作品タイトル不明
アルガとライヴァ。【中編】
そんな立場になってから、一年と少し。
ライヴァは、子をお腹に宿していた。
しかしアルガに付き従うのを止めず、今日も領地の視察に訪れていた。
昨日の大雨で氾濫被害が出た村の視察である。
イングレイ様は最近、帝国にも足掛かりを作ろうと動かれており、国外に出ていることが多い。
必然的に、こうした領内仕事は基本暇をしているアルガに回ってくることが多かった。
口と裏腹に、彼は特にそれに文句を言うこともなく鼻歌交じりに足を運んでいる。
「別に、いちいちついて来なくとも屋敷に居て構わんぞ」
視察に向かう馬車の中で、どこか呆れたようにアルガが言う。
けれどライヴァは、彼のそうした態度が心配の裏返しだと既に知っていた。
「貴方の側が一番安全でしょう」
ライヴァは、心からそう思っていた。
〝水〟の刺客は、あれからも度々送られており、同時に様々な手を経済面等で仕掛けられている。
けれどライヴァが率いていた頃よりも、その勢いは緩い。
ライヴァが収集した裏の情報によれば、現在は代理の『手足』が率いており、近々ピエトロの息子ブラードが派遣されてくる予定のようだった。
もうライヴァは、アルガを殺そうとはしていない。
半年程で、無駄だと諦めた。
ライヴァを縛っていた契約魔術までも、アルガはどういう手を使ったのか解除してしまったのだ。
『術式が荒い上に、古い。魂を縛らん契約魔術などただの紙切れだ』
と言って、何やら論文を書いていた。
それはライオネル王都貴族学校に通う、クラーテス・リロウド公爵令息と、彼と仲の良いルトリアノ・グリンデル伯爵令息に渡したらしい。
アルガはピエトロより遥かに有能で、火の粉を払う程度の様子で全てを捌く。
『彼の側が最も安全』というのは、側にいる為の偽りではなく、単なる事実である。
「まぁ、お前の体と子に障りがないなら良いが」
「馬車の揺れ程度で体に支障が出るのなら、貴方に出会うまでに死んでいます」
「確かに、それはそうかも知れんな」
軽く笑ったアルガは、それでも身体強化魔術をライヴァに掛けた。
「心配性ですね」
「人を作ることは、魔術を以てしても未だ為し得ぬ領域だ。繊細にして神秘であるが故に、予測も出来ん。慎重になるに越したことはない」
「今なら貴方を殺せるかもしれませんね。流石に我が子を手に掛けるのは憚られるのでは?」
「ハハ。そうなるなら、子だけを取り出して育つか試すも一興だな」
勿論、心からそう思っている訳ではないだろう。
既にライヴァが諦めていることを知っているからこその悪趣味な軽口である。
「〝水〟のこと、イングレイ様にお伝えせずともよろしいのですか?」
「そろそろ伝えておいても良いが、最もライオネルに友好的な領で、現当主は大公だからな。陛下がどう判断なさるかというところかな」
表立って何らかの手出しをしている訳ではない為、〝水〟の関与を証明すること自体は難しいのである。
『手足』を捕らえて身柄を引き渡せば、流石に捨て置かないとは思うけれど、何故かアルガはそれをしようとしない。
おそらくは、どんな理由であれ人の命を奪うことを好まないのだろう、とは思う。
まして『手足』の境遇は、ほとんどライヴァと同じだからだ。
けれど、危険に思えた。
彼ほどの強さを、多くの人々は持っていない。
アルガは、そのせいで家族が死ねばおそらくは悲しむと思うから。
「まぁ、煩わしいのは事実だ。帰ったら兄者の耳には入れておこう。着いたぞ」
アルガは話を終わらせ、スルリと先に馬車を降りると、手を差し出してくる。
差し出した手を抱き込むように優しく握られることに、ライヴァはいつしか安堵を覚えるようになっていた。
※※※
「山も一応見ておく」
氾濫した土地の水をある程度魔術で引かせ、地図を元に村長に色々な治水のやり方を教え、持ってきた食料と金銭を渡したアルガは、まだ働くつもりのようだった。
「休んでおけ」
「もう十分に休みました」
ついてきたとて、彼がいる限り基本的にライヴァにすることはないのだ。
日が暮れるまでには、まだ少々時間がある。
「散歩と変わらないでしょう」
「お前ならそうだろうがな」
アルガは、ライヴァが一度否定したことを二度は重ねない。
口調や態度と裏腹に、人を意のままに操ろうとするような気質ではないのだ。
むしろ、イングレイ様に領地のことを任されていなければ、あるいは魔術的な研究対象が外になければ、一生家に引きこもって一人で研究をしていそうなタイプである。
常人よりも遥かに早く山に着いたアルガは、楽しそうにその土地を眺めている。
「魔力を含んだ水を溜め込みすぎているな。この辺りの伐採は少し控えさせた方が……」
と、そこで彼は言葉を途切れさせた。
直後に、微かな地鳴りの音をライヴァも耳に捉える。
地滑りの前兆。
「アルガ!」
「駄目だ。方角が不味い」
逃げる、とライヴァが口にする前に、アルガが静かに言った。
「逃げれば、村が呑まれる。……ハハ。良いところに居たな!」
こんな状況で絶望的なことを口にしながら、アルガが笑った。
自然の脅威に、人は勝てない。
氾濫も、地震も、土砂崩れも、人の太刀打ち出来る領域を超えているからだ。
「ライヴァ」
こちらに目を向けないまま、アルガが告げる。
「 10分やろう(・・・・・・) 。全員逃がせ。お前なら出来るな?」
「……!」
アルガの体から、全力の魔力が放出され、その影響で紫の靄が彼の回りに湧き立つ。
ここで土砂崩れを食い止めるつもりなのだ。
けれど、それは、アルガの命と。
だけど、迷うには時間が。
逃げれば、アルガとライヴァの二人だけは助かる。
時間が失われれば、村が死ぬ。
「迷うな、ライヴァ」
アルガは、笑みと共にこちらを見る。
「俺はアルガ・オルミラージュ。そしてお前は、俺の女、ライヴァ・オルミラージュだ。オルミラージュの矜持を汚すな。ーーー行けッ!」
言われた瞬間に、ライヴァは地面を蹴っていた。
冷徹に、目的の為に想いを殺すことは。
上位者の命令に従うことは、幼少から身に染みついた、ライヴァの半身のようなものだったから。
後ろで、ハハ、とアルガの笑い声が聞こえる。
「お前は最高の女だ、ライヴァ! 愛してるぞ!」
「貴方は、本当に最悪の男よ! アルガ!」
ライヴァは、反射的に言い返していた。
惚れた男本人が『見殺しにしろ』と口にするのだ。
人生で初めて、自分の意思とは関係なく目尻に涙が浮かんだ。
なのに、アルガは。
「ハハ、そんな訳ねーだろ! 俺は全てを兼ね備えた、世界最高の男だ!」
と。
それが、彼の言葉を聞いた最後。
結果的に、土砂崩れは村を襲わなかった。
丁度、アルガが立っていたところから左右に流れる、奇妙に歪んだルートを辿って……村を避けるように、土砂は割れていた。
アルガは、帰ってこなかった。
掘り出された彼は……全魔力を放出しきって、まるでミイラのように干からびていたという。
ライヴァは、その姿を見ることは出来なかった。
きっと、あの破天荒で、投げやりで、露悪的な、あの人は。
そんな『無様』だと彼が感じるだろう姿を……ライヴァに見せたがらないだろうと、思ったから。
自分が知る限り、誰よりも身勝手だった男は。
貴族らしからぬ、しかし貴族として誰よりも誇り高かった男は。
たった一年しか、一緒にいなかったのに、ライヴァの心を掴んで攫っていった男は。
ライヴァの最愛であったアルガ・オルミラージュは、そうして逝った。
その後、イングレイ様のご厚意でライオネル王都に戻ったライヴァは、一人の男児を産み落とす。
生まれたその子に、ライヴァはエイデスと名付けた。