軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

39話 ヨハン

「………………は?」

北部連合拠点、執務室。

そこに悠然と腰を据え、帰還してきたニィナの報告を聞いた大司教ヨハンは──珍しく突拍子もない声を上げた。

信じられない、あり得ない……現実とは思えないものを聞いたような、声で。

「……本当か、それは」

「本当だよ。嘘つくわけ──つけるわけないって知ってるでしょ、あなたなら」

思わず確認の声を上げるが、一方のニィナは冷めたような声でそう返す。

「今言った通りだよ。第三王女派閥とハーヴィスト騎士団の和解は既に済んでる。遭遇した第三王女からそう聞いたし──実際、あそこで駆けつけてきた兵士たちの様子からしてもそうとしか思えない。そもそも」

淡々とした声ながらも、珍しいヨハンの狼狽を楽しむような口調で。

「あそこで兵士たちがやってくること自体、ボクの予知にもあなたの予知にもなかった出来事だよね。

──未来、変わってるよ? 大司教さま」

「…………ばか、な」

目を見開いてそう絞り出すも、ニィナの言葉は変わらない。

そもそも 制約(ギアス) が未だ生きており、今ここで自分が「虚偽なく報告しろ」と命令した以上、ニィナの報告にはなんの嘘偽りもない、言えるわけがないのだ。ならば少なくともニィナの主観でそう見聞きしたことは間違いなく。

「ッ…………分かった、下がれ」

それでも、ニィナがそのように見せられた虚偽の情報を信じ込んでいる可能性もあると推測を立てて。

故にその真偽を確かめるべく、大司教ヨハンはニィナを下がらせて一人になり、即座に仮眠を取る。

使うのは、 古代魔道具(アーティファクト) :スカルドロギアの能力。夢という形で与えられる未来予知の能力。

仮眠を取って多少の未来を把握すれば、現状ハーヴィスト領がどうなっているか──ニィナの見聞きした情報が真実かどうか把握できるから。

かくして、大司教は予知夢を見て。

今の敵の様子を……ニィナの言葉通り兵士たちとリリアーナたちが和解を済ませ、現在北部連合を打倒する準備を進めている──というところまで把握し。

そして。

吐いた(・・・) 。

「ぅぉおええッ──」

目が覚めてすぐに口元を押さえてえずき、洗面台に向けて嘔吐する。

吐き出すものが何も無くなってもそれは止まらず、唾を吐き出し、胸を掻きむしってもなおそれが止むことはなく。

大司教がこうなった理由は、自分の想定外の未来を見てしまったから── ではなく(・・・・) 。

見てしまったことが原因であることは間違いないが、その対象は未来そのものではない。

「やめろ…………」

目に止まったのは、未来の光景で見た──兵士たちの表情。

今までの、欺瞞と猜疑に満ちた顔ではない。恐れはありつつも……それ以上に、これで自分達の力でこの地を守れると。自らの足で、一歩を踏み出せると。

そんな、明日への喜びと、未来への希望と、栄光への情熱に満ちた──

── 吐き気を(・・・・) 催すほどに(・・・・・) 気持ち悪い(・・・・・) 、 表情(・・) 。

「やめろ、なんだその輝かしい顔は、浮ついた顔は! そんな、そんな気色悪いものをこれ以上見せるな……!」

あたかも、今までニィナが予知夢による悪夢を見て精神をすり減らしていたように。

大司教も今の予知夢によって見てしまった、彼が最も嫌悪する感情に満ちた表情の残滓に精神を削られる。

そのまま、譫言のようにヨハンは言葉を紡ぐ。

「やめろ、ふざけるな……いらないんだよそんなものは。

そんなあやふやで曖昧で、容易く変わる不確定なものに惑わされるな。お前たちのあるべき姿はそうではない、そんな感情を信じるな……!」

そう、なぜなら、と。最後にヨハンは。

自身の信念を、自身の信仰を。吐き出すように告げるのだった。

「……信じるものは、神だけでいいんだよ……ッ!」

──ヨハン・フォン・カンターベルには目的がある。

人生をかけて歩むべき大道、大いなる目的が。

それは──『全ての人が平和に暮らせる世界を作ること』だ。

代々教会の重鎮を輩出してきた家に生まれ、そうあるべきと教え込まれ。

ヨハン自身も、それを人生の目的と据えることになんの躊躇いもなかった。

そのまま、教会での下積みを開始して。

多くの人との交流を経て。多くの民の悩みを耳にして。多くの貴族のあり方を目にして。

そして、気付いたのだ。

『平和な世界を作る』、その目的において。

── 善意は(・・・) 、 むしろ(・・・) 邪魔になる(・・・・・) のだと。

なぜなら。

『──我々は、真実の愛を見つけたのです! それを邪魔するのならば、神だって敵に回しましょう!』

世界を滅茶苦茶にするのは、いつだって愛や希望に満ちた連中で。

『──俺のやり方が最も正しいのだ。神が許さないだと? ならば(・・・) 神の方が(・・・・) 間違って(・・・・) いるに(・・・) 違いない(・・・・) 』

最も自分勝手に振る舞うのは、いつだって正義なんて題目を暴走させた連中だった。

例えば、そう……ほら、今のようなかつての第二王子が良い例だろう。

加えて、そのような連中に限って拠り所にした感情を簡単に翻す。例の駆け落ちした連中は結局痴情の縺れで両方死んだことも知っているし、あの第二王子だって次第に利己と正義が一体化していった。いずれ自滅するだろうと思って放っておいたし、事実そうなった。

──一方で、『悪意』は信用できる。

悪意は、簡単に人の感情を一極化する。誰かに悪意を向けることが正当化されたときに、人は最も素晴らしい団結を見せる。

だから一度、それを試した。明らかな欠陥を持つものに、誰もが責めても罪悪感を抱かないだろう存在に。神の名の下に悪意を向けることを許した。

効果は覿面だった。

誰もが神に感謝した。神に恭順を誓うものたち同士の争いは一切が収束し、皆が団結し、神敵必滅という一つの目的に向かって進む、『平和』が実現した。

それを見て、思ったのだ。

……ああ、こうすればいいのか、と。

それからは、同じことを繰り返した。

手頃なもの、都合の良いものを神敵として配置した。それを打倒するために向かう喜びも、希望も……全て神の名の下にコントロールした。

だって、それが一番都合が良く、そして必要だったからだ。そうでない人間……神を信じない人間の善意なんて、すぐに切り替わるしひっくり返る。

人間の本質は、悪で。

誰もが誰もを疑い妬み唾を吐くのが、本来の姿で。

善意なんてものはまやかしで、疑い争い引きずり下ろし合うことが、人間の本質で。

──だからこそ、『かみさま』が必要なのだと。

そう信じて民のため、都合の良い敵手をいつだって用意した。

そうして悪意の対象になる人間はそもそも『人』ではないということにした。

そのようにして、『全ての人の平和』を着々と実現していった。

……いつからかは分からない。

ただ、そんなことを繰り返して、大司教の地位を確立していくうちに。

希望も、善意も、良心も……見るたびに、吐き気がするほど嫌いになっていったという、ただそれだけの話だ。

故に、今回も。

「──否定してやる」

ようやく吐き気の治まってきた大司教ヨハンが、そう宣言する。

己の目的に向かって突き進む、揺るぎない信念を持って。

「いいだろう、認めよう。……第三王女リリアーナ。貴様はかつての『空の魔女』と同等……否、それ以上の強敵だと」

これまで、ヨハンの予知が真の意味で破られたことはなかった。

その要因は、『強い人間ほど読まれやすい』という予知の特性。それがある以上、優れた人間、運命に干渉する力が強い人間ほど彼の思い通りに動かされる。

かつてはそれを使って、国を破壊しかねない力を持った『空の魔女』に魔女のレッテルを貼り付けて打倒したし。

今回も……恐らく普段なら最大の脅威となるだろうエルメスも、彼にとっては最も与し易いどころか、最も自分の思い通りに動くコマにしか過ぎないのだ。

同時に読めない人間──読めないほど弱い人間は、運命を、未来を変えるほどのアクションを起こすことができない。

これまではその例外はなかったし、今回のイレギュラーだったニィナも彼にとっては『弱い側』の人間だ。例え自分と同じ力を持っても自分の手から逃れることはできなかった。

だから、この瞬間。大司教ヨハンの中でリリアーナが最警戒対象に躍り出る。

予知が通じず、かつ運命を変えうる人間。ローズ同様最優先排除対象であり、実際途中までは完璧に上手くいっていたエルメスの排除を阻んだ存在。

そして同時に……自分が最も嫌悪する善意を、希望を、民に与えうる存在として。

「否定してやるぞ……貴様と、貴様の配下一切合切は。私の世界に、あってはならない……!」

もう一度、呟き。大司教は獰猛に笑う。

激しい戦意の表れとして……加えて、喜びの表れとして。

何故なら、彼は知っている。

彼が理解できない、彼の厭悪する善意や希望に満ちた表情を。それしかないと信じ込んでいる連中の顔を。

自らの手で悪意と絶望に塗りつぶした時は──えも言われぬ愉悦に心が満たされると、よく知っているから。

その期待に心を躍らせつつ、されどそうするための計算、計画は素早く冷静に組み立てる。

第三王女とその周りの連中を、余すところなく絶望に叩き落とすための計画。これまでの情報から把握した第三王女周りの 人間(コマ) の関係と、これまで自分が撒いておいた大小無数の布石。

それらを組み合わせ、重ね合わせ、あの連中を残らず 詰み(チェックメイト) にまで持っていく道筋を、最高の 終局(バッドエンド) を奴らに贈呈する手順を。これまでで最大の思考速度で、全力で考え続けて──

──大司教は、嗤った。

「……よし」

この上ない、思考の果てに。

これしかない、という最高の、これまでにない至高の道筋を見つけたからだ。

それが成就する瞬間が待ちきれず、されどそこにたどり着くまで緩んではならないと自らを戒めつつ。

こうして、ヨハンは。悪意を以てして、神の声を代弁する大司教は。

初めて敵手と認めた王女を、そしてその周りの人間の。全てを否定するべく──全力で、動き始めたのだった。