作品タイトル不明
侍女と怒りと逃亡過程。
ーーーふざけんじゃないわよ……!
幾つも爆弾発言を落としていった男がいなくなった、後のこと。
ヘーゼルは、自分の心の奥底から、ふつふつと怒りが湧き上がって来るのを感じていた。
トールダムの幽霊が、スッとドアの方に消えるのを見て、さらに眉根を寄せる。
『すぐに逃げた方がいい。それも、なるべく人目につかないように。 本当に(・・・) 攫われたく(・・・・・) なければ(・・・・) な』
幾つも爆弾発言を落としていった朱色の瞳の男が、最後に言ったのはそれだった。
『君を狙ってるのは、実は俺じゃない。……正確には、俺が依頼を遂行しなかった場合の『保険』として依頼人が配置した『逃し屋』連中が、ここに向かってきてる。安全な道は、あいつが案内してくれるだろう』
そう、トールダムに親指を向けた男は、パチリと片目を閉じた。
『本当は、ここじゃなくて連中のところに君を連れていって、そのまま逃げる予定だった。順当に行けば払われる予定の報酬も【賢者の石】に比べりゃ 端金(はしたがね) だし、この辺りが潮時ってことだ』
男はそう笑ってから、手品のような手際でヘーゼルの腕の鎖と魔力封じの首輪を外すと、部屋に差す夕陽が作った濃い影に入り。
中折れ帽に手を当てて、とぷん、と沈み込むように姿を消したのだ。
ーーーふざけんじゃ!! ないわよ!!
ヘーゼルは、ギリッと歯を軋らせながら立ち上がった。
あの男の言葉が嘘ならいいけど、本当なら実際、逃げないとヤバい。
「なんっでアタシが、こんな目に遭わないといけないわけ!?」
ドアノブを捻ると、ドアに鍵は掛かっておらず、あっさり開いた。
その場所は最初の想像通り、集合住宅らしい。
三階以上にある安い部屋のようで、階下に続く踊り場にトールダムの姿が見え、すぐに消えた。
ーーーどっちにしたって、下には降りるしかないわね……。
屋上に逃げて別の建物に飛び移る、という選択肢もないことはないけど、見つかったらめちゃくちゃ目立つ。
誘導に従うわけじゃない、と思いながら、ヘーゼルは階段を駆け降りた。
そして玄関口を開けて、外に出る。
日が暮れかけている中で左右を見回すと、右にトールダムの姿が見えたので、 左に向かって(・・・・・・) 走り出した。
しかし、適当に路地を折れようとすると、その路地にトールダムが立ち塞がるように姿を見せる。
「どけ!!」
ヘーゼルは、そのままトールダムの体を突き抜けた。
何の感触もない。
ヒヤッとすらしなかった。
ヘーゼルは、自分が認めた相手以外の言うことを聞く気なんてさらさらない。
信用出来ない相手を信用して痛い目を見るより、自分の判断で間違った方がマシだからだ。
隠れて逃げる為には、まず狭くて入り組んだ場所に向かう必要がある。
ヘーゼルがそう考えていると、背後で馬車が止まる音と、路地に飛び降りる音が聞こえた。
チラッと見ると、慌てた様子の男たちがこっちに向かって走ってくるのが見える。
トールダムは、消えていた。
ーーー追っ手とかいうのは、あいつらね。
ヘーゼルは、そのまま立ち止まらずに走り続けた。
つま先に力を込めて蹴り出すと、 数メートル(・・・・・) 跳躍するように跳ねて着地し、また跳んで、というレベルの速度で体が前に押し出される。
「っ……あの女、身体強化魔術使ってるぞ!?」
「逃すな、こっちも……」
そんな追っ手の声まで置き去りにしながら、ベー、っと舌を出した。
ーーーはん、シドゥとゴルドレイさんの直伝よ! 追いつかれるわけないでしょ!
ヘーゼルは未だに、攻撃魔術なんかは全然使えない。
でも、日常魔術はどうにか使えるようになり、この身体強化魔術だけは叩き込まれたのだ。
『ウェルミィ様の侍従であらせられるのでしたら、この歩法は覚えておいて損がございません。何があるか分かりませんので』
ゴルドレイさんは、そう言っていた。
スパルタで基本を叩き込まれた後に、シドゥに習いながらちょっとずつ長く使えるようになったのだ。
元々伯爵家の人間なので、ヘーゼル自身の魔力量は下手すると、平民出身のシドゥよりも多いらしい。
彼の強さの秘密は魔力量の多さではなく、純粋な剣の技量と魔力操作の精密性、そして魔力残留の気配を感じられる『目』の良さ、だとか、私設騎士団の団長も言っていた。
実際、便利だった。
走らなくても、これを使って歩くだけでめちゃくちゃ移動が楽になったからだ。
人が多いところだと使えないけれど、今くらいの時間に路地裏や脇道を通れば、人にぶつかる心配もない。
実際に、そういう意味で役に立つ場面なんて来てほしくなかったけど、来てしまったのであの人の言葉は正しかったと痛感する。
と、思っていると、ちょっと目測を誤ってT字路の壁に思い切りぶつかった。
「いったぁ……!」
やっぱり、そんな何もかも上手くはいかないらしい。
石壁だったので突き破ることはなかったものの、かなり大きな音がしたので、ヘーゼルがどこにいるか気づかれたかもしれない。
ーーーこの間抜けッ!!
自分を罵って、肩の痛みを無視しながら走り出すと、今度は分かれ道の左に向かうように、トールダムの幽霊が横切る。
ーーーあんたもしつこいわね!! ついて来るんじゃないわよ!!
心の中で怒鳴りつけながら、右の道に向かって走った。
男たちの声も近づかないけど遠ざからないし、ここがどこだかも分からないし、折に触れて出てくるトールダムは全部無視して逆を行ってやる。
そうして、いい加減疲れてきた頃合いで、また大通りに続く道に戻ってきてしまった……と思ったところで。
一瞬、トールダムを無視したのがマズかったか、と後悔する。
大通りに出る直前に、前から複数人の男が路地を塞ぐように立っているのが見えたのだ。
後ろから追いかけてくる連中と、似たようなカタギっぽくない格好をしているので、お仲間なのだろう。
ーーー挟まれた!?
待ち伏せされていたのかもしれない。
左右に集合住宅の大きな建物が立ち、脇道どころか逃げる場所もない中で、前後を塞がれてしまった。
大きく肩で息をしながら上を見上げるけど、自分の身体強化魔術で跳躍できる高さより、遥か上に屋上がある。
ーーー窓なら……? いや男どもの頭上を飛び越えて……。
焦燥感で、判断が鈍った。
そもそもヘーゼルは、こういう類いの荒事なんて初めてである。
後ろからの足音と、ヘーゼルに気づいて前から迫ってくる男たちの姿。
ーーー捕まる……!
そう思った瞬間、一気に恐怖が湧き上がってきた。
足が痺れたように動かなくなり、どうしたらいいか分からなくなって、全身にギュッと力を込めて目を閉じると。
「ーーーヘーゼルに、触るんじゃねぇ」
ドン!! と音を立てて頭上から何かが降ってきた気配と共に、いきなり足元から地面の感触が消えて、頭が揺れる。
腰を抱え込むぶっとい何かの感触と、重なるように幾つも響いた鈍い音と、苦悶の声。
ヘーゼルがパッと目を見開くと、近くに地面が見えた。
少し視線を上げると、追いかけてきていた男たちが全員、倒れている。
「え?」
「無事か? ちょっと移動するからな」
聞き慣れた声。
その顔を確かめる間もなく、グッと体が沈み込んだかと思ったら、お腹を押さえつけるような圧と共に地面が遠ざかった。
「うぇえ!?」
「暴れんなよ、舌噛むぞ」
見たことない角度で周りの景色が流れていき、集合住宅の屋上が見えたかと思ったら、今度はちょっと落下した。
全身がゾワっとするような滑落感の後に、屋上に着地してそのまま下ろされる。
へたり込んだヘーゼルがその相手を見上げると、片手に抜き身の【聖剣の 複製(レプリカ) 】を手にしたシドゥが、眼下の状況を探るように目を向けていた。
「シ、ドゥ?」
「間に合ってよかった。悪いが次からは、似たような状況になったら俺が目視出来るところに居て貰うことになるかもしれん」
シドゥは、真剣な表情をしていて、いつもと様子が違った。
ヘーゼルに見せる快活な笑顔や護衛をしている時の生真面目な顔とも違って、冷たい殺気が表情に宿っている。
もしかしたら、戦士の顔、っていうやつなのかもしれない。
「……オルミラージュ侯爵家の馬車が来た。なら、言ってる間に応援が来るな。しばらくここに居よう」
「し、下の連中は……?」
「殺してはいない。それに、ヌーア侍女長が近くにいる。怪我とかないか?」
そこでようやくこちらに顔を向けたシドゥは、心配そうな表情で膝をついた。
「服の肩が破れてるが、怪我をさせられたのか?」
「あ、これは逃げる時に自分で壁に突っ込んで……痛いけど、他には別に何も」
「そうか。……すまない、俺の不注意で」
申し訳なさそうな彼に、ヘーゼルは首を傾げる。
「シドゥの不注意なんてあった……?」
確かに護衛ではあったけど『ドアを挟んで中で起こったこと』なんて、気付ける方がおかしいのではないだろうか。
ヘーゼルだって、隣室やドア前に待機してても、ベルの合図があるまではどっちかというと周りのことを気にしている。
しかも、ミザリの姿に化けてたらしいあの男に会ってから気絶させられるまで、多分数秒で、場所は王城だったのだ。
シドゥが油断していたとは思わないけど、近づいてくる『外』の人間を警戒してたなら、気づかなくてもおかしくないのである。
「別にそんなことに怒ってないから、気にしないでいいわ。そんなことより……」
と、ヘーゼルはシドゥをちょっと睨む。
話を逸らす意味半分、本当に不満な気持ち半分である。
「ここに飛ぶ時、アタシのこと肩に担ぎ上げたわね……? そこは腕で抱えて、とかじゃないの?」
確かにシドゥよりヘーゼルの方が背が高いので、そちらの方が抱えやすいとは思うけど、それではまるで荷物扱いである。
予想外の言葉だったのか、面食らったような顔をしたシドゥが、ちょっと安心したように片頬に笑みを浮かべた。
「それも悪かったよ、お姫様。剣を振るのにちょっとその姿勢だと動き辛かったんだ。連中が前後に居たしな」
「御当主様だったら、ミィを抱えて華麗に助けた場面だと思うのよね。なんか絵にならないわよね!?」
「ヒーロー役が、みすみすお姫様を攫われた間抜けな騎士なんだから、仕方ないだろ」
「……それでも!」
と、ヘーゼルはガシッと両手で、シドゥの肩を掴む。
「シドゥがアタシにとっては一番カッコいいんだから、カッコよく助けて欲しいの!」
「分かったよ。悪かったって」
シドゥが苦笑しながら、ポンポン、と左手で背中を叩いてくる。
ヘーゼルは彼の胸元に額を押し付けて、ぼそりと続けた。
「……助けてくれて、ありがと」
「当たり前だろ」
「……怖かった」
「二度とないようにする」
どれだけワガママを言っても、何を言っても受け止めてくれる『いつもの』シドゥに、じわっと目尻に涙が滲んだが、ヘーゼルはグッと堪えた。
「奥方様が降りて来られたが……御当主様が居ないな」
と、シドゥが言ったので、彼から離れてヘーゼルは立ち上がる。
建物の前に止まった侯爵家の馬車から降りて来ているミィを、いつの間にか姿を見せたヌーア侍女長が迎えていた。
そしてこちらを見上げて、ホッとしたように細める彼女を見て。
ーーーヘーゼルは、逃げ始める前に自分が怒っていたことを思い出した。