を肥やしていた当主が怨霊の群れによって死なないように丁寧に丁寧に弄ばれ。
ある場所では、霊たちが寄り集まって出来た真っ黒な大穴に 屋敷が(・・・) 丸ごと(・・・) 呑まれて(・・・・) 消え(・・) 。
多種多様、千差万別、けれど等しく凄惨な地獄が展開されていた。
そして、ここでも。
王都中心部のほど近く、エルドリッジ伯爵家本邸にて。
「ひ、ひぃ……やめ、やめてくれ……ッ」
現当主である肥え太った男、エルドリッジ伯爵が、その巨体を重苦しげに揺らしながら必死に走っていた。
その背後からは、
「ゆるすな」
「エルドリッジの横暴を、ゆるすな」
「われわれを不当に虐げ続けてきたあの家を、絶対に、ゆるすな」
千に届こうかというほどの黒い影の群れが、怖気がするほど整然と、着実に。一切止まる気配なく、エルドリッジ伯爵を追いかけ続けていた。
「てっついを」
「傲慢で邪悪な、エルドリッジに、てっついを──!」
既に気配まで濃厚に感じられるほど背後すぐのところまで迫った怨霊の群れ。それの距離を必死に引き剥がそうとしつつ、半ば錯乱状態でエルドリッジ伯爵は叫ぶ。
「し、知らないっ! 吾輩はそんなこと知らない!」
「ゆるすな」
「横暴などやっていない、傲慢でも邪悪でもない! 吾輩は貴族として正しいことしかやっていない、いないんだッ!」
血統魔法を使っても表層しか蹴散らせず、魔力もとうの昔に尽きた。無様に逃げ回ることだけが、既に彼に残された術。
必死に自身の無実を叫ぶも、怨霊たちは止まらない。
既に伯爵には、その理由も分かっている。何故なら怨霊たちが糾弾しているのは自分であって自分ではなく──
「わすれたのか」
「おまえたちがやってきた悪逆を、非道を、我々に何代にも渡って味わわせた苦しみを、わすれたのか──!!」
恐らくは、過去のエルドリッジ家がやってきたこと。それによって苦しめられた過去の人間が、どうしてかは知らないが現在怨霊として復活し、現当主である伯爵にその怨念が全て向かっているのだ。
それを、正しく理解した上で。
エルドリッジ伯爵は、心の底から、叫ぶ。
「── 過去の(・・・) ものを(・・・) 現在に(・・・) 持ち込むな(・・・・・) ぁ(・) ッ(・) !!」
自分の哀れさを疑わず、不条理は向こうのほうだと信じてやまない声で。
「そんなもの今の吾輩は知らないッ! やってきたのは過去のエルドリッジ家であって、吾輩には何の罪も無い、今を生きている吾輩には何一つ関係の無いことだろうが!!」
「てっついを」
「くそ、ふざけるなッ、あってはならないッ! 過去は過去だけで完結するべきに決まっているだろう! 昔の遺物が現在に持ち込まれても迷惑だ、過去のものなんて我々には不要なんだよッ!!」
ついに、背後にまで迫った怨霊たちを前に。
この世の理不尽を、心底から嘆く。
「過去のものが原因で、現在を生きる我々が影響を受けるなんて──そんなこと、あって良いわけが無いだろうがぁああああああああああ!!」
その言葉を、断末魔に。
エルドリッジ伯爵家の人間は、一人残らず、怨霊に飲み込まれていった。
◆
「──は」
その一部始終を、たまたま近くを通りがかったラプラスは遠巻きに見届けて。
呆れを隠さない声色で、笑う。
「『血統魔法使い』が、よくもまぁ臆面もなく」
そんなこと言えたもんだ──と呟き、それを最後にエルドリッジ伯爵への興味を完全に消して。
ラプラスは改めて、高台から王都全域を見据える。
まさしく阿鼻叫喚、地獄絵図。
ユルゲンの魔法によって召喚された無数の怨霊が、それぞれの怨念の矛先を現在の住民に余す所なく向け、文字通りの死者の王国にこの王都を作り替えようとしていた。
ユルゲンの魔法は、怨霊の召喚。
だが当然、ユルゲン単独の魔力──どころか『 救世の冥界(ソテイラ・トリウィア) 』という魔法そのものによって可能な召喚範囲すら大きく逸脱している。仮に 魔銘解放(リベラシオン) をしたとしても、ここまでの規模はどうあっても不可能だろう。
だからこその、第六創世魔法『 □□□□□(アルス・マグナ) 』。
この創世魔法は、力を司る。生命創造だの時空操作だの、それこそ分かりやすく神の御業だと思えるような能力はない。それ単体では、ただの強大な力の塊に過ぎない。
この魔法の本領は、他の魔法と組み合わせたときだ。
神に起源を有する『力』が他の魔法に与えられることによって、対象魔法のあらゆる限界を取り払う。それが、この創世魔法の効果。
魔力の不足、規模の不足、範囲の不足──通常の血統魔法であればどう足掻いても存在してしまうそれらの『上限』を、この魔法は消失させるのである。
故にこそ、人間が得た場合の使い勝手の良さは創世魔法の中でも随一。
この魔法があれば、後はどの魔法と組み合わせようとなんでもできる。極論、なんの魔法に使おうがそれだけで王都を滅ぼせる。
最も分かりやすい例で言えば──それこそローズの『 流星の玉座(フリズスキャルヴ) 』と組み合わせた場合。
王都全域に(・・・・・) 、 絶滅(・・) するまで(・・・・) 止まる(・・・) ことの(・・・) ない(・・) 光の(・・) 雨を(・・) 落とし(・・・) 続ける(・・・) という極めて直接的な暴力によって、恐らく一番端的に王都を滅亡させられるだろう。
──だが、それではあまりにつまらない。
二十年かけた計画の割に、そういう類の滅亡ではあまりに王都の人間にとって 救いが(・・・) あり(・・) すぎる(・・・) 。
だから、考えた。最もあいつらにとって屈辱で、納得できる因果応報とは何か。
その果てに、辿り着いたのだ。
「血統魔法なんていうプラスの遺物に頼り切って、ここまで繁栄してきたんだ」
最も自分たちの復讐心を納得させる、最高に愉快な滅亡を。
「じゃあ──その下に埋もれたマイナスの遺物も全部きっちり被ってもらわねぇとなぁ?」
その理念と、長年の努力のもと。
ついに完成した。ユースティア王国が、表面上の輝かしさの裏に長年埋没させ、見向きすらしていなかった汚泥を完璧な形で掘り起こす、この地獄が。
「止められるもんなら、止めてみな」
自分たちの集大成にかける自負を、過不足なく言葉に乗せて。
ラプラスは、恐らく今この惨状を目撃しているだろう王都の外の存在。唯一『邪魔者』になり得るだろう少年たちに向け、そう告げるのだった。