軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

おねえさん、このあと、めちゃくちゃ――

最初にnoteへのコメントがついた夜からしばらくがたった。あれからもフィルマークスで映画の感想を書いたり、あるいは小説や音楽の感想について記事を書いたりしてみたが。前よりは反応がいい気がする。もう少し続けてみよう。とか思っている。続ける、と言えば、もちろん隣人と二人で過ごすダラダラとした密室の時間も。

ただ、マグカップから立ち上る湯気が少しずつ煩わしく感じられるようになり、代わりにグラスの中で氷の鳴る音が夜のBGMに増えていく。

六月に入ると、海に近いこの町も、ときどき昼間の熱が夜にも残るようになった。

寝苦しい熱帯夜。エアコンを点けるにはまだ少し早い気がして窓を開けていたが、肌にまとわりつくような湿気に耐えきれず、俺たちは「涼みがてらアイスでも」という短い口実で連れ立って外へ出た。真夜中のコンビニにアイスを買いに行く、という行動が、いかにも怠惰で暇な大学生である。

深夜一時を回った国道沿いのコンビニエンスストア。白々しい蛍光灯の光が、人気のない駐車場のアスファルトを四角く照らし出している。

俺たちはそれぞれ適当に選んだアイスの袋を開け、駐車場の端にある車止めの縁石に並んで腰を下ろした。

遠くから、規則正しい海鳴りが聞こえてくる。潮の匂いをたっぷり含んだ生温かい夜風が、俺のシャツの襟元と、隣に座る山葉さんの髪を静かに揺らした。

「……んー、生き返るぅ」

山葉さんは、コンビニの安っぽい棒アイスを咥えながら、まるで眩しいときのように目を細めた。

黒いオーバーサイズのTシャツにショートパンツ。すっぴんの顔に、無造作に結んだだけの髪。大学で誰もが憧れる『生協の女神』の武装を完全に解き放っているというのに、白々しいコンビニの蛍光灯の下に浮かび上がる横顔があまりにも目を引きすぎて。俺はなんだか不公平なものを見せつけられたような気分になり、そっと視線をアイスの方に落とした。

パリッ、とチョコのコーティングを噛み砕く音が、深夜の静寂に小さく響く。

冷たいアイスが口の中で溶けていく感覚と、まとわりつくような夏の夜気。そのアンバランスさが妙に心地いい。

「鈴木くんのそれ、美味い?」

「ええ、まあ。定番のチョコミントですから」

「ひとくち」

彼女は自分のアイスを片手に持ったまま、俺の方へと顔を寄せてきた。風に煽られた髪からこぼれる清潔な石鹸の香りが、ふわりと鼻先を掠める。

俺が少しだけ戸惑いながらアイスを差し出すと、彼女は遠慮なく先端にぱくりと噛みついた。

「……あ、スースーする。やっぱあたしはこっちでいいや」

「自分で言っといてそれですか」

他愛のない文句を言い合いながら、海風に吹かれる。

時折、遠くの国道を大型トラックが通り過ぎていく以外は、まるで世界に俺たち二人しかいないような、ひどく穏やかで満ち足りた時間が流れていた。

ずっとこのまま、溶けていくアイスと潮騒の音だけを感じていたい。そう思えるような、静かで満ち足りた時間だった。

だが、そういう空気は往々にして長くは続かない。

ブブッ、ブブッ、ブブッ。

山葉さんのショートパンツのポケットで、スマホが無骨なバイブレーションの音を立てた。

一度や二度ではない。間髪入れずに、何度も震え続ける。

山葉さんは小さくため息をつき、アイスの棒を咥えたままスマホを取り出した。

液晶のバックライトが、彼女の顔を青白く照らす。

俺は直接画面を覗き込むような無粋な真似はしなかったが、これだけしつこく鳴り続ける通知音と、画面を見つめる彼女の虚無めいた横顔を見れば、大体の見当はついた。

「……例の、先輩ですか」

ちょいちょい見かけるウェイ先輩の顔が頭をよぎる。

俺の問いに、山葉さんは視線を画面に落としたまま、ふっ、と短く自嘲気味に鼻を鳴らした。

「……こんな時間に、よくわかんないスタンプとDMの連投。元気いっぱいだね」

その画面を見つめる山葉さんのタレ目気味の三白眼から、さっきまでの柔らかい光がスッと消え失せた。

彼女は画面をタップすることもなく、ただ無表情のまま、滑るような手つきでスマホの画面を自分の太ももに伏せた。

震動はまだ、彼女の細い足の上でくぐもった音を立てて続いている。

伏せられたスマホを見つめる彼女の横顔は、能面のように感情が抜け落ちていた。

そんな彼女を見るのは初めてではないが、奇妙な光景を目撃しているような気分になる。彼女はすでに手に入れている『女神』という最高級の衣装を、まるで自分を縛り付ける枷であるかのように扱っている。嫌なら脱ぎ捨てればいい、という単純な理屈が通用しない何かが彼女の中にはある。

その得体の知れない「何か」の正体が、今の俺にはまだ、遠い国の言葉を聞いているかのように理解が追いつかなかった。

ずっと聞けなかったことがある。ただの隣人でしかない俺が、踏み込んでいい領域じゃないとわかっていたから、これまで何度も喉の奥で飲み込んできた問いだった。

だけど、沈黙の中で規則正しい波の音だけを聞いているうちに。溶けかかったチョコミントのアイスを飲み込んだ拍子に、その問いは、俺の意志とは無関係にぽろりとこぼれ落ちた。

「どうして山葉さんは、大学ではああいう風にしてるんですか?」

ボソッと響いた俺の声に、山葉さんはゆっくりと顔を上げた。

怒るでもなく、はぐらかすでもなく、彼女はただ海の方角を見つめたまま、微かに自嘲するような笑みを浮かべた。

「……なんでだろうね」

海風に溶けてしまいそうな、細くて掠れた声だった。

山葉さんはそれ以上何も言わず、咥えていたアイスの木の棒を、少しだけ強めに噛んだ。小さく軋む音が、波の音に紛れて消える。

太ももに伏せられたスマホの画面は、いつの間にか暗く沈んでいた。くぐもった震動もすでに止まり、残されたのは、遠くから打ち寄せる規則正しい波の音と、まとわりつくような生温かい空気だけだ。

彼女は片膝を立てて体を丸め込むようにすると、白々しい蛍光灯の光が届かない、真っ暗な海の底をじっと見つめた。

助けを求めるでもなく、ただ雨が止むのを待つような、静かな横顔だった。

俺は開きかけた口を、そっと閉じた。ここで変に同情めいた言葉を並べるのは、彼女のスマホを震わせている連中の無神経さと同レベルの、ひどく的外れで無価値なノイズに思えたからだ。今言おうとしたこととは別のことを言いたい。でも何を?

思い浮かばない。

代わりに、頭をよぎったのは、例のドラマ、山葉さんと一緒に観ている。例のシットコムのことだ。もう、シーズン12、つまりファイナルシーズンの中盤まで来てしまっている。あのドラマを見終われば、俺たちはどうなるのだろう。一緒に夜を過ごす理由は、なくなってしまう。そんな関係性に過ぎない俺に、何が言えるのだろう。

手の中で、すっかり溶けきったチョコミントのアイスが、甘ったるい緑色の雫となってアスファルトにボタボタと落ちていく。

「……風、ぬるいね」

山葉さんが、ぽつりと呟いた。

伏せられたスマホの震動はようやく止まり、再び規則正しい波の音だけが戻ってきた。

俺はただ彼女の隣で、完全に溶けてドロドロになったアイスの甘さを舌に感じながら、夜の海から吹き付ける湿った風を一緒に受け止めていた。大体二〇秒くらいは。

俺は、最後の一口になったドロドロのアイスを飲み込み、隣の彼女をあえて見ないようにして口を開く。

「あの、炭酸水、買って帰っていきません?」

唐突な俺の言葉に、山葉さんが顔を上げた気配がした。

「部屋に、この間買ったバーボンのボトルが残ってたはずなんで。もう少しだけ、どうかなって」

ひどく遠回りな言い方だった。多分、俺は山葉さんを甘やかしたい気持ちになったのだと思う。身の程知らずな気もするが、それでも。

「えー、でももう結構な時間じゃない? 明日午前中講義あるでしょ」

「サボりましょう」

俺の即答に、数秒の空白。山葉さんはしばらく目を丸くして、それから吹き出した。

「鈴木くんが悪い子になってる」

そういう山葉さんの表情は夜に咲く花のようで、声は澄んだ響きを帯びている。

「いいね。サボっちゃおうぜ」

口角をにんまりとあげた山葉さんは、太ももに伏せていたスマホを、 一瞥(いちべつ) すらせずにショートパンツのポケットへ無造作に放り込んだ。

立ち上がりざま、彼女は「わかってるじゃん」とでも言うように、いたずらっぽく目を細めて俺の肩を肘でぐいっと小突いてきた。

「なら、あたしはスナック菓子追加しよっかな。鈴木くんのおごりで」

「え、なんで俺のおごりなんですか」

「当たり前っしょ。言い出しっぺなんだから。ピザポテトね」

「太りますよ」

「……ふとらんし」

軽口を叩く彼女の口角は、さっきまでの刺々しさが嘘のように柔らかく綻んでいる。

俺たちは並んで歩き出し、コンビニ横のゴミ箱にアイスの棒を放り込んだ。アイスの棒が立てた「カララン」という乾いた音が、何故だかRPGでレベルが上がった時の音楽のように聞こえる。

軽口を叩く彼女の口角は、さっきまでの刺々しさが嘘のように柔らかく綻んでいる。

歩き出すと、時折触れ合うお互いの肩先から、夏特有の生温かい熱が伝わってきた。いつもより近い距離。石鹸の甘い香りが、夜風に乗って理性をぐらぐらと揺さぶる。

これから二人きりで、鍵の閉まった俺の部屋に向かうのだ。その事実が、急に現実味を帯びて不自然に喉が渇いた。

ウィーン、という自動ドアの無機質な開閉音とともに、白々しい蛍光灯の明かりが再び俺たちを迎え入れる。酒を買って、真夜中の俺の部屋で酔う。そして俺たちは成人しており、お互いの体温が肌になれている。そんな関係でもないのに。いやもしかしたら「そんな関係」になったりするのだろうか、なんてことを考えた。――そして、その予感は割と当たっていた。

――俺たちは、この後めちゃくちゃ――