作品タイトル不明
ウェルミィ・オルミラージュの敗北。③
そうして再び、コンコン、と、ドアノッカーの音。
「連れて来た」
エイデスの声がして、お義姉様が勝手に答える。
「お通しして下さい」
「お義姉様……!」
ウェルミィの抗議に、お義姉様は微笑むだけで、そっと一歩、後ろに下がる。
「こちらへ」
ドアが開いて、まずエイデスが。
そうして、彼がウェルミィに歩み寄ると……その後ろには。
両手を胸元で固く握ったお母様と、その背中にそっと手を添えたお父様。
修道院での生活は、辛いものだったのだろう。
記憶にあるよりもやつれた顔と、日に焼けた肌と、歳を重ねた使用人のように、ふしくれだって血管の浮いた手。
あかぎれして、ボロボロの指先。
化粧をして、服装こそドレスで装っているけれど、古びた胸元の聖印が不似合いで。
お義姉様のクリームを塗れば、指先はすぐに治るのに。
そう考えて、ウェルミィは眉根を寄せる。
違う。
気を遣う必要なんて。
「さ、イザベラ」
「え、ええ……」
俯き気味に足を踏み出したお母様は、ドアを入ってすぐに立ち止まる。
外でカガーリンがパタン、とドアを閉めると、重い沈黙が訪れた。
「……何をしに来たの」
ウェルミィが低く呟くけれど、お母様は反応しなかった。
代わりに、横にいるお父様が少し困ったような顔で、首を傾げる。
「ウェルミィ……」
「お父様には聞いていないわ。私は、その人に聞いているのよ」
けれど、お母様は何も言わない。
ただ、黙ってそこに立っている。
「話す気がないなら、さっさと出て行きなさいよ」
大きな声は、出せない。
だって、娘が起きてしまうから。
「……ごめんなさい」
掠れた小さな声が、聞こえた。
思わず、ウェルミィはキツく唇を噛む。
「何で、今更……」
何で。
「今更、会いにくるなら」
何で。
「ーーー何で、お義姉様を殺そうとしたの……!」
ウェルミィは、お母様を裁けなかった。
あの時は、最悪処刑があり得はした。
けれどそれは、ウェルミィ自身も同じで……もしかしたら、貴族籍を剥奪されて平民に戻るだけだったかも、しれなかった。
お母様と一緒に。
だってお母様は……お義姉様を虐げはしたけれど。
サバリンと違って、その命を常に狙っていたわけではなかったから。
殺意は感じていた。
けれど、お義姉様に何かをする時には、その瞳に 痛み(・・) も映っていた。
憎悪の中に見え隠れする、激しい葛藤が……そう、ウェルミィには、見えていたのだ。
だってお母様は、平民だから。
魔術を貴族学校で習ったわけでもないし、その瞳に宿る感情を、本音を、ウェルミィに隠せる手段を持っていた訳ではなかった。
この目は。
人の本質を見抜いてしまう、ウェルミィのこの瞳は。
隠していて欲しいものまで全部、ウェルミィの前に差し出して来るから。
そんなお母様は、昔から。
まだ、エルネスト邸に入る前から、ずっと……ウェルミィにだけは、本当の笑顔を。
『貴女の瞳は、とても綺麗ね』
そう言って、ウェルミィを育ててくれた、お母様は。
『鮮やかな朱色で、良かったわ』
お母様がまず最初に褒めるのは、いつだってウェルミィの瞳の色だった。
次は、髪の色。
『本当に綺麗な、プラチナブロンド……ふふ、少しくせ毛なのは、わたくしに似たのね』
心から、嬉しそうに。
懐かしさと、後悔と、憧憬と、安堵と……慈しみと。
そうした色を浮かべた先に見えていたのは、きっと、お父様だった。
『ウェルミィ。貴女は、わたくしの宝物よ』
ウェルミィを愛してくれるのと同じくらい、お母様がお父様を愛していること。
薄々気付いていたお母様の『秘密』が真実だと、知ってしまったから。
だって、お母様が混じり気のない憎悪を向けていたのは、お義姉様ではなかった。
あの夜、あの、ウェルミィが川に落ちて熱を出した夜から。
人の心の有り様が、朧げに分かり始めたから……ウェルミィは、気づいてしまっていた。
どんなに柔らかな笑顔を浮かべていても、サバリンへの憎悪をちらつかせている、お母様の瞳の色に。
お義姉様に何かをする時に瞳に浮かぶ激しい葛藤を、彼に対しては一切浮かべることはなかった。
嘘を吐いていることに対する、良心の呵責すら見当たらなかったのだ。
お母様が本当に憎んでいるのは、お義姉様ではなく、サバリンだった。
だから、自分の手では裁けなかった。
けれど、その事実から目を逸らした。
お母様もお義姉様も選ぶことは、あの時のウェルミィには出来なかった。
サバリンと、アーバインを裁いたのはウェルミィだったけれど。
あの断罪劇で、本当の意味でお母様を裁いたのは……エイデスだったのだ。
分かっていたから。
お義姉様が助かるなら、お母様は助からないことは。
お母様が、お義姉様を虐げていたのは事実で。
だから、どうせ共犯として捕まるのだから、と、そう言い訳して。
真っ直ぐに目を向けてしまえば、お母様ごと断罪して、お義姉様を救えなかったから。
お義姉様を家から出すことを決めた時。
お母様は、そこでも葛藤していたのだ。
お義姉様を……家を出る前に殺すか、殺さないか。
でも。
でも、 お母様は諦めた(・・・・・・・) 。
あの時は、差し出す相手が魔導卿だから、無理だと判断したのだと思っていた。
だから『それが良いわね』と言って、サバリンが婚約届にサインをするのに、賛同したのだと。
そうして、お義姉様が出ていく日の夜。
ウェルミィはお母様に問いかけた。
『ねぇ、お母様。お母様は、今、幸せ?』
笑顔で問いかけたウェルミィに、お母様は小さく微笑んだ。
『ええ、ウェルミィ。とても幸せよ。……貴女がいるもの。貴女が幸せなら、それで良いわ』
嘘じゃなかった。
お母様が、ウェルミィに向ける言葉と想いは いつだって本物だった(・・・・・・・・・・) 。
ウェルミィへの愛も、お義姉様への憎しみも、全部、全部。
そうして、断罪劇の時に。
お父様とお母様の間に関係があったという事実が、確定した時に。
ずっと分からなかった、サバリンに向けられるお母様の憎悪の理由に、ウェルミィは確信を持ってしまった。
お母様が諦めたのは……ウェルミィが、お義姉様を救おうとしていたから。
それに、お母様が気づいていたから。
ーーー『貴女が幸せなら、それで良いわ』。
お義姉様を救っても、サバリンは破滅するから。
自分の望みを全て叶えることと、ウェルミィの気持ちを秤にかけて。
娘(ウェルミィ) の気持ちを、優先した。
だってお母様は……優しい人だから。
ウェルミィには、ずっとずっと優しくて、愛してくれて。
使用人にも辛く当たることはなくて……でも、お義姉様にだけは辛く当たるから、そこだけ、相容れなくて。
お母様は自分を選んでくれたのに。
ウェルミィは、お義姉様を選んだのだ。
今更出てくるなら。
「何で……何で、お義姉様も私と同じように、愛してくれなかったの!」
そうしてくれていたら。
「お義姉様を虐げるなら……何で……私を、愛したの……!」
そうしてくれて、いたら。
憎まなくて良かったのに。
憎むだけで良かったのに。
愛さなくて良かったのに。
愛すだけで良かったのに。
涙で滲むウェルミィの視界で、お母様が悲しそうに微笑んだ。
また、言いたいことを全部呑み込むみたいに。
「ごめんなさい……ウェルミィ」
ちっとも、自分のことなんて。
ウェルミィがお母様を好きだっていうことなんて、ちっとも考えてくれなくて。
「……っ! 嫌いよ、お母様なんて! 嫌いなんだから!」
ウェルミィは、叫んだ。
気持ちを抑えきれなかった。
「大好きだった、のに!」
「ウェルミィ」
エイデスに、そっと肩を抱かれる。
「わ、私じゃないわ! 私は許さないわよ! でも、エイデスが、許せって言うから!」
「ああ」
「お義姉様が、許すって言うから!」
「ええ」
「お父様が……悲しむ、から……!」
「うん」
「それ、だけ、なんだから……!」
「そう……」
ウェルミィは睨んでいるのに。
お母様は、微笑むだけで。
知ってるから。
ウェルミィが、こういう時に素直になれないことを、一番知っているのは……お母様だから。
娘が、顔に落ちたウェルミィの涙と、声の大きさに驚いてぐずり始める。
その顔を、鼻を啜りながら拭って、軽くゆすっていると、笑っているエイデスに涙を拭かれた。
「……何よ」
「いいや、何も」
エイデスだけじゃない。
皆笑ってる。
いつも、皆、そうやって。
ウェルミィが負けを認めると……そうやって、喜ぶのだ。
「ぐずっ……こっちに来て、お母様、お父様」
ウェルミィが声をかけると、お母様はお父様の顔を見た。
お父様が小さく頷いて、二人で歩み寄ってくる。
「私の子よ。銀の髪と、朱色の瞳の……孫娘よ」
「可愛らしいね、イザベラ」
「ええ。……名前は、もう、つけたの?」
ぎこちなかった。
会うこと自体が、久しぶりで。
全然、納得なんて出来てなかったから。
それでも。
ーーー皆が、許しても良いって、言ってくれたから。
だから、少しずつ。
だってウェルミィも、母になったから。
腕の中にいる、可愛い娘の、母に。
「……この子の名前は、スフィーア。スフィーア・オルミラージュよ」