作品タイトル不明
カラオケ
翌日。
最近は習慣化してしまった。遅い起床。
枕元のスマートフォンの画面を確認するのは、朝起きてのルーティンワークとなっている。
画面を見ると、通知が二件あった。
一件は夏目シホさんからで、URLと「凛に見せてあげてください」という短いメッセージが添えられていた。
もう一件は霧島さんからだった。
「話があります。予定通り13:00にカラオケに来てください」
メッセージには地図情報が載せられていた。霧島さんの好きなところで、という話だったので、選んでくれたのだろう。
昨日起きたことには、触れていないようだ。まだ気が付いていないのか、それともすでに知っていて、直接会ってから何か言われるのか。
もし、怒っていたとしてもそれは仕方ない。
やめてくれと言っていたのに踏み込んだのは俺なのだから。
夜間は気温が高めだったのか、汗をかいて気持ちが悪かったので、まずはシャワーを浴びておくことにしよう。そう思い立った。
その後、家のことを軽く済ませてから、外出のために着替えて、少し早めに家を出た。
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駅前で待っていると、霧島さんが待ち合わせ時間よりも5分早くにやって来た。
ちょこんと載ったベレー帽に、深い緑色をした、オーバーサイズの薄手のニット。
ひざ丈くらいの黒いフレアのスカート。ブーツを履いているせいか、先日よりも背が高く見えた。
なんというか、前回会ったときも同じことを思ったが、相も変わらずモノトーンコーデの、ファッションセンス皆無男の横に並ぶには、華やかな女性である。
「すみません、お待たせしました」
「いえ、僕も今来たところです。タイミングがよかったですね」
とりあえず、会って早々に昨日のことについて怒られる、ということはなかった。
もしかしたら、まだ気がついていないのかもしれない。
当たり障りのない会話をしながら、カラオケ店へと向かった。
道中では、最近流行っているゲームや、収録しようと思っている歌ってみたの曲の話をした。
あくまで表面的で、他人の事情に深く踏み込まない会話だったように思う。前回会ったときが、あまりにも踏み込みすぎてしまっていただけかもしれないが。
予約していたカラオケ店は駅から近く、歩いて5分程度でついた。
中に入ると、受付を済ませ、すぐに部屋に案内された。
4~5人は入れそうな、標準的なカラオケボックスだった。
部屋に入る前に、近くのドリンクバーで二人分の飲み物を用意する。
自分は緑茶、霧島さんはオレンジジュースだった。
飲み物の入ったグラスを机の上に置く。そのあと、近くに荷物を置いて、向かいに座る。
霧島さんがグラスにストローを刺して、オレンジジュースを飲んでいた。
視線はグラスの中の液体へ向いている。
僅かな間、沈黙が部屋の中を支配する。
モニターから、アーティストの宣伝動画が流れていて、その音が妙に大きく感じた。
先に口を開いたのは霧島さんだった。
「一ノ瀬さん、姉に連絡したんですね」
やっぱりバレていた。
「……」
「エゴサしてたら、姉が配信したって話題が目についたんです。こんなことしようとするの、あなたくらいしかいないですよね。最近姉の話をしたばっかりだし、事情を知っている人も数えるほどしかいない」
「すみませんでした」
「姉には連絡しないでって言ったのに。人の嫌がることを平然とできる人だったんですね、見損ないました」
冷たい雰囲気の、手厳しい言葉だった。反論はできなかった。
また、お互いが黙り込む。
霧島さんが、また、グラスを手に取って、持ち上げる。そして、ストローを口に咥えた。
改めて思ったが、やはり霧島さんの顔は整っている。チラリと配信で見た、お姉さんの顔とよく似ている。
ストローでジュースを飲むといった行為であっても、所作が上品というか、様になっている。
怒られている状況にもかかわらず、そんなバカな考えが浮かんだ。
一口飲み終えて、グラスを置く。
その後、こちらを見た。
その目は非難一色かと思いきや、想像以上に柔らかい印象を与える。
「あの」
ぽつり、とつぶやく。
「……ありがとうございました」
声が、さっきまでとは打って変わって、温かみを増したように感じた。
「自分ひとりだと、ずっと『パコ姫』って名前に悩まされたまま、前に踏み出せなかったと思います。強引だったけど、きっかけを作ってくれたのは、一ノ瀬さんです。本当にありがとうございます」
「いえ」
「まあ、怒ってるのは本当なんですけど」
「……はい」
「それ以上に、ありがとうございます」
それが言いたくて、今日は来ました。
そう、霧島さんは思いを打ち明ける。
下手したら金輪際関わるな、なんてことを言い渡されると思っていたので、少し拍子抜けした。
「なんで、こんなことしたんですか? 相手から嫌われたり、おせっかいに思われたりするかも、とか考えないんですか?」
心底不思議そうな顔をした。理解できない、よくわからない、そんな雰囲気。
なぜこんなことをしたのか。それは、自分がしたいと思ったから、それ以上の理由はなかった。
「自分は、昔から人のおせっかいばかり焼く人間なんです。よく周りの人間、特に妹なんかからはいいかげんにしろって言われますし」
霧島さんは、へえ、と相槌をうつ。
「え、妹さんいるんですか」
「います。多分、霧島さんも知っている人ですよ」
「……知っている人?」
「月宵空です。Vtuberの」
凛が固まった。口が半開きになってポカンと開いている。
「……マジですか」
「マジです」
「信じられないです。兄妹で、同じ事務所でVtuberやってるなんて」
「妹の勧めで、推薦オーディション受けたら合格しちゃって」
「合格しちゃって、じゃないですよ……。推薦オーディションとはいえ、噂だと倍率は20倍くらいだって聞きますよ」
推薦オーディションってそんなに倍率が高かったのか。よく入れたな、俺。
妹と一緒にオーディションの受け答えを考えたり、事前提出書類を作り込んだりしたことが効いたのかもしれない。
月宵空ちゃんかあ、と霧島さんが呟く。
「空ちゃん、ってどんな妹なんですか」
うーん、と一瞬考える。
「うちの妹は、何考えているか、良くわからないところがあって。あと、妙に行動力があって、たまにびっくりするようなことをしたり、言ったりしますね」
直近では、Vtuberになれって言われたときがまさにそうだ。
「配信ではそんな感じしませんけどね」
「猫被ってるんですよ、あれ」
思わず苦笑する。
「まあ、けどやっぱり、自分に妹がいてよかったなって思います。自分で言うのもなんですけど、結構自分のことが好きで。妹がいなかったら、こんな人間になってなかったと思いますし、絶対Vtuberにもなってないだろうし」
思わず、笑顔になる。本当に妹には感謝していた。自分が孤独を感じずに、今まで生きてこられたのは、妹と、両親のおかげだと思う。
「妹さん、幸せですね」
「……」
霧島さんの姉も、同じ気持ちなんじゃないか、と頭をよぎった。
しかし、それを今、ここで直接口にするのは憚られた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ひとしきり昨日のことを話終えたので、本題である、歌の練習をすることにした。
「まず歌ってみてください。どこが課題かわからないと教えられないので」
「いきなりですか」
「まあ、そうですね。どの辺が課題なのか、実際に聞いてみた方がいいかと思って」
霧島さんは少し考えてから曲を選んで、歌い始める。
選んだのは、歌ってみたとして収録しようとしている曲だった。
本人は歌に自信がない、と言っていたが、決して悪くなかった。
声も澄んでいて、伸びやかだ。音は偶に外すが、それはMixでどうとでもなる。
聞いていて、ひとつだけ気になったのは、高音になるにつれて無理に出しているような、詰まった声になっていることだった。
「高音で力んじゃってますね。無理やり絞り出している感じ」
「……そうですか」
「力むと声が通らなくなるんです。力むとこういう感じになって」
曲の一節だけ歌った。意図的に喉を締めた、窮屈な声。
「で、力を抜くと」
もう一度、同じ一節を歌った。
霧島さんが黙った。
さっきよりも伸びやかな声が部屋に広がった。
力みがなくて、よく通る、自分なりにも悪くない発声だった。
霧島さんはしばらく何も言わなかった。
「……」
「霧島さん?」
「あ、すみません」
ちょっと間があいた後、少し居心地悪そうに続けた。
「なんか、思ったより……いや、すごく上手くて、ちょっとびっくりしました」
「あー、ありがとうございます」
正面切って言われると恥ずかしい。
「バンドやってたって言ってましたよね。ボーカルって凄いんだなあ……」
照れくさくなって、先を促すことにした。
「まあ、それはおいておいて。コツを教えますね」
「……はい」
まだ少し、霧島さんが何か言いたそうにしていたのを見なかったことにする。
「力を抜いて、喉を開くにはコツがあって。霧島さん、あくびしてみてください」
「えっと、あくび?」
「はい、あくびです」
俺は、過去に動画サイトで学んだ知識を、自分の経験を交えて話しはじめる。
「あくびの時、喉はリラックスできているんです。力みがなくて、開いている。これを維持したまま歌うと、苦しい声にならないんです」
「なるほど……」
さっそく、霧島さんは試し始めた。ふあー、と本当にあくびのような声を出した後、徐々に高い音へと変えていく。
「うん、出来てますね。だいぶいい感じだと思います」
「ほんとですか?」
「はい、コツつかむの早くてびっくりしました」
想像以上に上達が早い。
俺の場合は、動画とにらめっこしながら、コツをつかむまでしばらく声を出し続けていたのに。
霧島さんはゲームの上達も早いイメージがある。こういう歌のテクニックなんかも早くつかむのかもしれないな。
「じゃあ、次は一節を歌いながら、喉を開く感じを保つようにしましょう」
霧島さんは、しばらくの間黙って、先ほどの練習を忘れないように、感覚を思い出しているようだった。少し時間を置いて、もう一度歌い始めた。
さっきより、高音が聞き取りやすく、深みのある声になっていた。奥行きのあるとでもいえばいいのか、そんな音。
「すごく良くなっていますよ」
「自分でも、違うのわかりますね」
霧島さんが少し驚いたように自分の喉に手を当てた。
「もう少し続けてみてください」
何度か繰り返すうちに、感覚をつかんできたのか、さらに、苦しい感じが薄れていった。
一通り終わって、霧島さんがもう一度最初から通して歌った。さっきとは別人かと思うほど、魅力的な高声だった。
「……なんか、さっきよりいいかんじになった気がします」
「うん、ほんとにいい声がでてましたよ」
「ありがとうございます」
所詮は聞き齧った動画の知識で、大したことはしていない。
しかし、素直にお礼を言ってもらえると、教えた甲斐があるというものだ。
ふう、と歌い終えた霧島さんが黙り込む。
しばらく、静かな時間が流れた。
ふと、今朝の連絡が頭をよぎる。
そうだ、今日は霧島さんに見せたいものがある。今がいい頃合いだと思った。
「あの、実は、一つ見てほしいものがあって」
霧島さんが首を傾けた。
「シホさんから送られてきた動画があって、昨日の配信の内容みたいなんですけど」
霧島さんの表情が少しだけ強張った。
「……姉から」
「見ますか」
凛はしばらく黙ってから、「はい」と言った。
霧島さんの目の前にスマホを差し出す。
指先は躊躇していたが、そこまで時間を置かずに、再生ボタンが押された。