軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

30.

薄笑いから一転、メイドは濁った絶叫を上げ仰け反った。

その体がワゴンにぶつかり更に騒音が増える。

「危ない!」

言葉と共にカーヴェルが私の前に立ち塞がった。

その向こうでメイドが新しく悲鳴を上げる。

恐らくワゴンにぶつかった際にティーポットの中の湯も浴びたのだろうと推測した。

私は椅子から立ち上がるとカーヴェルの横へと立つ。

のたうち回るメイドの白いエプロンは予想通り紅茶で汚れていた。

その横には倒れたワゴン、そしてティーポットの欠片らしき物が散らばっている。

「余り暴れると怪我をするわよ?」

私がそう声をかけるとメイドは化け物でも見るような目で見上げて来た。

しかし怒りに表情を切り替えると震える唇を開く。

「あっ、あんたが……!」

「アベニウス公爵夫人が何か?」

レインがメイドの前に膝をつき言う。

こちらからは彼女がどういう表情をしているからわからないがメイドはぎょっとした顔で押し黙った。

「彼女を害するということはアベニウス公爵家を害すると同じだと君は理解しているのかな」

冷たい声で言われてやっと私に嫌がらせをしたメイドは自分のした事を理解したらしい。

レインはその前からずっと私の現在の立場を口にしていたというのに。

「エ、エリカお嬢様……」

レインの質問に答えずメイドは青褪めた顔で私を見上げて来る。

「お嬢様なんて初めてこの屋敷で呼ばれたわね」

助けを求め縋るような表情をされても憐みの気持ちは浮かんでこなかった。

私はレインに視線を向け言う。

「彼女は昔からこうやって私を火傷させて楽しんでいたわ。まさか客人の前で同じことをするとは思わなかったけれど」

過去の悪事を暴露してやると信じられないとでも言うようにメイドは目を見開いた。

「何故そんなに驚くのかしら。私が笑顔で許すとでも思った?」

「だ、だって……昔は、何をしてもいつも笑って……」

「それは貴方の悪意に気付かなかったから。でもここまでされたら流石に気づくわよ」

本当はそれだけではない。

『辛い事があっても笑っていなさい、人の良い部分だけ見て嫌な部分は忘れなさい』

それはエリカの母親の教えだった。実家に戻ったせいか声まで明瞭に思い出す。

聖女のような人だった。自分を手籠めにした伯爵や逆恨みし甚振って来た伯爵夫人について悪く言った姿を見た事は無い。

だからか原作のエリカも伯爵一家を特に憎んでいる様子は無かった。

母が本心からそう考えていたのか、必死に怒りを抑え込んで聖母の仮面をかぶっていたのかはわからない。

ただ私は彼女のようにはなれないしならない。

「貴方は伯爵家の使用人という立場で公爵夫人に危害を加えた。ただ辞めるだけで済むとは思わない事ね」

「そんな……!」

絶望の声を上げるメイドにレインが心底不思議そうに言う。

「どうして私たちが見ている前であんなことをしたんだ? 彼女自身が制裁しなくても私が抗議するぐらい予想出来るだろうに」

「それは……何時ものように許して貰えばいいと思って……!」

「……確かにこれは痛い目を見ないと不味い人種だ」

メイドの言い分に対し呆れた様にレインが言う。

余りにも予想通り過ぎる理由に私は溜息を吐いた。

「オルソン伯爵家は上から下までこんな感じよ。私には何をしても許されると思っているの」

「末端のメイドがこれだけ拗らせているって事は、親玉はどれだけ重病なのだろうね」

こちらの頭が痛くなってくるよ。そうレインが呟いたと同時に扉が開かれる。

又断りなしかと思いながら私は侵入者に視線を移した。

「まあ……っ、何て惨状なの?!」

そう叫ぶ女性の外見年齢は四十代半ばから後半くらいだろうか。化粧が濃すぎて判断が難しい。

折れそうな細い体に金糸の刺繍が特徴的なドレスを纏った女は甲高い声と共に持っていた扇を癇性に鳴らした。

「伯爵夫人……」

「エリカ、貴方の仕業なの?!」

私が呟いた途端まるで蠅を捕まえる蛙のように伯爵夫人は顔をこちらに向ける。

反射的に体がビクリと震えた。その事に私は内心驚く。

(……エリカの体が、彼女への恐怖を覚えているってことかしら?)

戸惑っている隙にメイドが伯爵夫人に素早く擦り寄る。

そして餌を強請る野良猫の用に甘えた声で訴えた。

「奥様、エリカお嬢様が私に紅茶を突然かけてきました!」

「何て野蛮な事を……あの女の娘だけあるわね!」

憎々し気に私を睨む中年女に恐怖とは違う意味で震える。

これは恐らく怒りだ。でもエリカの口や体はそれを発散出来なかった。

だけど私は出来る。

「それなら、このメイドは貴方たちの使用人だけあると言いたいわ。公爵家の方々の前で私に笑いながら危害を加えたのだから」

そう言いながら私は紅茶の飛沫が飛んで所々赤くなった手を伯爵夫人たちの前に差し出す。

「私の体はもう貴方たち伯爵家の物では無いのよ。 ……オルソン伯爵夫人、使用人の管理者として貴方は公爵夫人の私にどう償うつもりかしら?」

「なっ……」

私の体から震えが去った代わりに伯爵夫人の体が震え出す。

怒りなのか恐怖なのかは険しいその表情からは読み取れない。

少しの時間の後、彼女は無言で扇を持った手を大きく振りかぶる。

次の瞬間悲鳴を上げたのは伯爵夫人に縋ったメイドだった。