作品タイトル不明
嗅いだことのない花のような香り。
ーーー???????
ヘーゼルは、全く意味が分からない状況に混乱していた。
どこだか分からないけれど、広くもなく狭くもない部屋の中。
集合住宅っぽい内装で、多分、実際にそんな場所の一室だろうと思われた。
部屋の中に、嗅いだことのない花のような香りが漂っている。
そんな部屋の中で、ヘーゼルに向かって笑みを浮かべる男が一人、机に腰を預けていた。
朱色の瞳と、プラチナブロンドの髪。
甘い感じの美形だが、中折れ帽にスラックスとベスト、というソツのない服装も相まって、どこか気障な雰囲気がある。
そんな彼の含みのある表情を見て、最初に思い浮かんだのは……。
ーーーミィが男になったら、こんな感じかしら。
という感想だった。
ミィは吊り目気味で男は垂れ目気味という違いがあり、ミィのお父様であるクラーテス伯爵にも、どこか似ている。
ただ、ミィが『悪女の演技』をしている時のような感じで、ちょっと鼻につくのだ。
「乱暴な招待になってすまないな。ようこそ我が事務所へ」
男はペーパーナイフをくるくると手で弄びながら、片目を閉じた。
「君に、ちょっと聞きたいことがあって、招かせて貰ったんだ」
「……誘拐犯に喋ることなんて、あるわけないでしょ」
しかも、あんな騙し討ちみたいな感じで。
怒りが湧くと、ちょっと頭が鮮明になった気がした。
そう、あの時。
ヘーゼルが一人で待機室で待っていると、ふと目を上げた先にミザリが立っていたのだ。
『ミザリ!? え、いつ入ってきたの?』
驚いて立ち上がると、『ミザリ』は笑顔と共に近づいてきた……けれど、ちょっと違和感があった。
ーーーあれ? なんかいつもはもっと、ほわんとした顔か、からかうようなニヤニヤ笑……。
『悪いな』
と、いきなり顔の前に手を翳されると、意識が遠のいて……指の隙間から、朱色の瞳がチラッと見えた、気がして。
次に気づけば、この状況である。
ヘーゼルは妙な首輪を嵌められた上に、手鎖で両手を縛られていた。
「何なの、この首輪」
「魔力を封じる首輪。魔術は使えないかもしれないが、念の為につけさせて貰った」
「縛られてるのは?」
「抵抗されると君が怪我するだろ。だから一応」
悪びれることもなくさらっと返答されたので、さらに言い募ろうとしたが。
「俺は、【賢者の石】が欲しくてね」
言葉を挟む隙もなく発された言葉に、ヘーゼルは気を取られた。
「【賢者の石】……?」
「そう。それも完全なものが欲しい。ちょっとした事情でね」
それは、ウーヲンが作って、ミザリの体を治すっていうアレのことだろう。
今あるものは不完全、というのも、言っていた気がする。
ーーー何だろう。
今、目の前の男が言葉を口にしただけで、それが凄く気になった。
「古代文明の遺物として、『完全なそれ』が存在しているという話がある。だから、色々調べている内に君達の存在を知ったんだよ」
男は古く、ボロボロに崩れそうなくらい日に焼けて褪せた紙を手にした。
「これは、俺の実家筋にあったものだ。だが、読めない。古語で書かれていることは分かっても、何らかの強力な魔術で封印されていて……〝 解呪(・・) 〟 の力すら(・・・・) 、通用しなかった」
そう言って、男は朱の瞳を煌めかせる。
「そこで、読む為に調査を始めた。そして情報を知ったんだ。編者と呼ばれる一族、記録を保持する役目を担いあらゆる文書を読み解ける『宿命』の一族……十二氏族以外にも、それが存在しているってことを」
「何、十二氏族って」
「おや、知らないか? 大昔、〝精霊の愛し子〟を守る為に『宿命』を与えられた者達のことだ。今の各国高位貴族の祖であり、調和を保つ駒である連中だよ」
ーーーアロイを?
そういえば、ミィ達との会話の中で、聞いたことがあるかもしれない。
基本的によほど親しい人か、高位貴族同士のヒソヒソ話の中でしか出てこないし、ヘーゼルはあまり、そういう話をする場にいないのだ。
多分聞いちゃダメなことなんだろう、と思って、同席している時でも、聞き耳を立てたりはしていなかった。
ただ、〝精霊の愛し子〟については、何か色々あるらしくて、アロイがそういう人だということだけは、ミィから聞いていた。
称号か何かなんだろう、と思っていたけど、違うのかもしれない。
「しかし、どうやら『宿命』は〝精霊の愛し子〟に関わる人物にだけ与えられるものではないらしい。どちらかというと 神の都合(・・・・) 的な意味で、齎されるみたいでな」
男の言葉は、さっぱり意味が分からない。
そもそも『宿命』っていうのを聞いたことはあっても、それが何なのかすら、ヘーゼルは詳しく知らないのである。
でも。
「女神様が与えるんだから、女神様の都合で当たり前じゃないの……?」
そう応じると、男は目をぱちくりさせた後、おかしそうに笑い声を上げた。
「ははは、確かに。それはそうだな!」
何が気に入ったのか、『当たり前ね……確かに』と、しばらく口元を押さえて笑いを堪えた後、男は手を上げた。
「悪い、君を馬鹿にした訳じゃない。そう、当たり前なんだ。それが女神の都合ではなく 魔神の都合(・・・・・) であっても、だ」
「……で、何が言いたいの? 【賢者の石】の話からだいぶ離れてるけど」
ミィに『話を逸らしたり、脇道に誘おうとする相手の話し方には注意しなさい』と散々言われているので、ヘーゼルはそれに気づけた。
煙に巻いて自分の本当の主張を隠そうとしたり、相手の気持ちをかき乱して信用させたり苛立たせたり、というテクニックらしく、貴族社会ではそれはもうよくある話らしい。
それで侍従を籠絡したりすることもあるそうで、『相手が何を言いたいのか』を見定めるよう、耳にタコが出来るくらい言い聞かされていた。
何せミィ自身がやっていることなので、とても分かりやすく『指導』されたのである。
「……指向性の影響下にある筈なのに、凄いな……まだそれだけ頭が回るのか」
男が、感心したように小さく呟いた。
「やっぱり、オルミラージュ侯爵家の人間は油断出来ないな。仕方ない、さっさと本題に入ろう」
そのままヘーゼルに近づいてきて、横長の古ぼけた紙を目の前に突き出してきた。
それは、オルミラージュ侯爵家で見た地図と同じようなもので……ただ、記されている範囲がそれよりもかなり広い。
「編者の『宿命』を持つ者だけが、この【 旧詩篇(アウゴサーム) 】と呼ばれる紙片の中身を読める、と言われている。ここに書かれているのは……かつて中央大陸と東の大陸を支配下に置いた、 バルア皇国(・・・・・) 第三代皇帝(・・・・・) が遺した遺産のある場所、だ」
そうして男は、四つの点を順に指さした。
「別の文献を照らし合わせて、図像に何が書かれているのかは推測している」
中央大陸内海の中心にある点、『 皇都(ウェルミオーラ) 』。
バルザム帝国支配域の中にある大山『 総本山(ミスティルテイン) 』。
大公国とライオネル王国の間に横たわる『 魔性の平原(リボルヴァリンク) 』。
そして南東の大島『 皇后の庭(タカマガハラ) 』。
「合っているか?」
男が、名前を読み上げた後にそう問いかけてくるのに、ヘーゼルは相手の目を覗き込みながら、ハッキリと答える。
「 読めないわ(・・・・・) 」
しかし、男はトントン、と自分の目の縁を叩くと、目を笑みの形に変える。
「嘘はよくないな、ヘーゼル・グリンデル。この目を誤魔化せると思うのか?」
言われて、ヘーゼルは奥歯を噛み締めた。
そうだった。
この男の瞳は、ミィと同じ朱色の瞳なのである。
「何なの、あんた。ミィの身内なの!?」
「血統は同じだよ。ただ、俺は帝国の出身で、君の女主人はライオネル王国の出身ってことが違う」
男は笑みを浮かべたまま、紙片を引くと、丁寧に丸めながら机のところに戻り、それを筒の中に納める。
「本当はもう少し、この中に書かれている『手順』まで知りたかったんだが、時間切れだ」
と、男が部屋の隅に目を向けるのに、ヘーゼルもつられてそっちを見て……思わず悲鳴を上げるところだった。
ーーートールダム……!!
部屋の隅に、いつの間にかひっそりと、この間見た姿のままで、アイツが立っていたのである。
「そんな怖い顔で睨むなよ、ミスター。傷つけちゃいない。それに思った以上に連中が来るのが早そうなのは、君が何かしたんだろ?」
男が肩を竦めると、トールダムの幽霊は様子を変える。
ぐるんと目が回って瞳孔が消え、ゆらりと全身がざわめいた。
「邪魔されたんだから、これくらいの腹いせはいいだろ。それに怒ったって君は、俺に手を出せない。ははは、指を咥えて見ているといい」
男は外套を手に取ると、改めてヘーゼルに向き直る。
「ご協力いただいた報酬だ。今から、君にいくつか情報を与えよう。せいぜい、女主人と一緒に有効活用するといい」