軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編 ある乳母の懺悔

どなたか、愚かな年寄りの話を聞いて下さいませんか。

ええ、ほんの愚痴でございます。聞いたそばから忘れていただきたく存じます。もうじきお迎えが参りますゆえの、冥土へ向かう際の置き土産にてございます。

私はある高貴な若様の乳母として、長くお仕えしておりました。大変優秀なお方で、跡取りとして何の不足もなくお育ちでした。

若様には年の離れたマルクス様という、弟様がおいででした。とても仲の良いご兄弟でしたが、マルクス様は月足らずでお生まれになったせいか、お身体があまり丈夫ではありませんでした。

ある時から、マルクス様は夜になると咳に苦しむようになられました。それはそれは苦しそうな息づかいで、横になった際のゼロゼロと鳴る音は、聞く者の胸が締め付けられるほどでした。

そんな夜を若様は、マルクス様に寄り添って過ごされていました。声をかけ、背をさすり、眠れるまで絵本を読んで差し上げる。若様はお優しい……とてもお優しい方なのです。

その頃から若様は学校の勉強とは別に、医療書を読まれるようになりました。東国や砂漠の国、辺境の生薬を集めはじめたのもこの頃です。マルクス様の症状を誰よりも知っていたのは、若様でしたから。

ところが、マルクス様に重篤な肺疾患であるという診断が下ると、お二人のお父上である旦那様はマルクス様をまるで切り捨てるように、診療施設へと追いやってしまわれたのです。

「病人がいるなど、屋敷が辛気臭くなる」とおっしゃっていたのを、私と共に控えていた若様は聞いてしまいました。私は、俯いてブルブルと震える若様の手を、握って差し上げることしか出来ませんでした。

そんなことがあってから、若様はより一層、学術書を読む時間が増えていきました。学のない私にはわかりませんでしたが、気象や大気成分の研究もなされていたようです。肺疾患の患者が空気のきれいな田舎で静養するのは、よく聞く話ですから。

若様は貴族学校を卒業すると、旦那様の反対を押し切って、学術研究所へとお勤めになりました。嫡男の義務である婚約者を探すことも社交へ出ることもなく、マルクス様のお見舞いと研究にのみ生活の全てを捧げておられました。そんな生活を十年近く続けておられました。

私はその頃にはお屋敷を辞してしまいましたが、マルクス様の診療施設で若様と顔を合わせることは多くございました。

いつの頃からか、時折、若様からいつもの香水と手土産のロリポップキャンディーの匂いに混じって、ツンと鼻を刺す火薬の臭いがすることがございました。ですが、その理由に私が気づくのは、ずいぶんと後になってからです。

若様は研究を重ねて、肺疾患の原因を突き止められておられたのです。

王都には数えきれないほどの煙突が立っています。黒い煙を吐き出すそれは、あまりに当たり前にそこにありすぎました。誰もが『良くないもの』と認識してはいても、それほど深刻だとは思いもしなかったのです。

若様は研究の成果を旦那様に突きつけて、工場の閉鎖や事業の縮小を願い出ました。ところが旦那様は「あの程度の煙で死ぬのは弱い者だ。弱い者は煙以外でも死ぬように出来ている」と一蹴されました。

若様は国や、王室や学会へも働きかけようとして……その全ての伝手を、旦那様に潰されてしまったのです。

そうして、若様は“霧の爆弾魔”になった。

霧の爆弾魔が標的にしたのは、全て旦那様の事業です。それに気づいたのは、私と旦那様だけでした。若様は別邸へと監禁されましたが、鍵を開けたのは私です。以前別邸の管理を任されておりましたから。

王都の煙突が全て倒れてしまえば良いと、私も思っていたのです。私は“霧の爆弾魔”は……若様は、マルクス様と王都の民を救うヒーローだと思っていました。

ですが、マルクス様が……亡くなられてしまったのです。霧の深い夜に容態が急変して、そのまま息を引き取られました。マルクス様の苦しそうな最後の息づかいを、若様も私も忘れることは一生ないでしょう。

そしてマルクス様の葬儀の日。

『霧を払う騎士』と呼ばれていた、警ら隊の若者の家が爆破されたのです。その家族が犠牲になりました。

その警ら隊員は実力があり、それを評価される環境にいて、王都の民に熱狂的な支持を得ていました。そして私生活でも奥様と一歳の息子さんがいて、絵に描いたような幸せなご家庭だったのです。

推測ではありますが、若様は……若様も私と同じように、自分こそが王都を救うヒーローだと思っていたのではないでしょうか。それなのに、マルクス様は苦しみの果てに亡くなり、自分の邪魔をしただけの警ら隊員の幸せが許せなくなってしまった。

それが逆恨みであることは、私も承知しております。若様は許されない大罪を犯してしまった。それを止められなかった私の罪も大きいです。

旦那様は若様を、地下室のある別荘へと送り、監視の目を多くしました。私は、お供することはできませんでした。そして警ら隊の上層部へと取り引き持ちかけたようです。お互いの保身と安寧のために。

私にはもう、若様をお救いする手立てがありません。お心も、そのお身体も。

私に残されたのは、先にマルクス様のもとへと行き、やがて若様がおいでになるのを待つことだけでございます。

その際には騎士様と呼ばれたあの方のご家族にも、ひれ伏してお詫び申し上げようと思います。

願わくば、若様がこれ以上の罪を重ねることがありませんように。

そして……。いつか、王都の煙突が毒を吐き出すことがなくなる日が訪れますように。