軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ダイバーシア事務所 バーチャルタレント推薦募集/最終選考

「はー、でかいビルだなあ」

思わず、口から間抜けな感想がこぼれる。

首が痛くなるほど見上げた先、ダイバーシアが入っているビルのガラス張りの外壁が、陽光を眩しく乱反射していた。

エントランスの重厚な自動ドアが開くたび、ひんやりとした人工的な冷気と一緒に、真新しいカーペットの糊の匂いが鼻をかすめる。

自分とは無縁な、洗練された大人の世界の匂いだ。

受付で名前を告げ、通されたのは静まり返った待合室だった。

革張りのソファに一人沈み込み、手持ち無沙汰に袖口を引っ張る。

貸衣装屋で適当に見繕った安物のスーツは、肩周りが妙に窮屈だ。おまけに、生地に染み付いた安っぽいクリーニング液の匂いが、どうにも心をざわつかせる。

なんと、今日は、ダイバーシアが主催する新人オーディションの最終面接だ。

書類審査と一緒に、有名な曲のカバーを歌った自己PR動画を提出した。その後の通話面談も、なぜかトントン拍子で通過してしまい、気がつけばこんな場所まで引きずり出されていた。

業界のツートップである大手事務所に次ぐ、三番手グループの筆頭。

最近、上場を見据えてこの真新しい高層ビルにオフィスを移したらしい、とネットのニュースで流し見した記憶が、急に現実味を帯びて迫ってくる。

一応、都内の私立大学は卒業している。

だが、就職活動の時期をバンドの練習とライブハウスのノルマ消化に費やしてしまい、手元の履歴書の職歴欄は、雪原のように真っ白なままだ。

「……はぁ」

無意識のうちに、深いため息が静かな部屋に落ちた。

逃避するようにスマホの画面をタップする。かつて自分が動かしていた配信サイトのアカウントが、薄暗い画面に表示された。

顔出しはせず、安物のマイクに向かって歌ったり、気が向いた時にだけ雑談を生配信するスタイルだった。

動画の再生数は三桁で止まり、生配信の同時接続数は多くてもせいぜい二桁に乗るかどうか。

狭いコミュニティの常連たちからは身内ノリで褒められていたが、バズる気配すら無いまま、静かにフェードアウトした底辺活動者。それが俺だ。

「一ノ瀬さん、どうぞ。中へ」

案内のスタッフに声をかけられ、俺は重い腰を上げる。

案内された先の面接室に入ると、三人の大人が並んでいた。

「失礼します。一ノ瀬透です」

椅子に座りながら、短く挨拶をする。

「本日はお越しいただきありがとうございます。ダイバーシアで新規事業のプロデューサーを務めております、高木と申します。横の二人はディレクター陣です」

真ん中の細身の男が、丁寧な口調で自己紹介をした。

「よろしくお願いします」

「では、さっそくですが。事前に提出していただいた自己PR動画と、過去のアカウントのアーカイブ、拝見しました」

高木が手元のタブレット端末に視線を落とす。

「率直な話をすると、歌が上手い方だな、というが私の印象です。

しかし、正直に申し上げると、その歌の上手さに反して、数字は全く伸びていませんね。ご自身では、何が原因だったと考えていますか?」

痛いところを突かれる。

だが、ここで黙り込むわけにもいかない。俺は居酒屋バイトで培った愛想笑いを浮かべ、少し身を乗り出した。

「はい。致命的に自己プロデュース能力が欠けていたのと、世間一般でバズるような動画、配信をできなかったことだと思います」

俺がはっきりと答えると、高木がわずかに眉を上げた。

「たとえば、投稿した動画のコメント欄を見て、初めて自分の見せ方がおかしいと気づいたことがありまして」

あえて少しだけ声を小さく、ほんのすこし声のトーンを下げる。

「失恋の痛みを切々と歌い上げた、渾身のバラードを投稿した時なんですが」

「はい」

「サムネイルに設定するオシャレな背景画像を持っていなくて、とりあえずその日の夜に食べた牛丼特盛の写真を設定したんです。紅生姜多めのやつです」

「…はい」

「すると、コメント欄が『牛丼への未練を歌った曲』とか『深夜の飯テロ動画』というツッコミで埋まりまして。そこでようやく、曲と画像の致命的なミスマッチに気がつきました」

両脇に座っていたディレクター陣から、ふっ、と吹き出すような小さな息が漏れた。

俺は表情を崩さず、淡々と続ける。

「生配信の方でも同じようなことがありました。機材の設定がわからなくて無駄に環境音を拾いすぎてしまいまして」

「環境音、といいますと?」

「曲のクライマックス、無音になる一番ドラマチックなブレイクの瞬間に、実家の給湯器の『お風呂が沸きました』という明るい電子音声が、完璧なタイミングで鳴り響いたんです」

高木の口角が、ピクッと引きつるのが見えた。

「生配信だったので止めるわけにもいかず、そのまま切ない声で最後まで歌いきりました」

「……歌いきったんですか」

「はい。コメント欄を見ると『涙が一瞬で乾いた』『間奏中に風呂の準備を知らせる名曲』と大絶賛でした。曲の切なさとリアルな生活感のギャップで風邪をひく、と褒められましたね」

たまらず、高木も口元を手で覆い、肩を揺らして笑い声を漏らした。

「なるほど……っ。ご自身の失敗やアクシデントを笑いに変えられているのは、非常に大きな強みになりますね」

高木のペンが、手元の資料の上で楽しげに滑る。

「一ノ瀬さんは、大学在学中からバンド活動をされていたとのことですが。これだけの歌唱力がありながら、なぜバンドとして跳ねなかったのでしょう?」

俺は当時の薄暗いライブハウスを思い出しながら、正直に答える。

「単純に、実力不足でした」

「と、言いますと?」

「メンバー全員、演奏技術が稚拙だったんです。それなのに無駄にプライドが高くて、オリジナル曲をやることにこだわっていまして」

高木が相槌を打つように小さく頷く。

「おまけに、作曲を担当していたリーダーのセンスも、正直そこまで良くなかったんです」

「それは、致命的ですね」

「はい。誰も口には出しませんでしたが、ライブのたびにお客さんが露骨に減っていくので、みんな薄々限界には気づいていました」

俺は小さく自嘲気味に笑った。

「最終的には『俺たちの音楽は時代が早すぎた』と居酒屋で慰め合いながら解散しました。そのまま就職の波にも乗り遅れて、立派なフリーターの完成です」

堂々と告げると、面接官の三人が声を上げて笑った。

「はははっ、潔いですね! なんだか妙な説得力があります」

面接室の空気が、完全に温まったのを感じる。

「……ちなみに、ゲームはお好きですか? 配信の要になる部分ですが」

「好きです。ただ、腕前は下手の横好きレベルでして」

「なるほど」

「でも、心だけは絶対に折れない自信があります。いわゆる『死にゲー』で同じボスに百回負けても、十時間でも悲鳴を上げながら笑顔でプレイし続けられます。耐久力だけは誰にも負けません」

「素晴らしいですね。視聴者が応援したくなる泥臭いプレイスタイルは、配信で愛される要素の一つですから」

高木は満足げに頷き、タブレットを机に置いた。

「では、実技の方に移りましょうか。そこのマイクの前へ」

指示されるまま、部屋の中央に立つ。

目の前のコンデンサーマイクが、妙に大きく見えた。

「動画は拝見しましたが、修正の入っていない今の生歌を聴かせてください。曲は、ご自身の一番得意なもので結構です」

「……わかりました」

俺は一度、喉を鳴らした。

目を閉じると、狭いワンルームでマイクに向かって歌っていた時の感覚が少しだけ戻ってくる。

さっきまでのふざけたトークの余韻を消し、腹の底に空気をため込む。

――歌い出し。

低いキーから、じわじわと声を響かせていく。

伴奏がない分、自分の息の乱れが直接耳に届くようで、手がじっとりと汗ばむ。

それでも、サビに向けて少しずつ声を張った。

加工のない、ありのままの声。

技術でごまかすことはできない。染み付いた癖をなぞるように、ただ必死に歌った。

最後の一節を終え、目を開ける。

面接室の空気が、少しだけ変わっていた。

真ん中の高木が、持っていたペンを机に置いた。

先ほどまでの笑いを含んだ表情は消え、真剣な温度が宿っている。

「……なるほど。生で聞く方が、ずっと芯がある声に感じますね。トークとのギャップも、十分な武器になりそうです」

ぽつりとこぼされた言葉に、俺は短く頭を下げる。

高木は両脇のディレクター陣と短く目配せをしてから、再び俺を見た。

「本日は以上となります。結果は後日、ご連絡します」

「……ありがとうございました」

俺は一礼して、面接室を出た。

廊下に出ると、緊張で強張っていた足が、満足げに震えていた。