作品タイトル不明
第9話 エルシャと小さな落とし物
その日はちょっと汗ばむ陽気でした。
その頃の貴族学校では、そろそろ夏季休暇の過ごし方が話題にのぼるようになっていました。
わたしはヘンリーと辺境へ帰る予定なので、王都のお土産を何にしようと考えながら、ダグラスお父さんの家の庭でヘンリーの足を洗っていました。
すると男の子がひょいと、柵の向こうから顔を出しました。
「なぁ、おまえ、ちびっ子警ら隊員なんだろう? これ拾ったんだけど……」
わたしは“子供特別警ら隊員”なのですが、なぜかわたし以外の人たちはみんな、“ちびっ子警ら隊員”と呼びます。
「届け出、ありがとうございます。ですが、拾い物は詰所にお願いします」
「うん。でも、ここのリードさんのおばさんって、時計職人さんだろう? これ、たぶん仕掛け時計のカラクリだと思うんだよな」
カラクリ……? ダグラスさんのお母様のマーサさんは確かに時計職人ですが、懐中時計専門です。仕掛け時計のことは……どうでしょう?
わたしがコテンと首を傾げて考えごとをしていると、男の子はわたしをチラチラと眺めて言いました。
「ちぇーっ。なんだよ、俺よりチビじゃんか。全然、強そうじゃないし。ちびっ子警ら隊員っていうから、期待して見に来たのに!」
いきなり失礼なことを言われてしまいました。ちびっ子警ら隊員に、強さなんか求められても困ります。
「ちびっ子警ら隊員が小さいのは仕様です。それに……大丈夫ですよ。あなたもわたしも、いずれは、ちびっ子ではなくなります」
失礼な物言いに、つい臨戦態勢に入りそうになってしまいました。でも、にっこり笑って言ったので、たぶんセーフです。
「ふ、ふん! 届け出なんてめんどくせぇ! 知るもんか!」
男の子は手に持った拾い物を柵越しにポーンと放り投げて、走り去ってしまいました。
太陽の光を受けてキラキラと光る弧を描いた“それ”に反応したのは、ヘンリーでした。
「わふっ!」
見事なジャンプを決めてキャッチします。
「さすが警ら犬! すごいです」
「わふっ」
ヘンリーは完璧に着地すると、お座りして尻尾をブンブンと振って待っています。
犬語がわからない人でも『ああ、“褒めて褒めて”って言ってるね』と言うと思います。ヘンリーの素直な表現は微笑ましくて、自然と口元が綻びます。
ひとしきり頭や首周りをワシワシと撫でてから手を出すと、ヘンリーがキャッチしたものをわたしの手のひらに乗せてくれました。
ちょっとヨダレで濡れていますが、歯形などはついていないようです。
「兵隊さんの人形……ですかね?」
一応きれいに洗います。キラキラ光っていたのは、人形が手に持っている金属のラッパでした。
「マーサおばさまに聞いてみましょう」
ダグラスお父さんの家は二階建てで、一階部分はマーサおばさまの工房です。以前は工房は別の場所にあったらしいのですが。
工房のドアを開けると、カランッと軽い鐘の音が鳴ります。マーサおばさまは作業に集中していると、来客に気が付かないことがあるからです。
ちなみに、マーサさんを“マーサおばさま”と呼ぶのは、ご本人の希望です。
「マーサおばさま、近所の男の子から拾い物を預かったのですが、その子が仕掛け時計の部品じゃないかって」
「どれ、見せてごらん」
精密作業用の拡大ルーペを額に押し上げたマーサおばさまが言いました。眉間の皺がダグラスお父さんにそっくりです。
「ふん。確かに仕掛け時計のカラクリ人形だね。しかもかなり上等なシロモノだ。どこで拾ったって?」
「聞く暇もなく、走って行ってしまいました。これじゃあ、拾い物の届けが出せませんね……」
ヘンリーが耳をペタンとして、クゥーンと鳴きました。“エルシャちゃん、どうしたの?”と言っています。
「わう、わうん」
犬語であらましを説明すると、“においを追ってみる?”とキラキラした目を向けてきます。
「あんたらは面白いねぇ。本当に話が通じてるみたいだ」
こんな感じのことはよく言われます。それでも、わたしとヘンリーが本当に会話しているとは、誰も思わないようです。
「ヘンリーなら、においを追えると思いますけど……。今夜、ダグラスお父さんが帰って来たら、相談してみます」
「そうかい」
マーサおばさまは、そう言うと額のルーペを目の位置まで戻して作業を再開しました。
マーサおばさまの“そうかい”は、ダグラスお父さんの“そうか”よりも、ちょっと素っ気なくて、照れ臭さが滲んでいます。とでも味わい深いです。
わたしはおばさまの作業の邪魔にならないように、少し離れた椅子にそっと腰掛けます。ヘンリーはわたしの足元に伏せて、緩やかに尻尾を揺らしています。
時折り、おばさまの手元で金具がカチャリと音を立てます。わたしは、細かい作業を見ているのがとても好きです。
しばらくするとチッチッチッという、規則正しく時を刻む音が聞こえてきました。
「ふう……」
「おばさま、ひと休みしますか? お茶を入れます」
「ああ、すまないね。頂くよ」
おばさまが作業机から立って、ゆっくりと歩いて来ます。少しだけ左足を引きずります。
そのことについて、ダグラスお父さんもおばさまも、何も言いません。わたしも何も聞きません。
人には言いたくないことや、触れられたくない傷があるものです。
結局あのカラクリ人形の落とし物は、ダグラスお父さんと相談して、匿名での届け出にすることになりました。
そしてその週の終わりに、詰所に“ふたつ目”のカラクリ人形が、持ち込まれることになるのです。